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燕二人  作者: K+
六暦621
33/45

32 魔術授業 Ⅱ

 四科終業の鈴が鳴った。

 五歳課程の子供達は、いそいそと帰り支度をする。

 頼里(らいり)が、また後で、と一足早く教室を出ていった。昼も親の手伝いをしているようで、彼はいつもすぐに帰っていく。

「今日は担当を見ないけど、寝坊しないでしょうね」

 言いながら星花(ほしか)が胸に布包みを抱えた時、階段から噂の新担当が下りてきた。

「安心しろ」

 聞こえていたらしい。残っていた同窓生が、笑声をあげながら教室を逃げ出す。慌てたようにエンの斜め後ろに回り込んだ星花に、琉志央は口の端を上げた。「慣れてきた」

「早いね」

 エンはちょっと目を見張る。琉志央(るしおう)は教室の入口へ足を向けつつ言った。

「大陸でも、よく居眠りしてるからな」

「今まで寝ていたの?」

「術書を見ながら、ちょいちょいな」

 エンは笑ってしまう。琉志央に通行証は発行しないそうで、今日は一緒に帰ってくるよう言われているから、後を追って教室を出る。隣に並んだ星花は、大人が居ると少々お淑やかになる。口をすぼめて青年担当を見上げていた。

 三人で渡り廊下から大校舎を通って、学舎の門をくぐる。

 星花の親は今でも迎えに来ている。又ね、と言ってから、少女は軽く膝を折って女の人の挨拶をした。母親の方へ小走りに行く。

 宮殿へ歩き出したエンの横で、琉志央は振り返り気味に星花を見送っていた。

「ありゃあ、なかなかいい女になるだろうな」

「星花?」

 エンは笑みをこぼす。「一番の仲良しだよ」

「やるなぁ、エン」

「うん?」

「まぁなんだ、仲良くしてろ」

「うん」

 素直に頷くエンの隣で、琉志央はすれ違う人を目で追った。向こうも青年異邦人を見ている。

 メイフェス・コートの首都はラル家の領地に在って、茶系の髪の人が圧倒的に多い。

 琉志央の暗色の髪は、母やサージ領の人達に近かった。エンの焦げ茶色よりも目立つ。

 今日も晴れて、二人が歩く並木の下は重なり合う緑の葉の隙間から日が射している。琉志央の頭にも光が斑に当たって、髪色が虹の下方を見るように綺麗だった。

「この島って、いい女が多いのかな」

 機嫌良く青年が言い、エンは小首を傾げた。

「見習いさんは、母上以外の女の人も好きなんだね」

 琉志央は、ちょっとだけ口を曲げた。まぁな、と応じる。

「俺くらいの歳の男は、そういうものさ」

「見習いさん、幾つ?」

 両親とハイ・エストよりは若かった筈だ。

「先月、二十四になった」

 エンはいささか驚いた。

「母上より二つ近く年下だったんだね」

「そういや琴巳(ことみ)は、下手すると成人したてにしか見えないな」

 琉志央は短く笑った。「あいつ、変わんねぇなぁ。エンが生まれる前から、あんな感じだぜ」

 へぇええー、とエンは不思議な心地で応じながら、宮殿前の階段を上がる。琉志央は、珍しそうに白亜の建物を仰ぎ見てからついて来る。

「おかえりなさいませ」

 門前に居た取次役代表が緊張気味に寄ってきた。戻りました、とエンは返す。菊也(きくや)は琉志央を見た。「こちらが五歳担当ですね?」

 そうです、とエンが頷くと、どうぞ、と菊也は門を手で示す。

 琉志央は、微かに口笛を鳴らした。

「ものものしいな」

「もう一箇所、門が在るよ」

 エンは歯をこぼす。「勝手に閉まるんだよ、楽しいよ」

「そういうトコは年相応だな」

 可笑しそうに言う青年と、エンは細く開いた正門を通った。内門の門番と取次役も門前と同じように琉志央を確認して、通過が認められる。

 昼でも薄暗い執務宮(しつむきゅう)の廊下を右に行く。道なりに角を左に曲がった所で、柴希(さいき)和斗(わと)に会った。

「おかえりなさいませ、皇子(みこ)

