百六十六話「見舞い」
結果から言うと高野彰は助かった。
風野藤一郎が用意した病院の医師のレベルが高かったことや迅速な処置の結果か、特に大きな後遺症も無い。
体が治ったとはいえ、ダメージが大きかったのかその日はずっと寝ていた彰。
なのでその翌日。
「そろそろか……」
病室のベッドの上、高野彰は時計を見てつぶやく。
コン、コン。
「ちょうどだな……入っていいぞ」
ノック音に対して、扉の向こうに声をかける。
「失礼します」
そして恵梨を先頭に見舞いの客がなだれ込んできた。
「わざわざこんなところまでよく来たなあ……」
入ってきたのは恵梨、火野、彩香、畑谷の研究会襲撃の当事者。
そして由菜、美佳、仁志のいつものメンバー。
それと雷沢、光崎、風野藤一郎の合計十人だった。
これだけの人数が入っても狭く感じないほどに病室は広い……。設備も一つ一つがしっかりしているし、この病室にいるだけでどれだけ金をとられるだろうか?
とりあえず分かっているのは俺の金じゃ払えないレベルってことだな。……この病院を手配してくれたことといい、ますます藤一郎さんには頭が上がらない。
「それで彰、無事なの?」
「山を歩いてた時に滑り落ちて頭を打ったって聞いたよ。……胸のあたりを枝で引っ掻いたとかも」
「滑り落ちるなんて間抜けだな」
由菜、美佳、仁志の三人には本当のことは伝えられていない。説明するとなれば、能力のことにも触れないといけなくなるし当然だ。
この事態は、異能力者隠蔽機関のラティスは『記憶』を使ったわけではない。ただ口裏を合わせて嘘をついているだけである。病院の医者も風野藤一郎の紹介でどんな頼みでも聞いてくれるようだし、現在姿を消している彰の両親の代わりに手続きをした畑谷は事態を了解しているのでこんな芸当ができたということだ。
「とりあえず直ったらボコしてやるからな、仁志」
「それくらい言えるのなら安心ね」
彩香も顔をほころばせる。
「心配させたな。ご覧の通り、もう完全に大丈夫だ…………って訳には行かなくてな」
「何かあったんですか!?」
恵梨が過剰反応する。
自分を庇って傷ついたのに、何か障害でも残ってしまったのなら……とでも思っているのだろう。
「ああ、すまん。そう大したことじゃないんだけどな。……しばらくの間、傷の療養をしないといけないから、俺は体育祭に出れない」
今月の末に行われる、学生にとっては一大イベントの名を出す彰。
「そう……ですか」
「それは結構痛手ね」
「だから俺が出るはずだった競技は、誰か他の人に頼んでおいてくれ」
「ってことは俺は彰に乗られずに済むのか。ラッキー」
「ちっ、それが一番の心残りだな」
ジャンケン勝負の末、騎馬戦では彰が仁志他二人に乗って出場する予定だった。
「……彰、体育祭楽しみにしていたのに残念ね」
由菜が顔を曇らせる。
「いやいや、そんなことないって。別に体育祭なんてただみんなで集まって運動するだけだろ。体育の授業とそんな変わりねえって」
「「「………………」」」
「……? 授業と体育祭じゃ結構違うと思うぜ」
「そうやな。……ってあれ、みんな顔を暗くしてどうしたんや?」
やけに明るい声で言われた彰の言葉を額面通り受け取ったのは仁志と火野だけ。
残りは彰が無理をしていることが手に取るように分かる。
「……彰さんに言っておきたいことがあります」
痛いような沈黙を破ったのは恵梨だった。
「おう、何だ? そんな改まって言うようなことなのか?」
「まずは……私を助けてくれてありがとうございました」
「いいって、いいって。体が勝手に動いただけだ」
「それに関しては本当にどれだけ感謝しても尽きません。……ですが」
「ですが?」
どうしてそこで逆説が? というか何か雰囲気が……。
「そのことで分かりました。……彰さん、あれだけ言ったのに自己犠牲の考えは変わっていないですね」
(暗黒面……っ!?)
(ここで裏恵梨……っ!?)
恵梨の声音が冷たくなった。その恐怖をよく知る彰と美佳が戦慄する。
「夏休みの最終日……その自己犠牲の考えは改めるって言ってくれましたよね? それなのに自分の体を張ってまで私を助けたってことは」
「いやいや、ちょっと待てって!! さっきも言ったけど、あれは体が勝手に動いただけで」
「ええ、ですからなおさらタチが悪いんです。とっさにそんなことが出来るくらいに、考えが全く変わっていないってことじゃないですか。……あの戦闘中もちょくちょく私を下に見る言動や、自己犠牲的な発言も出ていましたし」
「うっ……」
「……ああ、思い出しました。彰さんの嘘をつくときの癖。最近どっかで見たな、と思っていましたがそのときでしたね。つまり最初から考えを改めるつもりは無かったということですか」
「………………」
やっぱりあのとき出てたか……。って、どうして今さら気づくんだよ。何だ、暗黒面になるとそこらへんの能力も強化されるのか?
