二百二話「彰の過去6」
彰は教室でノートを見つけた後、職員室を訪れていた。
仁志とのケンカもあって、時刻も既に夕方だったが担任の教師はまだ職員室にいる。
「……高野くんですか。呼び出した覚えはありませんが……自分から職員室に来るなんて珍しいですね」
「これはどういうことですか、先生!!」
挨拶も抜きに彰は担任の机に由菜のノートを開いて叩き付ける。
目に入って来た暴言の数に一瞬ギョッとなるものの、落ち着いた口調で担任は質問する。
「どういうこと、と言われましても、事の推移がよく分からないのですが」
「担任なら分かってるだろ!! 由菜がイジメられていることくらい!!」
「………………はて、何のことでしょうか?」
不自然な間。わずかに感じ取れるとぼけた雰囲気。
彰は担任が嘘をついていると確信した。
「こんな証拠があるんだぞ!」
もう一回由菜のノートを叩いて示す彰。
さっきからの大声と音で職員室中の注目を集めているが気にしていない。
「これだけでイジメられていると判断するには早いでしょう。行き過ぎた表現なだけかもしれませんし、最悪由菜さん自身が書いた可能性も」
「由菜が自分でしたって本気で言っているのか!!?」
「否定は出来ないってことです。それとも彰君は客観的にこれを他人が由菜さんを害するために行ったという証拠でも持っているのですか? その場合の首謀者は? それを調べずに騒ぎ立ててもかえって事態が大きく――」
「ごちゃごちゃうるせえんだよ、この馬鹿が!! 由菜が自分でやったわけがないだろ!!」
「担任に向かって馬鹿とは何様ですか!」
彰の暴言にキレたのか、担任が椅子を倒す勢いで立ち上がる。
「大体、おまえのせいで私がどれだけ迷惑をかけているか分かっているのですか!! 保護者からのクレーム、同僚からのやっかみ、上からの指導! 全く、あなたのせいで今までの私の評判がガタ落ちなんですよ!! 大体、この由菜さんのイジメについての件だっておまえのせいで――」
「馬鹿に馬鹿って言って何が悪いんだよ!? ごちゃごちゃ屁理屈しか言わねえで! 教師なら生徒を第一に動いて当然だろうが!!」
「教師? 生徒? はっ、おまえみたいな不良がいっぱしに教育について語るんじゃねえ!!」
「不良だろうが分かるさ、おまえが駄目な教師だってことくらい!」
「……仕方がありませんね、何度言っても分からない生徒にはきちんと教育をしないと!」
「ほう、俺がケンカが得意と知って言っているのかそれは?」
言葉の応酬だけでは足らず、両者ともに手を出そうとしたその瞬間。
「まあまあ、それくらいにしておきましょうよ。二人とも」
止めに入ったのは一人の少女だった。
「誰だ、おまえ」
「……西条、どうしましたか」
「二人ともヒートアップし過ぎですよ。ほら、落ち着いてください」
「私は落ち着いています。そこの不良にきちんとした教育を……」
「ところで、先生知っていますか?」
担任の言葉に取り合わずマイペースに語りだす少女。
「最近の携帯って機能が進化していましてね。今じゃ当たり前になってますけどカメラ機能付きとかほんと一昔前は考えられないですよね」
「西条、雑談なら後で聞きますから」
「他にもよく付いている機能としては……音声録音なんかがありますよね?」
「……まさか」
「偶然にもさっきまでその機能を使っていまして…………私が録った音聞きます?」
携帯を見せびらかす少女。
担任も自分の言動が記録に残されて、あまつさえ外に漏れたらまずいものだと今さら気づいた。
「……け、携帯を校内で使うのは」
震え声で注意しだす担任。
「禁止とでも言いたいんですか? それは授業中だけで、放課後の使用は制限されていませんよ。ちゃんと校則を読んでください、先生」
「…………」
「まあそちらの高野君の方も悪いところが無かったとは言いませんが、先生の態度も目に余りますよ。それにイジメの原因もちゃんと把握しているのに、何もしていないってことは黙認しているってことですか。これを教育委員会にでも出したら――」
