百十七話「旅行一日目→二日目 感情」
科学技術研究会が日本の正式な機関である。
「………………」
風野藤一郎の言葉に、部屋にいた能力者たちは押し黙った。
どこか無意識に、いや疑う余地もなく科学技術研究会は悪である。そう思っていたのに、それがひっくり返されたような気持ち。
「つ、つまり科学技術研究会は、こうマンガとかであるような政府による特務機関とかそんな感じだということですか」
さすがの雷沢もこの事実に動揺しているのか声がうわずっている。
「信じられないだろうがその通りだ。私の推測だけでなく、既に裏付け調査も終えている。
研究会は政府の、それもかなり上の立場の者でないとその存在すら知らない組織だ。……私も『科学技術研究会』という名前を知ってなければ絶対にたどり着けなかった情報だ」
風野藤一郎は肯定する。
「……私の住んでいる日本は、一般人に隠れて兵器の研究なんてそんな馬鹿な事をしていたのね」
「日本は平和主義だなんて謳っているが、結局自衛隊という準軍組織が存在する。そうやって戦力を持っている以上兵器の研究を疎かにするわけにはいかないだろう。……もし戦いが起きたとき一世代前の武器では、最新の武器に蹂躙されて終わりだからな」
そのためにも科学技術研究会は作られたのではないかと思っているが……まあこれは私個人の意見だ、と付け足す風野藤一郎。彩香、娘に対して手厳しい言葉である。
「それで、科学技術研究会が日本の正式な機関だから、恵梨の両親も殺すのも許可された……ってそういうことでなのか?」
信じられないほど落ちきった国だな、日本は。
と、唾棄するように言った彰にあわてて風野藤一郎は否定する。
「政府直属の組織とはいえ、さすがにそこまでの特権があるとは思えない。……たぶん、水谷さんの両親が殺されたのは科学技術研究会の暴走だろう。……けど、人を簡単に殺すほどに思慮の無い組織だとは思えないし、この件についてももう少し調査が必要だな……」
後半については半ば独り言になる風野藤一郎。
「というわけで私が科学技術研究会について調べたことは以上だ。……とはいえまだまだ分からない事の方が多い状況だから、調査もこれから続けていくつもりだ」
最後に風野藤一郎は更なる情報を得てくることを約束してその場は解散したのであった。
翌日の朝。
昨日と同じメンバーが、風野藤一郎を除いてまたもや海に来ていた。明日の朝には帰る予定なので、もう今日しか海で遊ぶ余裕が無いので遊び倒そう、という意気込みである。
ちなみに、昨夜の内に「仕事があるから、あとは君たちだけで楽しんでくれ」という言葉を残し風野藤一郎は会社に戻っている。雷沢と光崎は今日も二人でその辺をぶらぶらするそうだ。
というわけで、先行した男性陣が協力してパラソルを立て(今日は彰は火野と仁志の首根っこをつかんで手伝わせていた)、遅れてやってきた女性陣も混ざって遊び始める。
「そっち行ったでー」
「ふん、任せなさい!」
「甘いな! そこは俺の守備範囲だ!」
「守備範囲なのはいいが、レシーブはきちんと上げろ、仁志!」
今はじゃんけんで決めた火野・彩香チーム対彰・仁志チームでビーチバレーを行っていた。
身体能力的には男二人の彰・仁志チームが上回っていたが、コンビネーションが最悪だったためほとんど互角であった。
「結構ラリーが続くわね」
「どちらもアタックに繋げられるほどの技術力がありませんから、相手のミスを待っているっていう感じですね」
それをパラソルの下で観戦している由菜と恵梨。さっきまで二人一緒のチームで火野・彩香チームと戦っていたが、惜しくも負けてしまっていた。
「それであの作戦の決行はこの後なの?」
同じくパラソルの下で休んでいた美佳の発言。
「そうですね。……この試合が終わったら決行にしましょうか」
恵梨が同意する。
二人の言っている作戦とは、昨日の昼に風野藤一郎によって提案された『由菜と彰の距離を縮めよう』という目的の物である。
「まあ思っていたより私の精神にも優しそうだから、作戦を行うのには反対じゃないんだけど…………」
作戦の中身は二人乗り用のビニールボートに一緒に乗るというものである。海の上で二人きりの空間ともなれば、普段と違ったロマンチックな雰囲気ができるんじゃないかと期待してのことである。
(まあ、それだけが狙いじゃないんですけど)
由菜本人は知らない、作戦の第二段階があることを知っている恵梨は内心に黒い笑みを浮かべながら、表面はいつもどおりの表情で由菜に聞き返していた。
「それにしては歯切れが悪いですね。由菜さん、何か気になることがあるんですか?」
「その……彰が何か元気なさそうだから気になって」
「「…………?」」
ビーチバレーの方を見る恵梨と美佳。
「今のは彰が行くべきだっただろ!」
「おまえの方がどう見ても近かったぞ!」
「いや、彰の方が近かったわ!」
「はっ! 目がよく見えてないようだし、おまえもそろそろ老眼鏡でも買ったらどうだ」
「ああ言えば、こう言いやがって……!」
そこにはいつも通り言い争っている彰と仁志の姿が。
