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燕二人  作者: K+
六暦621
30/45

29 変転

 暦は四の月になった。

 ラル宮殿自室の姿見の前で、エンは鞄を肩から掛けた。先月使っていた鞄は珈琲染めで、今月は茶染めだ。洗ってもらって、新品のようになっている。

「遅れるぞ」

 窓の張出枠に背をあずけているツバメが、言った。日射しの加減か、髪色が父に近く見える。「まさか、まだ時差ボケじゃないだろうな?」

「もうボケてないよぅ」

 エンは笑声をこぼした。「ねぇ、父上の洗ってくれた鞄、ぴかぴかだね」

「父さんは変な術力の使い方をするよな」

 ツバメは頭の後ろで両腕を組んだ。「洗濯なんて大方のルウは水の精霊に頼んでるのに、念動で水を回転させるなんて……洗濯機の影響か」

「あぁ、碧界にあったからくりかぁ」

「父さんがあんな洗濯をしてるなんて宮勤めに知れたら、益々威厳が損なわれる」

 やや不貞腐れたような顔で、ツバメは言う。

 碧界から家族で帰ってきて以来、宮勤めの人々が父を見てニヤニヤしているそうなのだ。エンには、そう見えなかったが。

 確かに以前と違う気はする。以前、父とすれ違う時、宮勤め達は緊張気味だった。この頃、それが緩んだように思う。宮の雰囲気が、少々和やかになった。

 父上は父上のままなのに、どうしちゃったんだろ。

 小首を傾げるエンに、ツバメの声が飛んできた。

「本当に遅れるぞ」

「わ、ホントだ」

 エンは慌てて部屋を出た。廊下を走りだす。

 角を曲がった所で、こちらに歩いてくる母と柴希(さいき)が見えた。

 あ、と母が綺麗な顔をほころばせた。

「お父様が待ってくれてるわよ」

「いってきまぁす」

 走り抜けつつ、エンは母と柴希に手を振る。更に角を曲がると、父が境界の扉を開けかけていた。エンは傍に駆け込む。父の大きな手がエンの頭を撫でた。

 境界役が、おはようございます、と目を細める。鐘結界の手続を交わし、父はいつものように言った。

「コトミと柴希が居る。宜しく頼む」

「いってらっしゃいませ」

 爽やかな笑顔で境界役が一礼し、いってきます、とエンもお辞儀をしてから父に並ぶ。

 向かいから書き物を持った宮勤めが来た。さっと立ち止まり、おはようございます、とこれまた笑顔で頭を下げる。エンが同じく返す横で、父は普段通りに、おはよう、と表情を見せないまま片手を上げる。

 角に差しかかった辺りで、エンは改めて思った。

 なんでか解らないけど、笑顔が増えたんだ。

 正門に着き、ぽんと父が背中を叩いてくる。

「気をつけて」

「うん、いってきます」

 エンが元気に応えると、父は片手を上げて歩み去る。廊下の先で、また明るく挨拶する人が居る。例の如く応じる父を横目に見て、エンは門をくぐった。

 周りに笑顔を増やしたのが父上なら、素敵。威厳を保つより、いいんじゃないかな。

 宮殿前の広い階段を降りながら、エンはふと可笑しくなった。

 ツバメは、父のことをあまり良く言わない印象があった。しかし本当はツバメにとっても、自慢したい、立派な父なのだ。

 じゃなきゃ、父上が笑われたように見えたからって、不貞腐れたりしないよね。

 エンは笑いたいのを堪え、石畳の通りを初級学舎へと向かう。

 碧界へ行ってから、エンはツバメに対する意識が少し変わった。

 それまでは、得体が知れない幼馴染みだった。名前を返せと言われたことで、遠慮もあった。

 今も得体は知れない。ただ、とても近しく思える。本当の意味で、幼馴染みになったような気がしている。

 母が同窓会に行った翌日の夜、ツバメは姿を見せてくれた。

 あの時の嬉しさを、忘れられない。


 学舎の黒い柵門を抜け、エンはささやかに覚悟する。

 昨日、月末の試験があった。結構間違えてたぞ、とツバメが肩をすくめていた。今回、首席は無理そうだ。

 銘大(めいだい)より下だったら、ツバメが膨れっ面になりそうだなぁ。

 渡り廊下を教室に向かって歩き、エンはちょっと天を仰ぐ。

 ツバメを思うのは、そういう時。

 幼馴染みが何者か、エンは考えるのをやめていた。



 教室入口で月末試験結果を見たら、エンは星花(ほしか)と一緒に三位だった。

 二位が頼里(らいり)。一位は寿々玻(すずは)

