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燕二人  作者: K+
六暦620
9/45

08 贈り物

 大陸時間の一月三日、琴巳(ことみ)は寒さで目を覚ました。

 カーテンの隙間から陽光が差し込んでいる。メイフェス島で沈んだ太陽が、こちらに昇ってきたわけだ。

 琇那(しゅうな)さん、お仕事が終わる頃ね。

 琴巳は時計に目をやって思った。メイフェス島は大陸より先行しているので、夫と息子は早々と、一月三日を終えようとしている。

 わたしはこれから三日が始まるなんて、取り残されてる感じ。

 ぷるっと身体が震え、琴巳は己が身を抱き込んだ。吐く息が薄く煙る。小さな家の中は冷えきっていた。

 大陸とメイフェス島は対称の位置にはない。同緯度の辺りに在る為、季節は同じく移ろう。島が冬なら大陸も同様だ。

 リィリ共和国の北部は毎年降雪があり、今年も積もっていた。軽く雪かきをすれば済む程度だが、雪だるまを作って浮かれて済ませられる量でもない。

 寒さをこらえてベッドから出ると、琴巳は部屋の中央に置いたストーブに火を点けた。手先が震えて苦労したが、何とか小さな火が灯る。

 ちろちろと揺れる炎で暖をとると、きゅんとした。結婚してから、寒くて目が覚めるなんて初めてだった。冬場はいつも、栩麗琇那の温もりが傍にあるか、彼が点火させた暖炉が部屋を暖めていたから。

 琇那さん、わたしにかける手間の半分でもエンにかけてくれてるかしら。エン、泣いてないといいけど。

 父子間に進歩が無いと、琴巳が家出した意味が無くなってしまう。二人が楽しい年始を過ごしてくれないと、淋しい思いをしている今が虚しい。

 簡単な朝食と入浴の後、琴巳はテーブルに裁縫道具を広げた。

 昨夜、明かりを奮発して遅くまで作業した。小さな息子の服は、仮縫いまで終わっている。この段階で本人に試着してもらうのが良いのだが、上着なので少し大き目に拵えることにして、そのまま本縫いに移る。

 琴巳は以前、この国で針仕事をしていた。それで生計を立てていたもので、手の動きは速い。このペースだと、明日にも仕上げられそうだった。

 残った三日間で蒼杜(そうと)さんにも何か作ろうかな。迷惑かけてるお詫びに。

 一昨日、琴巳は真夜中にいきなり、この国に押しかけて来てしまった。真っ暗な森の中に現れるまで、時差を失念していた。前日、同じ時間帯に蒼杜を呼びに行こうとする栩麗琇那に、反対しておきながら。

 失態に琴巳は血の気が失せたが、今更引き返せなかった。柴希(さいき)は、恐らく敢えて非常識な時間だという点に触れないまま、言葉が出てこなかった琴巳を連れ、医療所の扉を叩いた。

 稀代の医術師は、いつもの如く冷静だった。

 二十四時間前に往診したばかりの患者の訪れとその理由には、それなりに驚いたようではあった。しかしながら、ここしか行き場が無いとの柴希の口添えに、そうですね、と蒼杜はあっさり同意した。琴巳が結婚前まで住んでいた家の鍵と、一週間分の食糧や燃料を、前もって用意していたかのように出してくれたのだ。

 仕事をしていた頃に溜めていた小金を受け取ってもらったが、代価としては、とても足りないと思う。

 一旦手を止め、琴巳はソーイングボックスを開けた。肩幅大はある大きなボックスは、二十歳の誕生日に栩麗琇那がプレゼントしてくれた手作りの代物だ。裁縫の用具は勿論、ボタンや飾り紐の余り、端切れを入れるスペースも十二分に設けられている。

 パッチワークで、ランチョンマットかミニクッションを作ろうかな。

 数種の端切れを見ながら、琴巳は瞳を上向ける。三日あれば、どちらか仕上げられるだろう。

 コンコンッとテンポ良く玄関が叩かれ、琴巳はきゅっと肩を上げた。

 叩き方が違ったが、夫の顔が脳裏によぎる。捜すなと書き置きをしたけれど彼は捜すだろうし、そうなれば、ここに辿り着くのは容易い。

 でも、エンをほったらかしにしてるんなら、わたし、帰らないんだから!

