24 婚の儀
二の月五日、サージ領都に招かれた人は皆、正装に身を包んでいる。
大きな集会場には、左右に長椅子がずらりと並んでいた。そこにほぼ隙間無く、集まった人々が座っている。
高く山型に吹き抜けている天井には、贅沢を承知の明かりが、縦横に渡る梁のあちこちに吊るされていた。上部にある縦に長い窓の外は、群青色に染められた夜だ。
先日ティカ領都で行われた華燭の典もこんな感じだったろう。
当主の慶事が続き、一同の表情は明るい。
母はうっとりと、前方の父を見つめていた。奥で、藍色の丸い敷物の中央に立っている。
本日の主役たる千歳と践朱も同じ所に立っているが、瞳の蕩け具合からして、彼女は夫しか見ていないと思われる。
六年前、皇帝と妃が婚の儀で誓い合った言霊は〝幸いをこの女性に〟と〝この男性と共に歩みます〟だった。千歳と践朱は〝誠実をこの女性に〟と〝この男性に真心を〟を宣誓した。
儀を六神と契約神に捧げることを告げ、父は指を鳴らす。無事、大君の代理人を務め終えた。
母が感極まったのか拍手する。横の皇子も手を叩いた。ちらほら周りも手を叩きだし、さほどせず、会場には拍手の音が満ち満ちた。
千歳と践朱が敷物の上に並んで立ったまま、揃って肩をすくめている。終わったら拍手する慣習なんて無かったから。
二人の向こうに佇む父は、やんわりとした目で妃を見ていた。母の隣で枸紗名もにこにこして手を叩いている。まるっきり、大君でなく父親だ。
しばらく拍手は続いたが、徐々に静まった。父が端に控えていたサージ領の老らしき者達に頷いて見せる。中の一人が、朗々とした声をあげた。
「引き続き祝宴を催したく、御列席の皆々様には、しばしお待ち願いまする」
人々が、歓談と共に席を立つ。
枸紗名も立ち上がりながら、いやいや良かった、と満足そうに言った。
「いい祝福を得られた婚の儀だったな」
はい、と後ろに居た蒼杜が微笑む。新郎の友人として、大陸からの特別な客人だ。皇帝が婚の議をした当時は叶わなかった招待である。ルウの民も、少しずつ寛容になってきている。
新婚夫妻と皇帝が、連れ立ってやって来た。御苦労だった、と大君が帝に声をかける。父は一礼で応じると、母に並んだ。妃ははにかみ顔で、夫の臙脂色の上着の袖をつまむ。
サージ家の濃い青の上着を纏った千歳が、幼馴染みに言った。
「来てくれてありがとう」
こちらこそお招きありがとうございます、と蒼杜は笑み混じりに応じる。大陸は現在、午前八時頃。医術師は友人と手を握り合ってから、案内に導かれて集会場を出ていった。来た方法と同じく、陣舎にある瞬間移動の陣で帰るのだろう。
婚の儀が始まる前に枸紗名が皇妃に話していたが、千歳はサージ宮殿に婿入りしないそうだ。
一晩泊まって、明日にはリィリ共和国に戻るらしい。今後も、身体が動くうちはあちらで剣を活かした仕事を続けるのだという。奥方とは別居の新婚生活となるようだ。
『まぁ、践朱がせっせと通うだろう。アレは、変わった大公なのでな』
枸紗名は、可笑しそうに言った。『なんでも、大公位を継ぐよう母親から言われた折、ゆくゆくは千歳を夫にするようにとも言われていたようだ。三つ子の魂と言うヤツかな』
皇妃が黒曜石のような瞳を上向けた。
『小さい頃から千歳さん一筋って感じ……?』
『そう。践朱の母である我が妹は、甥を大陸で育てざるを得なくした当時のサージ六老に随分と反発しておってのう。わたしも千歳もとうに諦めていたのに、何とかしてサージ家の歴史に千歳の名を残そうとしたわけだ』
