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燕二人  作者: K+
六暦621
24/45

23 血縁

「オジさん?」

 エンは、両親に聞き返した。「婚の儀って、若のコトじゃないよね?」

「そう、千歳(ちとせ)の儀は、来週だ」

 窓の張出に母と並んで寄りかかった父が、応じた。「その後、三の月に、コウシも婚の儀をするそうだ」

 時計の針は九時十五分を指している。夕食後に三人でお喋りをするから、〝おやすみ〟を言う普段の父母は、来てから五、六分で部屋を出る。今晩は、ちょっと長い。

 話が長くなっているのは、一緒に婚の儀に出て欲しいの、と母が頼んできたからだ。春分から一週間ばかり、母は故郷に出かけることになったと言う。その理由が〝オジさんの婚の儀〟。

「コウはね、母様の実の弟なの。だからエンには、血のつながりが近い叔父様よ」

 そっか、とエンは母に相槌を打つ。

 今まで考えていなかったが、言われてみれば、自分は異界に親戚がいるのだ。母は或る日突然、今の姿で誕生したわけではないのだから。

「今まで話す機会が無かったけど、碧界には、お祖母様とヒイお祖父様、ヒイお祖母様もいるの」

「ヒイって何?」

「お祖母様の親を表す言葉よ。これは、エンにとっての呼び方ね。ヒイお祖母様にとっては、エンは孫の子供だからヒ孫になるの。真名はおんなじ」

 母は掌の上に、指で字を書いた――〝曾〟。

「なんで、こっちにはお祖父様もお祖母様もいないのに、碧界には曾お祖父様や曾お祖母様までいるの」

 腰かけた寝台から見上げると、母は困ったような顔をした。その横で、父が口を開いた。

「こちらのお祖父様達はエンが生まれるのを知らなかったから、病気で亡くなってしまった。碧界のお祖父様達は、エンが生まれたのを知れたから、病気をしないようにして、長生きをしてくれてるんだ。いつか会いに来てくれたら、会えるように」

「――じゃあ、僕、行かなきゃ。母上、僕は、曾お祖父様達に会ってから、コウシ叔父上の婚の儀に出たいな」

 エンが言うと、母は嬉しそうに両手を組んだ。なのに、ありがとぉ、と言った目にじわっと溢れるモノが見え、エンはいささか慌ててしまう。「な、なんで泣くの、母上」

 あれ? と母は目尻を押さえる。とても嬉しい時も涙は出るんだ、と父が教えてくれて、エンはほっとした。

 一週間前、ツバメから深刻な秘密の話を聞かせてもらって、エンは前よりも母の身が心配になった。だから翌朝、エンの為に危険な外へ出ようとする母に言った。

『僕、一人で行って帰ってこれるから。母上、ついて来なくていいよ』

 母は、え、と言ったきり、境界の扉の所で立ち尽くした。やおら瞳が潤みだし、エンはぎょっとした。言い方が拙かったらしいとオロオロしたエンは、傍に居た父から、先に行きな、と告げられた。

『言ったからには、行きも帰りも気をつけろよ?』

 父の声が笑みを含んでいたから、いってきます、と応え、エンは振り返り振り返り境界を出たのだ。

 ――あの時も、僕が一人で行って帰れるようになったから、嬉しくて泣いたのかな……?

 エンは、目尻を拭ってから長い睫毛をパチパチさせる母を見る。父も母を見ていたが、あぁ、と呟くように言うと懐に手を入れた。書簡を取り出し、こちらに向ける。

「明日、これを担当に渡してくれ。碧界に行っている間の、学習予定を知らせて欲しいって内容だ。事前に範囲が判っていれば、出発までに少しずつ進めておいたり、碧界で暇な時にできるかもしれない。後から一週間分詰め込むより、いいだろう」

「分かった」

 エンは受け取ると、寝台を降りて鞄に入れる。

 両親が窓辺から離れた。おやすみ、と、母と父の順で言い、部屋を出ていく。

 一の月の第二週に入ってから、火の始末の仕方を教えてくれて、二人は明かりを消さずに出るようになった。〝おやすみ〟の後も起きてることがあるって察したからだろう、とツバメは言っていた。

