41 二人
告知板に塗江と理江の起こした事件が貼り出された一週間後、関連した小さな件も公表されるに至った。
銘大の父親――若年層寄合所の長、訓胡の解任。
尾久の話していた事々が、明らかになったからだった。
訓胡一家は資産没収の上、今後は六老館の管理人を住み込みでさせられるようだ。名称はそこそこ立派だが、六老監視の下での雑用係だった。
解っているのかいないのか、四人の子供達は難しい顔つきで告知を眺めている。
星花が一足早く貼り紙から目を外した。十露盤などがくるんであるのだろう包みを、胸元で抱え直す。
「行きましょ。課題を片づけなきゃ」
頼里も尾久も頷き、そうだね、とエンも応じる。
ここ数回、図書館の司書達は皇子が行くとぺこぺこする。先日は後からついて来た。自分で調べられます、とエンが言ったら、追ってこなくなった。が、ちらちらちらちら、目を向けてくる。
皇子が学舎で術力を暴発させた話を、何処からか聞きつけているらしい。
紙だらけの場所でやらかされては敵わないわけだ。
『消火が遅れれば大火災。責任問題もあるし、下手したら自分達の命だって危うい。勿論、我らがラル家の皇子を見殺しにもできない』
それだけ言って、しょうがないだろ、と締め括る頃には息が切れそうだった。
エンは、過剰反応だよ、と不貞腐れていた。
『時々むず痒いけど、僕、ちゃんと気をつけてるのに……』
暴発は気をつけていて防げるとは限らないと言いたかったが、意識が切れ切れになっていて駄目だった。
道の先に蔦で覆われた図書館が見えたが、視界がぼやけている。緑の箱が幾つもあるように見えた。
〝外〟には出ていないのに、消耗が激しい。
碧界での時のように結界を試みたが、状況の改善は望めないようだ。
【術力をこれ以上、解除しないように。】
果ての地からの便りにあったのは、これを見越していたからなのだろうか。
この身は、長くないかもしれない……
三の月に入った晩、夕食後に居間へ移ると、父が長椅子に座りながら言った。
「果ての地へ行く件なんだけど」
母が茶器を円卓に並べつつ心配そうにこちらを見て、多少上の空だったエンは父に注意が向く。
エンが肘掛に手を置いて座り直せば、父は軽く顔を傾けた。
「春分はどうかと言ってきた」
「え――急だね……?」
初めは招待に応じるかどうかの返事を、春分までに決めれば良かったのに。
あぁ、と父は頷く。
「塗江の妹は果ての地に迷い込んだことがあったんだけど、その時に薬を盗み出してた。なるべく早く返すべきだし、先方もそうしてほしいみたいだ」
そう、とエンは納得したが、当の父はいささか奇妙そうな話しぶりだった。「軽い小さな瓶だから、ついでに持ってきてほしいらしい」
あぁなるほどと、エンは気がつく。急ぎの割に、それを伝えに来た人が瓶を持って帰らなかったのは変だ。
父はそこが引っかかっているようだが、言を継ぐ。
「すまないが、ラル家の皇子として、一族の不始末を代わりに詫びてきてもらうことになる」
嫌な役回りだったが、エンは首肯した。今は、そんな瑣末なことをぐずぐずと気にするどころではなかった。
例の事件以来、ツバメの調子が優れないようなのだ。
数日おきにしか姿を見せなくなっている。見せても具合が悪そうで、すぐ消えてしまう。
果ての地に一緒に行くと言ってくれていたけれど、やめておいた方がいいんじゃないか……
肘掛の先を掴んだまま物想いに沈んでいると、母が浅めの湯呑をそっと寄せてきて、気づかわしげに言った。
「無理はしなくていいのよ、エン。エンはまだ六歳なんだからね?」
大丈夫、とエンは口の端を上げる。
僕は、大丈夫なんだけど……
誰にも相談できずに、エンは困惑していた。これまでの相談相手があんな状態では、どうすればいいのか。
早々に両親と〝おやすみ〟の挨拶を交わし、エンは私室に入った。
角灯を机に置いたものの、復習も予習もする気になれず、寝台の端に腰を落とす。
「ツバメ……さっきの、聞いてた……?」
小声で虚空に問いかける。
