八十九話「犯行動機」
「文化祭の準備も目処が立ってきたな」
「そうなんですか」
放課後。
文化祭の準備を校舎が閉まる時間いっぱいまで行った彰は帰宅の道につく。隣りには恵梨と由菜もいて一緒の帰宅である。
「あと一週間半で文化祭だから、当然目処ぐらいはついてないといけないでしょ」
「まあな」
由菜からの指摘に同意する彰。
辺りはすでに薄暗くなっているので、三人は少し早歩きで進む。周りにも同じように帰る生徒がいることから、斉明高校はみんな文化祭の準備に熱心なようである。
「準備といえば、由菜は今日もクラスの準備ばかり手伝っていたが、女子テニス部の方は手伝わなくて良いのか?」
「ああそれね……」
昨日も今日もずっとクラスの出し物の準備を手伝っていた由菜。委員長の彰としてはありがたいのだが、しかし部活の方の出し物準備を邪魔するわけには行かない。
「ちょっとごたついてて、テニス部はたこ焼き屋をするんだけど作り手と売り手と裏方とかまだ決まっていないのよ」
「この時期にまだその状態か」
文化祭まで一週間と少し。模擬店の内装や材料の準備なども考えるとかなり時間がかかるのだが大丈夫だろうか。それ以上に部の中がごたごたしていて成功できるのか?
彰の不安を見て取った由菜が軽く笑った。
「大丈夫よ。もめているといっても料理上手の先輩が売り子をやりたいって言ったりと駄々をこねていたり、そんな他愛も無い事ばかりだから。部長も『いざとなったら前の日の一日中、更に徹夜をすればどうにか仕上がるだろう』って言っているし」
「それは最悪のパターンだろ」
一夜づけという言葉を嫌う彰は言うが、
「青春ですね!」
どうやら恵梨は物語の中でよく見る文化祭の準備を学校に泊りがけで終わらせるというシチュエーションにあこがれているようだ。
「彰さん! 一年二組も泊りがけで準備しませんか?」
こんな提案までしてくるほど好きらしい。
「……さっき準備の段取りの目処がついたって言っただろ。俺の予定だと前日の午前中にはきっかり終わる予定だ。日のあるうちに帰してやる」
ちなみに、文化祭の前日は授業も無しで終日準備に取り掛かることになっている。
「えーー」
「諦めろ。俺が委員長である限りそんな計画無しの行動は取らせん」
しかし、これには彰の裏の思惑があった。
(モーリスという殺人鬼が近くを徘徊しているというのに、一年二組のみんなを夜遅くに家に帰すようなことをするものか)
もちろん追われているモーリスが一度犯行を犯した結上市でまた犯行に及ぶとは思えない。念のためである。一日でも早く捕まえれば心配する必要の無いことだが、しかし警戒するに越した事は無い。
文化祭までには捕まえたいところだが、それまではモーリスが無差別に人を殺している以上気をつけないといけ……………………。
「あれ?」
……あれほどの能力者が無差別に人を殺したとして、一人目を殺して一ヶ月ほど経つのに合計で六人しか殺していないんだ?
ふと疑問に思う彰。その疑問が服にこびりついたシミのようにどうしても気になってしまう。
『獣化』の能力を使えば簡単に人を殺す事ができるし、警察なんかに見つかる心配もない。ということは……もしかしてモーリスが能力者ギルドを恐れて慎重になっているのか?…………いや、昨日初めてギルドはモーリスの犯行現場を捉えたって言っていた。それほど逃げる能力が高いってことなら、殺人を躊躇する理由なんて無いんじゃないか?
それなら…………何故なんだ?
