九十話「文化祭前日1」
普段は授業中である時間帯。
そして真面目に勉強する場である教室。
いつもなら落ち着いてノートを取るのに一生懸命になっているはずの一年二組の生徒たちは、
「完成!!」
ヒャッホーーーー! いえーーーーい!
彰が思わず上げた声に、追従してみんな歓声を上げて思いっきり浮かれていた。それが許されるのが文化祭前日である。
モーリスを逃がしてから一時は平穏な日々だった。
彰はつつがなく文化祭の準備を進ませながらも、ルークからの報告でモーリスが見つからない事に歯がゆい思いを抱く。ルークも捜索を重ねるごとにモーリスに近づいているのを実感しながらも、その姿が見つからない事で自身に苛立ちを覚える。
そのまま一週間ほどが過ぎて、彰は文化祭前日を迎える。
「朝からがんばっただけあるな……。本当にこの達成感は何事にも換えがたいな」
彰はまだまだ浮かれた気持ちではあるが声をあげた事で少し落ち着く。
今日、文化祭の前日は朝から終日文化祭準備だった。
彰たち一年二組は『結上市について』という調べ学習だったので、昨日まではその資料を集めたり、情報を模造紙にまとめたりしていた。それを教室に展示する事になるのだが、昨日までは教室で普通に授業があったため当然パネルなどを設置する事はできなかった。
なので授業の無い今日になってようやく教室の内装を手がけ始めたのである。朝から展示物を置く用以外の机とイスを外に出して、パネルを運び込んで模造紙を貼り付けてと作業をした結果、昼食を食べてから一時間ほどで展示は完成した。
教室中が文化祭の準備が終わった事で沸いている中、
「はあ、本当に完成しましたね」
誰かがため息をついたのが聞こえた。彰がそちらを振り向くと恵梨がいる。
「……恵梨? どうしたため息をついて」
「いや、私も長い間準備していましたから達成感はあるんですけど、前に言ったじゃないですか。前日に学校に泊り込んで準備するのもしてみたいって」
「えーと……そういえば一週間ほど前そんな事を言っていたな」
「そうですよ。けどもう完成しましたね。……いえーい」
投げやりな歓声。
それならば、と彰も提案してみた。
「由菜の所属しているテニス部の準備が遅れているらしいから手伝ってくればいいんじゃないか?」
由菜は展示を完成させた途端に教室を出て行ったのを見ている。たぶん今からテニス部の準備の方に行ったのだろう。
しかし、恵梨はその提案をお気に召さなかったようだ。
「何を言っているんですか彰さん。こういうのは長い間ずっと一緒に準備をしていたというのが連帯感を生んでいいんじゃないですか。今から行ったとしても私は部外者でしかありません」
「……妙なこだわりがあるなあ」
普段強く主張する事の少ない恵梨にとっては珍しい事である。
「………………」
だから彰もがらに似合わない発言をしてしまった。
「……それなら来年もし俺とおまえが一緒のクラスで俺が文化祭のクラス委員を勤めていたら、おまえのために前日には学校に泊るよう出し物の準備を進めてやるよ」
「本当ですか!!」
恵梨は食いつきようが激しく、彰の両手を握っている。どこまで学校に泊まりたいんだろうか? しかも来年の話だぞ?
「おまえが覚えていたらな」
「分かりました! 私、絶対覚えておきますからね!」
彰とつないでいる手をブンと振った後、恵梨は喜びそのままクラスメイトの輪に入っていった。学校に泊まれない事をすねていただけでもともと達成感はあったので、ハイテンションで女子の友達とハイタッチをしている。
喜んでいる恵梨を見てしみじみと彰は思った。
「……少し気取ったセリフを言ったかいがあるなあ」
恵梨は浮かれているから良いものの、『おまえのために』とか言っていて、第三者に聞かれたらものすごく恥ずかしいセリフだよなあ……。
「いやー、彰があんなことを言うなんてね。……どういう心境の変化なのかな?」
「………………」
どうやらばっちり聞かれていたようだ。
にやにやして近づいてくる美佳に対してどう返すか。……ていうかこのうるさい教室の中美佳はよく聞こえていたな。
彰は恥ずかしさを出すと美佳に付け上がられるのは分かっているので、鉄面皮を心がけてから言った。
「俺だってテンションが上がってあんな事を言う時もあるさ」
「おまえのために……。プッ」
「言うな」
……キレるんじゃない俺。そうなったらますます美佳の思う壺だ……。
「むう。素っ気無い反応ね……」
彰が無表情だったので、飽きっぽいところもある美佳は面白くなくなりすぐに話題を変えた。
「それにしても彰が女の子を元気付けてあげるなんてね。……中学からずっと見守ってきたけど、彰も本当に成長したね」
話題は変わっても失礼な態度は変わらないようである。彰はこめかみを押さえながら言った。
「おまえなあ。そこまで言うなんて、俺を何だと思っているんだ?」
「決まっているじゃない、鈍感野郎」
鈍感って。……俺そんなに鈍感か?
