七十一話「会談三日目 風野彩香との試合3」
「そうだな……それには彩香の過去話を聞いてもらうのが手っ取り早いだろう」
私も彩香に直接聞いたわけではないから完全ではないぞ、と先に断ってから。
風野藤一郎は彩香の過去話を始めた。
時間はさかのぼって会談二日目のことである。
部屋には風野藤一郎の他に彰、恵梨、中田夫妻の四人がいる。
「彩香は小学生のころからあんな性格だったんだ」
「あんな性格って?」
彰が聞き返す。
「遠慮なくずけずけと物を言う性格のことだ。彰くんが小学生のころも、男子相手にも遠慮無しに注意してくるような女子がクラスに一人はいただろう」
「まあいたかもな」
「女に上から注意されていい気になる男なんていない。が、それでも彩香の注意は正しかったから男子たちはしぶしぶと納得していた。小学生のころの話だ」
さっきから彰には分かっていたことだが、風野藤一郎の話は少々迂遠なところがある。
「それがどうしたんだ?」
今の話がどこに続くか予想もできない彰は続きを促す。
「……私は彩香の性格が悪いとは全く思っていない。しかし小学生のころまでは良かったものの、中学校に入ってそれが原因で問題が起きてしまった」
「たしか彩香の中学は小学校の時と比べて学区が広がって、他の小学校の生徒も一緒に入ってきたんですよね?」
事情を知っている恵梨が合いの手を入れる。
「そうだ。…………それによって彩香が小学校のころにはいなかった柄の悪いような男子もその中学に入ってきたんだ」
現在。彰が抜き胴を打たれた局面。
改心の一撃を入れた彩香は残心を取って彰から離れて振り返る。
ドサッ。
見るとちょうど彰が崩れ落ちたところだった。
「…………ふぅ」
それを見て彩香は一息つく。
――危なかった。あと少し動き出すのが遅れていたら負けたのは私だったわね。
「おおっ! 彩香選手渾身のカウンターが炸裂したーー!」
雷沢の実況が聞こえては来るものの、右耳から入って左耳から出て行ったかのように、頭に全く残らない。
「弱い男ね」
というのも、彩香は昔のことを思い出していたからだった。
今のように抜き胴で沈めた男子生徒――名前も覚えていないくらいどうでもいいはずなのに、何故かそいつを思い出していた。
私が中学に入ってまだ一ヶ月も経っていないころ。
私はルールを破った男子生徒二人に注意をした。何のルール――掃除をしていなかったのか、ガムでもかんでいたのか、それとも廊下を走っていたのか――を破ったのかは覚えていない。……まあ、今となってはどうでもよかったが。
そのころの私は中学生に成り立てであって、その二人に注意したのは初めてのことだった。
自分が正しいのであるから、相手もそれを分かって言うことを聞く。
そう思っていた私は。
「ああ? うるさいんだよ」
「弱い女のくせに俺に指図するんじゃねえよ」
二人に突き飛ばされ、床に転がった。
「きゃあっ!」
突き飛ばされて女子らしい悲鳴を上げたのが悪かったのだろう。直前の強い態度とのギャップに、
「ははっ! 『きゃあっ!』だってよ!」
「自分の弱さが分かったなら、もう俺らに注意するんじゃねえぞ」
二人は私を笑って去って行った。
「………………」
私はその二つの背中が見えなくなるまでにらみつけた。
バン!と非常に悔しい思いを抱きながら床を拳で叩きつける。
『弱い女のくせに』
その言葉が私の頭から離れなかった。
「私が思うに、ただその二人の中学生は不良なんかではなく、ただ粋がっていただけなんだと思うんだけどね」
風野藤一郎が自分の推測を交えて話を進める。
「まあそうだろうな」
中学生のとき不良だった彰も容易にそれは想像できた。
「この出来事をきっかけに彩香は不良が嫌いになった。……まあ、ルールとかを重んじる性格だから、こんなことが無くてもそうなっていたかもしれないが。
とにかくその日、彩香は思いつめた表情で私に『剣道部に入りたい』って言ってきたんだ。そのときそんな裏事情を知らなかった私は、娘が自分が昔やっていた剣道をしたいと言ったことを喜んでいたのだが……」
次の日。私は剣道部への入部届けを出した。
剣道にしたのは、その学校に武道系の部活がそれしかなかったからだ。
その日から私は猛練習した。幸いにも父が剣道経験者だったためそちらからも指導してももらい、めきめきと腕を上げていった。
自分に自信がついてきたある日。
