二百五話「彰の過去9」
仁志とのケンカ、美佳との出会い、ファーストフード店での騒動。
彰がこれまで生きてきて一番密度の濃かった一日が過ぎてから一週間後。
昼休み、彰と由菜は屋上に来ていた。
いつも通り昼食を取るため。しかし、その様は最近変わった。
「……ほんと、誰も逃げなくなったね」
「あれもあれで面白かったんだけどな。俺の名前が知れ渡っているみたいで」
彰の姿を見て逃げる生徒はいなかった。
不良を止めたということや、またファーストフード店での騒動が噂として知れ渡り彰が無駄に怖がられることは少なくなっていた。
とはいえ天気が曇りなせいか、わざわざ屋上で昼食を食べようとする生徒はそんなにいないようで、ちらほらとしか生徒は見られない。
二人並んでベンチに座ったところで由菜が口を開いた。
「それで話してくれないの? どうして不良を止めたのか」
「だから、特に理由は無いって言ってるだろ。何となくだ、何となく」
「本当に?」
「しつこいな。そう言ってるだろ」
彰はあの日起きた出来事を由菜に話していない。
理由は……単純に恥ずかしかったから。それに自分のために土下座までしたと言ったら、由菜がどこまで付けあがるか分かったものじゃない。
また、イジメが再開しないか警戒するために彰は学校でほとんどの時間を由菜が目に届く範囲で過ごしている。そのついでで自分の噂について伝えようとする者がいたら割り込んで止めていた。
その結果、由菜はまだ彰が行ったことについて知らない。
「………………」
もちろん由菜だって何かあっただろうことは勘付いているようだ。この一週間執拗に彰にこの話題を吹っかけてくる。
しかし、自分もいじめられていた隠していた手前あまり強引には聞き出してこない。
だからいつも通りそこで由菜も引き下がると思っていたのだが、今日は強硬手段に出てきた。
「……嘘つくなら、今日の弁当はあげません」
「はあっ!? そんなの関係ねえだろ!?」
またも彰の母が弁当を作るのをサボり優菜に託されたため、彰の昼食は由菜が持っている。
「私は本気だよ」
「いやいや、男子中学生から昼食奪うとか拷問かよ!」
食べ盛りの彰は、朝食を取ってきたのに午前中体育があった関係もありすでに腹ペコである。
「…………」
しかし、由菜はツーンとそっぽを向いたきりで話し合いの余地は無さそうだ。
「マジか……」
昼休みに入ってから時間も経っている。購買に行っても菓子パンしか残っていないだろうし、食堂も値段の割に高いため満足できるとは到底思えない。
つまり目の前の由菜から弁当を貰えないと彰は飢える。
「分かった。話すからとりあえず弁当くれ」
「ダメ。話してから」
弁当を奪って逃げる作戦も無理なようだ。諦めて彰は話すことにした。
「……ああ、その、俺が不良辞めたのは近くの強いやつは軒並み倒したからだ。これ以上ケンカしても満足できないから辞めたんだ」
嘘はついていない。実際そういう側面もある。
幼なじみの由菜相手にどういうわけか半端な嘘は見抜かれる。(この頃から鼻をかく癖がバレていたからだが)
だから虚実を入れ混ぜて彰が放った言葉は。
「やっぱり」
由菜がポツリと漏らす。
それを受け入れられたと判断した彰は手を差し出して。
「……分かっただろ、だからさっさと弁当を――」
「すごいね。美佳さんが言った通りの嘘を付くんだね」
ハメられたことに気付いた。
「え……。美佳って、西条美佳のことか?」
「うん。今日、三組との合同体育があったでしょ? そのときに聞いたの。……ていうかむこうが勝手に話してきたっていうか。初対面なのにぐいぐい来る人だよね」
「…………」
あんの野郎……!
由菜には何も教えるなって口止めしておいたのに……! それもわざわざ俺が付きそうな嘘まで入れ知恵して……!
