其の後
優しい風が、少年の焦げ茶色の髪をなぜた。
風に乗ってふわりと踊った花びらを、微かに細めた黒銀の目が追う。
彼が歩を進める様は落ち着いており、十代半ばの年齢をいささか曖昧にさせていた。
メイフェス・コートでは冬が近づいていたが、ここは季節が無い。常春だ。
青々とした草地を抜け、松葉色の森に入る。
少し行くと、泉に出た。
清い水がこんこんと溢れ、小川へ注いでいる。
きらきらと水面に反射する日の光が、豊富な水量とその透明度を知らせてくる。
少年は畔に佇んで辺りを見回した。近くには誰も居ない。
柔らかく、下草を踏む足音がした。かさりと茂みを分け、笊を抱えた十歳ほどの子供が姿を見せる。
少年にすぐ気づき、子供は目を見張った。
「ツバメか?」
「――エン」
ちょっと間を置いた後に呼びかけ、少年は笑む。
笊には瑞々しい花が盛られていた。子供が地面に置く間に、弾むようにして同じ茂みから髪の長い女の子が出てくる。あ、と澄んだ声を紡いだ。
「エンの兄様――一昨年に会ったのだった? お久しぶりです」
そうなのかな、と少年は子供達の目線に合わせて腰を屈める。
「外界では八年以上、経ってしまったけれど」
「すっかり〝兄〟が板に着いたな」
相変わらず大人びた物言いと所作で、子供は口の端を上げる。「それにしても、来るまで随分かかったなぁ」
「計算は、ハイ・エストに教えてもらって、三年後ぐらいに解けるようになったよ?」
主張してから、少年は昔の己を懐かしむように子供を見た。「君に会うのは、僕の最後の手段だと思って。我慢してた」
子供は真顔になって少年を見返す。
「呑気な風情で来ておいて、何かあったのか」
いやいや、と少年は破顔した。
「僕、今日、成人したんだ。自分への御褒美に、来たんだよ」
子供はむすっとする。
「大人になって早々、子供に要らん心配させるなよ。しょうがないな、まったく」
女の子が鈴を鳴らすような笑声をこぼす。
「記念日に来てもらえるなんて、素直に喜ばなくちゃ。エンも成人したら、こんなに素敵になるんだって判ったのも、わたし嬉しい」
子供はほんの少し頬を染めた。誤魔化すように、強引に話題を変える。
「みんな元気か」
「あぁ」
父親に似た低音で応じ、少年は頬を緩めて話題の変更に乗った。
両親や柴希、ハイ・エストは相変わらず。
ティカ家、サージ家の後継ぎは、相次いで各領の学舎に通い始めている。
リィリの医事者見習いも婚約者と無事結婚し、今では夫妻で開業先を検討中。子供も二人、生まれている。
学舎で同窓だった面々は、様々な進路に。
「頼里は事務役を目指してくれている。羽衣はすっかり頼里に参ってて、料理の上級学舎に通いながら日々差し入れに励んでるよ。星花と寿々玻は揃って大陸勤務を希望してるんだけど、先日、勢いで婚約してた。どっちが選考で落とされても、家族としてついて行くつもりなんだって。尾久と橙奈は薬処に就職が決まったよ」
時折驚きの相槌を打ちつつ、子供は熱心に話を聞いていた。
少年は語り尽くした顔つきで、女の子が出してくれた茶を含む。子供は草地に胡坐をかいて、口を突き出した。
「というか、何やってるんだよ。未来の皇妃候補が、みんな余所に行っちゃってるじゃないか」
「……みんなが、早熟過ぎるんだよ」
少年は困ったように肩をすくめた。「僕、まだ十五だよ」
「そんなこと言ってると、サージ公みたいになるぞ」
「そうなの?」
別段構わないなと言いたげに、少年は小首を傾げる。子供はやれやれと呟き、鼻で息をついた。
流帝の住まいまで、少年と子供は連れ立って歩き出した。
道々、少年はぽつぽつと語った。
「日本の成人は二十歳なんだって。叔父上がそれを聞きつけてね。僕が二十歳になったら退くと言い出してるんだ」
「いいんじゃないか」
子供は冷静に応じる。「父さんが大君で、ツバメが皇帝。ルウの民も当面、安泰だ」
「……五年後に又、来ていいかな」
少年がそろりと言うと、子供は斜に見上げてきた。
「褒美になら、いいんじゃないか」
流帝の居る巨木が見えてきて、少年はそちらへ目を投げながら言った。
「僕はこの八年、君という鏡に問いかけながら大人を目指してきた。これからも鏡を見て、折々に君を思い出すだろう。今度は、君に恥ずかしいと思われない大人でいられるように」
子供は立ち止まり、未来の己を見た。
「なら、誇りに思い続ける。自信を持て」
二人の燕は、笑った。
お付き合いくださった方に感謝します。




