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燕二人  作者: K+
六暦621
35/45

34 招待

 翠界の春分、秋分は日付に変動が無い。三月と九月の二十日だ。

 メイフェス・コートでは、秋分を挟んだ三日間、月を愛でつつ収穫を祝うイー・ウー祭が行われている。

 各都はそれなりに賑わうが、ラル宮殿では特に催しはしない。

 祭の最終日も、平常通りに執務が始まっていた。

 処遇に苦慮していた警備処(けいびどころ)が思いがけず綺麗に片付き、詰所や寮だった建物をどう流用するかが新たな案件になっている。

 大陸の守護者たるルウの民の最大の仕事は、皇領のインフラ整備だ。予定や予算の大半はそれに割かれる。

 故にメイフェスを整えるのは二の次にされがちだが、()いた施設をあまり長いこと放置しておくわけにはいかない。利用してこそ、設備や建物はもつ面がある。

 宮勤めから提出された流用案や(みやこ)でのリサーチ結果を見ながら、栩麗琇那(くりしゅうな)は最善の道を探る。

 託児舎の拡大がベストかな……

 今年に入って首都で試験的に開いた〝保育園〟が、予想外に好評だった。ルウの民は両親とも某かの職に就いているケースが大多数で、次々に幼い子供が集まっている。

 職員の増員と施設の拡張希望が、早くから出されていた。

 今月中に六老と協議して決定に持っていこうとメモをしたところで、取次役が老長(ろうおさ)の訪れを告げた。

 通していい、と応じれば、速やかに泰佐(たいさ)が入室してくる。

 相変わらずかくしゃくとして、両手で一つの拳を作ると額に掲げ、老爺は正式な礼をとる。

「先の世会(よかい)に於いて、特別な御沙汰はありません」

 (てい)代理としての報告に、御苦労さまでした、と栩麗琇那はねぎらった。

 丁度良かったので、椅子を勧め、メモしたばかりの件について話しておく。泰佐は老の厳かさになり、煮詰めておきましょう、と頷いた。

「ところで、大君(おおきみ)からこちらをお預かりしました」

 泰佐が言いながら、懐から書簡を出してきた。「果ての地からだそうです」

「それは又、随分と珍しい所から」

 果ての地には、創世初期の動植物と太古の魔術、技法が残っていると伝えられている。人間より早くこの世界に生まれた、精霊と人間の中間に位置する存在〝大陸神〟が住まう。

 果ての地自体の実態は、周軌道がランダムな透過性の衛星らしい。故に、大陸やメイフェス・コートと接した際、たまに迷い込む者が居るそうだ。

 十八年前に栩麗琇那が失踪した折も、ソレではないかと言う者が当初は居たらしい。実際は、もっと別世界に迷い込んでしまっていたわけだが。

「返事は次の世会で構わないとのことです」

「そうですか」

 半年がかりでやり取りしようとは、大らかだ。

 手にした書簡には宛名が古語で書かれていた。栩麗琇那は微かに眉を上げる。

【カラ・ラル・ルウル】

 ルウの民ラル家の皇子(みこ)――つまりは燕宛てだ。

 裏返せば、古風に花弁を差し入れた封蝋が施されている。

「大君は、内容を御存知かな」

 栩麗琇那の問いかけに、泰佐は()の後、応じた。

「非常に興味深そうな顔をなさっておいででした」

 知らないようだ。

「五歳課程では、まだ一部の古語しか習っていない。最終的にわたしも目を通すことになるかもしれないが、構わないのか……?」

「使い(がみ)から託されたそうですから、中身は公用語で書かれているやもしれませぬ」

 使い神は大陸(がみ)の代表格だ。ルウの民が皇領のメンテナンスを担っているとするならば、使い神は翠界そのもののメンテナンスをしているらしかった。現存する言語を操るに、不自由など無い存在だ。

