九十三話「文化祭一日目 テニス部」
「へえ。文化祭二人で回っているのね」
彰と恵梨が次にやってきたのは校舎を出たところにあるテニス部の模擬店だった。この辺りはさまざまな部の模擬店が並んでいるが、まだ昼ごはんには早いので辺りに人は少ない。
彰たちがここに来たのもどちらかというと調理係でたこ焼きを焼いている由菜の姿を見るためであった。
人が少ないため余裕のある由菜はたこ焼きをクルクルと回しながら恵梨と雑談する。
「そうなんです……二人で回っているんですけど……」
恵梨はそう言って目を伏せた。何か言い難いことがあるようだ。
「どうしたの?」
会話の途中にそんな態度を取られれば当然気になる。なので由菜が、もう少しで固まるかなーと思いながら恵梨に聞くと、
「その……二人で回ろうと誘ったのが彰さんからなんです」
プスッ。
聞き逃せない発言に由菜は勢いあまってたこ焼きを刺してしまった。
「ど、どういうことよ!」
こういうことは本人に聞いたほうが早い、と由菜は恵梨ではなくその横に立っていた恋の対象である幼なじみに掴みかかりそうな勢いで本意を聞いた。
「……ん?」
その彰はというとたこ焼きの匂いに気を取られていたため反応が少し遅れ、
「ああ、本当はおまえを誘おうと思ったんだけど調理係の役目があるって聞いたから恵梨を誘ったんだ」
気もそぞろなまま由菜の方を見すらせずに答えた。頭の中はたこ焼き一色である。
「………………」
「……まあこんな感じなので、彰さんも由菜さんが考えているような理由で私を誘ったんじゃないと思いますよ」
文化祭を二人で回る≒デートのようなもの、と考えていた由菜にそう告げる恵梨。
「そうね…………はぁ。それにしても何で私は今たこ焼きを焼いているのかしら…………」
貴重な機会が知らずに潰されていることに、由菜は恵梨のポジションを恨やみながらため息をついた。
そのとき一人の女子生徒がテニス部の模擬店に帰ってきた。
「ごめーん、由菜」
「遅いですよ先輩。……まあ客がそんなに来てないからいいですけど」
由菜が気楽に対応するのはどうやらテニス部の先輩のようだ。自由奔放そうな雰囲気をしている。
「いや来てるじゃん、客」
中に入った先輩はエプロンを上から着る。
本当はこの二人でこの時間の模擬店を任されていたのだが、先輩がどうしても行きたいところがあるということで少し抜け出していたようだった。
「この二人は知り合いですのでちょっとくらい遅れても大丈夫ですよ」
「何だその理屈は? 俺は早く食べたいんだが」
聞き捨てならないと反応する彰。
「何よ。まだ昼ごはんには早いっていうのにもうそんなに腹が減ったの? 朝ごはん食べてないの?」
「いつも言っている事だが、男子高校生の胃袋を舐めるなとだけ言っておこう」
彰はにべも無い。
「………………」
エプロンを着たテニス部の先輩は何か興味があるのか彰をじーっと眺めているので、由菜があわてて説明した。
「そういえば先輩は知りませんよね。この人は私の幼なじみで――」
「高野彰です。いつも由菜が迷惑をかけています」
固い口調の彰に由菜は反発する。
「なっ!? 迷惑はかけてないわよ。私は模範的な後輩だって」
「……本当か?」
「本当よ。大体彰にそんな心配されたり親みたいなセリフを言われないといけないのよ…………って先輩どうしましたか?」
先輩が自分の近くまで来て、小声で耳打ちしてきた。
「この幼なじみが八畑の好きな人なのか」
にゃははと笑みを浮かべる先輩。
「!!! ど、どうしてそれを!?」
狼狽する由菜。当然ながらその事実を先輩に言った事は無い。
しかしその反応は先輩の思惑通りだった。
「その反応ってことは本当なのか」
「っ!?」
由菜は先輩の鎌かけに引っかかってしまった事を悟る。
「……まあ、おまえが幼なじみのことを語るときの雰囲気で想像をついてたのよ」
「うぅ~~~」
分かりやすい自分に嫌気が差して地団駄を踏む由菜。
うなっている由菜を放置して先輩は彰の方を向いた。
「……しかし由菜の幼なじみが、あの高野彰だったとは」
「何だ? 俺の事を知っているのか?」
どうやら相手は自分の事を知っているが、彰としては初対面である。……最近こういうシチュエーションがよくあるなあ。
「知っているも何も、二年生の間で君のことはかなり有名になっているぞ」
「そんな目立つことした覚えは無いんだが」
「文化祭準備会議で千鶴のことを言い負かしたって聞いているけど」
「………………あー」
そんな出来事あったな、と思い当たる彰。千鶴とは生徒会長の毬谷千鶴のことで、たぶん文芸部企画の騒ぎの話だろう。
「千鶴が口で負けたなんて信じられないと思ったけど……確かにあなた理知的な顔つきしてるわね」
「そんなことないですよ。あれは詭弁、屁理屈を通しただけです」
彰が謙遜する。
「それでも私はあの堅物、無慈悲な天使、正論バカ、に勝てるとは思えないわ」
「……誰が正論バカですって」
「生徒会長の毬谷千鶴よ…………って」
得意になって語っていた先輩は返事が女の声になっている事に気づいていなかった。
「どうやら私のことを話しているようね」
生徒会の活動の一環で文化祭を見回っていた途中、話の聞こえた毬谷千鶴は先輩をねめつける。
「……ははは。元気そうね千鶴」
「ええ。そちらこそ元気に人の悪口を言っているようね」
「………………けど、毬谷はそう言われてもしょうがない」
毬谷の傍らには副会長の古月香苗がいた。背中を味方に打たれた格好となる毬谷。
「か、香苗もそう思っていたの……!?」