体育の授業は男女別。いつも一緒に居た彰もこの時ばかりは離れるしかなかった。その隙を突かれたということなのだろう。
「美佳から全部聞いたのか……?」
「ううん。授業中であんまり時間は無かったから、私のイジメを彰が知ったのと彰が誤魔化すときに付くだろう嘘を教えられただけ。実際の話は彰から聞いた方がいいって言ってたし」
「………………」
そうか、話していないのか。けど……。
「彰……私がイジメられてたことについて知っちゃったんだね」
あーあ、上手く隠してたつもりだったんだけどなあ、と由菜は空を見上げてつぶやく。
「……そういえば知り合いから聞いたんだが、どうして由菜は俺にイジメられていることを隠したんだ? それに俺が原因でイジメられるくらいなら、俺に学校来るなって言ってくれれば良かったのに」
「それは……えっと」
言い淀む由菜。少し考えてから口を開いた。
「彰が全部話してくれるなら、教えてもいいよ」
「そうか……分かった。打ち明け合うか」
以心伝心。その要求が何となく分かっていた彰はあっさりと答える。
正直恥ずかしいけど……仕方ないか。
彰はあの日あったことを全て語った。
「土下座って……」
「そういうことだ。俺は由菜様のために土下座までする忠実な家臣ですよ」
全くどうしてこんな羞恥を受けないといけないんだ。これでますます由菜のやつが調子に乗って……。
「…………」
違う。
何か考え込んでいる由菜のテンションは上がるどころか明らかに下がっている。
「色々言いたいことはあるけど……まずは私の話からしようか」
そして由菜が語る。
「私がねイジメられていることを隠したのは……簡単なことだよ。気づかれれば今回みたいに彰が解決するために動くと思ったから」
「はあ? 当然だろ?」
「その過程でせっかくできた楽しみを捨てたり、傷ついたりして欲しくなかったから」
「それは……」
「恐れていたことが現実になっちゃったね」
「…………」
「学校に通えって言ったのは、彰との学校生活が楽しいからって理由もあるけど……やっぱり学校はちゃんと通わないと将来苦労すると思ったからかな」
「どうしてそこまで俺のことを……」
全部俺のため。由菜の行動理由が理解できない。
「どうしてって言われると……どうしてなんだろう? 考えたことも無かった」
「俺なんかのために自分が傷つく必要なんて無いのに」
「……なら聞くけど、彰もどうして土下座なんかしたの?」
「え……それは」
「私なんかのために自分が傷つく必要なんて無いはずだよね?」
「…………」
「たぶん一緒なんだよ。大事な存在のために、自分を犠牲にしたってこと」
「………………」
いいや、一緒じゃない。
彰は声に出さず反論する。
確かに行為の意味自体は一緒なのかもしれない。
だけど、背景が違う。
俺は俺のことを理解してくれた由菜を守るために自己犠牲を行った。
けど、由菜は自分のことしか考えていない俺のためを思って自己犠牲を行ったのだ。
俺が見返りを考えた打算なのに対して、由菜は見返りなんて考えず行った慈愛。
ただの人間と聖母を比べているようなものだ。決して一緒なんかじゃない。
けど、そんなこと言う必要は無い。
「なら、約束しようぜ。お互いに辛いことや苦しいことがあったら隠さずに話す、って」
「えっと……どうして」
「だってそう約束すれば今回みたいに一人一人で抱えないで、二人で問題を共有することが出来る。お互いが自己犠牲で相手を守って、それでどっちも傷つくなんて馬鹿馬鹿しいだろ」
「それは……」
彰の提案を聞いて由菜は考える。
この約束があれば、彰も一人で無茶することも無くなるかも。それに彰との関係が一つ増えるって思うと……悪くは無いし。
「分かった」
「そうか」
由菜がうなずいたのを見て彰は考える。
これで今回みたいな、由菜が一人で問題を抱えるような事態は無くなる。
代わりに俺の問題を由菜に教えなければならなくなるが……そこは問題ない。
そもそも俺はこの約束を守るつもりは無かったから。
一方的に教えろと言えば由菜は反発する。そのための方便。
そのときぐーっと、食べ物を寄越せと言わんばかりに彰の腹が鳴った。
「腹ペコペコだ。飯食おうぜ」
「そうだね。はい」
弁当を手渡す由菜。
「うっす。……そういや、今度の週末勉強教えてくれないか?」
「どうしたの珍しいね」
「いや……もうあんなやつに目を付けられないためにも、勉強しようって思っただけだ」
「ふうん。私のためって訳?」
「そうだな。由菜のためだ」
「………………」
軽い冗談のつもりが肯定されて顔を少し赤くする由菜。
「それに不良から更生したとはいえ、教師たちの評価は良くないからな。取り返すためにも勉強はしておかないと」
「私もそこまで出来るわけじゃないんだけど……」
「それでも俺よりはマシだろ。頼む」
「うん、分かった」
弁当を食べながらこれからの話をする二人。
お互いに思うところは違ったが、確かにそこには約束が結ばれた。




