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「ごめんなさい」
シャワーを浴びて、乾かした服を着て。気にかかっていた事を謝った。
ソファに座った蒼羽は、振り向いていぶかしげな顔をする。
「・・・蒼羽さんが外に出ちゃいけない、って言ってくれたのに」
「何で外に出たんだ?」
「・・・物音がして。玄関に行ったら、鉢が倒れていたんです」
やってはいけない事をした。
うつむいてしまうのは、もっといけない事なのに。
「そうか。それなら仕方ない」
蒼羽は優しい声を出す。
「・・・ごめん、なさい」
「もういい。謝るな」
「この前の土曜日、怒らせてごめんなさい」
「違う!」
彼が首を振る気配。
どうして、否定をするのだろう。
「あれは、違うんだ。別に怒ってない。お前に対して怒ってなんかいない。謝らなきゃいけないのは、俺の方だ」
蒼羽のその様子が、いつもと違って見える。
今にも立ち上がりそうに、上半身を伸ばして。はじめに荒げた声は、だんだんと小さくなっていた。
「・・・何で? 何で蒼羽さんが謝るんですか?」
「お前の声が聞こえていたのに、無視して先に進んだんだ。そのせいでお前に怪我をさせた。腹が立っていたとしたら、それは自分に対してだ。・・・・・・無視してごめん。悪かった」
低く呟く彼にうろたえてしまう。
彼に謝ってほしいわけではない。自分を許してほしいのだ。
「そんな事、・・・全然気にしてないです。謝らないで下さい」
「そう思うなら、お前ももう謝るな。お互い様だ」
蒼羽の口から出た、その言葉がとてもおかしく感じた。思わず笑うと、蒼羽も小さく笑う。
「・・・座れ。足はもういいのか?」
蒼羽は隣を示して、こちらを見上げる。言われた通りに彼の横に腰を下ろすと、満足そうに蒼羽が頷いた。
何で隣なのだろう。今までならば、絶対に同じソファに座ることなど嫌がられたはずだ。近すぎる距離で、彼の視線が自分へと向けられていた。
「えっと、触れるとちょっと痛いけど、歩くのには別に支障はないです」
「そうか。今日はセンターに行くのか?」
「忙しくなるから、来なくていいって言われましたよ?」
思わず見上げた視界には。
蒼羽の優しげな微笑み。そんな風に微笑むなんて、知らなかった。それを見せてくれる彼の許可を、いつの間に手に入れていたのだろう。
「もう雨もやむぞ。午後からは晴れだ。穴の向こうは雨だけど」
どうしてそんな目でこちらを見るのか。
先程彼の前で泣いてしまったせいで、恥ずかしくて、もう目を合わせられなくて。
「・・・なんか、面白いですねー。変な感じ・・・」
本当は、聞きたいことがいっぱいあった。
青い石のピアスをどうしてくれたのか、とか。土曜日に無視したのはどうして、だとか。
蒼羽の穏やかな空気が、心地よくて。
聞こうと思っていたことは、心の奥に押しやった。
今はまだ、このままで。
「おはようございます」
今までで一番元気な声だ、と。
自分でも分かるくらいに、気持ちが弾んでいた。
今日は月曜日。外は快晴。
「おはよう。今日はセンターに行くんだよね?」
そう言って、ソファで新聞を読んでいたベリルが立ち上がる。今日はなぜか迷彩柄のTシャツと、深緑色のカーゴパンツで、自分を驚かせた。
「なんで違う服着てるんですか!?」
「ああ、あのコスプレも、もう飽きたし。今度はこれ。アーミールック」
何でもない事のように言い切る。
「え、あれコスプレだったんだ・・・なんかショック。じゃあ先週までのあれは、ソムリエですか?」
彼に関しては、不思議なことばかり。
それでも、ベリルが自分を可愛がって、家族のように接してくれているから、もう随分と馴染んでいる気がした。
「違うよー。あれは喫茶店のマスター。はい、これお弁当」
「ありがとうございます。あ、蒼羽さんは?」
ピンクの包みを手提げに入れながら、ベリルに聞く。センターに行く前に挨拶をしたい。
「明け方まで金曜日の書類作ってたから。今はまだ寝てるよ」
くす、と笑って、ベリルの長い指が天井を指す。
今日の蒼羽も優しいのだろうか、などと変な期待をしていた自分が恥ずかしく。顔を合わせないのは、逆にいいような気もしてきた。
「・・・じゃあ行ってきまーす」
「あれ? お迎え来ないの?」
「あ、もう道順は覚えたし。ピアスもあるし、一人で行きます」
「そう? じゃあ、気を付けてよ? 絡まれたら、逃げてね」
「はーい。行ってきます」
緋天を見送った後、しばらくして蒼羽が二階から降りてきた。
眠そうな目をした彼に少し驚く。ここ最近の睡眠不足を解消する為に、当然まだ夢の中だと思っていたから。
「あれ? 蒼羽、起きたの?」
「ん。来たのか?」
分かりやすい蒼羽に笑みがこぼれる。こちらの気持ちが分かったのか、彼は冷たい視線を投げてきたけれど。
「緋天ちゃんは、もう行っちゃったよ。なんかあの娘さ、門番とかセンターの奴らにすごい人気なんだよねぇ。大丈夫かな?」
からかいたい。
もう楽しくて楽しくて。あながち嘘ではないそんな事を口にすると。
案の定、その言葉に蒼羽は反応した。
「蒼羽、牽制しに行った方がいいんじゃない? 大丈夫、君の睨みなら、一発でだいぶ敵は減るはずだよ」
我慢ができず、発破をかけてしまった。
蒼羽が救われた気がした。笑顔の彼女に。




