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燕二人  作者: K+
六暦621
23/45

22 秘かに

 その日の復習を終え、エンは使っていた教本と帳面を机の上で揃えた。

 明日の用意しなきゃ、と独り言を言い、席を立つ。鞄は箪笥の上だ。

 机の端に腰かけた家庭教官が、まどろっこしいな、と肩をすくめた。

「一人なら今日中に済ませられた。考えてみれば効率が良かったぞ」

「でも僕、今日の放課後は楽しかったよ」

 エンは鞄を手に机に戻る。「星花、面白い子だったもの」

「まぁ、その表現でも間違ってない」

 ツバメは、くくっと笑った。「アレは、子供の特権を活かした正直者だ」

「又、難しいコト言う」

 口をすぼめ、エンは鞄に本や帳面を入れていく。難しいコトなんて言ってないぞ、とツバメは机から下りた。座る場所を寝台に移す。

「そのまんまを表したに過ぎない」

 そう? とエンは星花(ほしか)とのやり取りを思い返した。


 互いに不承々々史学室に行って調査地を指定された後、他の同窓生の姿が無くなっていた廊下で、まぁいいや、と少女は呟くように言った。

『母様から、皇子(みこ)の御機嫌を取っておきなさいって言われてたの。今カッポしてる若長の息子やら元のつく老の孫やらは、ほっとけって。将来を考えるなら皇子に取り入っておくべきだって』

『……そ、そう』

 エンは何だか知ってはいけないことを打ち明けられた気がしつつ、当惑気味に大校舎に入った。

 隣に並んだ星花は、続けた。

『でもさぁ、教室のみんな、皇子は皇子のくせに出来損ないだって馬鹿にしてるじゃない。それに取り入ったら、わたしも出来損ないにされちゃうと思ったのよ。だから、皇子が少しは出来損ないじゃなくなるまで、取り入るのは待ってるつもりだったの』

『……う、うん』

『でも、もう、いい。わたし、ほっとけって言われたけど寿々玻(すずは)君に憧れてたの。だから真似して大人しくしてただけなのに、みんなしてわたしを出来損ない仲間に仕立て上げてさ。ウチだって、母様が結構リョウケだって言ってたわ。わたしはそこの娘なのに、失礼よね』

『……うん』

 エンは〝そう〟だの〝うん〟だのと肯定するような相槌を打っていいものかと、頭の中がぐるぐるしていた。第一、こんなにお喋りな子だとは思いもしなかった。ついさっき涙していたのとは、別人のようだった。

 大校舎を出て正門をくぐると、母と柴希(さいき)が居た。星花は急に押し黙り、大人の女の人みたいに膝を軽く折って挨拶をすると、そそくさと、もう一人離れて待っていた女の人の方へ行ってしまった。エンは、焦って言った。

『あの、じゃ――一時頃に――ここで、待ち合わせる?』

 星花は、ハイ、としおらしい返事をすると、もう一度、大人の挨拶をした。エンがぱちぱち瞬いている間に、母親らしき人と角を曲がっていった。

 脇で見ていた母が喜んだのは言うまでもない。

 教室に一人加わったので宿題を一緒にやる子ができたのだと説明すると、宮殿に帰ってから、母は俄然張り切って厨房に立った。

 昼食後、出かけるエンに焼きたての菓子包みを渡し、おやつに星花ちゃんと食べて? と母は目をきらきらさせて言った。

 調査地は又しても簡単な場所だったので、二人で見聞を済ませると、エンは菓子の半分を星花にあげた。

 こんなの初めて、と星花は喜々として受け取ったが、包みを開けると、食べようかどうしようか迷うような顔になった。が、さほどせず、ぽんと手を打った。

『あのおっきい領結界を張っちゃう(てい)様が食べてるんだから、全然術力の無い皇妃様が作った物でも何も起こらないよね』

『変なこと考えるね。父上は、母上の作った御飯を食べてるからこそ、毎日元気なんだよ』

 エンの力説を余所に、星花は颯爽と菓子を口に入れた。

 もぐもぐすると、ぱぁ、と顔が華やいだ。ごくんとやってから、興奮した顔で彼女は言った。

『こんなの初めて!』


 エンは、思い出し笑いをしてしまった。

「そうだね。星花って正直者だ」

 要る物をほぼ鞄にしまい、最後の紙片を手にし、エンは続けた。「明日も正直だといいな」

 まぁな、とツバメは壁に背をあずける。

「けど、宮殿では、あんまりずけずけ言わせないようにするんだな。大人ってヤツは、言葉にされたくない本当のことを多く隠し持ってる」

 それも難しいコトに聞こえるよ、とエンは心の中で言う。

「父上が後宮に入る許可証を書いてくれなかったのは、その所為?」

 エンが手にしているのは、宮殿の執務宮(しつむきゅう)に入るのを認めた許可証だった。夕食後に父が書いてくれて、〝おやすみ〟を言いに来てくれた一刻ほど前、ここで印章も捺してくれた。