『学舎に通ってる今、好きなことだけしてるわけにもいかないしな』

 とにかくも明かりが残るようになり、エンは九時過ぎまで一人で勉強し、九時以降にツバメにそれを見てもらい、お喋りをした後、十一時前後に消灯するのが習慣となっている。

 扉が閉まり、エンがいつものように机に足を向けると、早速、幼馴染みが現れた。機嫌のいい声で話し出す。

「エン、今度、祖父さん祖母さんの名前も訊いてみてくれよ」

「あー、そっか。〝ひい〟って名前じゃないもんね」

 机上に教本や石板などを並べながら、エンは言う。ははっ、とツバメは笑った。

「名前だったらややこしいな。祖父さんと祖母さん、どっちのことか判らなくなる」

「そだよね。それにしても、曾お祖父様と曾お祖母様って幾つなんだろ。僕に会う為に長生きしてくれてるって、嬉しいな」

「まぁ、あながち間違いとは言わない。現実的な父さんにしては夢のある返答だったな」

 ツバメは、さらりと言ってから、ぽんと机の端に座る。エンは石板を手前に寄せつつ、口をすぼめた。

「ツバメなら、何て言うの」

「たまたま母さんの血縁が長生きしてるだけだ、と言う」

 組んだ足の上で帳面をめくりながら、ツバメは言を継いだ。「けど、父さんの説も一理だ。孫は目の中に入れても痛くないって例え話もあるし」

 えっ、とエンは顔を両手で挟んだ。

「ど、どうやって入れるの、目の中になんて」

 ツバメは半眼を閉じ、力一杯言った。

「ばぁか馬鹿」



 もうすぐ五歳の誕生日という日だったと思う。

 どうしてそんな話になったのかは覚えていない。

寿々玻(すずは)のお祖父様はジュンショクしたんだろ? かっこいい』

 公園で近所の子と遊んでいた時に言われた。

 教育熱心な両親に早くから色々と教わっていたけれど、知らない言葉だった。

 祖父は、物心ついた時には既に居なかった。それだけのこととしか受け止めていなかった。

『ホントはジュンショクじゃないし寿々玻とは遊ぶなって父上は言ってたけどさ。でもボクはボクの遊びたい奴と遊ぶ』

 母の拵えてくれたよく弾む毬が気に入ったからなんだろうと、薄々判っていたけれど。

 その時は遊び相手を失くしたくなくて……

 家に帰ってから〝ジュンショク〟を親に尋ねたら、顔色を変えて怒られた。

 祖父は死んだだけだ、他人の家のことを無責任に話すような家の子とは今後遊ぶな。

 きつく言われてしまい、貸してよと持ち去られた毬も返してもらえないままになった。


 そうして迎えた五歳の誕生日、祖母がひょっこりやって来た。

 イントン生活というのをしている祖母で、滅多に会ったことが無かった。たった一人の孫の筈だが、名前を呼んでもらった覚えも無かった。

『お前も、後ふた月もすれば学舎に入る。わたしはお前に本当のことを話しても大丈夫だと信じて、来た』

 そう言ってから、祖母は、薄暗い林の中にひっそりと建つ小さな黒い塔へと導いた。

 辺りは昼間だというのに静まり返り、人目を忍ぶまでもないような場所だった。なのに、祖母はこそこそとしていた。

『モリビトの(おさ)はわたしの幼馴染み。頼み込んで、何とか、お前の為に一度だけ目をつぶってくれることになった』

『――な、何なの……一体、ここは何処』

『あそこに、お前の祖父が居る』

 殉職したんじゃないのか。

 混乱して見上げた先にあったのは、祖母の真顔だった。

『いいかい、わたしの夫であり、お前の祖父である者は、あろうことか、お前が生まれた日の七日後、大勢が集まった中で琴巳様を殺そうとした』

『え――?』

『家族に相談せず、赤の他人に相談した挙げ句、ルウの民として――いや、この翠界に生きる人間として、してはいけないことをしようとした』

 祖母は淡々と言った。『誰もが望む老にまで上り詰めたのに。家族まで道連れに、奈落に堕ちたんだ、あの愚か者は』

『な、何それ』

 そう問いつつも、あぁだから、と合点する気持ちがあった。

 前々から、近所の大人が、何処となく余所余所しい気がしていたから。

栩麗琇那(くりしゅうな)様は、残されるわたしらの立場をお考え下さった。故、公には、燕様の術力を封じる折、莫大な力を上手く押さえ込めず、三名の老が殉職を遂げたと発表された。都の多くの者は聡く、それがどういう意味か解っている』

 祖母の目から、涙が流れ落ちた。後から後から、溢れ、流れては落ちていった。

 祖母は、項垂れた。

『アレがお前の名に真名を三字使った時、わたしは気がつけなかった。燕様がつまらぬ伝統を破ろうと一字名に挑まれたというに、老の孫でしかない分際に三字も使うなんて――あの時、もう、お前の祖父はルウの民ではなくなっていたのじゃろう』

