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燕二人  作者: K+
六暦620
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03 年明け

 ルウの民は大陸に於いて、皇領四地区を統治している。

 六暦以前、大陸では国境を接する国同士で争いが絶えなかった。それに終止符を打ったのが、ルウとされている。

 弱体化していた国の幾つかを譲り受け、〝皇領は国に非ず〟とした。その前提を以って、国と国が接していないという状況を作ったのだ。

 ルウの民が大陸の守護者と称されるのは、始祖の打ち立てた大陸安定の型を、六百年が経た今なお、継承し続けている点に尽きる。

 大陸人では成し得ない均衡を担っているのだ。

 誇りと術力を次代に繋ぐ一年が、また始まる。


 メイフェス・コートを、六暦六二〇年最初の日が照らそうとしていた。

 島の東方一帯は、ルウ三大家の一つ、ティカ家の領地である。領都の中央、やや小高い所にティカ宮殿がある。

 ティカ宮殿は、渡り廊下で繋がった二つの建物で構成されている。執務宮と大公殿で。

 大公殿の一室で、ティカ大公、実梨(みのり)は、窓の外を染め上げている朝焼けに目を細めた。

 二十六か。

 窓辺に佇んだ実梨は、ぼんやりと、百数日後に迎える己が年齢を考えた。次いで、二十四日後に、ひと足早くその齢を数える男を想う。

 十七年前、彼に言った。

『大人になったら婚の誓いをしに来てもいい?』

 十二年前、彼は言った。

『わたしは生涯、独りでいるつもりなんです』

 すみません、と続けた切なげな顔が、胸を焦がす。

 あんな表情で言うから、いつまでも心にとどまってしまうのだ。大層な異名を持つくせに、そういう簡単なトコロは解っていない。

「本年も、御心は知神(ユタ・カー)の申し子に捧げるのですか」

 背後から低く整った音律が聞こえ、実梨は目を流す。先程まで隣で眠りこけていた男が、寝台に裸身を起こしていた。

「新年早々判りきったことを訊くものだ」

 実梨は、寄せていた厚い窓掛を引いた。雪が反射していた朝光が遮断され、室内が薄暗くなる。「進歩が無いな、弓月(ゆつき)。我が夫候補となって何年目だ」

「めでたくも六年目を迎えました」

 ふん、と実梨は息をついた。

「長逗留している割に、子が宿らぬな」

「僕の所為でしょうか」

 薄闇の中、弓月は両手で密色の髪をかき上げた。僅かに朝日を吸収した髪と同じ色の瞳が、可笑しそうに細められている。

 垣間見た実梨は、察しのいい奴だ、と苦笑した。

 客間の褥に召し出すのは大公である。月経周期と体温から判断し、身籠りにくいとされる日に。

 今のところ、領地を共にまとめているティカ六老は気づいていない。気づいているのかもしれないが、ティカ家は跡継ぎに関して躍起になっていないので、黙認している可能性もある。何故なら既に、直系が先々代で絶えているから。

 ティカ家は傍系の中で最も術力のあった者を跡目に迎えた。それが実梨の父だ。


 十七年前、実梨が九歳の年、ルウの民は混乱を呈した。

 初め、新ティカ大公だった父が脳溢血で倒れて死去。続けて、(てい)が心臓発作で没し、跡を継ぐべき一粒種の皇子(みこ)は、なんと異世界に迷い込んでしまった。そして、大君(おおきみ)まで後を追うように老衰で崩御した。息子の死亡と孫の失踪で心労が嵩み、死を早めたとも噂されている。

 ともあれ、実梨は三十三代目のティカ大公位を継いだ。

 大君の位にはサージ家当主が就任。抜けたサージ大公位にはその血縁上の姪が入り、残る帝位は皇子の生存が異界に確認され、ラル家は空位制を採った。

 こうして、ルウの民に広がった混沌は、何とか落ち着いた。

 その後、七年前、大君の後継者とも言えるラル家の皇子、栩麗琇那(くりしゅうな)が別世界より無事に帰還。正式に帝位に就くに到り、周辺で異界絡みの揉め事もあったが、一族全体としては安定を見た。


 とはいえ、実梨の胸中に蔓延するもやもやは一向に解消されなかった。

 九歳と十四歳の折、三ヵ月年上の相手にした婚の誓いは、受け入れられなかった。明確な理由も提示されないまま……


 ティカ家も、躍起になってはいないが、いずれは跡継ぎが必要だ。実梨も解ってはいるから、二十歳になって踏ん切りをつけた。直系の別な傍系だった数家の中から、術力の秀でた者を夫候補として大公殿に受け入れたのだ。

 老に最初に推薦されて来た者は、実梨が未だ大陸の男に未練たらたらと気づくや、誇りの問題が云々と講釈を垂れ、不遜にも主導権を握ろうとした。鬱陶しく、一週間で解任した。