「どういうつもりなんですか?」
「……ああ、そうだよ。俺はこの考えを変えるつもりは全くない」
正直言って暗黒面に正面切って反論するのは怖い。しかし、それでも言わないといけないことがある。
「俺一人の犠牲でみんなの日常が守られるんだったら結構だ。これからだって喜んで犠牲になってやるよ」
「私が望んでいないとしてもですか?」
「ああ」
「そうですか」
…………あれ? 反論が来ない?
「そうですよね、彰さんはそんな人ですよね」
何か呆れられてねえか? 気づけば暗黒面からいつもの恵梨に戻っている。
「分かりました、彰さんが考えを変えないなら私が変わります」
「………………」
「私は彰さんに守られなくてもいいくらいに強く……対等な存在になります。改めてそう誓います」
この前は対等に見て欲しいだった。
しかし、今のは対等になる、だ。
言葉からも恵梨の強い意志を感じる。……昨日の襲撃の中に、何か恵梨を変えるような出来事でもあったのだろうか?
「……勝手にしろ。それを止める権利は俺には無いからな」
「はい、勝手にします」
突き放すような彰の言動だが、同時に認めていることが分かる。
コホン。
「そこまでにしておかないか?」
畑谷が咳払いの後続ける。
「あ……」
その声で彰が我に返る。これだけの人がいるのに完全に恵梨と二人だけの世界を展開していた。
「す、すいません」
恵梨もそれに気づいたのか謝る。
「いや、私は別にいいんだがね」
「えっと……今のどういうこと? 彰が怪我したのって、恵梨を庇ったからなの?」
「ま、まあ、そんなところだ」
美佳の質問に冷や汗が出てくる彰。
やばい、やばい。美佳たちは本当のことを知らないんだから、ここでこんな話をするべきじゃなかったな。
「そ、そうです。そこの果物でも剥きましょうか?」
恵梨がベッドの脇に置いてあった籠盛りの果物に手を伸ばす。
「包丁は横の棚にあるはずだから使ってくれたまえ」
病室の勝手を知る風野藤一郎が声をかける。
その後はいつもの空気を取り戻しおだやかな時間が過ぎていった。
「すまない。ちょっと待ってくれないか」
「あっ、風野さん。……どうかなされましたか?」
見舞いからみんなが帰った後、畑谷は親がいない彰のために諸々の手続きや医者からの話を代わりに聞いていた。
それが終わったところで風野藤一郎に声をかけられた。
てっきり先に帰ったと思っていたが……アクイナスの社長ともなれば忙しいだろうし。
「そんなかしこまらなくてもいい」
「そう言われましても……風野さんは高野の命の恩人みたいなものですし、自分なんてただの一人の教師にとっては本当に雲の上のような人なので……」
鷹揚に対応する風野に対して、緊張の抜けきらない畑谷。
「いやいや、本当に君がただの教師だったらここまで待って声をかけたりはしていない。……それに命の恩人といえば君もじゃないか。
科学技術研究会、兵器派、外部研究員の畑谷君」
「…………っ!」
自分の隠された、もう意味のなくなった肩書きを指摘される。
「そんな君に話があるんだが……時間の方は大丈夫かね?」
「それでどういう用件なんだ?」
「気になるなー?」
雷沢と光崎は目の前の彩香に話しかける。
見舞いが終わった後、光崎と帰ろうとしたところを呼び止めたのが彩香だ。
一緒に帰ろうとしていた同じ学校の友達に先に行かせてまで何かあるのか……?
「すいません。……ですけど、今回の襲撃に関して理解できない事態が発生しまして……」
理解できない事態……?
今回の襲撃については簡単に話は聞いてある。特に分からないようなことは無かったはずだが。……そして、それをどうして自分に話すのか?
「相談に乗ってもらえますか?」
由菜、美佳、恵梨、仁志、火野の五人で帰っている最中。
「ちょっといい、美佳?」
病院を出たところで由菜が口を開いた。
さっきから会話に入ってこないと思ったら……伏し目がちで、声のトーンは低めだし、肩が落ちているってことは……。
「……今じゃないと駄目なの?」
美佳は由菜の雰囲気から少し重い話が来ると察知。みんなで帰っている途中の今、話すべきなのかを聞く。
「うん。お願いできる?」
「……みんな先に帰っておいて。追いつけたら追いつくから」
「分かりました」
「おう」
「分かったで」
恵梨と仁志と火野が了承して歩を進める。
「それで……って、まあどうせ彰のことなんでしょ」
由菜がこんな風にグダグダ悩むとしたら、それは彰のことに決まっている。
「そうなの。……色々思うところがあってね」
そして遠く離れた黄龍本部。
「組長。電話が」
「おう、誰からだ?」
上機嫌に返すのは夏祭りの際、彰たちを苦しめた李本俊。『未来』の能力者。
「科学技術研究会、能力研究派のサーシャが話があると言っています」