「……うーん、私にはいつもと同じように見えるけど」
「そうですね、あれのどこが元気がないんでしょうか?」
二人が言い争っている間に、彩香がサーブを打ち楽々得点すると、彰と仁志は今度はこの失点の責任をなすり付けあい始めた。……うん、いつも通りの光景である。
「いや、彰のあれは空元気だと思う」
しかし、由菜にはいつもと同じように見えないようだ。
「空元気ですか……」
三人の中で一番彰とのつきあいが長いのは幼なじみの由菜だ。恵梨と美佳の目からはいつもと全く違うように見えても、彰のことについては一番詳しい由菜ならちょっとした違和感にも気づけてもおかしくない。
「由菜が言うなら本当なのかもしれないけど……それにしても空元気って事は何か落ち込むようなことがあったってことでしょ。そんな出来事あったっけ?」
「私もそれが思い当たらないのよ。……昨日の夜まではいつもと同じだったんだけど」
「もしかして……」
由菜のつぶやきに恵梨はピンとくる物があった。
昨日の夜にあったことといえば、風野藤一郎さんの科学技術研究会についての話です。たぶん彰さんが落ち込んでいる理由は話の内容の中にあるのかもしれません。
落ち込んだまま作戦に入っても面白くないですし、彰さんと話した方がいいですね……。
「あの、由菜さん。ちょっと頼みがあるんですが――」
それから三十分ほど後。
「しかし、泳ぐのと違ってボートっていうのもまた新鮮だな」
「そうですね」
彰とそして恵梨は、風野藤一郎が用意した二人乗り用のビニールボートに乗り海に出ていた。
ちなみにだがビーチバレーは結局チームワークの穴を突かれた彰・仁志チームが敗北している。
本来の作戦と違って、恵梨が乗っている理由は『彰さんが落ち込んでいる理由に心当たりがありますので、少し元気づけてきます』というもの。そのために二人きりにさせてほしいということで先に彰と乗っている。
「さっきまでいた砂浜がもうあんなに遠くか。これ以上沖に出るのは危険かもしれないな」
辺り一面が青色で、砂浜の喧噪もここでは聞こえなくなり、二人きりのおだやかな空間となっている。
何か非常に落ち着くなあ。
彰が和んでいると恵梨が口を開いた。
「その、彰さん。砂浜に戻り始める前にちょっと話をしてもいいですか?」
「そんなのしていいに決まっているだろ。……それとも前置きが必要な話って事か?」
「はい。ちょっと重要なお話でして」
重要なお話ねえ。
恵梨がここに来るまで妙に元気が無かったのはこれのためなのだろうか?
「分かった。俺は何でも聞いてやるぞ」
彰は話をきちんと聞くために、持っていたオールを置いた。
「さっき由菜さんから聞いたんですけど、彰さん何か落ち込むようなことがありましたか?」
言葉を飾らず、正面から切り込む恵梨。
「何が? 俺は落ち込んだりなんかしてないぞ。いつも通りの元気な彰さんだが」
「………………」
おちゃらけた成分を含めた彰の否定に、逆に恵梨は彰が落ち込んでいることを直感した。
「やっぱりいつもと違います。……その、昨日の科学技術研究会の話で何か気になることがありましたか?」
「そんなこと――」
「………………」
「無い…………いや、駄目か」
誤魔化しきれないみたいだな。
恵梨のこちらを見るまなざしに、話してくれるまで引き下がりませんという意志が見て取れる。
というか由菜にもバレていたみたいだし……俺もまだまだだな。
彰は諦めて白状することにした。
「おまえらに心配されないように振る舞ってたつもりなんだけどな。確かに昨日の話を聞いて悩んでいることがある」
「……差し支えがないのでしたら、話してもらえますか」
二人の間を海風が流れていく。一息置いて彰は話始めた。
「その昨日の話で科学技術研究会が日本の正式な機関だ、っていう事が分かっただろ。それを聞くまで俺は研究会のことを悪の組織だっていう自分の思いこみを疑ったことが無かったんだ。
……いや、恵梨の両親を殺したんだ。研究会の行為はどうやったって許されるはずがない。だけど……日本の正式な機関なんだし、奴らにも何か正義があったのかもしれないと思うと一概に悪く思うことができなくてな……」
何のために恵梨の両親を殺したのか? 科学技術研究会能力研究部門室長の鹿野田は『実験のため』だと答えた。しかしその実験は何のために行われていたのだろうか? 日本がバックについている組織だ。もしかしたら世の中を良くする為なのかもしれない、と思い始めると彰はもう研究会に対してどんな感情を持てばいいのか分からなくなっていた。
「そんな感じに悩んでいたのを悟られないように振る舞ってたつもりだけど、隠しきれなかったってわけだ」
「……まあ、彰さんが気落ちしている理由は分かりました」
けど、と恵梨は続ける。
「悩むことなんて何もありませんよ」
悩みを一刀両断する恵梨の妙に強い言葉に、彰は生返事をする。
「えっ、あ……うん、どういうこと?」
「彰さんも分かっていたじゃないですか。科学技術研究会は私の両親を殺した……それ以上でもそれ以下でもありませんから」
ゾクッ!!
