36 病 Ⅱ
二の月二日の朝、皇帝一家は久しぶりに揃って後宮を出た。
コートリ・プノスの一画に在る託児舎を、サージ、ティカ両大公が見学に来るらしい。母が柴希と一緒に案内をするようだ。
ろくでもない魔術授業のやり方で、先月のエンは通学が億劫そうだった。流石に今朝は、足取りがしっかりしている。宮殿の外で母と別れたら、いつも通りにぐずぐずしそうだが。
臙脂色を主体にした正装に細い身を包んで、母は楽しそうだ。今日は艶やかな黒髪を結い上げず、編み込んで美しく背に流している。
内門口で待っていた柴希と挨拶を交わした後、父は一人、執務室へ歩いていく。エンが母と柴希を先導するようにして、正門から外へ出た。
冬らしい空気の冴えだったが、空模様はいい。
白い石で造られている大階段や通りが、まばゆく目に飛び込んでくる。
正門脇に和泉老が待ち構えていて、両手を額に掲げる最上級の礼を示してきた。彼女は昔、敵意と胡散臭さをない交ぜにした目つきで母を見ていたものだが、昨今は眼差しに敬意が見て取れる。
二大公は陣を使って都に来るようで、和泉は階段を下りた左手に在る陣舎を示した。
じゃあね、と花がほころぶように母はエンに笑いかけ、女老や柴希ときざはしを降りていく。
エンは母達を階段上で見送ると、ふぅ、と息をついた。斜めに掛けた肩紐の合間に片手を突っ込み、尻の辺りでぼふぼふと鞄を揺らしつつ段を降り始める。
大人が一撃で破壊できない結界を張れる点を考えたら、そうじめじめすることもないのに。第一、皇子は、まだ術力封印を二箇所しか解除されていない。
あのいけ好かない教官の鼻を明かしてやれるだろうし、もう一箇所ぐらい解除を試みてもいいけれど。
果ての地からの便りに、意味深な箇所があった。
【尚、皇子の術力は大き過ぎる。故、お越しの際は現状維持を願いたい。つまるところ術力をこれ以上、解除しないように。】
父はエンに、術力を封印しているとは話していない。だから、父が最初に読むことを前提として書いているのかと思った。
しかしながら、最後の一文が引っかかる。
【この文を読めた御子は、すべからく当地にお越しを。】
後宮の窓の外に現れた不思議な少年は、一人の筈のラル家の皇子が二人、見えていたのだろうか。
この身は一体、何なのか。知っているのだろうか。
あの晩以来、姿を見せない。
書物を読みあさり、彼は大陸神かもしれないと、漠然と想像するしかできなかった。
そこへ、あの手紙……
ずっと気になっている所為か、思考が同じ文章を辿り始めた。朝だというのに眠気が訪れる。
夢現の視界に、例のいけ好かない人物を見た気がした。エンの後方――
宮殿前を通勤していたのか。
道の先には、白亜の陣舎や蔦に覆われた図書館が遠く見えた。
二の月三日、メイフェス島のとある二階家に、琉志央は瞬間移動で降り立った。
二階の寝室は真っ暗だ。
雨戸が閉められている所為もあろうが、大陸より半日先行しているメイフェスは、すっかり日が暮れている。
淡く手を発光させて雨戸を開け、二階の窓から飛行術で庭に着地する。
小ぶりの門を抜け、琉志央は日の落ちた薄白い通りを歩き出した。
昨年は、夏からあの家に起居していた。玄関の鍵は家の持ち主に返したが、琉志央は瞬間移動の対の輪を置いたままにしていた。
不都合があるなら栩麗琇那は輪を消すだろうが、今現在、放置されている。琉志央が島をうろついてもいいと、暗黙の諒解を得ている状況だ。
奴には話した覚えがないので少々面白くないが、女が出来たことを嗅ぎつけているようだ。
いつの間にか琴巳より心に住まうようになった薬処の佳弥とは、メイフェスを去る折に婚約した。婚の儀はいつになるか判らず、取り敢えずひと月に一度会う約束をしている。
先月、三日にこの島で会った。だから今月は、今日だと思う。
