三十八話「それぞれに思うことは」
「「ただいま」」
二人は彰家の扉を開ける。
その音を聞きつけたのか、リビングから恵梨が玄関に出てくる。
「おかえり、なさ、い……」
声を尻すぼみにさせながら、恵梨の視線が彰と由菜の間に固定される。
そこには買い物袋があり、二人は手を握っている。
「……それどうしたんですか?」
結ばれている手を指しながら、訊ねる恵梨。
「「……!!」」
まだ手をつないでたことを思い出した二人は、バッ! と高速で持っていた袋を玄関に置き、お互いに手を放して、
「な、な、なんでもないぞ!」
「そ、そうよ。重いだろうなと思ったからよ!」
あわてながらも弁解する。
手をつないだ最初こそはあわてていたが、二人とも幼なじみで昔は手を握ったりしていたため、次第に慣れていった。(それでも二人ともほのかに顔は赤かった)
そのため二人は手をつないだまま扉を開けてしまった。慣れたといっても人に見られるのは恥ずかしいらしい。
「そうですか…………」
恵梨が少し顔をゆがませる。
「…………?」
由菜はそのちょっとした異変に気づくが、
「そ、そうだ。早く飯を作らないとな」
彰は気づかず、買い物袋を持ってそそくさとキッチンに向かう。さっきの恥ずかしさが残っているらしかった。
そうして、二人が玄関に残される。
「どうだったんですか、デートは?」
すでに恵梨はゆがめていた顔を、由菜をからかう気いっぱいの笑顔に変えている。
「そ、それは……」
「手をつないで帰ってくるあたり、上手く行ったようですね」
「うん……」
「?」
……あれ?
恵梨が首をかしげる。からかわれた由菜はもっといい反応をすると思ったのに、当てが外れたからだ。
「ありがとね、恵梨」
「えっ……!?」
更にお礼まで言われる。
「今日のデートを取り付けてくれてありがとう。……私じゃあんなに強引に誘うことはできなかったから」
「………………」
恵梨は黙ってしまう。
「おーい、由菜。おまえサラダ作るんじゃなかったのか?」
彰が玄関まで由菜を呼びに来る。
「あ、そうだったわね」
「全く。覚えとけよ。……ああ、恵梨はおととい、昨日と夕飯を作ってもらったからな。今日は休んどいていいぜ」
恵梨にも声をかける彰。
「……分かりました」
そう答える恵梨の顔はまた少しゆがんでいたのだが、彰は気づかずキッチンに戻った。
休んでていい、と言われた恵梨はリビングのソファにうつぶせに寝転がる。
…………はぁ……。
そして考えるのはさっき玄関で二人を迎え入れた時のこと。
彰と由菜が手をつないでいるのを見て、恵梨は少し心がチクリと痛んだ。
自分でもそんな風になるとは思っていなかったため、表情がゆがんでしまった。
恵梨はあおむけに姿勢を変えて、天井を見つめる。
私は彰さんのことを…………。
思考の中でも、言葉にはしない。
……そんなことない。……私は彰さんに命を助けてもらっただけだ。
……そう、そうに決まっている。……大体、命を助けてもらっただけでそういう感情を持つなら、警察官やレスキューの人はモテモテになっているはずだ。それに命を助けてもらった人に……というのは、命を助けてくれる人なら誰でも良かったという事だ。
誰に言われたわけでもないのに、恵梨は心の中で言い訳を重ねていく。
私は本来この家とは部外者だ。……研究会に追われていなければ、私はここになんていない。……それに私は二人の恋を応援している。……なのにあの二人の間に割り込もうなんて…………。
だから、恵梨は心の内で決める。
こんな感情忘れて今までどおりに振舞おう、と。
……それはつまり、そういう感情があったという事を認めていることには気づかずに。
「ねえ、彰」
キッチンで由菜はレタスをちぎってボウルに入れながら彰に訊ねる。
「何だ?」
「……昨日のケンカって、結局誰とだったの?」
日中は学校で他の人に聞かれるため、またデート中に不粋な質問をする気になれず、今更ではあるが聞けなかったことを聞く。
「……えーとな………………あ、とりあえず昔俺がケンカした不良が復讐に来たとかそんなのではないぞ」
とりあえずそう言って、さて火野のことはどう説明するかと迷う彰。
「……そう。……それで、私に言えないの?」
手を止めて、彰を見る由菜。
彰もフライパンにやっていた目を由菜に向ける。
「………………」
由菜の目には何か理解している色があった。
その目を見て、彰は誤魔化すことを選択する。
「……いろいろ事情があったんだ」
卑怯だとは思いながらも、自分を心配してくれた由菜に甘える彰。
「……そう」
由菜は目を伏せながらそう答え、レタスをちぎる手を再開させる。
……すまんな。
でも、能力者のことだとかを言うわけにはいかない。
……今後もこんな風に由菜に隠し事をしないといけない事になるのか? と、気が重くなる彰だった。
…………事情、ね。
由菜はきゅうりを切りながら、彰の言葉を反芻する。
……恵梨は事情を知っているのに、私には言えないのか。
昨日のケンカだけでなく、恵梨がこの家に住むようになった事情も由菜は知らない。もちろんその事情は由菜には言えないような、そんなものなのだろう。
そう分かっていても、由菜の気は晴れない。
……あの二人もなんか特別な結びつきがあるのね……。
そのとき、スーパーで会った佐藤の言葉が思い出される。
私と彰と恵梨で『三角関係』。
……ということは佐藤さんには、恵梨も彰のことを好きだと見えているらしい。………………佐藤さんはドラマの見過ぎで、勝手にそう思っているだけだろう。
……恵梨のことは嫌いではない。いろいろと話も合うし、優しい子だと思う。
それに現実には、恵梨は私と彰の恋を応援してくれている。
そのはずだ…………。
「手伝いましょうか?」
そのとき恵梨がキッチンに入ってくる。即座に彰が反応する。
「休んでていい、って言っただろう」
「でも、手伝いたくなりまして」
少ししょんぼりする恵梨に、
「なら、私を手伝って」
由菜は直前まで考えていたことを思わせない、快活な声でそう頼む。
「はい……で何をすればいいですか?」
「とりあえずドレッシングを冷蔵庫から取って」
「分かりました」
恵梨は冷蔵庫の中を探し始める。
……今はこのままでいい。
これからどうなるかは分からないけど、未来のことは未来に考えるだけだ。
由菜の静かな決意とは裏腹に、
「これでいいですか?」
ドレッシングを片手に、恵梨の明るい声がキッチンに響いた。
それぞれが思うことはあったけれど、いつもどおりの夕食。その後、九時ごろに由菜は自分の家に帰る。
「では、そろそろ火野君に電話をかけましょうか」
「そうだな」
恵梨の提案にあきらはうなずく。由菜がいるため今まで電話をかけられなかった。今ならぎりぎり電話しても迷惑ではない時間帯だろう。
恵梨は携帯電話のアドレス帳を開き、火野に電話をかけ始めた。
彰を戦闘人形だと誤解している火野を、改めさせるため。