妹君だろう美女に目をやり、枸紗名は目を細めた。『兄の嫡男が大公を継がぬのに自分が継ぐわけにはいかないと申して、己が長子に位を託してな』
『それで、姪御さんがサージ大公になったんですね』
枸紗名は悪戯っぽく笑った。
『兄妹揃って変わり者だった為、サージ大公家は複雑な系図となった』
『その辺が、践朱さんが変わってる謂われ……?』
『さて、践朱は我等兄妹より変わっているやもな。アレは母親に言われるまでもなく千歳に惚れ込んでおってな。成人前から、栩麗琇那がそなたの元に通っていたのと同じに、千歳の元に通っていた』
『……それって、ルウの人にとっては、変わってたコトだったんですか……?』
『いやいや、践朱が変わっているのは、この後だ』
ひらひら手を振ると、枸紗名は語った。『千歳は、そなたと同じで術力が殆ど無い。それを気にして、践朱のたてた婚の誓いを断り続けていた。そんな相手が居たもので、大陸の者と結婚するわけにもいかず、ずるずると齢を重ねてしもうた』
『なるほど』
『うむ、上手い合いの手――さても、千歳はあの通り、わたしに似て見た目は悪くない』
『ふふ、そうですね』
『頭も回るし優しい男だ。リィリ共和国のいい男として五本の指には入ろう』
『うんうん』
『そこへ、昨年の秋、かの国の執政が一つの催しを起こした。独身者ばかりを集め、集団見合い会を行ったのだ』
『わ。践朱さん危うし』
『ははは。そう、何も知らず、いつものように千歳に会いに来た践朱は、事情を知るや、会場に駆け込み、隅で女性に囲まれていた千歳の手を掴んで宣言したそうな――この者は独り身にあらず、サージ大公のモノ! と』
『わぁあ。お芝居みたいー』
母は両手を合わせて双眸をきらきらさせる。
『公言されては観念するしかない。千歳は践朱のモノとなった』
大君は、おどけた顔で締め括った。『わたしは、そなたのような可愛らしい妻を迎えて欲しかったのだが、もはや何も言えぬ』
皆様どうぞ! と、先程と同様の朗々とした声が響いた。
会場には、深緑色の布を張った縦長の卓が数列と、椅子付きの円卓が多数出されていた。
長い卓上には、美味しそうな食事の数々と、数種類の飲み物の器が置かれている。幾つか、銀製食器と硝子杯がまとめ置きされた卓もあった。
「ばいきんぐ形式?」
母が小声で異界語らしきモノを口にすると、あぁ、と父は優雅に妻の手を取る。
「さり気なく途中で抜けさせて欲しいと頼んだら、千歳がこの形式を取ってくれた」
「最後まで出ないの?」
「柴希と和斗の時と同じ理由で」
そっか、と母は頷く。柴希と和斗の儀の時も、燕を寝せるのでと、祝いを告げてからすぐに帰ったのだ。
母は横について歩くエンに目をやった。息子が五歳の幼子だと思い出したようだ。明日も学舎があるし、そうそう夜更かしさせられても困る。
銀の盆に各々食器を乗せ、それに料理を取り分けると、皇帝一家は端に空いていた円卓を囲んだ。いただきます、と声を揃える。
いつもより一時間は遅かったので、エンは空腹だったのだろう。もりもり食べだす。
「ちゃんとモグモグしてからゴックンするのよ?」
注意を促す母の声が心なしか弾んでいた。家族でこういう外食は初めてだからか。
幸せそうに母も食べ始める。父も品良く匙を手にした。
招待された皆、それぞれの場所で料理を間に談笑している。中央付近の円卓では、大君がサージ領の老達と笑顔で話していた。新郎新婦は、卓を巡っている。出席者に挨拶しているのだろう。
母がつと匙を止め、硝子杯の赤葡萄酒を揺らしている父に問うた。
「この祝宴、何時までやるの?」
「天からウル・ラ・カーの色が薄れるまで」
