七十二話「会談三日目 風野彩香との試合4」
彰が次で決めると宣言して、戦いは最終局面を迎えたようだった。
次の一撃で決着がつく……とは大きく出たわね。
「それって私の勝ちで終わる……と言いたいわけじゃなさそうね」
彩香は皮肉を途中で引っ込める。
「当たり前だろ」
「そう。……ならさっさと決着をつけましょうか」
相手の言動をいちいち気にしても仕方が無い。
今は試合中、相手も手負いなのだからさっさと引導を渡せばよいのだ。
彩香は竹刀を構える。
彰も剣を構える。が、彩香の目から見たそれには全く力が感じられなかった。
体力もほとんど残ってないくせに、よくさっきの大言壮語が飛び出してきたわね。
しかし、彩香は容赦する気は無い。
彰との距離は五メートルほど。その距離を一気に駆けて最速の面打ちを叩き込む。……しかし、さっきのように不意をつかれないために意識はしっかりと相手の動きを警戒する。
彩香に打てる最高の手。
それをもって彰を粉砕する予定だった。
緊張感が高まる。
試合場にいる何人もの観客が、二人を見て静まり返る。
実況の二人もその状況に何も言えない。
彰と彩香も、お互いがお互いの動きを油断無く気を配りあう。
そして唐突に。
彩香は仕掛けた。
ダッ!
床を踏みしめる音が静寂した試合場に鳴り響く。
彩香は一直線に彰に向かい、それから一歩遅れて彰も彩香向けてスタートを切る。
そして彰は『左手』を振るった。
「なっ!?」
彩香は驚きと自分への苛立ちがブレンドされた表情になる。
またその策!?
彩香が視界に捉えたのは自分向けて飛んでくる緑のナイフ。
どうやら彰は開幕早々の攻防と同様に左手にナイフを隠し持っていたようだった。
また、右手の剣と同時に呼び出していたのね!!
それに気づけなかった彩香。二度も同じ落とし穴に落ちて彩香は自分への苛立ちを隠せない。
しかし、同時に安堵の気持ちも芽生えてきた。
私を倒すという策がその程度とはね。
今回、彩香はきちんと彰の策に対抗できるように用心していた。なのでナイフが飛んできた程度の事で、彩香は崩れない。
足元を狙っているようなのでナイフをジャンプして避ける。
「残念だったわね!」
彩香は油断すること無く、突撃してくる彰を見たところ。
「かかったな!!」
勝ち誇る彰がそこにはいた。
「えっ?」
どうしてそこで勝ち誇るの?
彰は剣を持ってこちらに走ってくる途中だ。特に変わった事は何もしていない。
ナイフでの奇襲という策が敗れたはずだと言うのに、何故?
答えは彰が左手を横に振ると同時に示された。
「解除!!」
次の瞬間、室内では起こり得るはずが無い暴風が突如発生し、彩香はそれに身をさらされた。
「きゃあっ!!」
全く予想していなかった出来事に、彩香は女の子らしい叫びを上げる。ナイフを避けようとジャンプしていたのも悪く、体勢を崩して顔から地面に着陸した。
「いたた……」
状況は全く理解できないが、幸いにもダメージは少ない。
とりあえず顔を上げようとした彩香は。
「試合終了だ」
後ろの頭上から、首筋に彰の剣を当てられた。
彰の策の前に、彩香は剣士としての力を発揮することができずに敗れたのだった。
「……えーと、タッくん。今、何が起きたの?」
実況の光崎が隣の雷沢に問う。
光崎の目からは彰のナイフが彩香に避けられた瞬間、彩香が体勢を崩してそこを彰が追撃したように見えた。
そう、状況は理解できていたのだが。
「何で彩香ちゃんが体勢を崩したの?」
そこが分からなかった。
なので何でも知っている(光崎の個人的見解)雷沢に聞いたのだが。
「……体勢を崩す?……何が起きた?……もしかして……風?……だが体勢を崩すほどの?…………そうか」
雷沢は今目の前で起きた現象を考えている最中だった。
「ねーねータッくん。答えてよー」
壊れたスピーカーのようになっていた雷沢の肩をゆする光崎。
「………………何だ、純? どうしたんだ?」
今気づいたというように返す雷沢。
「えーと、何で彩香ちゃんが転んだのかって話」
「……それなら仮説は立てたんだが」
能力に関してはいつも自信満々な調子になる雷沢も歯切れが悪い。