私はその二人の男子生徒が何らかの違反行為をしたのを見て私は注意した。当然相手は聞く耳を持たない。しかし、私は食い下がる。
そうやって口論が白熱してきたところで、二人の内の一人が私を突き飛ばしてきた。
不意打ちだった私はまたも地面に転がる。
『弱いくせに』そう笑う二人を見て、私は頭にきた。
部活に行く途中だったのか、部活から家に帰る途中だったのか、それともたまたまなのか。……私の近くには竹刀があった。
練習でも試合でもないのに竹刀を人に向けてはいけないというのは分かっていた。しかし私は引っ込みがつかなかった。
その竹刀を握って、二人と対峙する。
「ほう? やるっていうのか?」
二人は少し臆した雰囲気を出したが、私がやる気だと見てかかってきた。
返り討ち。
一人を面打ちで沈め、仲間がやられたのを見て激情してかかってきたもう一人を抜き胴で切って落とす。
「私は弱くなんか無いわ」
そう言って、地面に転がった二人に勝ち誇る私。
痛みに悶絶していた二人が、よろよろと立ち上がってきた。
「…………ちょっと油断しただけだっつうの」
「そうだな」
一人がもう一人の言葉に同意する。
「なら本気で来なさいよ」
私は意気揚々と挑発する。
その次の言葉は今でも心に残ってしまっている。
「……やだね。弱い相手に本気出すなんて面倒くさい」
「…………俺らが女なんかに本気を出すわけ無いだろ」
「えっ?」
呆気に取られる私を無視して、「行こうぜ」と言って二人は去って行った。
またもその二人の背中を見送ることになった私。
――だけど、あのときから私は変わったわ。
あれだけ剣道に打ち込んで、自分を鍛えて強くなった。
それなのに。
「まだ、私が弱いって言うの……?」
そんな出来事があってからずいぶんと経って。
「面ーーーーーー!!」
一本! という声と共に審判の旗が上がる。
私は学校の剣道場で下級生が見守る中、男子剣道部の主将と試合をしていた。たった今二本目を取ったため、結果は私の勝ちだった。
試合後の礼などをした後、防具の面を取ってその主将が私に話しかけてくる。
「いやー。参ったよ。完敗」
「本気を出してください!!」
さわやかに言ってきた男の主将の言をさえぎって私は怒鳴った。
「いや、今のは本気だっ」
「あなたも私が弱いと思っているんですか!?」
女は弱い。
そう言うのなら。
……誰か本気を出して、私を倒してみなさいよ。
「…………というわけだ」
風野藤一郎は、彩香が男子剣道部の主将相手に試合を申し込んでそれに勝った、というところで話を切った。
「……まあ簡単に想像は出来るとは思うが、たぶんその男子生徒二人が彩香に弱いと言ったのは負け惜しみだったのだろう。
しかし、彩香の心の中にはそれが深く残ってしまった。加えて、男は自分に手加減してかかってくると思い込んだ。
だから本気でかかってきた男子剣道部の主将相手にも、本気を出しなさいと言ったのだろう」
難儀なことだ、風野藤一郎は嘆息した。
「………………」
不良が嫌いになったわけ、男が自分に本気を出さないと決め付ける理由。
彰は彩香の過去話を聞き終わって一番気になることを聞いた。
「…………なんで彩香本人にしか分からないようなことを、あんたはそこまで知っているんだ?」
「えっ? そこですか?」
恵梨がツッこんでくる。
「だってそうだろ。彩香本人しか知りようのない事を、親だとはいえよく知っているんだぜ」
「……そうですけど」
でも、もっと聞くべきとことはあるでしょう、と恵梨は言わんばかりの表情だ。
「ふふふ。…………まあ、そこは置いといて」
「……露骨に誤魔化したな」
彰がジト目になる。
気にせず風野藤一郎が続けた。
「というわけで、最初は男より強くなることが目標だったはずが、倒錯して娘は自分を倒してくれる男を求めているんだ。
…………これで私が君に、娘と試合をして負かして欲しいと言った理由が分かったか?」
風野藤一郎が話を締めくくったので、彰はぶっちゃけた。
「まあ、そんな理由なんてどうでもよかったんだけどな」
「…………いや、理由は大事ですよ。彰さん」
恵梨が再度のツッコミ。
「いや、だって俺の戦うモチベーションは彩香に馬鹿にされたからだからな。……もしくはただ暴れたいからだからだぞ」
「…………はあ。いや、彰さんがそんな人だってのは分かっているんですけどね」
恵梨が達観した表情で語る。……そこまで俺の性格にうんざりしていたのか?