 誰何の前に唇を引き結んだ琴巳に、外から相手が言った。

「琴巳、わたしよ。居るんでしょ?」

「あ――」

 琴巳は急いで立ち上がると、扉を固く閉ざしていた閂を外した。見慣れても美女の親友が立っていた。

 ほんの刹那、がっかりした。

 そんな一瞬の感情でも、恥ずかしさと後ろめたさをいだくには充分だった。下向きがちに、どうぞ、と招く。

 柴希は玄関口に踏み込んで来ただけで立ち止まり、やや口早に言い出した。

「ね、琴巳――琴巳の腕なら皇子(みこ)の服は明日にでも仕上がるよね? 仕上がり次第、帰った方がいいわ。今回は間が悪かったのよ。帝にはキツ過ぎる」

「琇那さん、どうかしてるの?」

「一応、いつも通りに執務をなさってるわ。でも、ごめん、ここに居ることを今朝言ってしまった」

「え――琇那さん、サっちゃんが手伝ってくれたって気づいちゃったの?」

「違う、わたしから話したの」

 柴希は、もどかしそうに言った。「(てい)は、琴巳の置手紙にあったことを守るだけで精一杯よ」

「……じゃ、エンの傍には居てくれてるのね?」

「執務室に皇子を連れて来ていたわ。印章捺しをさせてもらってるの、って皇子は嬉しそうにしてた」

 思わず顔がほころんだ琴巳を、柴希は訴えるような眼差しで見た。「帝は、きちんと皇子の傍に居るわ。わたしね、琴巳が家出する前もそうだったと思う」

「でも、あの時――」

「うん、帝は言い過ぎたと思うけど、状況がまずかったのよ。あのね、泰佐(たいさ)老から言伝を預かってきたわ」

 そう言うと、柴希は泰佐から聞いたという、栩麗琇那の母が亡くなった経緯(いきさつ)を話してくれた。

 聞くうち、琴巳は息をひそめて口許を覆った。

 自分の不注意が、夫の心の傷を突いてしまったかもしれない。

 柴希は話し終えると、問うた。

「帝は、話してくれたこと無かったんでしょう」

 琴巳は、答える声が震えた。

「琇那さん、いつも、ルウの民は風邪なんかひかないって……」

「……きっと、そう信じたいのよ」

 儚い笑みを柴希は浮かべた。「確かに、ルウの民が老境に入る前に風邪なんかひいたら、侮辱の意味合いを込めて〝病弱〟って烙印押される。でも、中には先の皇妃のような方もいらっしゃるわ。ルウは症例に慣れてない分、気づいた時には手遅れだったりすることもある」

 頑健さに自信がある民族だからか、メイフェス島には薬師は居ても医事者は一人も居ない。

「昼の間に迎えに行かれては、って言ったんだけど、帝は、琴巳は捜すなと言ってる、って、律義に置手紙に従う気よ」

 柴希は、切々と言った。「けど、泰佐老にも異常が判るくらい、精彩が無くなってるのよ。ちょっと髪もぼさついてるし、鬚も剃ってないようだし、どことなくぼんやりしてるし。取り敢えず執務はこなしているようだったから、何も言えなかったけど」

 琴巳は簡単に、その姿を思い浮かべられた。随分前だが、そんな姿を見たから。あれは、琴巳が初めて翠界に来た日だ。一年ぶりに再会した彼に、琴巳は今、柴希が口にしたのと同様の感想を持った。

 当時、激務の為に体調を崩したかららしいと蒼杜は言った。今回は、精神的ショックが強過ぎたというところか。

 義母(はは)のことを話してくれれば良かったのにと改めて憤っても詮無いし、筋違いとも思える。四、五歳頃の記憶だ、きっと彼は、無意識に事象を重ねてしまったのだろう。

 今、琴巳を心配しつつも息子の相手をしてくれているなら、もう良かった。家出の目的は達成された。

 何より、わたし自身が限界っ。母上ー、ってエンに来てほしいし、琇那さんにぎゅーって抱きつきたい!

「エンの上着、徹夜してでも明日までに仕上げるわ」

 琴巳が両手を拳にすると、柴希は顔を輝かせた。

「じゃ、大陸時間で明日の昼前、迎えに来るよ?」

 お願いします、と琴巳は頭を下げた。



「まだ七時だぞ?」

 背後から、幼馴染みの声が言った。「もう寝るわけ?」

 寝間着に着替えたエンは、ううん、と応じつつ振り返る。鏡を見る気分でツバメを見て、口をすぼめた。ツバメも同じ夜着を着ていた。自分こそ、である。

「ツバメ、留め具ずれてるよ」

「エンが掛け違えてるんだ。よく見ろ」

 僕はちゃんとできたよぅ、と言いながら我が身を見直したエンは、あれ、と声をあげた。真ん中の留め具を飛ばしてしまって、以降がずれていた。

「今日は、ちゃんとできたと思ったのに」

 エンは小首を傾げて留め直す。ちょっと違うケド〝人のフリ見て我がフリ直せ〟だな、とツバメは言い、出窓に腰かけた。

「今日、そんなに疲れることしたっけ。単調に印捺しをしたぐらいだろ」

「昼にも来てくれてたの? ごめんね、ツバメ」

 エンは椅子に座り、床から浮いた足を元気にぶらぶらさせた。「あのね、印章は父上だけのなんだよ。僕もね、成人の年に僕だけの印を作るんだって」

「知ってる。それより、寝るんでもないのに、なんでもう着替えたんだよ」

 日中一緒に居られた父の話をもっとしたかったのだが、知ってる、と言われてしまってはしょうがない。エンは、ツバメの問に答えた。

「昨夜ね、父上と寝たの。父上達の寝台、とっても大きいんだ。幾らでもごろんごろんできたよ。僕ね、今晩も一緒に寝たいの。おやすみを言いに来てくれたら、お願いするの。ちゃんと着替えてたら、父上、許してくれそうでしょ?」

