二百四話「彰の過去8」
「ここか……」
美佳が渡してくれた写真の裏に書いてあった場所、街中のファーストフード店前に彰は来ていた。一緒に『平日の放課後はおそらくここにいる』と書かれてあった。
日を改めるという選択肢もあったが、由菜のためにも早急にケリを付けるため彰はそのまま向かった。
店内に入る彰。注文カウンターを無視して席へと進む。待ち合わせなどに使われることも多いためか、店員にその行為をとがめられることは無かった。
「……あれ、高野彰じゃねえか?」
「ほんとだ。……どうしてこんなところに」
学校から近いせいか、同じ制服の生徒が多い。つまり彰のことを知っている者も多いということで、かなりの注目を浴びる。
しかし、彰はそんなこと無視して。
「あっさり見つかったな」
写真の三人が座っているテーブル前に移動した。
「よっ」
軽く声をかける彰。
「ん……って、高野!?」
「ど、どうしておまえがここに!?」
「マジやば~……」
三者三様で驚くのを観察する彰。
あんまり関わりが無い方のクラスメイトだな。
一人はメガネをかけたずる賢そうな男。日に焼けた体格のいい男。制服を着崩している緩そうな女。
俺ほどではないが真面目ではない学生、ってところか。
驚きの感情が過ぎて、怯えている三人彰は用件を言った。
「いや、今日はおまえらに用があって来たんだけどさ」
「用って……」
「おまえらさ……何か俺に言えないようなことやってないかな? 誰かさんをイジメているとか」
「そ、それは」
「誰がチクったんだ……?」
「私じゃないし」
「おまえらが中心人物だってことは分かってんだよ」
「「「………………」」」
彰の言葉に顔面を蒼白させる三人。
度胸が無い奴らだな……。そんな反応してたら自分たちが犯人だと言っているようなものだ。
つまり由菜をイジメていたのは確かな信念を持ってやっていたということじゃないのだろう。不満があったから当たった。それ以上でもそれ以下でもない。
息をするように人を傷つけることが出来る人種。
「…………」
彰はここまでくる道中で考えてたことをもう一度脳裏に上げる。
こんなに怯えているやつらなら、脅して言うことを聞かせられるんじゃないか?
『由菜をいじめるのを止めろ』
命令するだけで事が済む。
それなら俺は不良を止めなくていいし、由菜もイジメから解放されて。
それで由菜に笑顔は戻るんだろうか?
「……だよな」
そんなわけがない。
不良であることを赦してくれた由菜は、それでも人の道に外れたことはするなと学校には行け、宿題はしろと言った。
由菜が力で人に言うことを聞かせることを良しとするわけが無い。
それに力による弾圧は更なる不満を生むだけだ。一旦沈静化したところで、またいつ再燃するか分からない。
だから、俺が取るべき行動は。
「ひぃっ!」
彰が動くのを見て、殴られるのではないかと情けない声を上げるメガネの男。
しかし、彰の手は前に出ていない。体に沿ってぴんと伸ばされて、そして腰を折って。
「俺が悪かった。みんなに恐怖を与えてすまなかった」
深々と頭を下げていた。
「………………」
「えっと……」
「これマジ?」
唖然とする三人。
「あの高野が頭を下げた……?」
「暴力を振るってばかりの野蛮なやつだって聞いたんだが……」
「何か普通の人っぽいねえ」
騒然となる店内。
三人の机の前に立った後も彰の行動は注目されていたようだ。
「と、とにかく顔を上げてくれ」
体格のいい男が周りを気にして言う。
「…………」
「高野君……君はどうして僕たちに頭を下げたりしたんだ?」
「どうしてって、悪いことをしたら謝るのは当然だろ」
「……」
「俺の存在がみんなを委縮させていた。俺はそれを解決しようともしなかった」
周りが不良だからって怖がって、尾ひれのついた噂が流れていることを知っていて俺は何もしなかった。面倒くさい、言いたい奴には言わせとけと無視した。
その結果が今の状況を生み出した。
「だから悪いのは俺だ」
もう一回頭を下げる彰。
「だ、だから顔を上げてくれって」
慌てながらもう一回言うと、その男は頭を下げた。
「それを言うならこっちこそすまなかった」
「……え? どうしておまえが頭を下げるんだよ?」
目の前の男に疑問をぶつける彰。こいつは被害者なのに。
「君の言い方を借りれば僕たちが悪かったからだ」
「………………」
「君の存在に不満を持って、だけどぶつける先が見つからなくて由菜さんに八つ当たりした。……そんなことしたって意味が無いことは分かってたのに。
