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燕二人  作者: K+
六暦622
36/45

35 病 Ⅰ

 六暦六二二年になった。

 一の月四日から、エンは新学年が始まった。今年は六歳教室へ向かう。

 六歳課程は、一科が魔術、二科が史学、三科が理数学、四科が神学、五科が語学となっていた。

 五歳教室より奥まった所に在る校舎に入ると、〝一科は訓練場で行います〟と黒板に大きな字で書いてあった。

 たまたますぐ後から来た橙奈(とうな)と一緒に、エンは鞄を肩から掛けたまま訓練場へ足を向ける。

皇子(みこ)、背が伸びたかしら」

 橙奈は褐色の瞳で上目づかいに、こちらを見た。エンは六歳になっていたが、即日入学をした橙奈はまだ五歳だ。「近くで見ると貴男も素敵ね。身分が邪魔だけど、お父上が身分をモノともしない方だし、わたしも希望があるかしら」

 後半が何の話かよく解らない。取り敢えず、応えられるところだけエンは口にした。

「五タードばかり伸びたみたいだよ」

 今一度、橙奈は視線を向けてきた。そ、と短く言う。

 どうしてか、ツバメが笑った気がした。


 些少の雪でぬかるんだ訓練場に、去年と同じ顔触れで子供達は佇んでいた。

 十六名全員が揃い、ほどなく始業を告げる鈴の音が聞こえてくる。

 しばらくしても、教官は姿を見せなかった。

 エンと同じく長袴に長衣を重ね着し、教材の一式を胸に抱えた星花(ほしか)が唇を曲げる。

「魔術教官て、初日に遅刻する風習でもあるの?」

 頼里(らいり)がちょっと小首を傾げた。

「聞いたこと無いな、そんな話」

「黒板に〝訓練場〟って書いたのは誰だろう。教官じゃないのかな」

 寿々玻(すずは)がぽつりと洩らす。同窓生達は顔を見合わせた。

 六歳教室に上がった皆、新しい各科の教官を知らない。教室担当は今年は史学教官らしいと、誰からともなく聞き知った程度だ。

 教官舎に行ってみればいいかな、と去年同様に頼里が動きかけたところへ、副学舎長の玲美(れいみ)が小走りにやって来た。

「皆さん、寒い中、すみません。教室に入ってください」

 この穏やかな女性が六歳課程の魔術教官だったのかと、エンは勘違いしそうになった。が、玲美の台詞には続きがあった。「残念ながら、魔術教官は体調が優れないようです。今日は教室で、教本を読んで自習をしてください」

 ぞろぞろと、子供達は教室へ歩き出した。

 星花が溜め息のようなものを漏らす。

「ルウの民が病気でお休みなんて、どうなっちゃってるのかしらね。大陸人の琉志央(るしおう)教官の方が、よっぽど元気だったわ」

「ハイ・エストに診てもらって、早く良くなるといいね」

 鞄の肩紐を直しつつエンは言う。どうだろう、と頼里が応じた。

「大陸まで出かけて医事者に診てもらう人、そう居ない気がする。薬処(くすりどころ)にも滅多に行く人が居ないようだし」

「一晩大人しく寝てれば治るでしょ」

 あっさりと星花が言う。

 ところが、翌日も一科は自習となった。

 翌々日も。

 結局、六歳課程の魔術教官を務める筈だった人は退任となり、一の月二週から違う人が着任したのだった。



 執務室に六老紅一点が入ってきた。

 額に両手を掲げる礼を受けた後、栩麗琇那(くりしゅうな)は書紙を向ける。

「二大公の日程、都合がついたようです。後はそちらで調整をお願いします」

 畏みまして、と和泉(いずみ)は謹厳な面持ちで受け取り、懐におさめる。

 拡張した託児舎は他領にも噂が走り、母親になったティカ大公と母親予備軍のサージ大公の興味を引いたようだった。

 好奇心旺盛で行動派の践朱(せんじゅ)は、同い年の実梨(みのり)を焚き付けるきらいがある。今回も、一緒にこの目でラル領へ見学に行こうと誘ったようだ。

 この後に目を通すべき書類を手にしながら、栩麗琇那は告げる。

柴希(さいき)の息女が預けられているので、雰囲気も伝えやすいと思います。職員へ話を通しておいてください」

「御意」

「託児舎自体に関する具体的な説明は、コトミに任せておいて大丈夫です。コトミは声が細いので、子供達の声に消されるかもしれません。その辺だけ考えてもらえると助かります」