考え出した彰に気づかず、恵梨が思いついたように言った。
「そういえば今日の彰さん珍しかったですね」
「…………何がだ?」
考え事をしていたため少し反応が遅れる彰。
(また後で考えることにするか)
それと同時に疑問については結論が出ないということで後回しにする。
「あれですよ。ほら、いつもなら彰さん宿題は全て家で終わらせているじゃないですか。それなのに今日は昼休みに数学の宿題をやっていましたね」
「まさか仁司で遊ぶためだけにやってこなかった……ってわけじゃないよね」
便乗する由菜。途中で言葉を引っ込めたが、いつも仁司をからかっている彰ならやりかねないとも思っている。
「はあ。その通り……なわけないだろ。昼食の時も言ったが、昨日は小説を読んでいて勉強をあまりしていなかったから今日の朝やろうとしたんだ。そしたら珍しく寝坊してな」
突然の指摘にもよどみなく嘘をつく彰。事実はモーリス関連のことがあって夜遅くに寝たから寝坊するのも当然なのだが。
(やっぱり嘘をつくときのコツは、先に嘘のストーリーを考えておいて嘘に整合性をもたせることだな)
幼なじみの由菜に指摘された嘘をつくときに鼻をかく癖も、意識して抑えていればどうと言う事も無い。嘘をつくことに対する罪悪感は、本当のことを言う訳にはいかないということですでに割り切って考えている。
面倒なことは俺だけが背負えばいい、という男気あふれる決意は誰にも知られる事は無いだろう。
「そうですか。……でも、彰さんが寝坊するなんて珍しいですね」
「まあ、彰にだってそんな事はあるわよ」
「そうだぞ。……それよりも――」
彰の自然な嘘のおかげで恵梨も由菜も特に疑うことなく納得した。彰は安心して、これ以上聞かれないためにさりげなく別の話題を提示しながら、いつもと変わらない道を早歩きで帰っていった。
その夜。
「……はあ、疲れました」
ルークはぐったりしながらベッドに寝転んだ。窓の外がすっかり暗いため、ガラスが鏡のようになって自分の姿を映している。
前の拠点としていたホテルを引き上げて、捜索のために結上市付近の町で新たに拠点としたホテルの一室での出来事であった。
ルークは夜遅くまで行った捜索の後、報告書をまとめてギルドの上司にメールで送り、仮眠をとったところで折り返しで電話がかかってきて任務失敗の事をこっぴどく言われた。
しかし自分が諦めていないこと、挽回のチャンスをどうにか下さいと誠心誠意頼み込んだところ、どうにか次のチャンスをもらうことができた。
そのときの会話は次である。
「君がそんな殊勝な態度を取るなんて珍しいな。……よかろう。いつも優秀な君のことだ。この失敗を糧に引き続きモーリスを追ってくれ」
しかし、と電話の相手は続けた。
「次にモーリスが殺人事件を起こすまでに捕らえきれなかった場合は、さすがにこちらも見過ごせない状況に入る。本土の状況から執行官をそんな島国に二人以上もも派遣するわけには行かないのだが、そうせざるを得ない。
そうならないことを期待しているよ」
「はい」
もう失敗できない……!
決意新たにしたルークは、話が終わったと思い携帯電話の通話終了ボタンを押そうとするが、
「ああ、忘れていた」
「?」
「……私の娘はよく働いているか? それに危険な目にあってないよな?」
「………………本人に電話でもして聞けばいいじゃないですか」
急にやわらかい口調になる上司を冷たく突き放すルーク。
この上司の娘が現在一緒に任務を行っている『演算予測』の能力者であることを思い出すルーク。
「……いや、年頃なのか私と話したくないと言ってね。それでも事あるごとに電話をし続けていたら着信拒否されるし、代わりにメールを送っていたら受信拒否されるし…………。対抗しようとしても私の行動は『演算予測』で完璧に予想されているのだよ」
「あなたも『演算予測』し返せば……と思いましたが無理でしたね」
能力は遺伝するのでそう言いかけたが、離婚大国のアメリカなので上司はバツイチの女と結婚して娘は連れ子である、と聞いたことを思い出す。
ちなみに能力『演算予測』とは、自分が知っている対象のあらゆる情報――例えば普段の仕草、行動・思考パターンなど――を使って対象の行動を予測するものである。
つまり対象の事をよく知っていれば知っているほど予測は当たるため、家族なんかであればほとんど100%分かることもあるらしい。
「そう。妻も『演算予測』の能力を使うから隠し事とかも全てばれてしまうんだ。もうどうしようも無くて困るよ」
「……………………」
そこにすでに上司としての威厳は無い。ただ、娘との距離感を気にする、かわいそうな父親としての姿があった。
さて、どうコメントすればいいでしょうか。
「………………」
大人顔負けの実力によって若輩ながらも執行官となっているルークは当然ながら人生経験が浅い。アドバイスが一つも思いつかなかったルークはノーコメントで本題に戻る事にする。
「……ええと、それで娘さんのことを聞きたいんですよね」
「ああ、頼むよ! 君だけが頼りなんだ!」
「大げさですよ。……はあ、しょうがないですね。………………娘さんは――」
他人のことをべらべらしゃべるのは気が進まないが上司の頼みとあれば、とルークが話し出そうとした、
そのとき。
プチッ。ツー、ツー、ツー。
電話が切れた。
