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「ただいまー」
家に帰って手を洗ってうがいをして、ふと顔を上げて鏡を見たら。左の耳たぶに青い小さな丸い石が見えた。
「うわ、何これ? って蒼羽さんのなんだろうけど・・・きれーい」
絶妙な青。鏡に顔を近づけると、透かし彫りのような薄い模様が見えた。
「・・・蒼羽さんてセンスいいな・・・うらやましい」
「洗面所で何騒いでるの? 変な子ねえ」
鏡の前でピアスに見入っていると、母親が横から出てきた。
「お母さん・・・変な子って。あ、そうだ、あのね」
「あら。あらあら。素敵。どうしたの、それ?」
就職した、と言おうとしたら、目ざとく左耳のピアスを指差す。
「えっと、これはピアスを開ける為に、貸してくれて。あたしのじゃないよ」
「まあぁ。いいわねえ。私もそういうのが欲しいわー」
「だからね、これは借り物で・・・って、この話は置いといて。あたし明日からしご、」
仕事に行く、と言おうとして、また言葉を遮られる。
「やあねー。秘密なの?」
「えっと、だから、秘密とかじゃなくて。あれ? 一部秘密で・・・もう、だから!人の話を聞いてよう!」
「あら、やあね。大声出して。最近の子はすぐキレるんだから」
「違うってば・・・」
話の噛み合わない母親にがくりとうなだれてしまう。
とりあえず説明するのは後にしよう、と思った。
「おはようございま、す」
今日もきれいな日本晴れ。日差しが強くて暑くなりそうだった。
幻ではないことをまたも確認して扉を開けると、ソファに蒼羽が座ってテレビを見ていて。
見覚えのある、ワイドショー混じりのニュース番組。画面の左上に表示された時刻は八時四十五分。彼は振向いて自分を見る。
「少し待ってろ」
そう言ってテレビに向き直る。ベリルは見当たらず、邪魔をしてはいけない、と思い、黙って蒼羽の右側のソファに座った。テレビの画面に犬が戯れる映像が流れていて、蒼羽がそれを見ている。ものすごい違和感に襲われて、我慢できずに口を開こうとしたら、天気予報のコーナーに画面が切替わった。これを見ようとしていたのだ、と理解して。何故かほっとした。
「おや、緋天ちゃん。早いね」
沈黙の中、蒼羽と二人でテレビの画面に目をやっていると。ベリルがカウンター横の扉から出てきて言う。
「ええ? だって九時に来ます、って昨日言いましたよね?」
「え? だってまだ九時じゃないよ?」
画面の時刻表示を見てベリルが驚いた顔を見せる。
「あの、・・・普通、早めに着くようにしますよね?」
「そうなの? 日本人は真面目だからなあ。あー、ひとつ勉強になった」
「いえ、なんか日本人とか関係ないですよー、それ。時間の概念が違うのかなあ???」
「じゃあ、緋天ちゃんが真面目なの?」
その切返しに首をひねってしまう。何と答えればいいか、考えあぐねていると、天気予報のコーナーを見終わった蒼羽が声をかける。
「気にするな。ベリルが変なんだ」
「そうなんですか? なんだー、あたし変な事言ってるのかと思った」
「んー? 私が変、って。ひどい事言うなあ、蒼羽は」
蒼羽の言葉に少しすっきりして、逆にベリルは顔をしかめて。
なんだか蒼羽とまともな会話として成立している、と気付いて嬉しくなった。
「本当の事だ」
「んっと・・・ベリルさん、女の子と待ち合わせした時とかどうですか? 早めの時間に行きません?」
「えー? 待ち合わせ時間にぴったり着くよ?」
「じゃあ、何かハプニングがあった時は?」
「・・・遅れるねー。そういえば待ち合わせ場所に、女の子が先にいる事ばっかりだなぁ」
何気ない顔をして言うベリルを見て、苦笑がもれる。
きっと彼は、その外見も手伝って、もてるのだろうな、と容易に想像できた。必死にならなくても、女の子の方から寄ってくるのだろう。
「ベリルさん・・・女心を判ってないですよー。いつも相手を待ってると、そのうちに、自分は相手にとってそんなに大事じゃないのかな、とか。都合のいい女なんだ、とか。そういう風に思っちゃいますよ。例え時間に遅れてなくても。相手がベリルさんみたいにカッコ良かったら、なおさら」
勝手な想像だけれど、あながち間違っていないような気がして。
女性代表として口にしてみた。
彼からは子供扱いをされているので、少し気分がいい。
「あぁ、そういえばいつだったか、会ったそうそう、私はあなたのなんなの、って言われて、殴られた事が・・・。そうだったんだ・・・。目から鱗が落ちたよ、緋天ちゃん」
肩を落として言ったベリルの言葉に、かなり呆然としてしまっていると。黙り込んだ自分に蒼羽が横から声をかける。
「行くぞ。あいつは放っておけ」
「・・・ベリルさんって。・・・女泣かせ」