「私が悪かった、西条」
頭を下げる担任。
「理解しているようで何よりです。……私からの要求は一つです。そこの高野君が今行ったことを不問にしてください」
「あん? 俺?」
少女が出しだ要求に自分を指さす彰。
「自分が行っていることの危うさに気付いてなかったんですか? あのまま先生に手を出していたら、停学だったり下手すれば退学だってされても文句は言えないですよ?」
「そんなの知らねえ。学校辞めさせられようが俺には関係ねえしよ」
「何を言っているのですか? あなたが停学したら、由菜さんは誰が守るっていうんですか?」
「……っ!?」
この女は……。
「何を知ってやがる?」
「そうですね……ほとんどでしょうか。由菜さんのイジメについては先生よりも私の方が知っていると思いますよ? 教えて欲しいというならば、教えますがどうしますか?」
「当然教え――」
「よく考えて決めてください。知ったからにはあなたは無関係ではいられなくなりますから」
脅しをかけてくる少女。
ちっ。ただの生徒のはずなのに、俺に対して随分堂々と張り合ってきやがって。
「…………」
けど、どうしてこいつはわざわざ俺を庇ったりした?
わざわざ争いを止めて、先生と取引をして、そして俺に情報を渡そうとしている。
目の前の少女を改めて見る彰。
……やはり見たことは無い。初対面のはずなのに、どうしてここまでお節介を焼いて……。
「私のことについて気になると思いますけど、まあそれは置いておきましょうよ」
少女は彰の内心など見透かしたように話す。
「重要なのは情報を聞くか、聞かないかです。あなたは当然聞くべきだ、という考えみたいですが、私としては聞かないという選択肢もあると思いますよ? 臭いものに蓋をすれば今までみたいな日々を送ることが出来ますから。
そして知ってしまえば戻ることは出来ない。よーく考えて返事してくださいね」
今までみたいな日々……か。
学校を適当に過ごして、放課後はケンカに明け暮れる日々。彰が今までの人生で最も生を実感できた時間。
「………………」
けど、彰だって何となく理解していた。
この少女の話を聞けば、不良でいることは出来なくなると。
それは……正直嫌だ。楽しい時間を奪われるのは誰だって嫌だ。
だけど、それが誰かの犠牲をもとに成り立っていた日々だったとしたら。俺は由菜を犠牲に楽しんで……それは正しいのか?
「んなわけねえだろ」
由菜は俺のことを理解してくれた。
不良になってケンカに明け暮れることが悪いことだって俺も本当は分かっていた。だけど、こんなに生きてると思える時間を経験したのは初めてで。……でも悪いことで。
そんな悩みを抱えていた俺に由菜は言ってくれたんだ。
『人が何を楽しいって感じるかは人それぞれだから。彰が心の底から求めていることが、たまたま世間的には悪いことだっただけ。しょうがないよ。……だから、私は、私だけはそんな彰を肯定するよ』
その代わりに学校に通え、宿題はちゃんとやれ、とやることはやりなさいと命令はしてきたが……。
それでも、俺は由菜の一言にどれだけ助けられただろうか。
「………………」
だから今度は俺が由菜を助ける番だ。
「教えてくれ、何があったのか全て」
「……良かったです。ここでつまらない答えを返すようでしたら助けた意味もありませんでしたから」
「という割には俺の答えを確信していたようだがな」
人を見透かしたような態度。この少女には俺がYESと言う確信があったような、そんな気がする。
「それはどうでしょうね」
はぐらかすように言ってから少女は仕切り直すように手を叩いた。
「さて、この職員室でするような話でもありませんし場所を変えましょう」
その前に自己紹介でもしておきましょうか、と少女は名乗る。
「私の名前は西条美佳です。しがない情報屋だとでも思ってくれれば幸いです」
仁志に続いてもう一人の友人。西条美佳の名前を聞いたのも、彰にとってこれが初めてのことだった。