 几帳面に、はい、と和泉は顎を引く。

「託児舎を思いつかれたのは琴巳様だそうですね」

「翠界と碧界の違いのようなことを雑談していたのが、きっかけですね」

 栩麗琇那は微かに笑う。「他人の子を預かるわけで、この先、問題も生じてくるでしょう。何かあったらすぐに連絡を。わたし達は前例を知っているので、できれば先回りして対処していければと思います」

 珍しく和泉も微笑し、一礼する。

 ふと思い出し、栩麗琇那は言った。

「ところで、六歳課程の魔術教官、よく見つかりましたね」

 瞬く間に女老の顔から笑みが消えた。眉間に皺が寄る。

理葉(りば)の遠縁です」

 栩麗琇那は軽く目を眇める。

 七年前になろうとしているが、その名を忘れるわけもない。琴巳を毒殺しようとした三老の一人だ。

 縁者にまで罪を問う気は無いが、警戒はしてしまう。栩麗琇那が無言で見やると、和泉は硬い表情のままで続けた。

「若長が推薦してきました。三十路半ばで、なかなかの使い手です。昨年の教官公募にも名乗りを挙げていたようなのですが、理葉の件があって退けていたそうにございます。我等も、このように差し迫っていなければ採用したかどうか……」

 なるほど、と呟くように栩麗琇那は応じる。

「出自はどうあれ、意欲を持っているなら重畳です」

 ただ、タイミングがいささか不審だ。調べておく必要はある。

 黙礼した和泉に、栩麗琇那は少し話題をずらした。

「それで、元魔術教官はどうなっていますか」

 和泉は柳眉を曇らせた。

「体調に問題は無いようなのですが、如何せん術力が出せないようで……相当、気が塞いでいるとか。自宅で深酒と不貞寝を繰り返しているそうにございます」

 原因不明の症状だった。

 これまで十四年近く六歳課程の魔術教官を務めていた男で、どうやら栩麗琇那と同窓だったらしい。去年は琉志央に魔術を基礎から仕込み直され、かなり実力を身に付けた筈だった。

 それが、年が明けた途端、術力を使えなくなってしまったというのだ。魔術教官としては致命的な疾患だった。

 心身ともに不調も無く、或る日突然、術力が出せなくなる病など初耳だった。

 万が一、伝染性の新病だとしたら困る。もしもその場合、大陸にも連れて行けない。医事者に蔓延でもしたら一大事になってしまう。命帯診断や癒し術は、術力あってこその特殊技能だから。

 故に報告を受け、栩麗琇那はすぐ薬処の者に大陸の医事者協会へ相談に出向いてもらった。先方は書庫で症例の記録が無いか探してくれたようだが、術者特有の病は数が知れている。該当するモノは無く、命に別状が無いようなら様子を見た方が良いと結論づけられてしまった。

「そろそろ症状が出てから一週間でしょうか」

「明後日で、そうなるようです」

 隔離に近い状態に置いているが、接触した数人には今のところ発症の兆しが皆無だった。

 うつる可能性に頓着しない医事者を探し、診てもらうべきか……

「取り敢えず、あまり酒は過ぎない方がいいだろうな」

 栩麗琇那が椅子の背にもたれつつ言うと、和泉は大きく賛同の頷きを返してきた。



 一科終業を告げる鈴が、小さく聞こえた。

 一定の間隔を開けて散っていた子供達が、あちこちで息をつく。

 六歳課程では、眼力(がんりき)の応用を修練しつつ、新たに二つの魔術を覚えることになっていた。瞬間移動の指輪精製術と熱波術。

 最初の数日に教本を見たツバメが、一科に組まれてるだけあって赤子の手を捻るようなモンだ、と言っていて。だから、新しい魔術は後期に学べばいい程度なのだろうか……一の月も終わろうとしているが、連日、エン達は眼力の応用ばかりをさせられていた。