だから僕も謝っているんだ。すまなかった、と」
目の前の男がもう一回頭を下げる。
「あ、その……分かってもらえたならいいんだ」
彰は選択を誤らなくて良かったと思った。
もし、力に訴えていたらこんな和解には至らなかっただろう。
人と人。通じ合うことはこんなに大事だったんだな……。
「俺はこれから不良を止める。だから由菜のイジメも止めてくれると――」
「そう簡単に事が運ぶと思っているんですか?」
遮ったのはずる賢そうなメガネだった。
「さっきから聞いていれば何ですか? そんな言葉だけで僕たちが許すと思っているんですか?」
「え……そこの男は許すって」
「彼が許すって言っただけで、僕が許したわけじゃないですよ。……大体、勝手に僕の分まで謝らないでほしいですね」
「……すまない」
体格のいい男が謝る。どういう仲かは分からないが力関係はメガネの方が上なのだろう。
「謝ってそれで終わりって虫が良すぎるんじゃないですかね? 僕たちがこの三か月味わった窮屈な思いを、たった一言で済ませられてはたまったもんじゃないです」
「……その代わりに僕たちは由菜さんをイジメていたんだ。平等な……」
「おまえは黙っとけ!! 大体、それは由菜さんが受けていた苦痛であって、この男が受けた苦痛じゃないだろ!!」
癇癪を起こすメガネ。
「………………」
彰からすれば、自分の理解者として大事に思っている由菜に起こったことは無視できるものじゃないのだが、それを言っても目の前のメガネは分かってくれないだろう。
「じゃあどうすれば許してくれるんだ」
「僕がこの三か月受けていた苦痛に対して、ちゃんと誠心誠意込めた謝罪を……」
「土下座とかいいんじゃね?」
緩そうな女が提案してくる。
「いいな、それ。ほら、土下座しろよ。土下座」
「………………」
「なんですかその態度は? おまえの謝っていた気持ちはその程度だったってことですか? 本当に悪いと思っているなら土下座くらいできますよね?」
さっきまで彰に委縮していたはずなのに高圧的な態度なメガネ。
相手の弱みに付けこむことに慣れているんだろうな。
西条はこの三人が由菜のイジメの中核だと言っていたが、その中で更に中心だったのはこいつなんだろう。おそらく誠実に謝ってくれたあの体格のいい男はこいつに言われて由菜のイジメに加担していて、緩そうな女は流されて付き合っただけ。
要するにこいつから許しを貰わない限り、由菜のイジメは無くならない。
「………………」
大丈夫だ。誠意を見せれば、さっきみたいに分かってくれるはず。
彰は足を引いて右膝を地面につける。続いて左膝も。
ファーストフード店内、客が土足で歩き回っている床に手を置き額をこすりつける。
「すいませんでした」
そのままの体勢、土下座で彰は謝意を伝える。
「……それだけですか?」
「え?」
「もっと他に言わなければいけないことがあるでしょうが!」
言う通りに土下座した彰に対して、ますますつけ上がるメガネ。
「僕は三か月も窮屈な思いをしているんですよ!? そんな謝罪じゃまだまだ足りませんよ!」
……大丈夫。彼はまだ気が荒立っているだけだ。謝り続ければいつか許してくれるはず。
「三か月も窮屈な思いをさせてすいませんでした」
「全く、僕みたいなエリートが君みたいなゴミに煩わされたんですよ!? もっと謝る言葉がありますよね?」
大丈夫。あと少し……。
「俺みたいなゴミが迷惑をかけてすいませんでした」
「言葉だけですか? もっと具体的に行動で示してもいいですよね? 例えば僕が苦痛を受けた三か月間、僕の命令を聞くとか?」
大……丈、夫……。
「謝罪の意を込めて、俺はこれから三か月あなたの命令を聞きます」
「……ははっ!! いい気味だ! こういう力だけはある馬鹿はほんと勘違いをしている! 今の日本を動かしているのは僕みたいなエリートなんだよ!」
高笑いするメガネ。
「将を射んと欲すればまず馬を射よ。八畑さんにちょっかいをかけ続けたのは正解だったみたいですね」
きっといつか……通じ合える。
そう思って……聞き捨てならない言葉が聞こえた。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味ですよ! 高野君、僕はね、君が目障りだったんですよ。馬鹿で、すぐに暴力に訴えるようなクズな癖に! 毎日学校に来やがって! 学校は勉強をする場、そして勉強が出来る僕がどうして君に配慮して暮らさなければならないんですか!
