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燕二人  作者: K+
六暦622
40/45

39 塔 Ⅱ

 幽閉の塔近くに瞬間移動の(つい)の輪はある筈だが、栩麗琇那(くりしゅうな)が移動できたのはその上空だった。

 足元に在る筈の地面が無く、焦る気持ちも加わって、バランスを崩しながら下降する。

 輪のある付近に、空間封じ術が施されているようだ。

 はためく長衣の裾を払った時、雨天の灰白色の景色の中、下方の林の一角から、太陽のような強烈な光が放たれた。

 めりめりっと裂ける音がして、枝葉を散らしながら木が一本倒れていく。

 もはや裾などに構っていられず、栩麗琇那は急降下した。

 地表の物がはっきり見えてきた辺りで、求める声が震えて聞こえた。

「エン――っ」

 見れば、糸杉の根元に琴巳(ことみ)が縋っている。無事らしいと判って力が抜けそうだったが、傍に空依がうずくまっていて背筋が冷えた。怪我を負ったか。

「おのれ――おのれぇえっ」

 男が一人、喚きながらふらふらと歩いている。「邪界人ども、思い知らせてや――」

 皆まで言わせる気は無く、栩麗琇那は手に術力を集めると、古語と共に縛を放った。

 視線を巡らせると、息子が折れた木の近くに倒れている。封印が解除された左手から薄く白煙が上がっていて、栩麗琇那は速やかに水の精霊を精製した。幼子の手元に雨を集めさせる。しゅうしゅうと蒸発するような音が起こった。