「……っ!?」
彰の全身に鳥肌が立つ。
(い、今のは何だ?)
いや、何が起こったのかは分かっている。今の恵梨の一言に乗せられた負の感情に思わず鳥肌が立ってしまったのだ。
およそ人が言葉に込められる憎悪の限界を軽く超えるほどの感情が今の一言には乗っていた。
「ですから科学技術研究会にどのような正義があろうと、私は親の仇ということで復讐するだけです」
恵梨の顔は相変わらず正面にある。能面のような無表情。いつも黒恵梨だとか言っているときの、さらに数倍の感情を込めた無表情という矛盾したような状況だった。
こんな表情になるほどに恵梨は科学技術研究会を憎んでいたのか。
そしてそれをまた、親を亡くした悲しみと同じように隠して日常生活を送っていたというわけだな。
「………………」
寝ている恵梨が「お母さん」と漏らしたときのことを思い出していると、自然と彰は口を開いていた。
「なあ、恵梨。何でおまえはそうやって感情を隠して日常生活を送ることができるんだ?」
「……どういう意味ですか?」
無表情を解除し、いつもどおりに戻って恵梨が答える。……自分が対象ではないといえ、さっきのままでは話しづらかったのでありがたかった。
「そのままの意味だ。……そういう憎しみだとか悲しみを一人で抱えて、隠して、日常生活を楽しんでいるフリをして……つらくないのか?」
恵梨は手元に視線を落とす。
「つらい、ですか。……そんなこと考えたこともありませんでしたね。感情を隠すことなんて私は自然と行えますので。……逆にですけど全ての感情をさらけ出して生きている人なんてそうそう居ませんよ」
そういって微笑を浮かべる恵梨が、彰にはどうしても無理をしているようにしか見えない。
「普通はそうなんだろうけど、恵梨の場合は一人で抱えるには重すぎるだろ。親を殺された悲しみとか、親の仇に対する憎しみだとか、普通はそういう感情を持つことなんて稀なことだから」
「…………それなら」
彰の言葉に、恵梨の中で今まで張りつめていたものが弾けた。
「彰さんは、私が親を殺された悲しみで泣き叫んだほうがよかったって言うんですか?
言っときますけど私、泣き始めたら止まらない体質ですよ。いちいち親のこと引きずって面倒くさいなこいつだとか思いますよ。それでも……それでもよかったっていうんですか!?」
最後にはつい感情が乗って叫んでしまった恵梨に、
「そっちの方が良かった。我慢なんてして欲しくなかった」
「……」
彰の断言に言葉をなくす恵梨。
「絶対に面倒だとか俺は思わない。大体悪く思うやつがいたら、そいつは男の風上にも置けない奴だ。……あとは、そういう感情は察しろって言われるのかもしれないけど、俺は鈍感だから素直に表現してくれると助かる。
俺たちは家族であろうと誓った仲なんだ。相談ぐらいいつでも受け付けるし、悩んでいたら励ますことぐらいできるぞ」
彰の優しさが身に沁みて、少し涙汲んだのを恥ずかしく思い恵梨はうつむく。
「そんな約束をしたからって……本当は赤の他人なんですよ。だから彰さんに余計な負担をかけないようにって我慢していたのに。何でそこまでできるんですか。彰さんは……優しすぎます」
「それは」何故か一瞬言い淀む彰。「……それは今は関係ないか。だから、これからはなるべく何でも話してくれ。できるだけ俺も力になれるように努力するから」
「……分かり、ました」
顔を上げてにっこり微笑んだ恵梨は何かに気づいたように言う。
「ていうことはですよ。彰さん何でも力になってくれるんですよね」
「そうだが……」
「それなら夏休みの宿題も」
「それとこれとは話が別だ」
「えー、何でですか」
頬を膨らませる恵梨。
「だから宿題っていうのは、自分の為にするものであって……」
彰がいつも通り真面目なことを言い出す。そうやっていつも通りの会話に戻っていくのだった。
そうして砂浜に戻るためにオールでボートを漕ぎ始めた二人。その途中、ふと恵梨が言った。
「ところで、一つだけ訂正しておきたいところがあるんですが」
「訂正?」
「はい。さっき彰さん、私が感情を隠して日常生活を楽しんでいるフリをしているって言いましたよね」
「……言ったかもな」
ほとんどその場のノリで台詞は考えたから、細かくは覚えていない。
「私は感情を隠すのは得意ですが、感情を偽るのは苦手なんです」
「…………」
「ですから、この生活を楽しんでいたのは本当なんです。そして、こうやって楽しめるのも全て彰さんが助けてくれたからです。
だから、ありがとうございます」
「……何だよ改まって言うほどのことでも無いじゃないか」
「どんな感情でも打ち明けろって言ったのは彰さんですよ。それにそういう余裕有りげな台詞は顔を赤くしながら言うものじゃありませんよ」
「う、うるせえな」
改めて礼を言われてこっ恥ずかしくなっていた彰。恵梨の指摘は図星でそっぽを向くのだった。