「あれ?」
当然タイミング的に相手が切る訳が無い。消去法的に考えるとこっちから切ったことになるのだがそれは、
「………………」
ルークの横に立った『演算予測』が通話終了ボタンを勝手に押したからだった。
勢い非難の目でルークがそちらを見ると、
「すいません勝手な事をして。ですが、私の父があなたを困らせている可能性が100%だったのと、根負けしたあなたが私のプライベートを話そうとしている可能性が85%だったので電話を切らせてもらいました。
……何か言うことがありますでしょうか?」
「…………ありません」
今日も鋭い予測ですね…………。『演算予測』にジト目を返されたルークだった。
『演算予測』は用件を伝えた後、部屋を出て行った。
「十分に仮眠を取れたとはいえませんが……ここが踏ん張りどころですね」
これまで殺人が犯されたのはすべて夜が遅くなってからだった。このことから、モーリスが夜間に動いていることが想定されていた。
なので、時刻は午後九時を過ぎているのだがもう少し時間が経ったら『演算予測』と『過去視』の二人と今日も捜索に出ることになっている。
と、布団に寝転がっていたルークは時計を見て起きた。
「さて、出る前に報告をしますか」
ルークは携帯を操作して電話帳から一つの番号をコールすると、三コール目に入ろうとしたところで相手が出る。
「よう、久しぶりだな」
「といっても一日も経ってませんけどね」
電話の相手は彰である。毎日この時間になったら電話で色々と報告するように頼まれていたのだった。
彰はその電話を自室で受けていた。
「定時報告という事ですが、モーリスの捜索には今から出ることになっているのでそっちの方は何もいうことはありません」
「そうか。……関係ないけどちなみに今日は何をしていたんだ?」
「仮眠をとった後、上司の説教を受けていました」
「それは……災難だったな」
「彰さんが気にすることではありませんよ。……そうそう、異能力者隠蔽機関から事件の隠蔽が完了したとの報告がありました」
「それならニュースで見たぞ」
隣町で起きた事になった猟奇殺人事件の報道は、犯人は分かっておらず警察は動機のありそうな人物を探す事、愉快犯の可能性も考えて捜査を始めるとのことだった。
あれでは一生警察はモーリスにたどり着けるとは思えないな。
「そうですか。……ではこちらからは以上ですが、そちらから何か言うことはありますか?」
(何か…………。そういえば)
彰は夕方気になった疑問を思い出した。モーリスが何故たった六人しか殺していないというものだ。
……長い間追っているルークなら何か知っているかもしれないな。
「なあ、ルーク。モーリスの事だが――」
疑問に思った経緯から全て話す彰。
「………………」
全てを聞いたルークは黙った。
黙ったってことはある程度心当たりがあるのか?
彰も自室のベッドに寝転んだままルークの返答を待つ。
「……………………」
が、あまりにずっとルークが沈黙していたため催促した。
「何か思い当たるところがあるのか?」
「…………その、思い当たるところというか、彰さんが言ったことの理由は完全に分かっているんです」
「えっ? そうなのか」
彰にとって意外だったその答え。
「ただ……彰さんに教えていいものなのかと悩んでいたのですが……彰さんもモーリスを追う仲間ですし知ってもらった方が良いかもしれませんね」
自分に言い聞かせるようなルーク。
「ルーク、そろそろ調査に行くよ」
そのとき電話口の向こうから女の声が聞こえてきた。彰も聞いたことのある声で、『過去視』の大人びた女性だろう。
「はい、分かりました」女性の方に応答する声の後、「…………すいません。時間がないのでちょっと要点だけでいいですか?」
すまなそうなルーク。
「構わない」
「……まず彰さんが恐れていた同級生が殺される事ですが、たぶんそれは無いと言っていいでしょう」
「え? ……何故断言できるんだ?」
「それは六人しか殺せていない理由とも重なるんですが……。まずそもそも彰さんは前提が違うんです」
「前提?」
俺が何か間違った仮定をしてしまっただろうか?
ルークは一息置いた後に言った。
「モーリスは無差別に人を殺しているのでは無いのです」
「………………え?」
彰が全く思ってもいなかったその言葉。
……いや、確かに俺は猟奇的殺人=愉快的殺人だと勝手に思い込んでいたな。モーリスは人を殺す事を楽しがっているんじゃないか、とか。
理性的な人間が連続殺人事件を起こすとは思っていなかったので、モーリスは普通の精神状態ではないと思っていたが、
「……もう一つあるか」
人間の感情、喜怒哀楽。
愉快的殺人を行う人間の感情を喜とか楽であるとするならば、もう一つの殺人を犯す感情はすなわち怒や哀である。
彰がルークの言葉を聞いてまたたく間に組み上げた推論。それを肯定する言葉がルークから続けて発せられた。
「彰さんの言うとおりモーリスが無差別に殺すのであれば毎夜、毎夜人を殺して僕たちに捕まる前に離脱する事が出来るでしょう。
しかし、彼がこの一ヶ月ほどで六人しか殺せていないのは明確に獲物が決まっているからなんです。だから、一人殺してから次の対象を捉えるまでに時間がかかる。
――まあつまり、モーリスが現在犯している殺人は……彼なりの復讐なんです」