 妻が哀願した。

「エン、お願い、返事をして」

 どうもこの場に居た者達は、燕が放った光で一時的に目をやられてしまったようだ。

「ここに居る。心配無い」

 栩麗琇那は代わりに応じ、気を失っている息子を抱き上げた。琴巳と空依(そらい)へ歩み寄る。

 妻は地に座り込んでしまっていたが、怪我は無さそうだった。目をしばたたかせつつ、安堵したように見上げてくる。傍らの空依も目立った傷は見当たらない。

 ホッと息をつき、栩麗琇那は無二の事務役に深く頭を下げた。

「空依、何と礼を言っていいか判らない。心からの感謝を――」

「と、とんでもございません」

 空依は平伏した。「非才の極みでございます。みすみす皇妃を攫わせてしまった上、お命まで危うくしてしまいました。申し訳ありませぬっ」

 琴巳が焦ったように首を振った。

「わたしがいけなかったの。巻き込んでしまって、ごめんなさい……」

 うなだれた琴巳に事情を質しかけたが、目の端に、小走りに向かってくる泰佐(たいさ)典元(てんげん)が映った。

 沈痛な面持ちで二老は跪いた。老長(ろうおさ)が言う。

「此度の次第、コートリ・プノスを束ねる者として申し訳もございませぬ」

「このような事態、誰が想像し得たろう」

 栩麗琇那は告げた。「宮に縛した者とあそこに縛した者の取り調べを老にお任せします。後程、報告を」

「は」

 泰佐が目を流す。その視線の先に青白い顔の男が居た。固まったように棒立ちしている。

 典元が、逆を示した。

「そこな子供等は、皇子(みこ)の御学友でしょうか」

 茂みの陰で、二人の少年が、互いに寄り添って小さくしゃくり上げていた。五、六歳に見える。

 琴巳が、多分、と応じた。

「息子は、課題で調べ物があると言って外に出ていたんです」

「史学辺りの課題をしていて、居合わせてしまったんでしょう。(みやこ)まで送ってあげてください」

 栩麗琇那が添えると、では、と二老が男と子供を従える。空依が、小さく手を叩いた。瞬間移動を封じたのは彼だったらしい。

 老達が姿を消すと、栩麗琇那は再び平伏した空依を窺い見た。

「幸い外傷は無いようだが、すぐ医事者に診てもらうように」

 空依は地の一点を見つめて問うた。

(めい)でございましょうか」

「そう。こんな目に遭ったのに、君はまだ俺を助けてくれるつもりのようだから」

 両の手で一つの拳を作ると、空依は額に掲げる。

「畏みまして」

「本当にありがとう」

「勿体無きお言葉」

 深々と一礼し、されば大陸に行って参ります、と空依もその場から消えた。

 栩麗琇那は、妻の斜め上を見た。

「風にも礼を言う」

 琴巳がハッとした様子で訊いた。

「精霊さん、大丈夫? わたしの所為で、怪我しちゃったみたいだった」

「元は四、五核だったのかな……無事だ」

 三核になってしまっているので、明日には大気に還ってしまうだろうが……

〈命拾いした〉

 精霊の声が静かに響いた。栩麗琇那は気配を感じる宙の一点で目を止め、真摯に告げた。

「君が居てくれなかったら、取り返しがつかなかったかもしれない。心から礼を言う」

 琴巳が同調する。

「本当に、ありがとうございます」

〈……定めに従ったまで〉

 精霊は嘯く口ぶりになった。〈早く宮殿に戻ってくれ。さすれば、我は自由になれる〉

「そうしよう」

 雨脚も強まってきている。栩麗琇那が立ち上がりながら手を取ると、琴巳も立とうとした。が、足に力が入らないのか、かくんと膝をついてしまう。

「ご、ごめん、なさい」

 そう言った声が震えていて、琴巳はやや狼狽を見せた。口許にやりかけた手がカタカタしている。

 栩麗琇那は眉をひそめ、後宮への指輪を指先に嵌めつつ腰を落とした。

「無理するな。このまま移動する」

 次の瞬間には寝室前に降り立ち、栩麗琇那は中庭の窓を開ける。中庭を越えた前方、境界の扉の所に皇妃付き女官が佇んでいる。名を呼べば、さっと顔を向けた。

「御無事で――っ!?」

 琴巳はまだ立てないようだ。栩麗琇那は柴希(さいき)に頼んだ。

「境界役に心配無用と。執務室には、すぐに戻ると」

 合点し、柴希はこちらに走りかけた身を速やかに反転させた。境界の扉を押し開き、御一家がお戻りになりました、と告げるのが耳に届く。

 伝令を済ませて長い廊下を駆けてきた柴希に、栩麗琇那は抱いていた息子を向けた。

「居合わせて、左手の封印を解いてしまったようだ。自室の寝台に」

「御意」

 柴希が燕を引き受けてくれ、栩麗琇那は琴巳を抱き上げる。

 寝室へ入るや、妻の瞳から涙がこぼれた。

「ごめん、なさ……」

 胸元で慌てて目元を拭う琴巳を、栩麗琇那は抱き寄せた。

「謝らなくていい」

 むしろ謝りたいのはこちらで。

 皇帝という身分にありながら、未だに碧界の風評を変えきれない己が情けなかった。

「謝るな――無事でいてくれただけで、充分だ」

 嗚咽を洩らし、琴巳は縋りついてきた。



 もうすぐ午後八時というところで、ようやく今日の仕事が片付きそうだった。

 四時過ぎから菊也(きくや)が面会を打ち切ってくれていた為、栩麗琇那に課せられたのはほぼ事務作業だった。書類に目を通し、押印。その繰り返しだ。

 さっさと片づける意欲はあったが、どうしても脳裏に琴巳の泣き顔がちらついてしまう。執務スピードは少々遅れ気味だった。

 五時過ぎに、柴希にも話を聞かねばならないと泰佐が細君の琅玉(ろうぎょく)を伴って来た。栩麗琇那は頷くしかなかった。

 その後、柴希は戻っていない。琅玉が一緒に居てくれているとはいえ、息子は眠ったままだし、琴巳はさぞ心許ないだろう。それに、大事な友が咎められているのではないかと、心配になっている筈だ。

 妻の心境を思うとやる瀬無い。知らず嘆息した時、泰佐が執務室に再訪した。

「ひとまず調べが終わり、会議室にて御報告の準備が整いました」

「行きます。丁度こちらも終わりました」

 栩麗琇那は印章を布で拭うと懐にしまう。書類を抽斗に入れ、立ち上がった。

 執務室を出ると、老長が続く。

 普段ならそろそろ闇に包まれ静まり返る執務宮に、ちらほらと明かりが灯り、幾らか人の気配がある。それでも廊下は薄暗くしんとしていた。

 黙々と歩を進めれば、婚の儀で捧げた言霊が蘇る。

『幸いを、この女性(ひと)に』

 俺は、コトミに幸福を貰うばかりで。コトミを幸せにできていたか自信が無い。

 二つ目の角を曲がりつつ、栩麗琇那はうつむいた。

 会議室には中央に手の込んだ模様入りの絨毯が敷かれ、壁際にはぐるりと細長いクッションが置かれている。通常は車座になって議論する場である。

 今は、部屋の右手に、五老、本日出仕していた取次役達、寄合所の若長、初級学舎の学長、空依、そして柴希が、整列して跪いていた。泰佐も、部屋に入ると扉を閉め、先頭に並ぶ。

