一話「非日常の前の日常」
時間はさかのぼって、彰が恵梨や銃を持った二人組みと会うその日の午前中の話。
場所は私立斉明高校の体育館。
そこでは今から1年2組の生徒が体育の授業でバレーボールをするところだった。
クラスの男子が四つのチームに分かれるようだ。生徒は自分が呼ばれたチームごとに集まる。
「おおっ! 仁司が一緒か!」
一緒のBチームにいる友人を見て男子生徒、高野彰は大げさに驚く。
「まさか、おまえと一緒だとはな!」
ハイテンションにそれに答えるのは東郷仁司。
「本当だな……チッ!」
「あれ、なんか舌打ちが聞こえたが?」
「気のせいだな。おまえが敵チームなら、おまえばかり狙おうとか思ってたわけでは無いぞ」
「そうか……って、それどういう」
そこに、ピーーッというホイッスルの音が鳴る。
「これから、Aチーム対Bチームの試合を始める」
体育教師の声が響く。
「行くぞ」
「おいっ。ちょっと待て」
先に駆け出した彰を追うようにして、仁司もコートに入った。
「まあ、同じチームでもやりようがあるがな」
彰が口の中でつぶやいた言葉は、当然誰にも聞こえなかった。
「おらっ!」
「せいっ!」
体育館中に男子生徒達の声が響く。
「行けっ!」
彰が両手を使ってふんわりとトスを上げる。
「くらえ!」
仁司が手を振りかぶって飛ぶ。
そして強烈なスパイクが敵のAチームコートに突き刺さる。
「しゃあっ!」
仁司が気勢を上げる。
彰と仁司を擁するBチームはAチームに順調に得点を積み重ねて優勢である。
「よし、よくやった仁司」
「ナイストスだ」
お互いを称えあう彰と仁司。これまでの攻撃も彰と仁司が中心となって行われてきた。
「だが……そうだな。おまえもトスを上げてくれ」
「何でだ?」
「さっきから俺ばっかトス上げているだろ。そろそろ役割交代だ」
「そういうことなら、しょうがないな」
そして次はBチームのサーブから始まる。Aチームは難なくボールを拾って、Bチームに返す。
そして仁司が味方のレシーブを受けて、彰にトスする。
「よし! やれっ!」
彰が手を振りかぶって飛ぶ。
ジャンプが最頂点に達したと同時に手を振り下ろす。
「くらえ!」
強烈なスパイクが繰り出される。
そして、トスを上げた仁司の顔面にボールが突き刺さった。
「ぎゃぁ!!」
仁司は全く思ってもいなかった奇襲に、驚くほど鮮やかに後ろへ吹き飛ぶ。
それを見て彰は小さくガッツポーズを作る。
「よしっ!」
仁司が起き上がる。
「何だ今のは!?」
「すまん。手が滑った」
「滑ったからってそんなことになる訳ないよな!?」
「じゃあ、つい」
「つい!? つい、てことはやる気があったって事だよな!?」
「すいませーん。始めたいんですが」
そこにAチームの生徒の声がかかる。今のプレーでAチームにサーブ権が渡ったから次を始めたいのだろう。
「だそうだ。次が来るぞ」
「謝罪も無しなのか!?」
「うるさい。位置につけ」
そこにチームメイトから声がかかる。
「仁司。早く位置につけ」
「そうだぞ。ゲームが始まらないじゃないか」
「俺が悪いわけじゃないぞ!? 彰が悪いんだからな!? みんなも見ていただろ!?」
「彰は手が滑ったって言ってるじゃないか」
「そうだぞ。誰にでも失敗はあるだろ」
チームメイトの二人がもっともらしくたしなめるも、その顔は笑っている。
「何でだ!?」
「これが人望の差だ」
「うるせえ! 彰!」
そしてこれ以上言ってもどうにもならないと思ったか、仁司は見た目にはおとなしく自分の位置に戻った。
そして、試合も終盤。
優勢だったAチームだったが、彰と仁司のケンカをきっかけに攻撃のリズムが悪くなり、気づけば点数は24対24だった。
この試合は25点マッチのため次を取ったほうが勝つ。
「よしっ! 行くか!」
サーブ権はBチーム。サーブを打つのは彰である。
「ちゃんとやっていけよ」
「まあ、気楽にいけよ」
チームメイトからは対称的な声がかかる。
「ここが勝負どころだ!」
仁司も気合を入れる。
「よし」
彰が気合を入れたところで両チームの選手がともに静まり緊張が高まる。
「………………」
前にふわりとボールを上げる。そして彰は手を振りかぶって飛ぶ。
「やべっ!」
ジャンプの最長点で手を振り下ろす。
そして強烈なジャンプサーブが迫る!