 二番手としてやって来たのが、弓月である。

『わたしは今も蒼杜(そうと)・マーニュを好いておる』

 今度は先に言ってみると、一つ年上だという若者は流麗に微笑み、結構ですね、と応じた。

 その返答は気に入ったので、実梨は彼を大公殿にとどめた。

 当主の伴侶に公務の義務は定められていないが、一介の候補である内は遊ばせておくわけにもいかない。

 契りの合間に話してみれば見識が深く、執務宮に入れてみたら情報処理能力が抜きん出ていた。都ではのほほんと公園管理をしていたらしいから、飄々とした男である。

 今では書士役で、代表も顔負けの仕事ぶりだ。ゆくゆくは大公代理にもできそうな程だった。


 毛布の中で立てた膝に頬杖をつくと、弓月は目を眇めた。

月殿(つきどの)の純情は大変宜しいですが、このところ、かの一級医事者殿は、同性愛者ではないかと噂されているようですが?」

「アレは美貌のシャトリを守護としているのに、何をたわけたことを」

 美しい氷の精を思い出せば微かに寒さを感じ、実梨は長衣を纏ったまま青年の隣にもぐり込んだ。背に触れる温もりに人心地ついて、瞼を閉じる。

 弓月は髪を撫でてきながら、静かに告げた。

「なかなかに凛々しいズーク・エストを弟子とした件、御存知ないわけではないでしょうに」

「――ズーク・エスト!?」

 ばっと目を見開き、実梨は振り返った。五、六年前に少年を弟子としたのは聞き知っていたが、魔術師とは知らなかった。

 弓月は、口許に寄せていた実梨の長い銀髪をさらさらとこぼし、あからさまに世間話の口ぶりで語った。

「医事者協会に知れたら資格剥奪もあり得るでしょうにねぇ。何が、かのお方を駆り立てたのやら」

「本当なのかっ」

「さて。その性癖については噂の域を出ませんが」

「そちらではないっ。とぼけるな、そなたなら更に詳細を掴んでおろうにっ」

 起こした身を乗り出した実梨の前で、弓月は喉を鳴らした。

「無論です。僕の恋路を邪魔している者の身辺ですから」

「戯れ事は聞かぬ。早く申せ」

 されば、と呟くように言い、弓月は実梨の手を愛しそうに包んだ。

「新年日はゆるゆると過ごせましょう。月夜の余韻が狂おしいのですが」

「昨夜は雪夜。月は出ておらぬ」

 むすっとして実梨は突っぱねた。掛け布団をめくる。「もうよい、自分で調べるっ。わたしは自室へ戻るぞ。そなた、満たされないなら月区(げっく)へでも行ったらいい」

 笑み混じりに弓月は言った。

「僕はそれほど気は多くないですよ、月殿」

「月はそなただろうが。わけの解らぬ呼称を付けるな」

 実梨は長衣の裾を翻し、出入口の扉に向かった。

「月光の如きお美しさですから」

「よくもまぁ、歯が浮かぬものだ」

 扉口で、実梨は冷ややかに眼差しを流した。「いずこで女性(にょしょう)を口説こうと勝手だが、本日は人手不足ゆえ、宮内執務を手伝うように。定時には参上せよ」

 扉が閉まる寸前、弓月がおどけたように逞しい肩をすくめるのが見えた。



 大陸は刻一刻、新年に向かっている。

 各地で新年祭の準備が行われてきたろうが、日も暮れ、何処も一息ついている頃ではないだろうか。

 リィリ共和国の片隅も、静かに新しい年を迎えようとしている。

 医療所の(あるじ)は夕餉も済ませた今、一階の広間でのんびりしている。といっても、薬の調合などしているので、奴の日常を知らない者が見れば、未だに医事者の勤めをしていると思うかもしれない。が、調合は主、蒼杜の〝趣味〟だ。よって、それをしている時間は寛いでいるに等しいと言えよう。