だから八畑さんをイジメるように指示した。その結果がこれですよ! 君は今僕の前で土下座している! 調子に乗るからこうなるんですよ!」
「………………」
「おや? 反抗的な態度ですね? いいんですか、君が従わないなら八畑さんはまた辛い目に合うんですよ?」
メガネは立ち上がって、土下座している彰の頭を踏む。
「ねえ、分かっているんですか?」
「…………」
ここまでムカついたのは初めてだった。
今すぐ頭の上に載っている足を払いのけて立ち上がり、メガネの顔が変わるくらいボコボコに殴り倒したい。
だけど……それじゃ解決しない。
由菜はこれから先もイジメられ続ける。
由菜を助けるためには……問題を解決するためには……。
俺が犠牲になればいいんだ。
「そうですねえ。服従の証として靴でも舐めてもらいましょうか!」
「…………分かりました」
「さあ、早く!」
メガネが下した屈辱的な命令。
人の尊厳を踏みにじるその行為を彰が行おうとした――。
そのとき。
「さすがに我慢ならないわね」
「そこら辺にしておいた方がいいですよ」
割り込んできたのは聞き覚えのある声。
「ほら、高野君もそんなやつの命令を聞く必要無いわ」
「ここまで謝っても許さないようなやつは、どこまで行っても許すはずがありません」
今の俺にこんなお節介を焼いてくれるのは……決まっている、あの二人だ。
「ちょっと、君たち! 何の関係があって割り込んできて――」
「理由なんてどうでもいいでしょう。どいてください」
メガネの足が頭の上からどけられる。
「ほら、立ち上がってください。全く、自分を粗末に扱いすぎですよ」
「……ありがとな東郷」
彰は東郷仁志の手を借りて立ち上がる。
「高野君は十分に謝りました。今後原因について改善する気概もあります。ということで由菜さんへのイジメは止めてもらいますね」
そして彰の代わりにメガネの前に立つのは西条美佳だ。
「さっきから聞いてますがどういう理由で高野の味方をするんですか?」
「そうね、見ていられないから……くらいで十分だと思うわ。人を助ける理由なんて。あなたみたいに人を傷つけるために、随分な演説をするほどじゃないわね」
「傷つける? 違いますよ、これは。そこの馬鹿を僕の、世間の役に立たせるための教育ですよ」
「……うわぁ、一日に二度も同じような人と出会うなんて。ああ、何か今日の運悪そう」
職員室の出来事を思い出す美佳。
「まあ、その立派な教育? ですか。世間のためになるってことでしたら、是非色んな人に聞いてもらったほうがいいですよね?」
そうして手元の携帯を見せる美佳。
言外に今までのやりとりは録音している、と脅迫している。職員室のときと同じだろう。
「……笑わせますね」
しかし、相手が違った。
「指向性マイクでもない携帯についているようなちゃちな録音機器で、この雑踏の中、僕の発言をきちんと録音できるはずがありません」
「……さすが自称エリート。どこかの教師みたいには引っかかってくれないのね」
確かに再生しても聞けたものじゃないだろう。鮮明に録音するくらい近づくことは相手にバレるので無理だった。
「三組の東郷に西条ですか。僕に立て付いた報いはしっかり受けてもらいますよ」
「報い、ねえ」
「僕の父はこの結上市の議員をやっているんです。色んな所に顔が利くんですから」
「それくらい知っているわよ。情報は権力に弱い。だから私一人じゃ由菜さんを救うのはきつかった」
「分を弁えているようですね? ええ、そうでしょう」
「だけどエリートなら分かっているわよね? 権力は民衆の団結に弱いって」
「……? 何を言って」
