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燕二人  作者: K+
六暦621
34/45

33 人知れず

 八の月も残り十日となった。

 徐々に朝晩は涼しくなってきているが、五科の時間帯は相変わらず暑い。

 三時を告げる鐘が遠く響き、琉志央(るしおう)(いん)術の紋を描き終えると手を下ろす。先月と違い、今月はみんなで教官と一緒に同じ動きを繰り返している。

 子供達がぱたぱたと腕を落とす中、胡坐を解いて立ち上がり、琉志央は一方に目を流した。誰か居るのか、手招く。

 植木の陰から、茶鼠色の髪の短い男性がするりと姿を見せた。父よりは年上に見える。堂々とした歩きぶりだった。

 琉志央がこちらに告げた。

「今日は、こっちに向かって来るアレに施してみろ」

 幼子達は座ったまま、一斉に男性を見て、そろりと指を上げた。するすると風の紋を描き始める。

 タイディ、と子供の高い声が次々に古語を唱えた。ぱぱぱっと、成功を示す眩い光が指先から迸る。

「動いてる相手に施せるなら、なかなかだぞ。じゃ、今日は終いだ」

 やったぁ、と歓声をあげる子が居る。(いん)は、何かが向かって来た時に防御の壁を生み出せる魔術だ。教官が見本として流れるように実演してくれたのがやけにかっこよくて、皆、会得を目指して夢中だった。

 満足げに一足早く頼里(らいり)が帰り、又ね、と星花(ほしか)も去った。残ったエンは琉志央の隣に駆け寄り、歩み来た人物を見上げる。

 男性は恭しく、両手を重ねると額に掲げた。

「お見事でした、皇子(みこ)

 琉志央の知り合いかと思っていたので、真っ先に声をかけられて面食らった。エンは恐る恐る応じる。

「ありがとう、ございます」

 男性は細い砂色の目を更に細めて笑んだ。両手を下ろすと、琉志央を見る。

「教官もお見事ですな」

 褒められたのにニコリともせず、琉志央は尋ねた。

栩麗琇那(くりしゅうな)から言伝でも?」

 いえ、と男性は(かぶり)を振る。

「申し遅れました、わたしは皇領アル地区にて主管補佐を拝命しております」

 何やらこちらに向けて男性は言った。お役目御苦労さまです、とエンは母が言いそうなことを口にする。主管補佐は微笑を返してくれた。

「皇子を見学に来たわけ?」

 腰が引けていたエンの頭をくしゃりと撫でて、琉志央が問を重ねる。主管補佐は再度、いえ、と言った。

「教官の見学です」

「俺かよ」

 ぼやくような見習い青年の呟きに、エンは思わず笑ってしまう。

「教官の魔術技能は未熟だと申す者が居るので、この目で確かめに参った次第」

 主管補佐が言い直した内容に、エンはびっくりした。

「担当は全然、未熟じゃないです」

「そのようで。見抜けぬ側が未熟を露呈しただけですな」

 厚い肩をすくめ、主管補佐は口の端を上げた。「これより帝に御報告に上がります。宮まで御一緒しても? 皇子」

「はい。どうぞ――みんなで帰ろう」

 自分が証言するまでもないと判り、エンはほっとした。魔術教官としては全く見習いじゃない青年を見上げてから、歩き出す。

 三人で宮殿へと向かいながら、琉志央が首を傾げた。

「つたないと評価されるよりはいいんだが……ちょっと見ただけで判るものか?」

「教官は随分早く、わたしにお気づきでした。そもそもあれだけ距離があって気づく者は、あまり居ませんな」

「けど、隠れてなかったし」

「……一応、潜んでいましたが」

「あれ、そうなのか。なんか、気づいてしまったな」

「まぁ、そういうところが先ず非凡ですな、教官は。それと、二ヵ月しないうちに生徒が漏れなく印を施せるようになっているとは驚きました。術力制御の叶わぬ者にはできぬこと。今年の五歳児達は見事な安定ぶりだ。魔術低迷に喘いで久しい我々には、ありがたいことです」