さほどしっかり取り決めたわけでもないから、何が何でも会う必要は無いだろうけれど。
先月三日というのは、島と大陸とに別れてたった七日目だった。その〇時に呼び出したくせに、今日はいつまでも呼ぶ気配が無い。
やや迷ったが、呼ばれる前に来てしまった。
勝手知った道を行き、女の住む平屋に辿り着く。窓に明かりが灯っていない。
玄関を叩きかけた時、背後に近づく足音に気づいた。肩越しに目を投げれば、暗がりを女らしき人影が走ってくる。短めの癖っ毛がぴょんぴょん跳ねていて、婚約者と知れた。
「ルシオ――」
いきなり子供みたいに抱きついてこられたが、琉志央は一面ホッとして受け止める。佳弥は息を弾ませつつ、喜々とした声音で言った。「嬉し――今日は、も、無理だと思ってた」
女の赤味がかった茶色の髪から、師もよく作る滋養薬の香がした。少し渋みのある臭い。
「残業か?」
問えば、顎の下でふわふわの頭が頷くように動いた。琉志央は苦笑いが洩れる。「あまり早く薬師になられると、俺の立つ瀬が無いじゃねぇか。程々にしとけ」
「ヤ。一日でも早く一人前になる」
昼寝の時間を減らす必要性を感じ、琉志央は夜空を仰いだ。一応、以前よりはずっと真面目に命帯診断の修練を重ねているが。二人でハイ・エストになるには、もう少々こちらも気合を入れねばならないようだ。
飽きずに佳弥がしがみついているので、琉志央は胸元から剥がす。
「お前も晩飯まだなんだろ。飯にしようぜ」
途端に佳弥は、慌てたように手を浮つかせた。
「あ、ご、ごめん――このところ、忙しくて、家、ろくな物が無い」
「じゃ、どっか食いに行くか」
医療所に戻れば蒼杜がニコニコして拵えるだろうが、季節柄、風邪をひく者が増えている。バタバタする可能性が大いにあった。
懐に財布を確かめ、奢るぞ、と言うと、佳弥ははにかんだ顔になった。この女のイイ顔を見るには、食い物で釣るのが手っ取り早い。
美味しいと教えてもらった所があると言うので、人通りが減り始めているコートリ・プノスの路地をその店へ向かった。
店内は賑わっていた。
炒め物らしき匂いと、微かな酒精が鼻をくすぐる。店員らしき若い男が、空いてる席にどうぞー、と言いつつ、両手の盆に美味そうな揚げ物と酒杯を乗せて通り過ぎた。
一部吹き抜けの天井から大きな角灯が幾つか吊るされ、明るい雰囲気を醸している。照らし出された一階の円卓は全て埋まっていた。
両脇に在る階段の一方から上に行けば、何箇所か空いているようだ。
二階は吊られた明かりを取り巻く円卓と、通路を挟んで四角い卓が適度に並んでいた。合間合間に仕切や鉢植えが配されていて、小洒落ている。
佳弥の気に入った席で構わず、任せて少し進んだところ、あっ、と横合いから声が発せられた。
「教官――っ」
数人の低声が重なる。見れば、去年、半年かけて夜間に魔術を教えた連中だった。全員ではなかったが、三人が顔を揃えて四角い卓を囲んでいる。
よぅ、と片手を上げてから、琉志央は可笑しくなって口元を覆った。
「未だにこの時間になると集まってるのか?」
たまに、と一人が口元をほころばせて答える間に、隣に来た佳弥と男達は軽く目礼を交わす。
通路を挟んだ円卓が空いていたからか、佳弥がそのままそこの椅子を引いた。琉志央も向かいに腰を下ろし、他の奴らも元気か? と何の気無しに問う。
たちまち、全員の顔が冴えなくなった。目の端で佳弥まで眉を曇らせたのを捉え、琉志央は小さく口を曲げる。
品書の薄板を女に向け、琉志央は通路越しに最年少の男を見やる。昨年成人したてと言っていたから、今年ようやく十七になる少年だ。確か、琉志央の後を引き継いで五歳課程の魔術教官になっている筈だった。
「ムクナリ、誰か調子でも崩してるのか」
指名され、少年はそろりと顎を引く。同席の二人が制止したげな目を投げるのが判った。琉志央は卓に頬杖をつく。「俺の本職は医事者見習いだぞ?」