「とにかく、勝って見せるから安心しておけ」
彰は言いきった。
再び現在。試合場。
――なんて不甲斐ないんだ、俺…………!
彩香の攻撃に一瞬意識が飛んでいた彰は、崩れ落ちたまま悔しがる。
金属製の竹刀で腹を思いっきりやられたのだから彰のダメージは重い。怪我防止ということで『身体強化』をかけてもらっていなかったら気絶していたかもしれない。
まさかあのタイミングからカウンターをもらうとは思ってもいなかった。
彰にとって戦いは、基本的には策を弄しながら進めるものだった。それは中学生、不良だった時代から変わらず、地理的に有利な状況に誘い込んだり、罠を仕掛けておいたりなどだ。
今回の策は急作りながら完璧だったはず…………いや、違うか。
彰は自分にダメだしをする。
俺の策はもともとは奇襲で速攻で終わらせるものだった。もし策が完璧だったならそこで試合は終わっていたはずだ。そしてその次の策も失敗したから、俺は今床に転がっている。
二つに共通していること。
つまり、俺は彩香の事をどこか侮っていたのではないか?
…………ははっ。風野藤一郎には本気を出すと言いながら、どこか相手が女だと見くびっていた。なんて馬鹿な話だ。
このままでは誰も面白くない。戦いをけしかけた俺も負けては面白くはないし、彩香もまた過去を引きずり続ける。
恵梨の手前、俺はただ戦いたいだけだと言ったが。
本当は彩香を救いたいと思っていた。
なぜならば過去に引きずられることがどんなに嫌なことかを、昔不良だったという過去を引きずる彰はよく知っているから。
「そうだな。……勝つか」
状況は最悪。
自分は満身創痍で満足に動けず、相手は自分より力も技術もあり体力にも余裕を残している。
それでも。
「まだ作戦はある」
さっき恵梨の事を思い出したことによって、一つひらめいた事がある。ぶっつけ本番になるがそれをやるしかない。
彰は能力者としては彩香に勝ったが、剣士としては彩香に負けている。
試合という形式上それは致命的だろう。
だが、勝負に勝つためには彰は剣士としての彩香に勝つ必要は無いのであった。
ちょうど試合場は彰が動きを見せないことから、彩香の勝ちというムードが漂ってきたところだった。
「……はあ」
またこの男も私を倒せなかったのね。
彩香は回想を打ち切ってため息をつく。
しかし。
「おおっと!? 彰選手に動きがあるぞ!!」
「!?」
雷沢の実況により、彩香は現実に戻された。
あの一撃を食らって、なお立とうとしているの!?
意識の焦点を彰に戻す彩香。
彰は床に手をついて体を起こし、何とか立ち上がったところだった。
「驚いたわね。まだ立ち上がる力があるなんて」
「……あんな一撃なんか屁でもないさ」
口では強いことを言っていても、彰の体はダメージが残っているのか小刻みに震えている。
「もう降参したらどうかしら?」
「はっ! まさか。俺はまだまだ戦えるぜ」
弱い犬ほどよく吼える、という言葉を彩香は思い出していた。そう思うほどに彰はもう戦える状況だとは思えなかった。
「……さっき意識が飛んだときに、剣も消えてしまったのか」
彰はぶつぶつとつぶやいて、右手を横に突き出す。風が収束してその手に剣が握られる。
その剣を彩香に向けた。
「……剣を向けたということは戦いを続ける意思表示だと受け取るけど、後悔はしないのね?」
「当然だ。……それより本気でかかって来いよ。満身創痍だからといって油断したら痛い目に会うぜ」
彰は腰を落として体勢を整える。
「なんせ、次の一撃で決着はつくからな」