 変な奴だよなぁ。

 円卓を挟んだ向かいで、居候の琉志央(るしおう)はしみじみと思った。

 現在、一級医事者は大陸中で八人しか居ないらしい。国に雇われず、森の中でひっそりと個人開業などしているのは蒼杜ぐらいだそうだ。

 一級試験に合格した上、リィリに来たのは成人前だったと言う。そんな子供の時分からこんな仕事をこそこそ続けているのは、やはり趣味だからとしか琉志央には思えない。

 医術書の頁をめくりつつ生欠伸を繰り返している琉志央は、十代前半と言えば、魔術の訓練と称する爺に、被術者としてなぶられていた。

『飽きた故、後は一人で何とかしろ』

 或る日、老魔術師に屋敷を追い出された。一般人が成人を祝う歳より二年早く、十三だった。

 それから、十年の歳月が流れようとしている。

 琉志央がこの国に来たのは五年半前。遠見(とおみ)術で見かけて一目惚れした女を連れ帰ろうと思い立ったからだが、見事に仕損じた。

 只今、目の前で〝趣味〟に勤しんでいる白金髪の青年とその幼馴染みに阻止されたのだ。

 彼女には既に相手が居ると諭されて渋々納得し、その後、何故か野郎二人に度々食事に誘われるようになった。

 大抵惚れた女も同席するから、顔を見たさについつい足を運ぶうち、居心地が良かったのと命帯(めいたい)に興味が出たのとで、居着くようになった。

 翌年、女は恋人の子供をこの国で産み、ひと月後には、そいつに連れられて大陸から去ってしまった。

 琴巳(ことみ)は今頃、栩麗琇那と(つばめ)と一緒に、新年最初の食卓を囲んでいる。

 あーあ、と思えば、又、生欠伸が出る。

 蒼杜が、薬包紙に薬を包みながら言った。

「明日はお酒が飲めますね。備えて、早めに寝るのもいいかもしれません」

「んー」

 鼻で応じ、琉志央は書物を閉じた。退屈だったので開いたに過ぎず、半分以上、読んだつもりで目を移動させていただけだ。言葉通り、さっさと床に入った方が幾らかマシである。

 医事者は、祝祭日のみ飲酒を許されている。琉志央は上戸なので、タダ酒の飲めるそれらの日を毎度楽しみにしていた。蒼杜の仕込んでいる梅酒と杏酒が、また格別に美味いのだ。

 琉志央は席を立ち、階段へと足を向けた。

「じゃあな」

「良い夢を」

 穏やかに送る台詞を背に受けて、琉志央は階段を上がり出す。変な奴だ、と再度思った。

 蒼杜は二十五歳らしいが、物腰と言い、話し方と言い、三十年から四十年、サバを読んでいるのではと疑わしくなる。弟子と言ってもたった三つしか違わない男に、早く寝ろだの、いい夢を見ろだの、親父よろしく口に出来てしまうから異様だ。

 槍駕(やりが)は、俺より五十近く歳食ってたのに、あんなこと言わなかったよなぁ。

 老魔術師の忌々しい記憶に、琉志央は髪をかき上げた。

 魔術師から医事者見習いになるなど、百八十度の転換だ。魔術師と医事者は氷炭相容れない。琉志央の今を知ったら、あの爺はどう反応することか。

 せせら笑うか……?

 どれだけ修行を積もうと、琉志央は一生、医事者として誰にも認められない。

 闇範囲の術、瞬間移動に、より利便性を持たせる為、魔術師は先ず闇と契約する。医事者は、それを禁忌にしている。琉志央は、見習いになる以前に禁を犯してしまっている。

 蒼杜がとりわけ変なのは、この点だ。解っていて、琉志央の弟子入りに頷いた。

 医事者の修行に始まり資格試験から認知、任命、全て行っているヴィンラ・タイディアの医事者協会に知れたら、彼は戒告処分程度で済むだろうか。

 下手をしたら降格、否、資格剥奪の上、追放されかねないのではないか。何せ、琉志央は、極悪非道の別称とも言える魔術師だったのだから。そんな輩を弟子にするのは、言語道断と言うヤツだ。

 屋根裏の自室に入り、琉志央は寝台に寝転がった。頭の後ろで両腕を組み、暗い天井を見上げる。木造りの木目も、すっかり見慣れた。

 見習いの日々は、気づけば六年も経過しようとしている。三年習練して命帯を見られるようになったが、その状態から健康具合を明確に判断することはまだできない。去年辺りから、それを教わっている。

 蒼杜は混血に多い緑の瞳に知的な光を宿し、笑んで言った。

『命帯診断技能を身につければ、やがてここを巣立つ日が来ても、何処ででもやっていけます。医事者に最も求められる能力ですから』

 巣立つ日、と出た時、彼の傍に姿を見せていた守護精霊が、複雑そうな顔をした。その時は、琉志央は理由が解らなかった。今は、何となく解る。

 知神の申し子だの稀代の医術師だのと世界に名を轟かせている男は、自分から衆人の中に入って行くのをためらう、実は不器用な奴なのだ。

 氷の精霊女王(シャトリ)が蒼杜の守護についた経緯は聞いていないが、その辺の弱い部分が原因の一端であるような気がする。

 ひょっとすると蒼杜は、ハイ・エストと尊称される程の位にも、拘りや未練が無い。だから平然と魔術師を弟子にしてしまえる。

 己をさらりと捨てられるのはある意味美徳かもしれないが、親しい者達からしてみれば、危なっかしいことこの上ないだろう。

 察したが、琉志央は蒼杜の立場の為に医療所を去るつもりなど無い。師が出て行けと言うなら出て行くが。言われない限りは、ここで修練を続けるつもりだ。医事者見習いという、極めて真っ当な肩書も気に入っている。

 足元に入れていた湯たんぽを敷布団の下に移すと、琉志央はぬくぬくとした布団にもぐり込んだ。

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