 そか、と琉志央の声音がやや嬉しそうになる。

 主管補佐が、苦笑気味に続けた。

「正直、警備役にも一から教授してほしいですな。学舎に立ち寄る前に連中の実技も見ましたが、今一つ粗削りで、即に警備を任せられそうにない」

「そういや、警備役を大陸に引き取りに来ているんだったか」

「さよう。人員をいただけるという話で喜び勇んで帰島したというのに、ぬか喜びとは、このことですな」

「ふむ」

「連中は、皇領統治こそルウの民の誉れであるのに、解っていないようでして」

 うんざりしたように主管補佐は語った。「〝大陸人に魔術教官が務まるような都を、我等が警護するには値しない〟とか〝今後、都程度の警備は大陸人にさせれば良い〟といったことを吹聴していたそうですが、いざ隊長に質してみれば、皇領勤務を願っての発言ではないと堂々と言ってきました」

「しかし、この(みやこ)では実力が発揮できないと言っているようには受け取れるな」

「まったくです。だのに、今になって、そういうつもりはなかったと言い出す始末で。挙句、教官の未熟を憂えて警鐘を鳴らしていただけだとか、どうにも苦しい言い訳を始めた。お蔭で、失礼ながら、確認する羽目になったのですよ」

 子供のエンにも、警備役達の言い分は変てこに聞こえる。

 何となく、大陸から来てくれている琉志央にそんな話を聞かれるのが、ルウの民として情けない気がした。

 斜め後ろを振り仰ぎ、大変なお役目ですね、とエンは感想を洩らす。

 琉志央は無言で眉を上げ、これはお恥ずかしい、と主管補佐が頭を掻いた。

「まぁ、大君(おおきみ)も略式の御許可をくださっていますので、もはや連中に言い逃れはできません。わたしの役目は、後は彼等を皇領へ連れて行くだけで、以降は主管にお任せすることになりますが……補佐としては今からキョウキョウたる気分ですよ」