「………………毬谷は時々融通が効かない」
「ほーら、言った通りじゃない!」
調子付く先輩。
その三人の間に挟まれた彰は、『この三人知り合いなのか……?』と思いながら事態の推移を見守っていた。
「………………」
恵梨はその五人から少し身を引いたところで事態の推移を見守っていた。
「うぅ~~」
由菜はまだ自己嫌悪中。先輩に耳打ちされた時からそうなっているので、たぶん彰が好きなことがばれたとかそんなところだろう、と当たりをつける恵梨。
「……も、もしかして彰くんもそんな風に思っているのかしら」
「……まあ、そう思っていたから詭弁、屁理屈を弄して言い負かしたんですが」
いつも集会などがあるときは前の壇上などに立っている生徒会長の毬谷先輩。あんなに綺麗な人なのに、どうやら彰さんとも仲が良さそうだ。
最初は自分は関係ないというスタンスだった彰さんも巻き込まれて会話に参加している。
「三対一じゃないか」
「………………毬谷、諦めて認めた方がいい」
途中からやってきたテニス部の先輩に副会長の古谷先輩もすでに彰さんと打ち解けているような気がする。
そう観察した結果、恵梨の出した結論は次だった。
……彰さんの周りって意外と女性がたくさん居るんですね。
ここにはいないが文芸部の部長の花先輩や、同じクラスの美佳、学校外まで言うならばメールをやりとりしているらしい風の錬金術者の風野彩香までその範疇に入る。
逆に本当に男友達といえるのが仁司さんや、能力者である火野と雷沢で少ない気がする。
「そしてその誰もが彰さんの事を良く思っている」
彰さんはノリで動いたり、言動が軽い時もあったりと人によっては不快に思う人がいるかもしれない。……それだけだったならば。
けど、彰さんはいつも状況を読んでいる。踏み越えてはならない一線すれすれまで行く事はあっても、踏み越える事は無い。
それに誰かが困っているとき彰さんはその人に親身に接して助けてくれる。
困っている人にとって、助けてもらえるというのはとてもありがたいことで……そう、人は弱っている時に助けてもらうとその印象は大きくなるのだ。
「…………だから私の中にも大きく残っている」
彰さんの存在は私の心の中で大きくなってきていると思う。
ただ……大きくなったことが何を意味するのか。前にもいつか向き合わないといけないと思ったというのに、日々のいそがしさに埋没している。
この問題は恵梨にとって夏休みの宿題のようなものだ。
いつかはやらないといけない。そう分かっているのに面倒くさくて、日々は平穏に進むから後回しにして……そして最終日という問題を直視しないといけない場面が来るまで楽観的に構えてしまう。
「……日々が平穏なのがいけないんです」
愚痴ってしまう恵梨。
もしこれが物語のクライマックスのような緊迫した場面だったら勢いで答えを出すことができただろうに。
現実はこうやってのんびりと文化祭を楽しむ事ができて、私を追っていた科学技術研究会はラティスの『記憶』によって私の記憶を亡くし、他に能力者的トラブルは一切起きていない。
「ですから……もうちょっと先でもいいですよね」
だから恵梨は彰の方を一瞥した後、由菜に声をかけることにした。
うなっている由菜は気づいていないのだが、もう少しでたこ焼きが焦げると思ったからだった。
日常を生きている恵梨の心配事とはそんな些細なもの。それは彰――この平穏を守るために能力者的トラブルに巻き込まれている者――が望んだ状況であった。
それからあわてて由菜は焼きあがったたこ焼きに取り上げ、ソースをかけ、パックに詰めて彰に渡す。
「ほら出来上がったわよ」
「おう、サンキューな」
彰は顔をほころばせながら受け取る。
「そういえば由菜は調理係のシフト何時まで入っているんだ?」
「えーっと……二時くらいまでだったと思うけど」
「ならその後は一緒に回らないか?」
「OKよ」
「ではまた後で、由菜さん」
そうやって約束を取り付けた後、彰と恵梨はテニス部の模擬店を離れていった。
その姿をみて、「あれ?」と思ったのが毬谷だった。
「…………そういえば彰くんの隣りの女子生徒は誰なのかしら?」
「ずっと離れたところで見ていたねー」
今更な疑問に先輩はそう答える。
「……………………彼女?」
古月は文化祭を二人で回っていることからそう推測したようだが、答えを知っている由菜は苦笑と共に告げた。
「恵梨は彰の彼女じゃありませんよ。ただ同居している仲です」
「そっちの方がよっぽど進んでるわよ!?」
「由菜大敗北じゃない!?」
「………………予想外」
「あっ……! そ、そうじゃなくて、これには事情があるらしくて……!」
由菜はあわあわとしながら三人の誤解を解いていった。
その後も文化祭を楽しむ彰と恵梨。
「よし勝負だ、仁司!」
「おう、特別に受けて立とう!」
仁司の所属するサッカー部の出し物で、九枚のパネルをサッカーボールを蹴って打ち抜くというテレビなんかでよく見るやつに挑戦したり、
「よし、次の店に行くか」
「まだ食べれるんですか……?」
昼食の時間になれば模擬店を食べ歩いたり、
「次どこ行く、彰?」
「由菜の好きなところに任せるよ」
その後合流した由菜と三人で文化祭を回ったりした。
学校中どこも生徒がハイテンションでいるのを見て、恵梨は感嘆する。
「すごい盛り上がりですね」
「……そうだが、明日の二日目は一般の人も来るからそっちの方が本番だって言われているぞ」
「そうですか。……これ以上が明日も続くんですか」
「遊び疲れないようにしなきゃな」
そう、明日も楽しめると彰は思っていた。