 寿々玻君はやっぱり頭がいいし、頼里君は、もうすっかり追い着いちゃってる。

 エンは、いつもの席に向かいながら感心する。

 既に窓際の席に着いていた首席少年の隣には、三つ編みの少女が居た。

 エンが碧界に行っている間に、五歳教室には変化が起こっていた。最後の生徒が加わったのだ。今、寿々玻の隣に座っている少女だ。良家の子で、橙奈という。

『大変だったのよ――』

 そう言いながらも星花が可笑しそうに語ってくれたところによると、彼女の出現で、銘大と寿々玻の微妙な仲が壊れたらしい。


 相変わらず、五歳教室の中で寿々玻は一番背が高い。顔立ちもいいし、大人びた雰囲気も手伝って、なかなかに目立つ。

 橙奈(とうな)は入学するや、早速、寿々玻に目を留めたそうだ。色々と教えてほしいと、彼を頼った。

 要するに、銘大と似た行動に出たのだ。

 銘大は、それが気に入らなかったとか。

 エンが碧界に行っていた所為で、同窓生の総数は奇数になっていた。だから、組作りで又も揉めた。

 そこで、例によって銘大が駄々をこねたらしい。

 初めての組での課題だからと、寿々玻は橙奈を見捨てられなかったようだ。粘り強く、銘大に別の子と組むよう勧めた。だが銘大は聞く耳持たず、あろうことか、癇癪を起こして教室で眼力を放った。それが、直撃は免れたが橙奈の耳を掠めた。

 星花の見た分には掠り傷もいいところだったらしいが、橙奈は派手に泣き騒いだようだ。

 そうして遂に、寿々玻の堪忍袋の緒が切れてしまった。

『〝もう、うんざりだ、銘大! 僕は僕の組みたい人と組む。それは君じゃないっ。僕は毎日、君の課題をやる為に学舎に来てるんじゃない!〟って、一気にまくしたててね、みんな唖然。めーだい君は、ぽかーんとしてから、みっともなく大泣き』

 父上に言いつけるだのと銘大は脅し文句を喚いたらしいが、勝手にすればいい、と寿々玻はきっぱり言い切ったそうだ。

 誰かが担当に仲裁を頼みに行きそうな状況だったが、皆、銘大の振る舞いには嫌気がさしていたようで、そのまま放置されたという。

 その場で見物したかったな、と後からツバメが心から悔しそうに感想を述べていた。

 その日は銘大が一人仲間外れになり、翌日は能登(のと)が渋々の様子で若長の御子息と組み、いつも能登と組んでいた尾久が独りぼっちだったらしい。

 結局、先月最後の数日間、組で行う課題はエン、星花、頼里、尾久(おく)手二種(てにしゅ)をして組作りをしたものだ。今月もそうなりそうな気配である。


 尾久は平素からおどおどした感じの少年だが、悪い子ではないと思う。何日か一人で過ごす羽目になって、それが気楽だったというようなことを、そばかすを掻きながら、ぼそぼそと洩らした。

 目覚めかけの一匹狼ね、と星花が面白そうに評していた。



 そんなこんなで時は流れ、六の月も終わろうかという日、公示板で読んだと言って、頼里がびっくりする情報を教えてくれた。

 ユウタが退任し、新しい五歳担当として、蒼杜(そうと)・ハイ・エストの弟子がメイフェス・コートに来ることになったそうなのだ。

『見習いさんが魔術を教えてくれるってことだよね』

 夜になってエンが言うと、悪くない、とツバメは静かに応じただけだった。

 魔術に関することだから、もっと色々と、ツバメなりの見解を熱く語ると思っていたのに意外だった。


 ツバメは術書ばかり読んでいる印象があったが、碧界から帰ってから、読みたがる本の傾向が変わってきてはいた。

 世界の成り立ちを記した歴史書。大陸神(たいりくがみ)と呼ばれる存在。人に、稀に生まれると言われる精霊級の逸話。

 黙々と文字を追う姿は、今までと同じだったけれど。

 時々、光を背にしていると輪郭が淡くぼやけて見える気がした。何故かしら、本の中にそのまま溶け込んでしまっても不思議じゃないような――

 気の所為なのか何なのか。

 思わず名を呼んだことがあった。けれど、普段通りに書物から顔を上げ、不審そうに自分と同じ黒眼に見つめられれば、エンは誤魔化し笑いを浮かべるしかできなかった。

 今や、出来損ないの皇子(みこ)としては、目前に迫った魔術授業が気懸かりで。

 ささやかなツバメの変化に、正面から向き合うまでには至れずにいた。

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