ともし火の小さな動きに合わせ、室内に置かれた物の影が揺れる。
影絵のようで楽しい時もあるのに。
今夜は、無性に淋しい光景だった。
ツバメ……良くなるよね……? ヘキト教官みたいに。
エンが寝台の上で両膝を抱え込んだ時、とさり、と傍らにごく軽い物が落ちた音がした。
見やって、エンは声を呑む。
幼馴染みが、横で仰向けに寝転んでいる。
もはや、鏡を見ているようだとは言い難くなっていた。
色が薄く、布団が僅かに透けてしまっている。
気づかないフリをしてきたが、ツバメは碧界に行った前後から、徐々に徐々に、空気に溶け込み始めていた。
ずっと変わらず傍に居てくれる存在だと、信じていたかったのだけれど。
もう、このまま目を逸らしていては――
「ツバメ――ツバメも一度、ハイ・エストに診てもらわない?」
ばぁか、と言うように口が動いた。エンは唇を噛む。「僕、冗談を言ってるんじゃない」
「ちゃんと、果ての地へ行けよ、エン」
浅く呼吸しながら、ツバメは一方的に言った。「行かなくちゃ、ならない」
「僕は行くけど――っ」
「それで、いい」
黒より銀が目立ってきた瞳で天井を見上げ、幼馴染みは満足そうに笑んだ。「間に合わなくても、まぁ……ツバメは、母さんを守れた、から……」
それだけ言って、小さな姿は消えてしまった。
うろたえて、思わずエンは寝台を探る。
いたずらに、影が躍るだけだった。
淋しくないように――
『君の周りでは、何かをする時、誰か居なくちゃいけないようになっているんだろう』
以前、碧界でシェリフに言われた言葉が浮かぶ。
エンの〝世界〟では、その通りだった。
そんな、二人だった。
陽光差し込む泉には、澄んだ水が絶え間無く涌き出ていた。
水底の細かい白砂が、浮上しては雪のように散らばっていく。薄い空色の小魚が、時折、合間を縫うようにする。
少女は畔で飽きずに眺めていたが、つと琥珀色の双眸を上向けた。
青味がかった黒髪の少年と、金髪の少女が連れ立ってやって来る。少年は、何かを肩に担いでいた。
距離が縮めば、担いでいるのは人らしいと知れる。
やぁ、と少年は碧眼を細めた。
「タハーラ、二、三日、ここで看ていて」
はい、と顎を引き、泉の少女神は横たえられた人を見やる。瞼を閉じた彼は、同い年ほどの子供だった。
それより幾らか年嵩に見える金髪少女は、胸を張った。
「この前の傑作並よ、大事に扱って」
「ゼン、この子が乱暴にするわけないよ」
少年は苦笑を閃かせ、タハーラに片目を閉じて見せた。「いずれ目を覚ますからね。君の助手というか、友達になれるといいんだけど」
「精霊級ですか……? わたしと同じ……弱ってしまってる……?」
タハーラはしゃがみ込み、昏睡しているような子供を窺う。少年は、そんな感じだね、と応じつつ、金髪の少女から小瓶を受け取った。
「後、これ、ケルから」
ありがとうございます、とタハーラは掌に包む。金髪少女が今一度胸を張った。
「その瓶も、素人は一見して判らないだろうけど技術の粋から出来ている」
原材料から挙げ始めたので、少年が止めた。
「まったく、君とイー・ウー公の、モノ作りの尽きない情熱には頭が下がる」
「崇めてくれて構わない」
混じりけの無い金の髪を軽く背に払い、少女は嫣然と微笑する。少年はやり過ごし、相好を崩しているタハーラに言った。
「もうすぐこの地にお客が来るんだ。泉にも寄るから、ケルと一緒におめかしするといい」
当惑気味にタハーラは少年を見返したが、黙ってこくりと頷く。
金髪少女が形の良い小鼻を膨らませ、特別に服を作ろうかと申し出たが、そこまで張り切らなくていいから、と少年がやはり止めた。
タハーラは茶色の髪をふるりと揺らす。
「使い神様も、そのお客様と一緒に来ますか」
わたしは創作の構想を練るから来ない、と金髪少女は即答し、黒髪の少年は白い歯をこぼした。
「わたしとウージが一緒に来る。心配要らないよ」
目の前の少年と知神の使い神の名に、タハーラは蕾が緩むように顔をほころばせた。