……仁司の後頭部に。
「ぎゃあ!」
またしても思ってもいなかった奇襲に、今度は顔から前に倒れる仁司。
「…………」
彰は放心状態だ。そこに仁司が立ち上がる。
「何だおまえは! ケンカ売ってるのか!?」
「……すまん、悪かった。手が滑った」
「何度も、何度もそう言えばいいと思ってるんじゃないのか!?」
「だから悪かったって謝ってるだろ!?」
「謝ればいいって訳じゃないだろ!」
「じゃあ、どうすればいいんだ!?」
そこに、ピーーッ、とホイッスルが鳴る。
「ただいまの試合。25対24でAチームの勝ち」
彰と仁司は負けた。
「……っていうことがあったんだ」
「うわぁ……」
放課後。
彰は幼なじみの八畑由菜と一緒に帰宅中だった。
彰が今日の体育の時間に起きていたことを由菜に説明したら、親交の無い身内の不幸を聞いたような、何ともいえない顔をされた。
「それって、狙ってやったの?」
由菜とは同じクラスだが、女子は校庭で体育していたため事の顛末を知らない。
「たしかにあいつの顔面にスパイクをぶつけたのはわざとだ」
「うわぁ」
「だが、サーブが後頭部に当てたのは本当に手が滑ったからなんだ」
「開き直られても……」
またしても何とも言えなくなった由菜は話を変えることにする。
「そういえば、彰は何か部活入らないの?」
「特に入る気は無いな」
「私はテニス部に入る予定だけど、彰も一緒に入らない? 男子テニス部もあったよ」
「いや、遠慮しとく」
彰と由菜は同じ斉明高校に入って二週間ほどだ。話題も高校生活のことについてになる。
「じゃあ、高校で何するの? そんなんじゃ灰色の青春になるよ」
「何って、……勉強だろ。学生の本分は勉強だぞ」
「勉強って……。まだ勉強するの!? 課題試験で学年一位だったのに!?」
「大学に入るなら敵は全国の人間だぜ。それに勉強はどんなにしたってやりすぎるってことは無いからな」
「私はそんなに勉強できないな」
由菜は半分あきれていた。
彰は体育の時間こそふざけていたが、この発言から分かるように真面目な人間である。
顔つきは整っていて、体形も痩せた高身長。メガネさえかけていれば、ハカセというあだ名を持っていたに違いない。
「そうは言っても由菜だって課題試験の順位、真ん中あたりだっただろ」
「私だって、ある程度は勉強したから。それでも一位ってすごいね」
「ありがとな」
そして彰と話している少女は、八畑由菜である。茶髪気味な髪は遺伝であり、それをショートカットにしている。快活な雰囲気の少女だ。
「んーーっ」
彰は伸びをする。
「どうしたの? 疲れたの?」
「一日学校に行ったら、疲れるだろ」
「今日は土曜日だから半日だよ」
「それでも疲れるだろ」
「確かにそうだけど」
彰は、もう一回伸びをする。
しかしそのとき、ぶちんっ、といった音が彰の制服から鳴った。
「あっ!」
どうやら彰は制服のボタンが取れたらしい。
「……買ったばかりなのに」
「しょうがないよ」
「そうだけど……」
この制服を着始めてまだ二週間しかたってない。なので糸が弱くなっていたというわけでもないだろう。
なんか不幸で、不吉だ。
「はぁ」
帰ったら縫いつけよう、と彰は道に落ちたボタンを拾ってポケットに入れる。
「そういえば、今日は仁司と美佳はどうしたんだ?」
気を取り直して彰は、いつもは一緒に帰る二人の所在を聞く。
「仁司君は、サッカー部に入るから説明を聞きに行く、って言ってたよ」
「あいつはサッカー好きだな」
仁司はスポーツ少年で、由菜とも友人である。
「うちの学校のサッカー部はそんな強いわけでもないんだけどね」
「そうか。なら、美佳はどうしたんだ」
もう一人の友人、美佳は噂好きの少女だ。
この四人とも同じ中学だったため仲がいい。
「美佳は……」
そこで何かを思い出して由菜は顔をうつむける。
「どうした、由菜」
不思議に思った彰が顔を覗こうとすると、由菜は顔を手で隠した。
「み、見ないで」
「? ……分かった」
釈然としないが、彰は顔を前に向ける。
「……あんなこと言って……。変に意識しちゃうじゃない……」
うつむいたまま、何やらぼやいている。
しばらくすると落ち着いたのか、由菜は顔を上げた。
彰がそちらを見ると、由菜の頬が少し赤い。
「どうしたんだ?」
「いや、……ちょっと。何でもないよ。美佳は用事があるんだって」
と、由菜は嘘を言う。
本当はいつもは四人で下校するところを、美佳は、今日は仁司が一緒に帰れないと聞いて、そこで「たまには彰と二人きりで帰りなさい」「み、美佳!」というやり取りの後、美佳は一人で帰っていった。
美佳は由菜が彰に向ける思いを知っていた。
それを思い出して、由菜は恥ずかしく赤面していた。それを彰に見られたくなくて、うつむいていたのである。
「?」
彰の顔はまだ懐疑的だ。あわてて由菜は話を変えにかかる。
「。そ、それよりさ――」
と。
そうやってとりとめなく雑談をしながら歩いていると、分かれ道にさしかかった。
そこで思い出したかのように彰が右の道を指した。
「そういえば俺、買い物して帰るんだった」
「買い物、自分でしないといけないんだったね」
「そういうこと。父さんの仕事に、母さんも一緒に行っているから自分で飯を作ったり、洗濯したりと大変だぜ」
彰の両親は二、三週間程前、仕事先に赴任した。
一年で帰ってくる予定なのでその間、一人っ子の彰は一人暮らしである。
「知っているよ」
由菜は彰と、家族ぐるみの付き合いなのでそれぐらい知っている。
彰の両親からは、「彰を助けてやってください」とも、言われている。
それで、と話を続ける由菜。
「今から買い物に行くの?」
「ああ。冷蔵庫に何も無かったはずだからな」
「一緒に行こうか?」
「いいよ。買い物くらい一人で行けるに決まっているだろ」
「分かった。じゃ、ここでお別れだね」
左の道を行けば由菜や彰の家がある住宅街に着き、右を行けばスーパーや繁華街がある。ちなみに由菜と彰の家は隣同士だ。
「ああ。じゃあな」
「またね」
そういって由菜は左に、彰は右に別れた。