「それでいいから教えてよ」
「…………ああ、分かった。それが実況の仕事でもあるしな」
少々不本意だったが雷沢は話し始めた。
「彰くんの能力が何なのかは覚えているな?」
「風の錬金術だよね」
「そうだ。……風の錬金術は魔力で風を起こし、それを金属化することができ、そして解除して風に戻すことが出来る」
「うん」
「今回彰くんが目をつけたのは、その最後のプロセス――解除して風に戻すというところだろう」
「どういうこと?」
理解しきれない光崎が聞く。
「結論から言うとな。
彰くんは台風並みの暴風を魔力で起こして、それでナイフを作り出したんだ」
「…………?」
「よく分からないという顔をしているな」
理解不能という光崎に雷沢は噛み砕いて説明する。
「……能力とは物理法則を超越したものだ。最後投げたナイフは、見た目は小型のナイフだったが、その実はその体積以上の風を秘めたナイフだったのだろう。
確か錬金術系統には、見た目以上のものを込めて金属化する、圧縮金属化というものがあると聞いたことがある。それを彰くんは使ったのだろう」
雷沢は知りえないことだが、圧縮金属化を彰にやって見せたのは恵梨だった。
水の錬金術を使い、風呂場で水を浮かばせたはいいものの、大きすぎて入り口を通れなかった時に使ったものだった。
「何となく、分かったような……」
光崎は何とか理解したようだ。
「後は簡単なことだ。その暴風を秘めたナイフを投げて、風野が避けた瞬間に金属化を解除。
するとどうなるか分かるか?」
「えーと。……金属から暴風に戻って彩香ちゃんを襲うってことになるね」
「その通りだ」
雷沢がうなずいた。
そして雷沢は試合場を見やる。
「で、その策を使って勝負に勝った本人は何をしているんだ?」
「……さあ?」
試合場では、彰と彩香が何か言い争っているようだった。
『試合終了だ』
……私の負けなのね。
彩香はその言葉を聞いた瞬間、自分が成す術も無く敗れたことを受け入れた。
そして次に襲ってくる衝撃に身構えた。
………………………………………………。
しかし、何も起こらない。
「……どうしたの? とどめを刺さないのかしら?」
彩香は床に伏せたそのままの姿勢で後ろに聞いた。
「いや、俺的にはもう試合は終わりなんだと思うんだが……」
その言葉に彰の方が戸惑った雰囲気。
「何言っているのよ。どちらかが試合を続けられなくなったら終わりでしょう。……なら私が気絶するまで攻撃しなさいよ」
「……それって本当に絵面が悪いよな」
床に伏した彩香を気絶するまで何回も攻撃する図を思い浮かべて、彰は苦笑気味に言った。
またも戸惑う雰囲気の彰に彩香はいらだった。
「何よ!! あなたもまた私に手加減する気なの!?」
「手加減と言うか……できればここらで降参して欲しいと思うんだが」
「…………甘い。甘いわね」
彩香は倒れたまま能力を発動。
「あっ!?」
倒れた時に落ちた竹刀を動かして、首筋を押さえつけている剣を弾く。それと同時に離脱した。
「ほら。形勢逆転だわ」
もとの状況に戻った今、ダメージの多い彰の不利は明らかだ。
さて次のラウンドよ、と彩香は竹刀を彰に向けるが。
「……………………」
彰は剣を構えない。
「? どうしたのよ」
彩香がいぶかしんで聞く。
「…………ははは。参ったな。もう剣を上げる力も残っていないんだ」
困ったように笑う彰。
ここに来て、彰はダメージが全身に回ったようだった。
「そう。……ならやられなさい」
敵が動けないなら好都合。
彩香は躊躇無く踏み込んだ。この一刀の元に試合を終わらせるために。
「ああ分かった。『試合』は俺の負けだ」
だが、彩香は次の彰の言葉――試合ということを特に強調した言葉――に足を止めた。
「……どういうこと?」
無視して攻撃を叩き込めばいいはずなのに。
その意図が分からず、彩香は聞き返していた。
「ありがちな言葉だが、試合には負けたが勝負には勝ったっていうことだ」
「………………」
「確かにこのままなら俺はおまえに試合としては負けるんだろう。……けど、現実なら、首筋に剣を当てた瞬間決着が着いていただろう?