 朝一で受けるには、やたらと緊張を要する内容だった。

 結界を張った状態で、教官から放たれる眼力を同じ術で相殺させるのだ。奇しくも去年の魔術授業初日に、琉志央が銘大の父親相手にやって見せた技。

 琉志央(るしおう)はいとも簡単にやり遂げていたが、アレがどれだけ練達の技だったか、この一ヵ月弱でエンは思い知っていた。

 相手との距離からして、あの時とは雲泥の差で開いていたけれど、術力に反応して眼力を放つだけで精一杯。返した眼力が見当違いの方角に飛んでいくのは日常茶飯事だった。

 臨時教官の塗江(ぬえ)は着任当初から顔色が悪かったが、具合は良好なのか、澄まして両手を背後で組んだ。子供達は黙って集合する。

 応戦の必要無し、と宣言するや、塗江は黒ずんだ手を薙いだ。ツバメの話だと闇の刀弾らしい。

 訓練場に、立て続けに硝子が割れるような音が響く。教官が十六人の結界を壊すと、授業は終了だった。

 初めは驚いた何人かが泣き出したくらいで、嫌な終わらせ方だ。星花は今もしょっちゅう、場が子供だけの時に悪態をついている。

『なるべく一度で壊せるように、必ず燕君から狙ってるのも気に入らない。陰険よ』

 初めての時、亀裂が入っただけでエンの結界は完全に消えなかったらしいのだ。

 エンは結界が見えないので判らなかったのだけれど、出来損ないと再び言われるようになるのが嫌で、見えないことは黙っている。

 ひびが入っただけのエンの結界を、塗江はこめかみに青筋を立て、険の籠もった眼力で粉砕させたという。

 去年の理数学教官よりも神経質らしく、毎朝始業の鈴が鳴る前から訓練場に現れる。眠いくせに無理してそう、と星花が言う程、常に血色の悪い顔だった。そうして荒っぽい授業である。

 些細な失敗に、ルウの民ともあろう者が恥を知れっ、と唾を飛ばして怒鳴ってきたりする。子供達は連日、びくびくしていた。泣き言や琉志央を懐かしむようなことでもこぼしたら、どんな報復が来るかも判らない。不気味な沈黙の中で朝の四十分が過ぎる。

 まだ一科が終わったばかりだったが、六歳教室の面々は疲れた足取りで校舎へ歩き出した。

「史学、だるいわ」

 だらだらと足を動かし、星花が肩を落とした。「来月からの課題も面倒そうなのに、一人でやんなきゃいけないし……五歳課程に戻りたい」

「理数学は組の課題で良かったよね」

 エンは冬の薄い青空を見上げながら応じる。刷毛で擦ったような白い雲が、ちらほらと横たわっていた。


 教室に入って史学の教本や筆記具を机に出していると、このところエンの後ろに座ることが増えた尾久が言い出した。

「ヘキト教官、おれんチの近所に住んでるみたいなんだよ」

 えっ、と星花が斜めに振り返る。それは、元々の魔術教官の名だった。エンも後ろを見て、頼里も横に身を向けた。

 尾久(おく)は、そばかすの辺りを指先でこすってから、言を継いだ。

「術力が無くなる病気らしいんだ。でも二、三日前から、やっとほんの少し戻ってきたんだって」

 術力が無くなるなんて、まるで幽閉の塔に入れられたみたいだ。

 エンは去年の史学で聞いたことが蘇る。

 悪いことをしたわけでもないのに、罰を受けたような病に侵されるなんて気の毒だった。

「じゃ、すっかり治ったら六歳の教官に復帰してくれるのかしら」

 星花が身を乗り出す。復帰してほしいな、と頼里が心底から思っている様子で言った。愚痴をこぼさない少年だけれど、やはり塗江にはいい印象が無いようだ。

 今度お見舞いに行ってみる? と星花が提案して、いいね、と少年三人は頷いた。

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