【六二一・一・二三

 初級学舎・五歳課程所属 星花

  ※執務宮内・団欒室使用を認める】

 明日、今日の調査の解説書を二人で作る為だ。

 今までは何処でやってたの、とエンが問うたら、相手の家、と返ってきた。じゃ今回は僕の所? と言ったら、母様が喜ぶからソコがいいな、と星花は答えた。

「あの性格を父さんは知らないだろ?」

 ツバメは頭の後ろで手を組んだ。「この場合、知らないから、後宮への許可証は出さなかったんだな。羽衣とは違って、星花自身に関しても周りに関しても、まるで不明だから」

 鞄に許可証をしまって、エンは寝台に上がるとツバメの横に腰かけた。

「周りって、星花の父上や母上?」

「あぁ。兄弟や祖父母や従兄弟なんかも」

「そっか……」

 エンは、嘆息した。「ツバメ、この島には今も、母上に怪我をさせようと思ってる人なんて居るのかな」

「……居るかもな」

 ツバメは、父と同じ仕種で髪をかき上げた。「穢れた世界から来たのに穢れてない存在なんて信じられないって考える、想像力の乏しい奴が居るのさ。そりゃ、母さんだって二十年以上生きてるんだから、全く穢れてないとは思わない。けど、他の連中と比べたら貴重なくらい誠実に生きてる。ルウのメイウンに関わるような迷惑はかけてないさ。チュウリクされる謂れなんて無い」

 エンは両膝を抱えた。

銘大(めいだい)が言った、人殺し、って、どういうことだったんだろう。僕のことを、言ってたよね」

「……エンは誰も殺してないさ。ツバメもだ」

 言ってから、ツバメは前の方をじっと見る。エンは不安になった。

「ツバメ、何か知ってるね……?」

 あぁ、と幼馴染みは短く答えた。きゅっと唇を引き締めると、胡坐をかく。

「エン、このことは本当なら、エンは知らない筈のことだ。ツバメの言いたいことは判るな」

 誰にも喋るな、ってことだ。エンは、こくんと頷く。ツバメも、それを見て頷いた。話し出す。「去年、父さんが書庫の鍵を壊しただろ。ひと晩出入りが自由だったから、ツバメは粗方あそこの物に目を通したんだ。中に、幽閉の塔に入れられた連中の記録があった。いつ、誰が、どうして入ることになったか」

 エンは呼吸の音もひそめたくなってきて、そろそろと鼻から下を手で覆った。

 史学で誰かが発表した――幽閉の塔には、帝に裁かれ、悪いことをしたと見なされた人が入れられる。

 都の郊外、林の中に建っている。一見三階建て程度だが、地下に二階あるという。そこを、二名の守人と五名の牢役が管理しているらしい。

 守人の(おさ)は代々、只一人の後継者に、術力を徐々に吸い取っていく、とても難しくて希少な術を授けるのだそうだ。

 その術は地下二階にある牢屋の全てにかけるモノで、囚人はやがて術力が無くなる。術力が無くなると、瞬間移動を封じる刻印を付けられ、地下一階の牢に移される。そして、死ぬまでそこで生活させられるとか……

「去年までの記録だと、独房には七人居る。その内の五人が、六一五年に入れられてるんだ」

「ぼ、僕が生まれた年じゃない」

「そう。父さんはツバメ達が生まれた年の末に、五人を塔送りにした。あのチビが、人殺し、って言うのは多分コレだ。塔に送るというのは、送られる身にしてみれば、その後の人生を切られたのと同じだろ。そいつの周りの人間にとっては、殺されたに等しい。幽閉の塔に入れられた者との面会は、皇帝が認めない限りは無理だし」

 エンは、息苦しくなっていた。頭が、ガンガンした。

「な、なんで、父上、そんな、たくさんの人……」

「その五人が、母さんを殺そうとしたからだ」

 ヒッ、とエンは奇声をあげてしまった。たちまち目頭が熱くなった。

 ツバメは驚いたように、おい、とエンの肩を揺する。

「何、泣いてんだ」

「うっ……うぇえ……だって、母上、死んじゃヤだよぅ」

「母さんは生きてるじゃないか。無事だったんだ。でも恐らく、そんなことがあったから、殺人を謀った五人を裁いた後も、父さんは警戒を緩めてないのさ」

 ツバメは、これで内緒の話は終わりだと言うように、胡坐を解いた。

 膝を立てると肘を乗せ、ツバメは考えを纏める様子で顎の先をつまむ。

「あのチビの周りに居る連中は、よく知りもしないくせに、過去を歪んだ印象で伝えてるんだろう。まぁ、そんなこと、今の六老に知れたら雷を落とされるから、陰でこそこそ言ってるに過ぎないだろうな。ほっとくに限る。チビがこの先も同じことを喚いたとしても、気にするな」