愛を司っている水の女神は、青系統がそれを象徴する色だ。つまり、夜空が白む頃までといったところか。
「だから子供の出席者が他に居ないのね」
「まぁ、遅くまでやる所為もあるけど、皇族の婚の儀に出席できる子供はそう居ない。外には子供も集まっているだろう。祝い酒の他に菓子も振る舞われるから」
ナルホド、と応じた母の横で、エンが匙を置いて羨ましそうに言った。
「僕もお菓子欲しいな」
父は葡萄酒を一口飲んでから、一方を指した。
「あの卓に後で行ってみよう。果物の他に幾つか菓子も見えたから」
わぁい、とエンは歓声をあげ、食事を再開する。
やがて、一家は菓子を選びに席を立った。
先刻と同様にそれぞれ好きな物を持って元の円卓に戻ると、千歳と践朱が仲良くやって来た。
大公は、はきはきと言った。
「帝、こんな隅にいらしたとは控え目だこと。今宵は貴男も主役の一人だったのに」
「確かな主役が居ればこその栄誉だ。今宵の機会を感謝する。二人にウル・ラ・カーの厚い御加護があらんことを」
父は悠然と応え、家族を示した。「妻のコトミと息子の燕だ。共に招いてくれたこと、重ねて感謝する」
御結婚おめでとうございます、と母が祝辞を述べる。続いてエンも真似をした。
儀式でかぶっていた薄布を外した践朱は、親に似てなかなかの美女だ。皇帝一家の祝詞に、華やかな笑顔を浮かべた。
「わたし達も、貴方がたのような良き家庭を育めるよう頑張るわ。ルウの一角を担う者同士、以後も良しなに」
践朱が言うと、刻限まで楽しんで下さい、と千歳が締め括った。二人は中央の円卓へと歩いていく。
母は蜜柑氷を匙にすくいながら目で追う。枸紗名が、姪であり義理娘ともなった践朱と、にこやかに話をしている。
「千歳さんが結婚したし、叔父様、もうウチには遊びに来てくれないかしら」
呟くように母は言う。父が肩をすくめた。
「千歳達は別居を選択したから、夫婦間を邪魔したいらしい叔父上の矛先はこちらに向いたままだ」
母がくすくす笑った。
「じゃ、お孫さんが生まれるまでは遊びに来てくれるかな」
林檎の包み焼きを綺麗に平らげたエンが、訊いた。
「叔父上、お祖父様になるの?」
「践朱さんが赤ちゃんを産んだらね」
「生まれたら、叔父上も長生きしてくれるね。嬉しいな」
母が、そうね、と優しく目を細めると、エンは思い出した。「叔父上の名前は枸紗名だよね。僕、碧界に居るお祖父様達の名前も知りたい」
「あれ、言ってなかったっけ。ごめんごめん」
母が名を列挙する。
身体の奥底から力が漲る気がした。
恐らくコレが、封印を解く言霊。
母は碧界の家族を脳裏に蘇らせたか、蜜柑氷の器に匙を入れたまましんみりしている。
エンは教えられた名前を頭に刻むような顔をしてから、ちょっと小首を傾げた。
「母上、蜜柑氷、美味しくない?」
「ううん。さっぱりして美味しいよ?」
自分も欲しそうに、エンは菓子の卓に目をやる。母の手作りより美味そうには見えないのに、どれだけ食べる気か。
取ってきていいぞ、と父が許した。エンは顔を輝かせ、椅子を下りる。ててっと走りかけたので、こういう場で走るな、と囁いておく。
素直に足を緩めたエンの背後で、父が母に何か耳打ちしていた。
母が瞠目する。慌てたように、ごめんなさい、と淡紅色の唇が動いた。
ほぼ確定だ。
父が更に何事か説明しているようだ。母が表情を引き締めて顎を引く。
さっき、もしエンが復唱していたら危険だった筈。だが、父は表向き平然としていた。
ひょっとすると〝コトミ〟以外は名前だけではない……?
夜は、これからだった。