だから勝負には勝ったっていうことだ」
彰はさばさばと言った。
何よ…………何よ。
「何よ! 負けそうだっていうのにそんなことを言わないでよ!」
彩香は何が気に障ったのか激情のまま叫んだ。
彰の喉元に竹刀を突きつける。
「どんなこと言ったって、私は勝ちなの! ……そんな負け惜しみ言わないでよ!」
彰はこちらのテンションに合わせず、静かに一言。
「…………本当にそう思っているのか?」
「…………えっ?」
「俺の勘だが、首筋に剣を当てた時おまえは負けを覚悟していなかったか?」
「………………」
図星だな、彰がひとりごちる。
「だったら、勝負は俺の勝ちだ。…………試合の勝ちはおまえに譲ってやるよ」
そうだ。
確かに私は首筋に剣を当てられた時、負けを覚悟した。
けど、彰の言葉は受け入れがたくて、反発してしまう。
「そんな中途半端な勝ちなんていらない! 何で、何で。……私は負けたんだから、あなたは降参なんて求めずに、とっとと倒してくれればよかったのに!」
八つ当たりだ。
彩香はそのことが分かっていた。
けど、それにも彰はきっちり対応してくれた。
「…………美人は得だよなあ」
「え?」
「美人はあまり傷つけたくないな、と思ってな。…………ああいや、一般論だぞ。……一般論だからな!」
面と向かって言うのが恥ずかしくなったのか、顔を逸らして彰が一般論だと主張する。
「……ふふふ。何よそれ!」
まだ試合中だというこの場に似合わない言葉に、彩香は喉元に突きつけていた竹刀を下ろして微笑を浮かべる。
「あっ! 笑うなよ!」
彰は顔を真っ赤にして抗議してきた。
ああ、分かった。
そして唐突に彩香は悟った。
私はこの人に負けたのだと。
確かにここから竹刀を振るえば私は試合に勝てるだろう。
けど、そんな次元の話ではないのだ。
私は口に出した。
「分かったわ。私の負け。……降参よ。でも――」
そしてもう一つ分かったこと。
私は、彰――男のことを格下の相手だと見ていた。
中学のころ、私が突っかかっていった男子二人組みも私――女のことを格下の相手だと見ていたに違いない。
格下の相手だと思っていた相手にここまですがすがしく負けると。
「――私は本気を出していないんだからね」
負け惜しみを言いたくなるものだと。
あの二人もそうだったに違いないわね。
「……!」
彰は驚いたのか、目を丸くしてその言葉を受け取り。
「……ああ、なら次は本気を出せよ」
私の本心なんて見透かして、そう言ってきた。
「分かってるわ」
――私は人間性としてもこの人には勝てないらしい。
彰は驚いていた。
『本気を出していない』
それは風野藤一郎が言っていた過去話の中にあった、男子生徒二人のセリフだ。
この局面でそれを使ったということは。
「過去を振り切ったんだな」
人のことだというのに、彰は充足した気持ちになった。
「…………しかし、何か忘れているような気がするんだよなあ」
試合も後は彩香が審判に降参を申請すれば終わりだ。
その状況になって彰は何か見落としているような気がしてきた。魚の小骨が喉に刺さっているような落ち着かない気持ち。
何だったっけ?
そしてそれは、すぐに解消された。
彩香が顔を真っ赤にして三つ指をつきながらこう言ったからだ。
「ふ、ふつつかものですが、よ、よろしくお願いします!」
「…………………………………………………………………………………………あっ!」
何だ悪い冗談か? と考えた後、彰は思い出した。
風野藤一郎がこの勝負を吹っかける時に、俺が勝ったら彩香と結婚すると言ったことを。
ああ~~~~~~~~~~。
これはどうすればいいんだろうか。
もちろん、彰は彩香と結婚する気は無い。そもそも学生だというのに結婚を考える方が間違っている。
三つ指をついた姿勢そのままの彩香を目の前に、彰は思案する。
「ああ、すまん。……言いにくいが、その話は嘘なんだ」
どうしようも無かったので、彰は本当のことを告げることにした。
彩香が視線を上げて彰を見てくる。
「………………嘘?」
「そう。イッツ、ア、ジョーク」
「…………なんで?」
「えーと、これには深いわけがあって、風野藤一郎がまず話をああいやすいません、ごめんなさい」
途中で謝罪へと切り替える彰。彩香の目が光ったような気がしたからだった。
「…………そう、私を騙していたのね」
ゆらり。
彩香は立ち上がった。
「いや、それは本当にすいません」
「………………乙女の。
乙女の純情をもて遊んだのねーーー!!」
羞恥で顔を赤くしたままの彩香はまだ持っていた竹刀で一閃。
「グフッ!!」
彰は吹き飛ばされて、気絶した。
結果。
「えーと。……彰選手が気絶で試合続行不可能なため、彩香選手の勝ち……?」
自身なさげな雷沢の実況が試合場にむなしく響いた。




