二十五話「夕食」
時刻は夜。
「ふん、ふ、ふ~ん」
恵梨がリズムを刻みながら、お玉で鍋をかき混ぜる。
ここは彰の家……正確に言うなら彰と恵梨の家、そのキッチンだ。
現在二人暮らしとなっている彰と恵梨は、家事を一日交代制にしている。
今日は食事の用意は恵梨、後片付けは彰、洗濯は恵梨、掃除は彰……。と決まっていて、明日は全て交代して、食事の用意は彰、後片付けは恵梨、洗濯は恵梨、掃除は彰……といった感じだ。
そのため恵梨はキッチンに立って、カレーを作っている。
学校から帰ってくる途中に買い物を済まし、その後野菜・肉を水の錬金術で作った包丁で切って、炒めて煮込んでカレールーを入れたところだ。
水の錬金術で鍋や包丁を作る利点は、使った後水に戻せばいいだけなので洗わなくて済むことだ。
この家に来た初日は野菜炒めを水の錬金術で作った鍋で作っていたが、しかし今カレーを作っている鍋は彰の家に元々あったものだ。
というのも、作ったカレーが一日で食べきれる分量ではないからだ。鍋に入れたままにしておいて明日も温めて食べる予定だ。
水の錬金術は世界の理に反して、水から金属物を生み出す。そして、世界の理に反している間は魔力が必要となる。恵梨は丸一日金属物を維持するだけの魔力はない。もし水の錬金術で作った鍋でカレーを作ったら、次の日鍋が水に戻ってカレーがキッチンにぶちまけられているだろう。
恵梨はカレーを味見する。
「……う~ん。……よし」
カレーは及第点だった。
そのとき、炊飯器からアラームが鳴りご飯が炊けたことを知らせる。
「ちょうどですね。……彰さーん。ご飯ですよ」
二階にいるはずの彰に恵梨はそう呼びかけた。
勉強していた彰は恵梨に呼ばれて一階に降りる。
「うまそうな匂いだな」
キッチンに入るとそこはカレーの匂いが充満している。
腹をすかせていた彰は、その匂いをかいで更に腹が減ったかのような感覚になって待ちきれなくなった。
「恵梨、手伝うぞ」
「あっ、はい。ではお皿にご飯を盛り付けてください」
彰が炊飯器から皿にご飯をついで、それを受け取った恵梨がカレーをかける。
二皿にご飯を乗せた後、
「そういえば、由菜は来ていないのか?」
「……まだ来ていませんね」
この家で晩ご飯を一緒に食べる予定の由菜がまだ来ていないことに、彰は「何かあったのか?」という表情をする。
ちょうどそのとき、玄関のベルが鳴る。
二人が反応する前に、鍵が開く音がする。
「由菜さんでしょうか?」
「決まっているだろ」
この家の鍵を持っているのに、一応ベルを鳴らして入ってくるなんて由菜以外に彰は知らない。
三皿目にもご飯をのせていると、
「遅れてごめーん」
由菜が部屋に入ってきた。
「今ちょうどですから、大丈夫ですよ」
「まあ、ぎりぎりセーフといったところだな」
彰は三皿目を恵梨に渡してカレーをかけてもらう。
「そう、ありがとね。……この匂いはカレー? おいしそうだね」
「恵梨が作ったんだ」
「へー。恵梨はホントに料理が上手だね」
「こ、これくらい普通ですよ」
由菜の賞賛に、恵梨が遠慮のセリフを口にするが、
「……それができない私は普通以下って事……?」
それは同時に、由菜への攻撃であった。
ムードメーカーでもある由菜に沈まれると、夕食の雰囲気が重くなるので、
「恵梨の料理の腕が高すぎるだけだ。由菜も普通の人よりは料理できるだろ」
彰はフォローを入れる。
「そう言ってもらえると、ありがたいわね」
「そ、それで由菜さんは何を持ってきたんですか?」
恵梨の指摘に、由菜は手に持ったタッパーを軽く叩いて、
「ああ、これね。うちの母さんがから揚げ作ったから、持って行きなさいって」
「から揚げカレーか。ちょうどいい」
「そうですね。それなら、カレーの上に乗せてもらえますか?」
「分かったわ」
由菜は勝手知ったる彰の家のキッチンから箸を取りだした。
「「「いただきます」」」
彰、恵梨、由菜はリビングの机を囲んで座っている。
今日の夕食メニューはから揚げカレーに、野菜を切って盛り付けただけのサラダだ。
「おいしいわね」
「恵梨はカレーも上手だな」
「ありがとうございます」
和気藹々と雑談をしながら三人は食べ進めていく。
由菜が彰の家で夕食を食べているのには理由がある。
というのも、男女二人暮らしでは女の恵梨が気まずいだろうと思って、彰がなるべく由菜に家に来るように頼んだからだ。
それを由菜の家に頼みに行ったとき、由菜の母が「事情があるのは分かったわ。うちの娘でいいならいつでも貸し出すわ」と快く承諾された。