 ツバメは、どうでもよさそうな顔で、髪をかき上げた。

「ま、エンが一緒だと少しでも寝るからいいかもな」

「……父上のコト、言ってるの?」

「このテンカイで他の奴の話をするわけない」

 ぶっきらぼうにツバメは言った。時々、ツバメは変に父に似ているので、エンは不可思議な気持ちになる。

 ツバメは張出に片足を乗せると、立てた膝に頬杖をついた。

「父さん、昨日――って言うか、寝たのは多分すっかり今日になってからだ。ツバメが気づいたら、ぼけーっとした顔でエンを見てた。不気味だったぞ。エンの髪撫でながら、母さんの名前呟いて、それから、うとうとした感じでちょっとだけ眠ったみたいだったな」

「……何が不気味なのか判んないよ」

 エンが不服を訴えると、ツバメは己が前髪の先をつまんだ。

「この髪は父さんみたいにふわふわじゃない。母さん譲りのチョクモウだ。色も母さんの方に近いし」

「それがどうしたの」

「だから、重ねてるんだよ。エンに母さんの一部を見いだして、それで何とか、気を紛らせてるんだ」

 ツバメは、ピンと毛先を弾いた。「けど、ツバメ達は娘じゃなくて息子だぞ。何か、気持ち悪いじゃないか」

「そうかなぁ……」

 エンは傾けられるだけ首を傾けた。「父上、元気が無くて、いつもと違うトコがちょっぴり怖いけどね。やっぱり今日も、まともな御飯を食べてないし……」

 朝、エンはハイ・エストが作っていた粥を、上手く同じように拵えられた。けれど、作っていい? と訊いた時点で、俺は食欲が無いから自分の分だけ作ってみな、と父は言った。

 父は朝昼晩を、珈琲、(スプ)(スプ)、と流し込む物ばかりで済ませている。

「あんなでよくまぁ、あのでかい図体をイジしてるよなぁ」

 ツバメは感心している様子で言った。「栄養をしっかりセッシュしてくれないと、術力を出せなくなるからな。エンは気をつけろよ」

 ツバメはいろんなことを知っているのに、エンに術力が無いことだけは知らない。何もできないと何度か言っている筈なのだが、聞いていないらしい。

 もう一度言おうかと思ったけれど、できる、ならまだしも、できない、とわざわざ言うのは嫌だった。エンは、別のことを口にした。

「母上、いつ帰ってくるのかな」

「エンの上着が完成したらじゃないかな」

「父上への贈り物って何だろうね」

「なんだ、気づいてなかったのか」

 ツバメは呆れ顔になった。「母さんは、エンと父さんがミズイラズの状況を作ったんだ。父さんはいつも、母さんとミズイラズだろ」

「ミズイラズって?」

「この場合は、仲良く二人っきりって感じのコトさ」

「……それが贈り物なの?」

「そうさ。こじれた末に、そういう手段に出たんだな、母さんは」

 エンは、よく解らなくて、ややの間沈黙した。ぽつぽつ思ったことを言う。

「母上、素敵な贈り物って言ってたけど、僕にだったのかな。だって、父上は、母上が居なくなっちゃってるから、贈り物を貰ったって言うより、取り上げられたみたいだもん。僕は、昨日と今日と、贈り物貰ったみたいな気分だよ」

「別に、エンが満足したなら、それでも母さんはいいんじゃないか」

「じゃ、僕ばっかりで、父上は何も貰えないままにならない?」

「父さんには、母さんが贈り物みたいなモンさ」

 ツバメは軽く肩をすくめた。「まったく、母さんの一方的勝利だよ。喧嘩にもなってない。子供としては、シンコクにならないに越したことはないけどさ」

「え……解んないよ、ツバメ」

 いいよ解らなくて、とツバメはあしらうように言う。エンが口を尖らせると、ツバメはささやかに鼻を鳴らした。

「ま、父さんとシジュウ一緒に居れるのも僅かな間だ。母さんが帰ってきたら、父さんはエンなんて見向きもしないだろうから」

「いつものようになるだけで、全然お話ししてくれなくなるわけじゃないもん」

 エンはそう言ったが、ちょっと、胸がもやもやした。

 大陸のリィリ共和国に母が居ることは、昼間に柴希から聞いた。同時に、とっても信頼できる人が傍に居ることも判った。

 ハイ・エストとお喋りして、あの優しい目を細め、綺麗な声で笑っていたりするんだろう。思い描いた時は母に会いたくなったけれど、考えてみれば、母は戻ってきたら、これまでのようにエンの傍に居てくれる。これは疑う余地が無い。

 反対に父は、今度いつ傍に居させてくれるか判らない。

 母上、あと一日ぐらい、ハイ・エストとお話ししながら、のんびり上着を作ってくれないかなぁ。

 両親どちらも大好きなエンは、そんな風に思わずにいられなかった。

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