百三十六話「夏休み最終日」
第六章開幕!
←短いですがプロローグもあります。
八月三十一日。夏休み最終日。
多くの学生にとってトラウマに違いないその日。拷問かと思うほどの宿題に耐えながら、「今年こそは早めに宿題を終わらせる」「……いや、まだ大丈夫でしょ」と言っていた過去の自分に呪いをかけるその日。
そんな日に結上市に住む男子高校生、高野彰は。
「………………」
数少ない趣味である、推理小説を読んでいた。
外は太陽が燦々と照りつけ、地獄のような暑さであるだけに、クーラーの効いたリビングはこの世のオアシスだ。ソファに寝転がり、とても他人には見せられないようなだらしない格好で本をめくっている。
といっても、彼は現実逃避をしているわけではない。
驚くべき事に、彼はすでに宿題を終わらせているのだ。それも昨日、今日の事ではなく、七月中に終わらせている。
その後、八月中ずっとだらけていたかと思うだろうが、そうでもなくて定期的に予習もやっている。今日は夏休み最終日なので、自分にご褒美ということで彰はこうだらけて本を読んでいるのだった。
数時間後、彰は本を閉じた。
「面白かったな……」
超大作と呼ばれるその作品も、時間をかければ読み終わる。読み終えてしまう。
「………………」
彰は本を脇に置いて、寝転がった姿勢そのまま考えごとにふけった。
夏祭り、あの平穏が崩れた日から約三週間が経った。
が、しかし日常は今のところ変わりはない。……ように見える。
けど、分かっているのだ。水面下では事態が進行しつつあることに。
高野彰は普通の高校生ではない。……いや、夏休みの宿題を早めに終わらせているから普通ではない、と言っているわけではない。
彼は越常の力を振るう能力者なのだ。科学技術研究会なる組織に追われていた、同じく能力者である水谷恵梨を救う最中に判明した事である。
その後、異能力者隠蔽機関という能力者の痕跡を隠蔽して世界を回っている組織の長、ラティスによって二人は科学技術研究会に追われることは無くなった。
だが、この前の夏祭りでのこと。ラティスのかけた能力『記憶』が解けて、二人は再び追われる身となったのだ。
そして先日、異能力者隠蔽機関の三人がこの家を訪れた。用件は科学技術研究会兵器派の連中が動いているとのこと。
名目は自分たちが取引を邪魔したからだそうだ。
「たぶんこの情報を漏らしたのはサーシャでしょう。兵器派に襲わせるために、黄龍のアジトで雷沢さんが武器を破壊するのを見逃したのだと思います」
リエラの報告はそんなところだった。話を聞いた彰も、サーシャならそこまで考えていてもおかしくないと同意した。
「兵器派……か」
サーシャが撮ったデータを元に戦闘人形を強化させている能力研究部門だけでも面倒なのに、そんな奴らにも目を付けられるとは。
やっぱりどれも、これも。
「俺がサーシャに騙されたせいだよなあ」
「仕方ないじゃないですか」
「っ!?」
声が帰ってくると思ってなかった彰はソファの上で飛び跳ねた。
「き、聞いてたのか恵梨!」
現在、彰は恵梨と同居している。そのため聞かれる可能性は考慮すべきだったのだが、ある理由から恵梨がリビングに来るはずがないと思っていた彰。
「ええ、聞いてましたよ」
長い黒髪に落ち着いた雰囲気の恵梨はいつもと変わらない様子だ。
今の状況をどう思っているんだろう、恵梨は。
夏祭りの夜、異能力者隠蔽機関の説明の後、一人先に帰った恵梨は気丈な振る舞いをしていたが、足が震えていた。
それもそのはず。恵梨は能力なんて力を持っているけど、普通の少女だ。親を殺した科学技術研究会に、自分も命を狙われるなんて想像しただけで足がすくむ恐怖だったんだろう。
だから心配していたのに、祭りの次の日、恵梨は何事も無かったかのようになっていた。旅館から帰る道中も、この家に帰ってきてからもいつもと変わらない様子だった。
前日の怖がりようから一転、いつもと変わらない様子。彰は恵梨が無理をしているんじゃないかと思ったが、どうもそんな素振りは見えない。
どういうわけだか分からないが、彰は蒸し返すのはよくないと思い、結局研究会についての話はしないまま二人は夏休みの最終日を迎えたのだ。
なのに、俺のヘマで思い出させてしまうとは……。
いや、それよりも。
「仕方ないってどういうことだよ、恵梨。サーシャに騙されたのは俺の責任だぞ」
恵梨は優しい子だ。だから俺に責任を感じさせまい、と思って「仕方ない」と言ったのだろう。