 栩麗琇那は一つ頷き、書簡を懐へしまった。

「とにかくも、先ずは確かにエンへ届けるとしましょう」

「さればわたしも、先程の案件を六老館へ届けまする」

 老長が退室し、ほどなく昼休憩時刻となり、栩麗琇那も席を立った。



 夜、エンは戸惑い気味に書簡を見た。

 封筒の表に、仮名でもない、真名でもないモノが並んでいる。

 ツバメが熟読していた『基礎呪文集言霊始め』にちらほら書かれていたから、文字だというのは判っている。しかしはっきり言って、記号だった。

 碧界にも変な文字があったけれど、古語と言われる書簡の文字も風変わりだ。棒と図形の組み合わせみたいな感じ。

『もし中身が読めなかったら俺が代わりに読むが、ルウの民は古語が必須だ。一人で解読していくのもいいと思う』

 父はそう言った。返事は来年の春分前までに用意しておけばいいらしく、時間の余裕があるからだろう。

 ツバメは多分、読める筈だ。読んでもらって手っ取り早く内容を教えてもらうべきか、きちんと自分で調べて読むべきか迷う。

 必須科目なら、今から必死にならなくても、いずれ学舎で教わっていくのだろうし……

 幼馴染み任せに思考が傾きかけていたら、見透かしたようにツバメが机の端に腰かけた。このところ、現れても寝台に寝転がっていることが多いから久しぶりだ。

「なぁ、なんで開けないんだ」

 少々不服げな口調に、エンは口をすぼめ、帳面や羽根筆を意味無く整えた。

「僕が古語、読めないの知ってるでしょ」

「ツバメは読める。ラル家の皇子宛てだ、さっさと開けろよ」

「どうして僕に、急に手紙が来たんだろ」

 エンは奇妙な封の合わせ目を慎重に剥がしつつ言う。

 ツバメは寸時、沈黙した。さぁな、と答にならない台詞を放ってくる。

 封筒の中には、横に長い長方形の、質のいい紙が折り畳まれて入っていた。そこはかとなく、母に似た優しい匂いが鼻先を掠める。

 紙を広げると、やっぱり古語が書かれていた。

「碧界の紙みたいに白いね」

 そんな感想しか言えずに、エンはツバメを見やる。同じ顔なのにエンには醸し出せない知的な風情で、幼馴染みは早くも文章に目を走らせていた。

 つと、眉根を寄せたのが判った。

「ねぇ、何て書いてあるの」

 我慢できずにエンは尋ねる。ツバメは、長い紙を机の端から垂らした恰好で、軽く足先を組んだ。

「要約すると――翠界と碧界の合いの子に会ってみたいから、遊びに来ないかって招待状だ」

 変な招待理由に、エンは知らず口が曲がった。

「僕、あんまり行きたくないよ」

「……ルウの皇子として直々に招待されているのに?」

「う……」

 エンは口ごもった。混血なのもルウの民の皇子として生まれてしまったのも、エンの所為ではない。

 しかし、ツバメも同じような立場の気がして言えなかった。

「結論は出てるな。納得の為の時間がたっぷり与えられてるわけだ」

 ツバメは僅かに口の端を上げ、手紙を適当に畳むと髪をかき上げた。「招かれてるのは皇子のみだ。母さんが心配して渋りそうだから、父さんが巧く言ってくれるといいけど」

「え――僕一人で行かないといけないの?」

「ツバメも行く。平気だ」

 幼馴染みがすっかりその気になっていて、エンは書簡に綴られた記号に目を落とす。出向けば何かいいことでもあると書かれているんだろうか。

 ちゃんと自分でも読んだ方が良さそうだな……

 思いながら、解ったよ、とエンは息をついた。


 その晩、ツバメはいつものように寝台に転がって本を読み始めたけれど。

 頁をめくる動きが、いつもより少なかった。



 月日は流れ、一年が終わろうとしていた。

 学舎の授業も各科、五歳課程が終了。魔術も、念動、(いん)、結界、光弾、眼力(がんりき)と子供達は漏れなく会得することが叶っていた。大陸から来た教官が、きっちり役目を果たした証だった。

 琉志央(るしおう)は大人の何人かにも魔術を教えていたようで、今後はその大人達が子供の指導を引き継ぐそうだ。

 来年も琉志央教官が教えてくれればいいのに、と言う子が少なからず居た。だが、広場の公示板には、青年担当が晦日で大陸へ帰る旨が公表されていた。

 リィリ共和国に行けばまた会えるエンでさえ、琉志央がメイフェス島から去ってしまうのは淋しかった。

 前から知っている人だったけれど、この半年間、毎日、一緒に昼食やおやつを食べ、五科で顔を合わせて、すっかり存在が当たり前になってしまっていたから。


 十二の月三十日の午後二時前、最後の五科に臨むべく、五歳教室の面々は訓練場に早めに集まっていた。

 最初の日は教官が遅刻したのよね、と星花(ほしか)が思い出話をして、周りに居た子が笑う。

 橙奈(とうな)は当初ほど熱を上げなくなっていたものの、琉志央に関してはエンより詳しいトコロがあった。

 彼女の入手した情報によると、例の〝退治〟の一件に巻き込まれた薬処(くすりどころ)の女性と、琉志央は随分と仲良くなっているそうだ。

 吊り橋効果かな、とツバメがよく解らないことを洩らしていた。

「教官は彼女をメイフェスに残して大陸で本格的に医事者を目指すそうよ。ひょっとしてハキョクかしら。わたし将来、大陸勤務したいかも。怪我しても教官に治してもらえるものね」

