二百二十四話「バレンタインデー1」
決戦の準備が進んでいるとはいえ、日常を疎かにするわけには行かない。
それは彰もこれまでの出来事で痛いほど思い知らされてきた。
時は流れ、二月十四日のことである。
「あれ?」
高野彰は教室に入っていつもと雰囲気が違うことを感じた。
何つうか……全体的にソワソワしてるな。主に男子が。
そういえば朝、恵梨の様子もおかしかったし……今日は何かあっただろうか?
「……そうか」
思い当たる節を見つけた彰。
「早かったな、彰」
ちょうどその時、仁志が声をかけてくる。
「ん、ああ今日は一人だからな。恵梨と由菜を待たなかった分早かったんだ。……って、おまえこそ今日は早いな」
「当たり前だろ。今日という日を待ち望んで……つうか彰だって待ち望んでいたんじゃないか?」
「お、分かるか。確かに楽しみだよな」
珍しく仁志と意見が合ったな。
そうだ、今日は――。
(待ちに待った、テスト返却日!)
(バレンタイン……今年こそはチョコを貰うぞ!)
……やはり彰と仁志は分かり合えないのかもしれない。
斉明高校では二月の初めに学年末のテストがあった。そして今日はテストの採点が終わり返却が開始される日である。
また、もちろん二月十四日といえばバレンタインデーだ。日本においては宗教的意味合いはほとんど意識されず、チョコ会社が儲けるだけの日。だが思春期の男子にとってそんな裏事情はどうでもよく、チョコを貰えるか期待と不安で揺れる日だ。
「にしても仁志が(テスト返却日を)気にするなんて意外だったな」
勉強の事なんてどうでもいいという印象だったが……見直さないといけないな。
「そうか? 俺らくらいの年の男子なら誰だって気になるだろ。彰だって(バレンタインが)気になってるわけだし」
「まあそうだけど……俺が特別だと思ってたけど違ったんだな」
にしても……どうして男子だけなんだ? 女子だって成績気にすると思うが。
「もうここ二週間は楽しみに待っててな」
「……いや、ちょっと待て。二週間前ってテスト前だろ?」
「そうだけど……それがどうしたんだ?」
「…………」
テスト前からテストの返却が楽しみって……いやそういう人もいるものなのか。
「それで彰はどれくらい貰うつもりなんだ(チョコを)」
どれくらい貰う……ああ、テストの点数の事か。
「あー……そりゃ100って言いたいところだけどさ」
「100っ!? おまえ、マジでそれだけ貰うつもりなのか!?」
「おいおい、驚きすぎだろ」
「いやいやいや……100はあり得ないだろ!! (こいつ……学校中から貰うつもりか!?)」
「さすがに冗談だって。大げさだな」
まさかそこまで驚かれるとは。
「え……ああ、冗談か。さすがに100なんて――」
「まあ、いい線行って95くらいだろうな。最低でも90の自信はある」
「それでも多すぎだろ!!?」
「うおっ……さっきからリアクション大きいな」
どうしたんだ、仁志の奴。ケアレスミスとかを考えても現実的な数字だと思うが。
「最低でも90って……え? それ本気で言っているのか?」
「おまえこそ本気で言っているのか。まさか俺が90も取れないとでも?」
これでも学年一位の成績だぞ。
「いや……マジか。彰くらいならそれも可能……なのか?」
「何か煮え切らない表情だな。おまえは俺がどれくらいだと思ってたんだ」
「それは………………(由菜と恵梨、まあ彩香と美佳も彰にあげるだろうし)」
「どうだ」
「4は固いんじゃないか?」
「当たり前だ。馬鹿かおまえは」
4点とか舐めてるとしか思えない。
「当たり前って……もうちょっと一点一点を感謝してだな」
「んー……いや、一点一点の積み重ねが大事っていうのは分かるが、さすがに4は無いだろ。現実的に考えろ」
「現実的に……(そういえば最近生徒会関連で交流が広がってるって聞いたな。生徒会長、副会長、会計を合わせて)」
「どうだ」
「7くらいはあるか」
「おまえ真面目に考えているのか?」
「このタイミングで馬鹿にされる謂れは無いと思うが」
「そうか……」
こいつ、本当に馬鹿になってしまったんだな。
「その慈しむような視線は止めろ。……それより彰は俺がどれくらい貰えると思うか?」
「おまえが?」
仁志のことだし……いや、まあ最初は冗談めかして。
「おまえこそ7点とかじゃねえか?」
「お、そうだよな。それくらい貰えればいいんだが」
「……マジか」
こいつ……7点で満足ってどれだけ……。
「だからその慈しむような視線は止めろ。……あー、誰から貰えるんだろうなー」
「誰からって……今日は数学地理、それと英語理科あたりだろ」
他の授業の先生は採点遅いし。
「すうがくちり、えいごりか?」
「……さ、さすがに冗談だよな?」
こいつ教科の名前すら忘れたって言うのか……?
「え、ああいや名前を忘れるなんて失礼だよな……崇我口理と栄吾利香……うーん?」
「おまえ大丈夫か。今日の一、二時間目と四、六時間目だろ?」
「……えっ? おまえいつ渡すのかまで分かるのか!?」
「分かるに決まってるだろ」
「ま、マジか。……彰のやつ預言者なのか……?」
どうしたんだ、今日の仁志は。いつもに増してやばいだろ。
「全く面白いですね、君たちは」
本格的におかしくなった仁志に彰がどうしようか悩んでいると、声がかかった。
「斉藤か。どうしたんだ?」
「いえ、君たちの会話を先ほどから聞いていたのですが……すがすがしいほどに行き違っているな、と思いまして」
「俺たちの会話が……?」
「ええ、一つ聞いてもいいでしょうか」
斉藤は二人に質問する。
「二人とも今日は何の日だと思っていますか?」
「何って……テストの返却日だろ」
「何って……バレンタインだな」
二人は揃って答えてから、お互いを見る。
「「…………あ」」
「そういうことです。色々と納得いったでしょうか?」
「「…………」」
今までのお互いに感じていた疑問点が氷解していく。口を開いたのは同時だった。
「ま、まあ。お、俺分かってたし? ひ、仁志がバレンタインのこと考えている事とか超分かってたから。分かってて付き合ってただけだし?」
「お、俺だって彰がテストのことを気にしてるの、わ、分かってたからな。まあ気づかないふりしてあげてただけで」
「……大体数学とか地理とか教科名出してるのに気付かないとか馬鹿かよ!」
「そっちこそいくらでも気づくチャンスはあっただろうが! つうか俺が7点っていい度胸だな!?」
「はっ、冗談のつもりで言ったけど、今のお前ならあり得るだろ!」
「何おうっ!?」
そのまま取っ組み合いが始まる。
「本当息がぴったりなのか、ずれてるのか分からない二人ですね」
やれやれ、と斉藤はため息をついた。