「私のやり方じゃ無理だった。高野君、あなたのやり方のおかげよ」
美佳はメガネに背を向ける。
それは逃げるためでも、敗北したからでも無い。
味方に声をかけるためだ。
「ねえ、みんな! 今ここで起きたこと見ていたわよね!?」
「ああ、見てたぜ!」
「え……うん」
「人の弱みに付け込んで許せねえ!!」
店内のそこかしこから肯定が返ってくる。
「な、何でこんなことに……!?」
「もともと高野君はそこそこの有名人なのに、人を大声で糾弾したり、土下座させたり……そんなことするから店中の注目を集めるのよ。やるんだったらもっと人の少ない場所に移動してからやるべきだった。視野が狭いから、少々の問題も権力で揉み消せるなんて慢心しているからこんな墓穴を掘るのよ」
「ぐっ……!」
「それでどうする? これだけの人数の口を封じることは出来るかしら?」
「そ、それくらい」
「無理よ、人の口には戸が立てられないってことわざくらい知っているわよね、エリートさん」
美佳がメガネをやり込める。
「これだけ謝ったのに由菜さんへのイジメが続くようなら、あなたの悪評がそこかしこに流れるでしょうね? ……それが嫌なら、今後一切近づくな」
仁志がドスの聞いた声で脅したのが決め手となったのだろうか。
「く、くそっ……覚えてろよ!」
メガネは慌てて自分の荷物を持って店を出て行く。
「あー、待ってよー」
緩そうな女がその後を追う。
「……本当にすいませんでした。あいつには俺がどうにか言い聞かせてみせます」
体格のいい男は彰たちに平謝りだ。もともとメガネの行動に否定的だったし、意外とは思わない。
「でも、あいつの方が立場が上じゃないの?」
「それでも言わないといけない……って、あなたたちを見ていたらそう思えてきました」
「なら頑張ってみてください」
はい、と言い残して去っていく。
「これにて一件落着ね」
「そうですね」
「……って、おまえらどうしてここにいるんだよ? 後は俺自身が考えてやらないといけないって帰ったんじゃ……」
一仕事終わったという顔をしている仁志と美佳に疑問をぶつける彰。
「何を言っているのよ。あなたはちゃんと自分で考えて行動したじゃない」
「そうですよ、これは高野君が頑張った結果です。僕たちはそのサポートを少し行ったにすぎません」
「それにしては最後のおいしいところを持って行かれたように思えるけどな」
服に着いたホコリを払い落とす彰。
「それじゃ帰るか」
彰が出口に向かって歩き出す。
その最中、今までの事態を見守って来た同じ学校の生徒が声をかけてくる。
「高野! おまえのこと勝手に怖いやつだと思ってた! ごめん!」
「本当は良い人なんですね!」
「女の為に土下座が出来る男に悪い奴はいない。かっこよかったぜ!」
彰の肥大化した噂を聞いて、勝手なイメージを作っていた者たちがその認識を改める。
「これなら由菜さんもまたイジメられることも無くなるでしょうね」
「女子からも歓声が沸いてるじゃないですか。嬉しいですか?」
「うるせえ……俺は由菜のためにやったんだ。そんな評価どうでもいい」
彰はムスッとして言い返す。
「またまた~。照れ隠しだってことくらいすぐに分かりますよ」
「分かりやすいですね」
が、迫力の伴っていないそれはすぐに誤魔化しだとバレる。
「だからうるさいって言ってるだろ……」
そうして三人で歩きながら彰は思う。
こんな事態に一緒に立ち向かったからなんだろうな……。
なあなあで付き合っていた友達や俺の強さだけに憧れていた他の不良と違って。
二人は本当に仲間だって、そんな風に思える。
この日を境に彰は不良を止め、学校で怖がられることも無くなった。