 橙奈の発言に、不純な動機ね、と星花は呆れ顔で呟く。良家の女の子同士だが、星花と橙奈は割と性格が違うらしい。それでも仲は悪くないようだった。

「その彼女みたいに薬師でも目指した方が、自然に関われるんじゃないの」

「薬を作ってメイフェスと大陸に貢献するのって、かっこいいかもね」

 尾久(おく)が小さめの目を意外にきらきらとさせて言う。近くに座っていた寿々玻(すずは)が、いいね、と話に加わってきた。

「僕はこの頃、担当から教わったことを活かせる仕事に就きたくなってるよ」

 それならやっぱり大陸勤務がいいと思うわ、と橙奈が喜々として言う。

 同窓生達が口々に、将来してみたいことや就いてみたい職を挙げだした。

 エンは何となく、両膝に顎を乗せ、耳を傾けていた。

 他の子はいろんな道に進めるのに、エンは皇帝になるしかない。父のようになれるとは到底思えないのに。

 不安と不満がエンの胸の中で渦を巻きかけた時、甲高い声で銘大(めいだい)が宣言した。

「ボクは若長(わかおさ)になるに決まってるしなー」

 冬の冷たい風が、ひゅうと通り抜ける音を聞けた。

 一同は、一様に白けた顔になっていた。

 本人は気づいていないようだったが、銘大への周囲の態度は、この半年で徐々に遠慮が無くなってきていた。

「銘大君がなれるなら僕もなれる。若長は手三種(てさんしゅ)かくじ引きでなれるようにならないかな」

 一人が笑いながら言った。交代でやればいいよね、と可笑しそうに同調する声も出て、じゃあやろうかな、と何人かが手を挙げたりした。

 そんなことを言われるとは予想だにしなかったらしく、銘大は小さく口をわななかせた。

「ふざけるなよ! ボクは父上の次の次に指名されるって、もう決まってるんだからなっ。お前達、ボクの言う通りに働くことになるんだ、こき使ってやるからな!」

 面白がっていた子達は、目を見交わしてちょっと肩をすくめる。

 橙奈が鼻を鳴らした。

「そんなの変よ。わたし、銘大が若長になったら六老館に言いつけるわ」

 止めるかのように寿々玻が少女の腕を軽く叩く。

 教官舎の方から、琉志央が来るのが見えた。

 締めに、誰かが口早に言った。

「老に言いつけなくたって、未来の帝がこの場に居るじゃない。銘大君を若長になんてしないよ」

 エンは、え、と声をあげそうになったのを辛うじて抑えた。

 そんなことまで、一方的に決められてしまっても――

 かーん、と時告げの鐘が鳴った。



 教室で、飛べないのは二人だけだった。

 少年は多分に、桁外れな術力の所為で。

 少女は単に、覚えが悪くて。

 教官は、困りましたねぇ、と目の奥に愉悦の光を宿しながら言った。他の同窓生も、秘かににやにやする者が多かった。

 その地位、容姿、才能――都に於いても学舎に於いても、少年は常に高みに位置していた。指を咥えて羨むしかできない者にとって、そんな彼が飛びあぐねている様は、暗い喜びを満たすに充分の出来事だったのだ。

 時間いっぱい取り組んでもできずに、少女はしばしば泣きべそをかいていた。少年は、いつも黙って教官の嫌味を聞いていた。

『まぁ、できないものはしょうがないんですけどね。本当は放課後も練習するといいんですよ、お忙しいだろうけどねぇ』

 十一の月生まれの十歳で、少年はそのままの年齢の教室に所属していた。放課後は速やかに宮殿に戻り、帝王学をも修めているという噂だった。

 本当なのか、少女は一度、少年の後をつけたことがあった。

 彼は、真っ直ぐ宮殿には行かなかった。公園の一つへ足を向け、ふっと姿を消した。恐らく、瞬間移動術。

 教官に言われた通り、放課後も何処かで練習していたのだ。


 やがて、少年は見事に宙へ舞い上がった。

 独学で、飛行術を会得してしまった。

 黙りこくった見物人の中に降り立ち、少年は少女に両手を差しのべた。

『君も飛べるよ』

 うろたえつつも、場に呑み込まれていた少女は手を取った。

 ふわりと、少年は空に向かった。

 落ちる、と怯える少女に、少年は両の手を握ったまま静かに告げた。

『足の下に、見えない台を思い浮かべればいい。怖いなら、なるべく大きい台』

 言われるまま、必死に少女は試みて――

『あ――!?』

『できたね』

 少年が少し目を細め、少女は大きく頷いた。

『飛べてる、わたし達――簡単に――こうすれば簡単だったんだ!』

 興奮して喋る少女の横で、少年は凛然と足下の地上を見下ろしていた。


 しばらくして、未熟を理由に魔術教官が辞任した。

 少女の世界は、少年を中心に回り始めていたのだが――

 一年後、彼は、世界そのものから消えてしまった。

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