「解ってます。教官なら一級医事者に間違いないです」
ムクナリはムキになったように応じてから、ですから、と続け、一度息を吸い込んだ。「大恩も未来もある教官に、感染の可能性がある病を診ていただくわけにはいきません」
前から一本気な奴だったが、それにしても大仰だ。琉志央が目を眇めると、佳弥が品書を両手で持ったまま、ぽそぽそ付け加えてきた。
「急に術力が無くなる奇妙な病なの」
「お前、もしや、その薬作りに関わって残業か」
佳弥は、ゆるりと首を一つ振った。
「治療薬は判ってない。先週になって少し術力が戻ってきて、今の体調を維持する為にも滋養薬を服用してもらうことになったの」
男三人が、治ってきたんですか、と身を乗り出す。佳弥は安堵させるような笑みを見せた。感染の可能性ありでは、気軽に見舞うこともできなかったのだろう。三人が眉を開く。
完治してもらって又この時間に集まらないと、と一人が言い、だな、と皆が笑声をこぼした。
食事を終え、三人と別れ、琉志央と佳弥はぶらぶらと夜道を歩いた。
薬師へ邁進しての残業じゃなかった点は、ちょっと安心した。琉志央がそう軽口を叩くと、佳弥はふっくりした唇をすぼめ、ばっちり薬師に繋がってる残業だよ? と片手を拳にして力説した。
「今ね、調合もたくさんさせてもらってるの。例の患者さんと一緒に、ウチの上司が二人、隔離に近い状態にならざるを得なくて……ウチは元々職員が少ないから、その分やたらに忙しくなって。例の病の新たな患者が出る前に、効能のありそうな薬を量産してるところ」
琉志央は、女の白い拳に目をやる。薬指に、婚の誓い代わりに渡した藍色の輪が嵌まっている。
ソレなんだが、と呟くように言いつつ、琉志央は婚約者の顔に目を移した。
「お前、術者じゃない俺とは結婚しないか?」
佳弥は小さく口を開け、言葉が詰まったようだった。小さな手明かりの中で、鳶色の瞳が揺れた。歩みが緩んで止まる。
子供っぽいトコロのある女だから、そんなコトない、と勢いで返してくるのをささやかに期待したが。意に反し、佳弥は双眸を潤ませて見上げてきた。
そうして、きゅっと唇を結んだ後、女は宣言した。
「わたしが養う」
「そこまで飛躍してたのかよ」
破顔するよりなく、琉志央は佳弥の肩を抱き込んだ。「んじゃ、とっとと患者の居場所に案内してもらおうか」
患者が一人帰ったばかりの医療所で、玄関扉がどすんと一度叩かれた。
蒼杜は、羽根筆を走らせていた手を止める。
時計に目を投げれば、午前十時をまわったところだった。
随分と早く帰ってきた医事者見習いが、扉を開けた玄関口に立っている。おかえりなさい、と蒼杜は小首を傾げた。
琉志央は、その場で長袴の隠しに両手を突っ込んだ。
「俺、病気か?」
「……恋の?」
命帯を診つつ、蒼杜は応じる。青銀色のいたって健やかな光が青年を包んでいた。
ほんの最近に婚約したての琉志央は、それは治す気ねぇよ、と半眼を閉じる。さり気なく惚気られて、蒼杜は頬が緩んだ。後背で冰清玉潤が、付きあっておれぬ、と言いたげな気配を醸す。
「伝染する病なんかも、命帯で潜伏を見抜けるよな」
真剣な見習いの口調に、えぇ、と蒼杜は羽根筆を置く。
「貴男は何処も患っていませんし、発症の可能性もありません」
寸時、菫色の目を板床に彷徨わせてから、琉志央は戸口に立ったまま話し出した。
メイフェス島で知り合いが、術力の消える奇病に罹っているらしい。伝染性があるかどうかも定かではない。
「俺が見た限りじゃそれなりに健康だったが、確かに普通とは少し違ってだな――」
見習い青年は両手を上下に動かしつつ語った。「手首足首、喉と眉間の光が強くなっていた。つまりー、術力が無くなったと言うより、そこに集中してるだけっぽい。それがどうして使えなくなってんのか、俺には判らん」
黙って聞き終え、蒼杜は感想を洩らした。