だが、やっぱりこれは俺の責任だ。譲るわけには行かない。サーシャに騙されなければ今も、これからも平穏な暮らしが続いていたはずなのだから。
なのに。
「……はあ、やっぱりそんなこと思ってたんですね」
恵梨の取った対応は呆れだった。
「彰さんの責任感の強さは長所かもしれませんが、同時に短所でもありますよ」
「な、何が悪いんだよ。俺は自分のことは自分でしっかりと責任を……」
「それです。……科学技術研究会に追われていることは彰さんだけの問題じゃありません。私たち二人の問題です」
諭すように言う恵梨。
彰は少し考えてから口を開いた。
「ああ、確かに科学技術研究会に追われているのは俺たち二人だ。けど、サーシャに騙されたのは俺一人。それは論点のすり替えじゃないか?」
「そうですね、論点が違います。というか論点が多すぎるんです。……ですから、順を追って言いましょう。まず、私は研究会のことは二人の問題だから、彰さんばかりがそう思い詰めなくていいと思っています」
「だけど……おまえは普通の女の子なんだから、俺がなるべく助けるのは当然のことで」
「彰さんだって普通の男の子じゃないんですか?」
「…………」
恵梨の言葉に彰が目を見開く。どうやらそんなこと考えたこともなかったようだ。
「彰さんの責任感の強さの欠点はそれです。責任感の強さは、ときに傲慢につながります。
彰さんの今の言い方、私が頼りないから自分だけで背負おうという考え方。……それは逆に考えると、私を見下しているってことです」
「そんなつもりは」
「無くても、そう取られるって事です。……少なくとも、自分が『特別』だとは思っているはずです。でないと私に対して、『普通』なんて言葉がでるはずが無いですから」
「…………」
恵梨のどこにこんな迫力があったんだ…………って、考えること自体、俺が恵梨を下に見てるって事か。
「確かに、俺は恵梨を見下してたのかもしれない。……すまなかった」
真摯に頭を下げる彰。
「………まあ、彰さんから見れば、私なんて見下されてもしょうがないのかもしれないですけど、私だってやるときはやるんですよ。……だから、対等に見てください」
「そうだな」
よくよく考えてみれば、暗黒面なんて一面を持つ恵梨が普通の少女な訳がない。彰はそのことに思い当たり、心から深く同意した。
「……何か、不当な評価を受けているような。……まあ、次の話に行きましょう」
「お、おう」
何でこう鋭いんだろうか?
「次は、彰さんが文化祭、夏祭りと続いて嘘をついたことです」
「えっと……その話は……」
夏祭りの日に異能力者隠蔽機関にバラされた話。あのとき恵梨は後から言いたいことがあるとしてたが、結局今日まで何も言われていないから忘れたんじゃないかと思ってたのだが。
「まさか、彰さん。私が忘れていたんじゃないかと思ってたりしてませんよね?」
「そ、そんなことはありません」
何だ? 俺の心は読まれているのか?
「これも彰さんの傲慢さの一面です。……私を厄介ごとに巻き込ませたくないという気持ちはありがたかったですが、私に一言話すくらいしても良かったんじゃないですか?」
「で、でも、俺がこう面倒なことに巻き込まれているって知ったら心の底から楽しめないだろ」
「で・す・か・ら、何で私が彰さんを犠牲にしてまで楽しまないといけないんですか? その考え方、自己犠牲がすでに傲慢なんです。今後改めるように」
「……はい」
かつて、ここまで恵梨に言い負かされることがあっただろうか? いや、ない。
「最後に、彰さんがサーシャに騙された話ですが……彰さんはサーシャに騙されたことを悔いているようですが、私は騙されて当然だと思います」
「な……!」
話題が移るや否や、言われた言葉に彰が絶句する。
「だって彰さんはサーシャの本性を見破る手段がありませんでしたから、サーシャを本当に困っている人だと思ってしまったのは当然だったんです」
「でも、見ず知らずのサーシャの言葉を間に受けて助けたのは俺の落ち度で……」
「では、見ず知らずの私の言葉を信じて助けてくれたことは彰さんの落ち度なんですか?」
「それは……」
「初対面の人だろうとお構いなしに助ける。……彰さんがそんな人じゃなければ、そもそもこの問題は発生しなかったんです。彰さんが助けなければ、私は研究会の手に掛かって死んでたはずですから」
恵梨の論理はよく分かる。彰の頭の中にもスッと入ってくる。……入ってくるのだが、どうにも感情面で納得できない。
