百六話「とある日常の一幕」
第五章「夏祭り、後の祭り」本格的に開幕!
「百位以下だと俺は予想するな」
「百位以下って範囲広くないか?」
「つうかあいつが百位以上なわけがないだろ」
「じゃあ下から十位以内だ」
「いきなり絞ってきたな」
梅雨明けを契機に、気温も上昇し、ますます夏へと向かっていくことが容易に予想できる今日このごろ。
一年二組の男子生徒、東郷仁志はトイレを終えて喧騒絶えぬ昼休みの教室に入ったところだった。
「あら、早かったのね」
それを目敏く見つけた同じく一年二組所属の西条美佳が声をかける。
「何してんだ?」
しかし、それよりも仁志が気になったのは美佳の手前、机に広げられていた教科書だった。
それを囲んでいるのは三人いる。学食を食べに行っているクラスメイトの机を二つ合わせてその分スペースを確保していた。
「何してんだ? ……って、勉強に決まってるでしょ」
その内の一人、今は何故かこの場にいないあいつの幼なじみである八畑由菜は当たり前のことを聞くなという調子で答えた。
「そんなこと、おれも分かってるっつーの。何故今やっているんだって聞いているんだよ」
非常にバカにした声音に少しカチンときたが、それを表にだすおれではない。おれは我慢強いからな。
「さっきの授業で疑問に思ったことをみんなで検討してたんですよ、仁志さん。疑問に思ったらすぐに解決するのが望ましいってよく言うじゃないですか」
横から口を挟んだのは机を囲んでいた最後の一人、水谷恵梨だった。四月に転校してきて以来、自然とこのコミュニティにとけ込んでいる彼女だが、この頃ようやく仁志も距離間を掴めるようになってきた。
「みんなで勉強ってわけか。……それで、何の問題なんだ?」
「さっきの数学で一次方程式の――」
「ところで彰はどうしたんだ?」
「……仁志さん、人の話は最後まで聞いてください」
恵梨から注意される。
……彰が気になっただけで、決しておれが一次方程式が解けないから話題を変えたわけではない。
「どうせ分からないなら最初から聞かなければいいのに」
美佳がつぶやくが無視だ、無視。
「彰なら、ほら、あそこにいるよ」
仁志の疑問に答えたのは由菜だった。
指さす方向を見ると……確かに彰がクラスの男子と何か盛り上がっている。
「範囲で指定するんじゃ簡単だから無しにして、ピッタリで当てた奴の勝ちにしよう」
「ピッタリか……。厳しいな」
「百位以上は無いにしても、それでも二十人はいるからなあ」
うるさい教室の中でも、そちらの方に意識を向ければ会話の断片は聞き取れる。
聞き取れたのだが、
「……何の話してんだ、あいつら?」
断片からは、何かの順位を当てようとしていることしか分からない。
順位を当てるといえば例えば競馬とかだが、中学生までの彰ならまだしも、普通の高校生の話題ではないだろう。
さっきから仁志が気にしている生徒、高野彰とは中学時代からの付き合いだった。それゆえに今は優等生の彰が昔は不良だったのも知っている。
(というか、その更正に骨を折った一人だからな)
「彰がしている話が気になるわけ?」
ひとりごとが聞こえたのか、美佳が聞いてくる。
「いや、そこまで気になるってわけじゃないが。……何かの順位を当てようとみんなで話してるってところじゃないのか?」
仁志は言って意識を彰たちの方に向ける。
「断言しよう。……112番だ」
「すげえ、言い切ったぞ」
「何か根拠でもあるのか、彰」
「俺は前回のあいつの順位を知っているからな。低層なんて勉強しないからそんなに変動しないだろ」
聞こえてきた断片により、仁志は今度こそ彰たちが何を当てようとしているのか分かった。
「あいつら誰かの試験の順位を当てようとしているのか?」
「その通り」
美佳が正解を告げる。
「しかしそいつ頭悪すぎじゃないか? 一年生の数なんて120ぐらいしかいないだろ」
「そうね」
「それなのに112番ってよっぽどの馬鹿だな」
「ふむふむ」
「……あのう」
そのとき、恵梨が会話に割って入ってきた。
「どうした、水谷?」
「それ以上馬鹿にしない方がいいですよ」
「? どうしてだ?」
「……それはですね。……ええと」
恵梨は何か言いあぐねていた。
その理由は言葉が出ないからではなく、言っていいのか分からないからであった。
「まあ、確かに人の悪口を言って悪かったな」
その間に、仁志は恵梨が人を馬鹿にする行為を咎めているのだと解釈して先に謝る。
しかし、恵梨は首を振った。
「そうじゃなくてですね。……えっと、言っていいのかな……?」
何やらまだ迷っていたが、恵梨は「よし」と言って覚悟を決めた。
「言いそびれていたんですけど……彰さんたちが話しているのって仁志さんの順位なん」
「ようし、おまえら表に出ろや!!」
言葉の途中で仁志が彰たち男子生徒の群れの方に食ってかかった。
「……どうした仁志?」
「人をさんざん馬鹿にしておいてよくもまあそんなセリフが吐けるな、彰?」
「聞こえていたのか。……けど、事実だからしょうがないだろ」
「事実でも言っていいことと悪いことがあるぞ?」
「……気づいてないようだが、今、自分が馬鹿だって認めたからな」
「ごちゃごちゃうるさいんだよ!!」
「っ! ……今、叩いたな? そっちがその気ならこっちも手を出すぞ?」
「望むところだ!!」
そのまま彰と仁志は流れ込むようにケンカを始めた。
「……ど、どうしましょうか?」
間接的に言えばその争いの火蓋を切ったことになる恵梨が遠くから眺めておろおろとする。
「いいのよ、ほっときなさい」
「お互い加減は分かっているでしょう」
対照的に由菜と美佳の反応はドライだった。
クラス内のほとんどの生徒も同じような反応で、最初こそ仁志の出した大声に皆がそちらを向いたが、「なんだいつものことか」と興味を失っている。それぐらい日常的な光景だった。
そんな他の生徒たちの反応を見てか、
「……どうせ私が言わなくてもすぐにケンカになったでしょうし……うん、私は悪くないですね」
捉えようによっては無責任なかなりひどい言葉だったが、実際恵梨は優しげに見えて辛辣な面も持っている。(特に彰が暗黒面と呼ぶ状態では顕著に見られる)
だから意識を切り替えて、
「そういえばですけど、ここをこうすれば解けるんじゃないんですか?」
「えっと……」
「たしかにそうだわ」
「ここを計算ミスしていたからおかしくなっていたんじゃないんですか?」
「あっ……!」
「うっかりミスね」
由菜と美佳と一緒に、恵梨は教科書と向かいあうのであった。
斉明高校では、このとおり昼休みでも気になるほどに期末試験が近づいていた。
生徒たちは試験に自信が無いために「もうちょっと待ってくれ」と思う気持ちと、「これが終われば夏休みだ!」という相反する気持ちを抱えながら学校生活を送っていた。