「エンが最初に封印を解いてしまった時に似ていますね」
あぁ――! と琉志央はやや瞠目する。
「あん時はでも、術力が使えるようになった状態だろう?」
恐らく、と応じながら蒼杜は診療記録の書紙を整える。
「術力を封印しなければならないような状況はあまり無いですから、封印されている状態の命帯や、封印が一部解除された時の命帯……エンでしか見たことが無いので、断定まではできません」
「変化が出てたのは解除したての時ぐらいじゃないか?」
「エンの場合は、そうでした」
慎重に答えつつ、蒼杜は席を立ち、記録を棚にしまう。「その患者の光が強い部位は、精霊を精製する際も核を配する場所ですよね。術者の術力も概ね集い易いのでしょう」
「最初は全く使えなくなってたらしいんだが、先週辺りから、やっと少し使えるようになってきたようなんだ」
「……すると、益々エンと状況が似てきます」
ハタとしたように琉志央は夜空色の頭に手を当てる。そうなるな、と髪を掻いた。
蒼杜は箪笥から上着を取り出すと袖を通す。氷の精霊女王が傍らに姿を見せた。物言いたげな視線を感じたが、見習い青年に蒼杜は目を向ける。
「とにかく、わたしも診ておきたいです」
〈うつるやもしれぬ病のようじゃが?〉
既にそうと知っていて患者を見た琉志央は、再び隠しに手を突っ込んで肩をすくめた。
「俺が感染してないとすれば、ある程度の距離を置いて見る分には大丈夫なのかもな」
「結界は」
「張って会いたくない奴だった」
蒼杜が諒解する斜め上で、冰清玉潤が嘆息する。舞い降りる冷気に背筋を伸ばし、蒼杜は頼んだ。
「連れていってください」
「お前ならそう言うと思った」
琉志央はゆるりと笑むと大股に歩み寄ってくる。
やれやれ、と守護精霊はぼやいた。
メイフェス・コートは夜のとばりに包まれている。
琉志央が、路地の隅から瞬間移動の対の輪を拾い上げる。患者の家の近くだろう。
歩き出した青年について行きつつ、佳弥は、と蒼杜は尋ねた。家の前まで案内させて帰した、と琉志央は振り返らずに言った。
ひと月ぶりに会ったにしては、意外と淡白だ。
「べそべそと駄々をこねてたが、明日も仕事があるしな」
うつる可能性があるから帰したのだろうに、その点は言わなかったに違いない。
佳弥に些少の同情をする間に、一軒家に着いていた。窓から弱い明かりが漏れている。琉志央が扉に軽く拳を当て、すぐ開けた。
開いたところからして、予め再訪は告げてあったようだ。
少し奥まった所にあった卓から、二十代とおぼしき男性が立ち上がっていた。慌てたように何歩か下がる。
琉志央が片手を上げた。
「俺、うつってないようだ。そんなに距離を開けなくても大丈夫だろ」
ルウの民に在って術力が消えてしまっては、相当に落ち込んだのだろう。男性は隈のある顔で、掠れた声を出した。
「ですが、教官――」
「可能性を知ってて来たんだから、もう俺達の自己責任だ。気にせず診せろ」
そういうことです、と台詞を繋ぎ、蒼杜はまばゆい茜色の命帯に目を細める。琉志央と同じくらいの強さで輝いている。風貌はともかく、まずまず健康的だ。
そして確かに六箇所、光の強い部分があった。
六核精霊の精製は術者の命を削るとも言われる高難度の術式で、蒼杜は試みたことが無い。術書で読んだだけの知識だが、その略図と解説から想像していたのは、目の前のような光景だった。
六つの核を配されたヒト型。まるで生まれかけの六核精霊を見ているかに思える。術式が成功すれば、生まれた精霊は五核以下とは桁違いの強さとなる。寿命も、六核だけは、大気がある限りほぼ無限だ。
そんな存在に医療所の留守番を頼んできたのが、少々大それたことに思える。
余計なことも考えながら、蒼杜はくまなく男性の命帯を診ていった。額の付近が、ごく僅かに揺れている。術を受けたさざ波だった。