「納得できない、って顔をしていますね」
そんな様子を察知したのか、恵梨が続けた。
「だったら良いです。彰さんはサーシャに騙されて私に迷惑をかけた。……だとして、私が彰さんを責めると思っているんですか?」
「…………」
「もしそれが本当なら、彰さんは私を見下しすぎです。私が彰さんを感謝こそすれ、恨むなんて感情今後一切持つわけがありません。
大体、彰さんが言ったんですよ。『俺たちは家族だ。だから迷惑をかけて当然だろう』って」
「確かに言ったな」
「ですから彰さんは今回、自分の性格を利用されてサーシャに一歩上手を行かれた。……それぐらいに思ってればいいんです。
間違っても、もう知らない人を助けたりしないって思わないでください。
私を助けた彰さんのままで居てください」
「ありがとな、恵梨」
彰は胸中の暗雲が晴れたような気持ちだった。
サーシャに騙されたことは勿論、もう一つ他に彰は気にしていたことがあったのだ。
それはサーシャに『交換』を発動される前の言葉。善意を持って嘘をつく自分と、悪意を持って嘘をつくサーシャが対極故に似ている、何かのきっかけがあれば悪意を持って騙すような人になるだろうという内容。
誰にも話していないが、彰は一人気にかけていたのだ。
あの最低な奴だと思っているサーシャのように、自分がいつかなってしまうんじゃないかと。
だが、今の恵梨の言葉で彰は一つの考えを固めた。
嘘を持って人を救う、という自分の姿勢。サーシャの言葉通り、いつか反転してしまいかねないこの姿勢。
これを……捨てない。
けど、絶対に変えない。
悪意を持って嘘をつくことなど絶対にしない。
このときを以てそう自分に誓う。
できるはずだ……。いや、やるしかない。だって恵梨が言ってくれたんだ。俺に変わらないでくれって。
それは知らない人でも助けることについての言葉だろうけど……この嘘をつく姿勢に対しても適用できるだろうから。
そうだ、だから俺は………………。
「彰さんが素直に礼を言うなんて珍しいですね……」
「悪いかよ」
「いえいえ、そんなことありませんよ」
言いながらもニマニマした表情の恵梨。……絶対おかしいとか思っているな。
「というわけですから、これからは私を対等な人だと見てくださいね。一方的に守るだとか、私に嘘をついたりとかしたら怒りますからね」
この場合の怒るって、暗黒面が出てくるんだろうなあ……。
「分かりましたか、彰さん」
「ああ、分かってるって」
彰は鼻の頭をかきながら返事した。
「さて、じゃあ現実逃避は終わりとしような」
一区切りついたと見て彰が話を変えると、恵梨がビクンと震えた。
「えっと……彰さん」
「俺には分かってるぞ。……恵梨、まだ夏休みの宿題終わってないだろ」
「どうしてそれを……?」
シリアスな話が続いたが、今日は八月三十一日である。普通の学生ならそんな長話をしている余裕も無い日。そして恵梨は普通の学生だ。
「今朝どれくらい宿題残っているか愚痴ってただろ。それと恵梨の頭の良さ、集中力などを考慮すれば、今日一日死ぬ気でやって、やっと終わる分量なのくらいはすぐに計算できる」
「…………」
「それに恵梨は面倒くさがりだからな。今日まで研究会の話をしてこなかったのは面倒だったからだろう? どう話を切り出したらいいのか分からない。だからまた今度にしよう……って、ずっと延ばし続けた」
「……当たり、です」
「そして今日研究会の話をしたのは、俺が迂闊に独り言を漏らしたのもあるが、さらに面倒な宿題に追われて現実逃避をしたかったからだろう? 大体、まじめに宿題に取り組んでたら自分の部屋から出る暇もないはずだからな」
そう、だから彰は恵梨がリビングに来るはずがないと思っていたのだ。
「……エスパーなんですか、彰さんは」
全部図星だった恵梨は観念した。
「おまえほどじゃねえよ。……というわけだから、さっさと部屋に戻れ」
「うう……因数分解だとか、絶対値だとか社会に出てから使うはずがないんですよ」
「それと目の前の宿題には何の関係もない。つべこべ言わずにやれ」
「彰さんが厳しい。……これはDVです」
「DV言うな。……というか、おまえが対等な関係を望んだんだろう? これからは遠慮なく言いたいことは言わせてもらうからな」
「おかしい……私が望んだのはこんな関係じゃなかったはずなのに」
そうやって夏休み最終日は過ぎていった。