 枯れ木のような指で、祖母は塔を示した。『もはやすっかりルウでないが、お前の祖父はあそこじゃ。殉職など程遠く、生き恥を晒しておるから会ってくるといい』

『ヤ、ヤだよ……』

 後ずされば、初めて祖母は頭を撫でてくれた。

『わたしの信じた通り、お前はルウの民のようじゃ。学舎でも、燕様にこれ以上の御迷惑をかけてはならぬぞ』

 不気味な塔。

 憂いに満ちた祖母の顔。

 一家が孤立しがちな理由。

 祖母が名を呼んでくれない理由。

 五歳の誕生日、それらが心に刻まれた。


「なんで同点なんだよ。人殺しのくせに」

 顎の下から聞こえてきた台詞に、寿々玻はビクッとした。

 目の前には、昨日行われた月末の試験結果が貼り出されている。〝寿々玻〟と〝燕〟が、最上位で並んでいた。

 傍で一緒に見ていた銘大(めいだい)は、きんきん声で続けた。

「もしかして、寿々玻の答案を盗み見したんじゃ!?」

「ありそうな話だなぁ」

 寿々玻よりも早くから銘大の遊び仲間だった能登(のと)が応じ、今一人の尾久(おく)も頷く。寿々玻は、やめなよ、と小声でたしなめた。

 もう遊ぶなと親に釘を刺されている面々だったが、学舎では同窓生として付き合わざるを得ない。向こうは、銘大の友達なら自分も友達という感覚のようだ。

 寿々玻の祖父に関する公式発表が本当は違うと聞かされ、妙な曲解をしたらしく、銘大達は皇子(みこ)を老殺しにしてしまっている。

 大事にしていた毬も諦め距離を置くようになったのに、銘大側に組み入れられた恰好になってしまい、寿々玻は当惑していた。

 適当な席に向かうと、能登と尾久が魚の糞のようについて来る。不満そうに口を突き出していた銘大も追ってきた。

 その後ろから、冷ややかに言う声があった。

「人の点数にいちゃもんつける前に、自分の点数を気にした方がいいのに」

 驚いて、寿々玻は振り向いた。能登と尾久も同様だ。貼り紙の前に居た五、六人が、そそくさと散開する。今の誰だよっ、と顔を紅潮させた銘大が喚いた。

 銘大の成績は、十位だった。首席の他にも同位となった者達が居た為、直接的に言うなら、最下位だ。

 それにしても、陰口気味とはいえ、銘大に文句をつけるなんて度胸がある。銘大の父親は、初級学舎に集う子供の、大多数の親にとって上役だ。三十五歳までの都人の纏め役――若年層の寄合所の長。五歳児の中では、銘大の親より上役なのは皇子の親だけだ。

 けれど、皇子はまだ来ていない。何より、彼は母御に似たのか身分の割に腰が低い。あんなことは言うまい。

「名乗り出せよ、卑怯者っ」

 尚も銘大が言い募ったが、誰も彼も目を合わせずに席に着いていく。皆、親を巻き込みたくないのだ。だから、極力関わろうとしない。

 理由は微妙に違ったが、何だか、皇子が受けている仕打ちとそっくりだった。これで能登や尾久といった二、三人も相手をしなくなったら、銘大は皇子より酷い境遇になってしまう。

 これまで完全に孤立していた皇子には、史学の課題を一緒にやった、星花(ほしか)という女の子がよく話しかけるようになった。

 正直、寿々玻は安堵している。どう皇子に接すればいいのか、皆目判らなかったからだ。

 祖父のしたことを無視して馴れ馴れしく話しかけることもできず、出来損ないの皇子に用は無いとばかり、排他的な行動に出ている同窓生に準じるわけには勿論いかない。

 黙って、せめて自分は彼を傷つけないようにするしかない。

「あっ、燕君、おはよー」

 歯ぎしりする銘大をまるで無視した明るい声を、例の星花が発した。「貴男、やるじゃない。昨日の試験、首席を取ってるわよ」

 何だかさっきの声に似てるな、と寿々玻は思ったが、無言で近くの席に腰かける。

 そうなの? と、おっとりと応じた皇子の声をかき消すように、銘大が叫んだ。

「寿々玻っ、なんで何も言ってくれないのさっ。五歳になってから急に大人みたいなフリして、変だよっ。ボク今、人殺しなんかの所為で誰かに馬鹿にされたのにぃーっ!」

 台詞の一部にぎくっとし、寿々玻は仕方無くなだめた。

「落ち着きなよ。頑張って、今月の試験で首席になればいい」

「すっ、寿々玻があの人殺しを抜いてよぅっ」

〝人殺し〟と言葉が発せられる度、本当の人殺しは祖父だと思い出す。しかし寿々玻にとっては全く身に覚えの無い誹りに等しく、不快だった。皇子も同じ気分だろうと思うと尚更だ。無茶言わないでよ、と寿々玻は目を逸らす。

 視線の先で、星花が皇子に耳打ちしていた。耳元に寄られてちょっと驚いたような顔をしてから、皇子は囁かれた何事かに頷いた。放っておこう、といった辺りで決まったようだ。銘大に背を向け、二人で話しながら前の席へ行く。

「あれ、今日の鞄、いつものと色が少し違わない?」

「母上が、色違いで、もう一つ作ってくれたんだ。ひと月ごとに交代で使ってね、って」

「大陸で買ったんじゃないんだ? うわぁ、燕君の母様って、本当にいろんなことできるよね。ウチの母様なんかさぁ……」

 星花は、(みやこ)の路地で顔馴染みと話すように皇子と話している。媚も卑下も無く、対等な印象。

 いいな、と寿々玻は星花に強い羨望をいだいた。

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