 宮殿に入り、エンは琉志央といつものように後宮のある右へ足を向け、主管補佐は皇帝執務室のある左へ向いた。

 別れしな、補佐がつと指先に術力を集めたのが判った。

 琉志央と同じくらいの速度で、宙に何かの印を描く。速いと、印術はいかにも術者っぽい。ニヤリとして補佐は古語を唱えた。

「お蔭さまで六時間ばかり、枕を十六も積んで寝れそうですからな。教官も午睡用に、お一つどうぞ」

 快活に笑い、主管補佐は立ち去った。とても、かっこよかった。


 一時間ほどして、いつものようにおやつを食べ終えて帰ろうとした琉志央に、エンは駆け寄った。

「あのね、僕も枕あげる」

 ほぅ? と可笑しそうに青年教官は笑んで、エンが精一杯の速さで風の印を描くのを見ていた。

「なかなかのもんだ」

 くしゃくしゃと頭を撫でてくれる脇で、柴希(さいき)と見物していた母が、なんかかっこいいわ、エン、と両手を合わせて褒めてくれる。

 子供達と同じ感想ってどうなんだ、と琉志央は茶化すように言い、片手を上げて後宮を出ていった。



 二日後の朝、担当が警備役を退治したんですって、と橙奈(とうな)が興奮気味に教室で話していた。

 エンはいつもの席で、星花、頼里、尾久(おく)と一緒に、理数学の課題の答を確かめ合っていた。

「退治とは書かれてなかったけどな」

 橙奈の話が聞こえたようで、頼里が両手に顎をあずけつつ言う。公示板に出てたの? と星花が問うと、尾久が代わりに頷いた。ぽつぽつ語る。

「父様が怒ってたよ。大陸人といっても大事な子供の教官なのに、襲うなんてどうかしてる。警備役は授業妨害する気だったのかって」

「え、襲った?」

 星花が細めの眉をひそめる。エンも固唾を呑んだ。ほんの数日前に、警備役が妙な言いがかりをつけているらしいと聞いたばかりだ。

「担当と薬処(くすりどころ)の人を六人がかりで襲ったらしい。でも担当は六人とも捕縛したみたい」

 頼里が説明してくれる。「一昨日の夜だったようだけど、担当は昨日、いつも通りに授業をしてた。公示を読んで、びっくりした」

 エンも驚く。何事も無かったかのように、琉志央は後宮で昼食とおやつを食べていた。

「だって、わたし達の教官だもの」

 よく解らない理由で星花が胸を張る。彼女も、この件は〝退治〟と分類したんだろうか。

 尾久が、声量を落とした。

「父様が言うには、銘大(めいだい)の父様、今回のことで若長じゃなくなるかもしれないらしい」

 エンと頼里が小首を傾げる前で、ああ! と星花が身を乗り出す。

「そうよ、母様が言ってた。あの(おさ)はそんな器じゃないのに、何で前の長は指名したんだろうって」

 みんなの親は、何だか難しい話を子供にするんだな。

 エンは、いささかずれたことを思う。

「まぁ、今月中には(てい)が直々に裁判するみたいだよ」

 頼里がそう教えてくれたところで、一科始業の鈴が鳴った。


 四科が終わると、琉志央が何食わぬ顔で螺旋階段を降りてきた。

 同窓生の何人かが好奇の目を向けたが、担当は気づく様子も無く、腹減ったな、とエンを見て口角を上げる。

 纏う空気は常と変わりないと思う。それを乱すような、警備役を捕まえたの? といった問いかけを、わざわざする気にはなれなかった。



 一週間後、首都の広場に在る公示板に、事件のあらましや裁判の結果が貼り出された。

 難しい真名が多かったが、ほぼ読めた。

 琉志央は、大陸人というだけの理由で襲われたらしい。もう一人の女性も、大陸人と親しげにしていたからという理由で巻き添えを食ったようだ。

 放課後、エンと並んで貼り紙を見た星花が、口をつぼめた。

「何なの、警備役って。ルウの民って、みんなが仲良く暮らせるようにするのが役目でしょ。何やってるのかしら」

 隣で紙を見上げていた頼里が淡々と言う。

「まぁ、ルウとしてずれてるから捕まって、裁かれたんだ」

 捕まった六人以外にも警備役は悪いことをする人が多かったようで、警備処(けいびどころ)は閉鎖されるといった内容が書かれていた。

 若年層の寄合所の長については、何も記されていなかった。警備役は若者だけで構成されているのでもないから、結局、大して責任などは問われなかったのだろう。

 警備処で働いていた人々は、ルウの民の本分である大陸の守護者として、皇領で新たに勤めるらしい。

「叔父貴の話だと、皇領勤務って、本当はとても優秀な人しかできないんだって」

 頼里が学習道具の入った包みを抱え直しながら言った。星花は図書館の方へ歩き出しながら、えー、と口を横に開く。

「じゃあ、警備役、駄目なんじゃないの」

「皇領を帝から任されている主管は、物凄く厳しい人らしい。警備役、その人に性根から鍛え直してもらうんだって」

 あぁそういうこと、と星花は合点したように口許を緩める。

「大人って時々、わたし達より頭悪いわよね。やっていいことと悪いことも知らないなんて。せいぜい、しっかり教えてもらうといいんだわ」

 言っていいことと悪いこともある、とツバメが切り返しそうな台詞を星花は述べる。

 薄曇りの空を見上げ、エンは幼馴染みから注文を受けていた本を思い出した。忘れないように借りて帰らなければ。

 精霊についての本。

 精製術はだいぶ年長の課程で習う筈だけれど、ツバメなら理解も会得も可能なんだろう。

 また魔術に興味が出てきたのかな。

 そんなことを考えつつ、エンは級友二人と図書館へ向かった。

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