「鈍感っていうのは自分が鈍感って気づかないから鈍感なのよ」
彰の心の内を見透かしたかのような美佳の言葉。
「鈍感、鈍感ってな。おまえ鈍感と言われる人の気持ちを考えた事があるのかよ」
「考えた事無いわよ。それに鈍感な人には鈍感と言わないと自分が鈍感って分からないからしょうがなく鈍感言っているのよ」
「また鈍感って言ったな。俺は鈍感じゃないっつうの」
「鈍感は自分が鈍感って分かってないって言ったじゃない」
「それを分かった上で俺は鈍感じゃないって言っているのであって――――」
「だからそれじゃ分かってないから私は鈍感って言っているのであって――――」
そのうち、二人ともゲシュタルト崩壊を起こした。
「………………ん」
同刻、『演算予測』は拠点のホテルでふと目が覚めてしまった。
昼なのに目覚めてしまったというのは、現在能力者ギルドの三人は夜に行動するモーリスを追っているため昼夜逆転の生活を送っているからだった。別の部屋ではルークも、『過去視』も寝ているだろう。
疲れている体に睡眠が必要なのは分かっていたが、どうしてもまた眠る気になれなかった。
数分ベットの上でボーっとしていると、
「……糖分が欲しいですね」
『演算予測』は寝る前に朝食(?)を食べたのだが空腹を感じていた。その問題を対処するための思考を働かせる。
「…………日本のコンビニはスイーツがたくさん置いていると聞いたことがあります」
『演算予測』はつぶやいた通り、行動を起こす事にした。
「不毛な争いすぎた……」
彰は頭の痛みを抱えながら廊下を歩いていた。
美佳と『鈍感』言い合いすぎたせいで、鈍感と聞いても頭の中で『ドンカン』と漢字で変換されなくなっている。
「危ないよー」
「ああ、すまん」
歩いていると、パネルを二人がかりで持っている生徒が後ろから注意を促してきた。彰は一回廊下の脇に避けて先に通させる。
どこの教室も模擬店の内装を作ったり、劇のリハーサルをやっていたり、文型の部活では作品を展示したりと、生徒がせわしなく文化祭の準備を進めている。
その状況にいつもは学校にある堅苦しさは無く、すでに祭りには付き物のワクワク感にあふれていた。
「文化祭の準備も最盛期であるが……フハハ。俺たちはもう準備が終わったのだよ」
文化祭前という事とゲシュタルト崩壊でテンションがおかしくなった彰は、そんな独り言を小さくつぶやきながら生徒会室を目指す。
辿りついた生徒会室は色んな人がいてとても忙しそうだった。部活動の代表やクラス代表、生徒会役員などが生徒会室を行ったり来たり、出たり入ったりである。
生徒会は会長の毬谷が司令塔として生徒会室に残って報告をまとめて全体を把握し、生徒会役員は実働部隊として色々要請やトラブルがあったところに出向いていた。
「文化祭の準備がもう終わったですって?」
そんな中部屋に座っていた生徒会長の毬谷に彰は報告を行う。
「はい。パネルの展示など全て終わりました」
さっきまでとは頭を切り替えてまじめに言う彰。
斉明高校では文化祭を主に進めるのは教師ではなく生徒会だ。今日、文化祭の前日は終日文化祭準備のため、準備が終わったことを生徒会に報告をしたら帰宅してよい事になっている。
それで報告は終わりなのだが、文化祭準備会議での一件以来毬谷と雑談する程度の仲になっている彰はやはりそのまま雑談に入った。
「まだ二時過ぎなのに準備が終わったとはね。……あなたたちのクラスが一番に終わったみたいよ」
「へえ、そうなんですか。他のクラスはどれくらいの時間で終わりそうなんですか?」
「例年では早いところが三時、四時くらい。六時くらいまでかかるのも普通で、知っての通り泊り込みで準備するところもあるわ。