 左手に大き目の丸いクッションが置かれていて、栩麗琇那は腰を下ろした。胡坐をかき、口火を切る。

「伺います」

 応じて、老長が報告を始めた。

 後一歩のところで制止が間に合わなかった空依によると、犯人、塗江(ぬえ)が琴巳を連れ出した方法は単純だった。

 後宮の窓越しに、言ったそうだ。

『皇子が怪我をされた。早く』

 後宮の窓辺に訪れた時点で不自然だったのだが、琴巳は台詞の内容に引きずられ、差し出された手を取ってしまった。

 そういったことも含めて顛末を白状させようとしたのだが、当の塗江は精神に異常をきたしているらしい。まともな答を得られなかった。これでは暗示術も使い物にならない。

 だが、塗江が行動を起こしたのと同じタイミングで、ラル宮殿の執務宮に不正侵入した女が居た。名は理江。彼女の供述で、兄妹である二人が共謀したと判明した。

 理江(りえ)はあの時、執務室に通され、扉が閉まるや、小瓶を掲げてすすっと寄ってきた。

『皇子の術力が充分でないことを皇妃がお悩みだと聞き及びました。是非、これをお試しくださいますよう、皇妃にお渡しを』

 滑らかに言ってのけ、やにわに指の先を光らせた。

 栩麗琇那も妻同様、相手の台詞に不覚にも気を取られてしまった。しまった、と思った時には暗示の力が入ってきていた。

 ただ、暗示術は力量が上の相手だと成功率が著しく下がる。頭が朦朧としたが、栩麗琇那は理江の暗示に支配されずにいた。彼女はそうと気づかず、これを飲んで、と小瓶を向けて命じてきた。

 中身は何だったのか。婚の儀の折、琴巳に飲ませようとしていた物と一緒か。それとも正規の魔術教官に飲ませた物と一緒か。

 栩麗琇那が思ううち、泰佐が口にした。

「理江の持っていた瓶の中身ですが、本人は媚薬だと申しました」

 思いも寄らない薬品名に栩麗琇那は瞬く。泰佐は続けた。「水の精霊に確かめたのですが、判別しがたいようです。理江によれば、術力浄化薬と共に、果ての地に迷い込んだ折に入手したとのことです」

「判別できないなら、適切な処分も無理か」

「致し方無くここに、そのままです」

「では大君(おおきみ)に御相談する。春分に、六神(ろくしん)から伺えるかもしれない」

 栩麗琇那は、長から小瓶を受け取った。

「……以上の事態を把握しましたが、事の起こる前にいささかも察せられず、又、あまねく碧界を伝えきれていないことも定かとなり、老として真にお恥ずかしい次第。六老、いかような御処分も厭いませぬ。後任にはせめて、すべからく同じ過ちを繰り返さぬよう、伝えていく所存です」

 泰佐は膝をついたまま、頭を下げた。「帝の御一家に多大なる御不快をもたらしたこと、殊に、琴巳様には申し訳もございませぬ」

 他の五老も、沈痛な面持ちで一斉に(こうべ)を垂れた。

 要するに、塗江は異界人である皇妃の殺害を、理江は皇妃亡き後の皇帝を我がものにしようという計画だったのだ。

 琴巳にとっても栩麗琇那にとっても、もしも計画通りになっていたら、やり切れない事件である。

 栩麗琇那が黙然と頷くと、学舎長と青い顔の若長が一礼した。次の報告が始まる。

 塗江を推薦してしまったこと、推薦されるまま、魔術教官に採用してしまったこと。二人でそれを陳謝し、やはり処罰を受けると申し出る。

 続いて、取次役がざっと低頭した。

 菊也が、取次役でありながら不審者を見抜けず、あろうことか執務室まで導いてしまったとひたすら恥じ入って述べた。そうして、宮勤めの誇りをもって罰を受けると真摯にこちらを見た。

 空依は、林の中での悔恨の言を繰り返した。

 最後に柴希が、言った。

「非才なるわたくしめは言葉のみで償いきれません。某かの処罰を切に望みます」

 後宮で、柴希は離れてしまったことを皇妃に詫びていた。琴巳は声をかけずに後宮を出てしまった自分が悪かったと応えていたが、職に誇りを持っていただけに、柴希はあの場で水に流すわけにもいかなかったようだ。

「委細、解りました」

 栩麗琇那は、一つ息をついた。「揃って罰を求める故、問います。此度の件で最も害を被った者は誰とお考えか」

 泰佐が即答した。

「琴巳様でございます」

 全員を一瞥したが、違う見解の者は居ないようだ。

「当の妃は、皆に被害を与えてしまったと猛省しています」

 告げると、今度は反論があるのか何人かが口を開きかける。栩麗琇那は手で制した。「つまりわたしは、被害者を複数確認した。そして、人として、ルウの民として、被害者の傷口に塩を塗る気は無い」

 場が押し黙った。栩麗琇那は両膝に手を置き、黙礼した。

「此度の対応の迅速さに感謝しています。今後、万が一、似通った事態が発生した場合も、同様の対応を望みます。又、これを機に、もしも某かの向上点を見いだせたなら重畳です」

 数拍の後、老長が額に両手を掲げた。

「改善に努めまする」

 栩麗琇那は背筋を伸ばした。

「では最後に、(てい)として言い渡す。皇妃の殺害を謀った者は野放しにできない。塗江と理江の兄妹は、皇帝の名において幽閉の塔へ送る。親族には一定期間、慰問を。手配は老にお任せします。以上、異論は?」

 ややの()、誰も動かず、やがて一同は黙って礼を施してきたのだった。

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