他に、光が強く判別し辛いが、六箇所の周囲も独特の色の濁りがある。身体にありがたくない薬が入った時の反応。
どうだ、と琉志央が微かに懇願するような眼差しを向けてきた。
「解毒の薬を調合してみます」
毒、と琉志央と男性が意外そうな声を同時にあげる。
「酒の飲み過ぎが祟ったんでしょうか」
男性が情けなさそうに言い、そんなに飲んでたのかよ、と琉志央が苦笑気味に目を流す。男性は肩を落とした。「今年は教官から伝授していただいた技も活かせると……景気づけのつもりでしたが、思えば新年日は羽目を外した気がします」
「記憶が途切れる程……?」
蒼杜が確かめると、はい、と男性は身をすぼめる。
酒の飲み過ぎでこうなるのか、と琉志央がまじまじと命帯を見ているようなので、蒼杜は男性に許可を取った。学びの機会を与えてもらっていいかと。相手は二つ返事で諒承してくれた。
「額を見てください。あの揺れ方は術の名残です。新年日に見ることが叶っていれば、もっとはっきりしていたと思います」
蒼杜は見習い青年に解説する。術? と又も琉志央と男性は訝しげに声を重ねた。
「額に術って、暗示か――?」
琉志央は目を凝らす。「ちょい、動くな。俺は見習いだ、動かれると困る」
「し、失礼しました」
「気楽にしていていいんですよ。彼には、これも修練の内です」
蒼杜が添えると、琉志央は口を突き出す。
「つーか、暗示に解毒薬が要るなんて初めて聞いたぞ」
「揺れ、ちゃんと確認しました? 滅多に無いですよ、暗示を受けた人の命帯を見る機会なんて」
「待て待て、言われてみれば揺れてる気もする。こんなあやふやな揺れを、そう簡単に覚えられるか」
チクショ、佳弥以外にまで急かされるとは……と琉志央はぶつぶつ続け、男性を見る。「笑うな」
「失礼シマシタ」
男性はおどけた口調で応じたが、つと複雑そうな様相になった。「ハイ・エスト、つまり、わたしは暗示にかけられ、何か酒以外を飲まされたということですか」
「憶測に過ぎませんが」
持参した薬箱を卓に置きながら蒼杜は言う。「太古の製法で、出回るとは思えないんですが……術力の浄化薬というのがあるんです。闇にも光にも傾いていない、単なる力にしてしまう薬です」
男性に視線は固定させたまま、琉志央が長袴の隠しに両の親指を引っ掛ける。
「何にするんだ、そんなもん」
「そもそもどういう用途で開発されたのかは判っていないようです。六暦以前には、戦に使われることが多かったとか。術者の数が多かったですからね、昔は」
「兵の無力化か?」
「それでいて、体内に力が凝縮しているわけです。捨て駒の、爆薬のように扱った国もあったとか」
「……えげつないな、おい」
「六暦開暦に前後して、薬自体も製法も消えていった筈なんですが……」
「そんなもんの解毒薬、作れるのかよ」
菫色の瞳がこちらに向き、蒼杜は微笑した。
「飲んでしまったのが浄化薬かどうか、製法も判らないんですから、確定ではないですよ。ですが、とにかく、現在現れている症状を幾らか改善に持っていく調合は可能です」
じっとしていた男性が、縋るようにこちらへ顔を向ける。
蒼杜は、男性の手首を見習い医事者に示した。
「よく見てください。命帯が濁っています。これは毒物を摂取してしまった際の特徴です。濁り方で、ある程度、成分も判別できるんです。解毒薬は、それを元に調合します」
琉志央は頬を引きつらせた。
「俺、ホントに一級の技術を窮められるかな」
「貴男の場合は調合を佳弥がやってくれますから、大丈夫ですよ」
「教官なら、できますとも」
気力のわいた様子で男性が言い、椅子に座ると両手を卓上に乗せた。「どうぞ、この際、じっくり見ていってください」
おし、と素直に琉志央は向かいに座り込む。
気心の知れたやり取りに蒼杜は目を細め、横に腰を下ろす。見分け方を教えながら、薬の材料を書きつけ始めた。