その後の母娘の会話で「彰君と女の子が同棲ね……由菜も気になるだろうし、ちょうどいい申し出だったでしょ」「お母さん!!」「なによ、叫んで。……あっ! この際、由菜も彰君の家に住む? 隣の家でそんなに変わらないでしょ。そして、その機会に彰君を襲えば――」「お母さん!!」という会話がされたが、彰の耳には入らなかった。
由菜はいつも夕食を食べてから、一時彰の家に居て九時、十時ごろに隣の家に帰る。
今日もカレーを食べて、由菜と恵梨は一緒にテレビを見てだらりと過ごした。
彰は当番の食器の後片付け後、自分の部屋に戻っていった。勉強をしているのだろう。
恵梨はその間にも昼の彰に関する話を由菜から聞きただそうとしたが、上手くタイミングがつかめず結局聞けなかった。
九時半ごろ、由菜が隣の家に帰ることになり、恵梨が玄関まで見送る。
「それでは気をつけるのよ」
「何にですか?」
「彰によ。前から言っているでしょう、男はおおかみなんだって」
「もう一週間も一緒に暮らしてますし、彰さんに限ってそんなことはないと思いますが……?」
「そうやって、油断したころが危ないのよ」
「…………はい、それではまた明日」
「じゃね、また明日」
由菜が扉を開けて出て行く。
「これからどうしましょう? …………あっ、洗濯!」
恵梨は洗濯をしていなかったことを思い出して、洗面所に行くとそこには彰がいた。
彰は水を出して、顔を洗っている。
「どうしたんですか?」
「勉強してたら少し眠気を感じて、気合い入れるために顔を洗いに来たんだ」
濡れた顔をタオルで拭く彰。
「そっちはどうしたんだ?」
「洗濯するのを忘れていたので」
恵梨は洗濯籠の洗い物を洗濯機に入れて、併設している風呂場に入る。洗濯にお風呂の残り湯も利用するためだ。
彰もそれに、何となくついていく。
「ほら、恵梨」
風呂場の片隅に転がっていた桶を恵梨に手渡そうとする。彰は水をすくうのに必要だと思ったのだが、
「大丈夫です」
そう答える恵梨の前では、すでに風呂の水が洗濯に必要な分量だけ浮いて球状になっている。
彰は恵梨が水の錬金術者であることを思い出した。
バランスボールほどの大きさになった浮いている水を見て、
「でもそれ、入り口につっかえないか?」
風呂の入り口はそんなに大きくない。直径一メートルはありそうなその水は、入り口でつっかえるだろう。
しかし、
「こうすれば大丈夫ですよ。……見ていてください」
恵梨はそう告げる。
そして、彰の目の前でバランスボールような水が、ビーダマほどの大きさの金属球に変わった。
「うわっ!」
彰は水が金属に変わるのは見慣れているが、変わるときのあまりの大きさの変動ぶりに驚きを漏らす。
彰が見ている前でその金属球が宙を滑り、狭い入り口を抜けて、洗濯機の中に落ちる。
追った彰が洗濯機の中を覗き込んでいる前で、
「解除」
恵梨がそうつぶやいた瞬間、小さな金属球が大量の水に戻る。
あまりに一気に水に変わったため、洗濯機内部で噴水が起こったように見える。
「…………すごいな。今のは何なんだ?」
「金属化する際に、水を圧縮するんです」
「そんなことできるのか」
恵梨が説明に彰は納得する。
「しかし、恵梨の水の錬金術は使い勝手がいいよな」
「でも、彰さんの風の錬金術も今からの季節、重宝しますよ」
「どうやって?」
「金属化する前段階に、彰さんは魔力で風を起こせますよね。それを使えば夏場でも、扇風機いらずです」
「……そういう使い方があったか」
彰が自分の能力に気づいて約一週間。子供が遊び道具をもらったときのように、いろいろ使い方を思案していたがその使い方は思い浮かばなかった。
「……前も言いましたけど、戦いのためにこの能力を使う事、いやそもそも戦いがあること事態がおかしいんです」
「そうだな」
恵梨は以前、水の錬金術のことを「努力もなく身につけた、目的のない能力」と説明したことを思い出す。
「……異能力者隠蔽機関のラティスに、科学技術研究会から俺たちの記憶を消してもらったんだから、あんな戦いはもう起きないだろ」
「…………そうですね」
恵梨がうなずく。
それに戦いがあっても俺がおまえを守ってやる。
彰は心の内で付け足した。
少年は夜行バスに乗っていた。
そのバスの目的地は地方の小都市、結上市である。少年は、少し前に科学技術研究会と能力者が戦った場所だと聞いている。
そこには、少年の敵がいるはずだ。
その敵の顔、年代、背、体形……は全く知らないが、分かっていることが二つある。
一つは男だということ。そして……能力者だということ。
まだ見ぬ敵に思いを馳せながら、少年はバスの座席で窮屈な体勢で寝るのだった。