あなたたち一年生には無いけれども、二年生と三年生はクラスで合唱か劇をすることになっているからそのリハーサルをしたりすればどうしても遅くなるわ」
「出し物に加えて劇までとなると相当準備が必要だろうな」
「来年は心してかかりなさいよ」
「肝に銘じます」
一年二組の準備が終了、と机の上に置いていた紙にチェックをつける毬谷は、他にチェックがついていないその紙を見て改めて感心する。
「しかし本当に準備が早いわね……」
「きちんとこつこつ準備していましたから」
「やっぱりまとめる人がしっかりしているからかしら」
「ははは、そうかもしれませんね」
謙遜しない彰。生徒会長相手にいい度胸であるが、毬谷もそんな事は気にしていない。
「本当に一年生とは思えないくらいね。…………彰くん。あなた本当に――」
「生徒会に入るつもりはありませんから」
クラス委員や委員長をしているため生徒会長の毬谷と会う機会はよくあるのだが、会うたびにこうやって勧誘されている。
「あら残念。……本当に強情ねえ」
くすくす、と大人びた笑いが様になっている。……強情とかではなく入る気が無いだけなんだが……。
「とにかくこれで一年二組は帰宅します」
このままでは断っているというのに強引な勧誘が続くと踏んだ彰は、会話を打ち切るように回れ右をする。
「はいはい。明日と明後日は楽しみなさいよー」
毬谷も先輩らしい言葉をかけた。
彰は文化祭関係の報告に来た生徒と入り口ですれ違いながら生徒会室を出る。
帰宅する事にした彰は校門を目指すが、見える景色はどれも文化祭の準備をしている人々。テキパキ働いている者も、疲れてだらっとしている者も誰もが明日からの祭りを楽しみにしている。
「まあ、俺も楽しみなんだが」
中学二年の頃から、不良だった彰は斜に構えていたせいでこういう行事は欠席していた。
集団に属さない事こそがカッコいいと馬鹿な勘違いをしていたあのころから変わって、彰は学校全体が一体となって文化祭を盛り上げようとする事に、そして自分がその一員であることが嬉しくなって、彰は日常の中のささやかな非日常の到来をを心待ちにした。
「満足な買い物ができました」
そのころ少女、『演算予測』はケーキ、シュークリーム、エクレア、などなどが大量に入ったビニール袋を片手に歩いていた。
連日の調査の空振りで疲れているその体で、ホテルの近くにコンビニが無かったため少し遠くまで歩いてきた。なのだが、スイーツを食べる時の事を考えるとそんな疲れなど微塵も気にならない。頭脳労働系の彼女は、脳の活動源になると言われている甘い物に目が無かった。
そういう風に浮かれた気分で歩いていた『演算予測』がそれに気づくことができたのは本当に幸運だった。
「あれは…………」
ちょうど大通り、人もまばらな商店街を歩いていると『演算予測』は遠くに見えた背中に既視感を覚えた。
「既視感?」
……何故でしょうか? 日本に知り合いなんていないのですが……。
気になった『演算予測』は凝視して自分の記憶と照らし合わせると、
「…………あっ」
すぐにその正体の見当がついた。
――そうだ、私はこの人を見た事がある。……実物ではなく写真ではあるけど。
見た瞬間に気づけなかったのは、この姿では無いほうが印象的であるから。
そしてこんな昼間から動いていると思えなかったから。
「モーリス……やっと見つけました……!」
『獣化』を発動していない普通の人間の姿のモーリスは、買い物袋を片手に歩いている。その姿だけを見ればとても殺人鬼には見えない。
『演算予測』は視線の先にいるモーリスを見失わないようにしながら、携帯を取り出してルークに連絡をした。