 夫妻が相次いで声をかけてくれる。ただいま、とエンは顔をほころばせた。この二人が、宮殿では一番気安い。

 柴希が、琉志央を見てニッと唇の端を上げた。

「頑張ってるみたいね」

「さぁな」

 長袴の隠しに親指をかけた恰好で、新担当は少しだけ肩をすくめる。

「皇子の御様子で、そこそこ上手くやってるのは判るわ」

 柴希はあでやかな笑みを浮かべる。夫妻はエンに一礼して立ち去った。見送る琉志央は首の後ろをさする。

「まだエンには何も教えてないぜ」

 そうだね、とエンはくすっと笑って再び歩き始めた。後はひたすら真っ直ぐ進めば境界の扉だ。

 境界役の控え席は(から)だった。父が後宮に戻っているからだ。柴希が執務宮に居た時点でエンは判っていた。そのまま、大きな扉を開ける。

「着いたよ」

「長かったなぁ」

 琉志央が後宮に入り、エンは扉を閉める。閉めて、食堂へ走った。

「ただいまー」

 長い暖簾を分けると、父が食卓に皿を並べていた。

「おかえり」

 低声が響けば、厨房から母が顔を覗かせた。おかえり、と白い歯を見せる。

 エンの背後から、よぅ、と琉志央が食堂を覗き込んだ。今一度、おかえり、と両親が言う。

「今日は、ナポリタンよ」

 母が碧界料理の名を告げて微笑んだ。「すぐ出来るから、急いで手洗いうがいをしてきてね」

 はぁい、とエンは応じる。

「洗面所、こっちだよ」

 エンが振り仰ぐと、琉志央は思いのほか穏やかな雰囲気を纏っていた。

 父が母と居る時に、似ていた。

 エンは目を細め、ついて来る青年に言った。

「幸せそう」

 琉志央は、気恥ずかしそうに口許を片手で覆った。くぐもった声で洩らす。

「数人で食卓を囲むのが好きなんだよ」

「多い方が楽しいね」

 エンが笑みをこぼすと、琉志央はくしゃりと頭を撫でてきた。

 これまでで一番、優しい撫で方だった。



 晴れの日が続いている。

 七の月も中旬を過ぎた。

 今日も、五歳教室の子供達は、訓練場でめいめい日陰に座り込んで、木片と対峙中だ。

 教官の琉志央は、大木の根元で胡坐をかいて、それを眺めている。

 魔術授業に関する不安は杞憂で、エンは容易くやりようを呑み込めた。

 地面に付けた目印に術力で木片を運ぶというのが、現在、練習している内容だ。叶う限り揺らさずに移動させろと琉志央は指示してきた。

 割合に難しいことのようだが、エンは術力が少ない所為なのか力加減を簡単に掴めた。

 月末に魔術も試験をするらしいけれど、珍しくエンは自信がある。

 木片を見つめ、大きさや重さを想像する。移動させたい場所に、木片を思い描く。それだけで、すいと動いてくれる。結界を誰かに張るよりも楽だった。

 結界でくるむような空想をすれば、木片は宙でくるくると回転を始める。

 先ずエンがあっと言う間にできるようになって、ほどなく頼里も同様に操るようになった。星花はそれで焦ってしまったみたいだけれど、つたない言葉ながらも体感をエンと頼里とで口々に伝えたら、彼女もできるようになった。

 他の子供達も、似たように収得していっている。上手い者を盗み見たり、気の合う者同士で、競ったり、助言し合ったり。

 皆、大体、熱心だ。他の科はすっかり遅れ気味らしき銘大(めいだい)も、魔術はそれなりに真剣に取り組んでいる。

 遠く、集会場の鐘楼で、かーん、と時告げの鐘が鳴った。

 パキ、と木が折れるような音がする。見ると、尾久(おく)が木片を割っていた。鐘に反応して術力が乱れてしまったようだ。

 新担当は、口の悪さは前担当に近かったが、子供達がしくじっても、それをあげつらうことは無い。

「肩の力抜いて、深呼吸しとけー」

 琉志央はのんびり言って、立ち上がった。「今日はこれで終いだ。こけずに帰れよ」

 はぁい、と素直に応じる者、こけないよぅ、とへらりと笑う子、何か飲み始めたり、ぱくつきだす子も居る。様々だが、みんな新しい魔術教官には気を許していた。

 初日の、銘大の父親との一件が大きかった。

 五歳児達の目にも、〝老の次に偉い〟人より、新担当の方が強いと明らかだったのだ。そのくせ、それを鼻に掛ける風でもない。

『気安いながらも実力的に不可侵。教官として、いい立ち位置だな』

 ツバメはそう評していた。

 教室などでは橙奈(とうな)が憚りなく、琉志央教官って素敵、と目を輝かせている。気の多い子ね、と星花は呆れていたが、橙奈に同意してきゃぴきゃぴと新担当の話で盛り上がる女の子は何人か居た。



 八の月に入ると、エンは〝出来損ない〟との陰口をぱったり叩かれなくなった。

 先月末の筆記試験は首席を保ったし、魔術試験も一発で合格できた。

 生卵を念動術で指定の場所まで運ぶというのが試験内容だったが、コツを把握していたし、楽勝だった。

『皇子が基礎魔術に苦戦してたら話にならない。気を抜くな』

 ツバメはそう述べてから、寝台に寝転んで使い(がみ)の物語を読み耽っていた。

 段々と、ツバメはエンの勉強を見てくれなくなっていた。一瞥し、大体あってる、と言って済ませてしまう。

 本当はそれが普通なのだけれど。

 他の子は、皆一人で予習も復習もしている。ただ、エンは最初からいつもツバメが居てくれたから、要らぬ不安をいだいてしまう。

 仕方無しに何度も一人で見返すうち、()が更けていく。

 これまでエンの方が遅くまで起きていることなど無かったと思うが、気づくと幼馴染みが先に寝台で眠ってしまっていることがあった。

 自分の寝顔もこうなのかと思うと、不思議な感覚だった。

 開きっ放しの本を閉じて、起こすのもナンなのでそのまま横に潜り込む。

 傍に手をついた時、そっくりだと思っていた相手の色素の薄さに気づく。夏場で、エンはほんの少し日に焼けたのか。投げ出されたツバメの手首は、無垢としか言いようがない程に白かった。

 真夏へ向かっているのに、微かな息づかいと仄かな温もりに安堵して、エンは幼馴染みごと上掛けにくるまる。

 朝には、幻のようにツバメの姿は無くなっていて。

 夜には、前日同様に本の続きを読みに現れた。


 緩やかに、時の砂はこぼれていった。

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