 エンは目元を拭いながら、浮かんだことを口にした。

「銘大の周りの人、事情をよく知らないの? 銘大の家族が、五人の中の一人だったんじゃ……?」

「いや、今日のチャバンゲキで判った。家族が五人の中の一人だったのは、寿々玻だ」

「え、なんで――寿々玻君のお祖父様は老だったらしいよ? そんな偉い人の身内が、母上を殺そうと計画するなんて――」

「エン、身分なんて所詮は飾りだ。記録によると、五人の内の三人は現職の老だったとある」

「――まさか、寿々玻君のお祖父様が――?」

「だから、老だった(・・・)って、過去形なのさ」

 ツバメは吐き捨てるように続けた。「多分、残った家族は不名誉のあおりを避けたいから、何も喋ってないんだろう。当事者から何も聞けないとなると、あのチビのような無神経な連中は勝手な想像をする。ツバメ達が悪いかのように憶測をたてて、それを信じ込んでるわけだ」

 エンは、知ってしまったことが想像以上に複雑に絡んでいると判ると、猛烈な脱力感に襲われた。頭の芯が、ぼうっとする。

「寿々玻君……お祖父様のしたことを知ってるのかな」

「あれは知ってるな。何も知らない周りから、老の孫って、ちやほやされるのは苦痛だろう。本当は、老のくせに塔送りになった奴の孫なんだから」

 ツバメは言って、時計の方に目を流した。十二時近い。「ま、エンは知らないフリを精一杯するんだな」

「……それしか、できないよね」

「最近、物分かりが良くなってきたな」

 可笑しそうに言い、ツバメはかき消えた。



 日付が変わる頃、すっかり人けの無くなった若年層の寄合所を、男は苛立たしげに後にした。

 新年一日、広場の公示板に、帝印の捺された衝撃的な告知が掲示された。

【只今、大陸の医術師である蒼杜(そうと)・ハイ・エストに優秀な弟子有り。本年六の月四週末まで適任者が出ない場合、彼を五歳担当としてメイフェス・コートに招く】

 目先の欲を満たすことだけに熱を上げていた挙句が、これだ。

 このままでは、大陸の守護者ともあろうルウの民が、被守護者に幼子の指導を任せることになってしまう。

 すぐに一人の誇りある少年が、六老館へ直々に出向いたという。

 常は無かった魔術技能審査が行われた。結果、基礎があやふやで、とても子供に教えられる水準ではないと判断されてしまった。

 昨年まで競って就きたがっていた警備役の連中は、未熟の露呈を恐れ、今年は本心から役を押し付け合い、一人を生贄にしたようだ。

 その者も老の審査を秘かに受け、失格だったらしい。六の月いっぱいまで担当に就くことは認められたが、恥晒しもいいところだ。

 寄合所の若長は、そんな者を推薦した為、老から苦言を呈されたそうだ。

 ようやく己の立場の危うさに気づいたか、若長は(みやこ)の若者達を寄合所に招集し、続く志願者をしきりに募っている。

 ここに居るにも関わらず――


 首都の片隅に在る小さな平家には、明かりが灯っていなかった。

 窓に布は掛かっておらず、月が弱く室内を照らしている。男は、どさりと椅子に座った。

 物音で気づいたのか、奥から若い女が出てきた。やはり月明かりだけで、向かいに座す。

「兄様、招集に……?」

「……自然に訓胡(くんこ)へ話しかけられると思ったのだが」

 老の縁者として振る舞ってきたから、コートリ・プノスでは顔が知れてしまっている。男が寄合所に踏み入っただけで、集まっていた若人達は、距離を置いたり見えない壁を築いた。

 あの場で教官に名乗りを上げても、若長は突っぱねたろう。衆人の中で却下を認定されるわけにはいかなかった。

 だから集会が解散となるまで待ったのだが……

 男が声をかけると、訓胡は不快そうに顔を歪めた。

『若長たるわたしの顔に泥を塗るつもりか。本年は特に信用のおける者を推挙せねばならんというのにっ』

 沈黙で察したか、女は先を促さなかった。

 月光に青白く浮かび上がった細い手が、静かに卓上へ何か置く。掌に収まるほどの小瓶。

「使えないかしら」

「例の薬とは違うのか」

(たま)消しに近い効果があるみたい。持続期間が短いようだけど」

 男は瓶を凝視した後、摘まみ上げて懐に入れた。

「お前、かの地で無為に過ごしたのでもないようだな」

 女は瓶があった場所を見たまま、抑揚無く応じた。

「そうかしら……」



 耳元で、遠く鐘の音がした。

 どうも最近、いいところで邪魔が入る。

 内心でぼやきながら、そろそろその衣服の中に触れたくなっていた妻から栩麗琇那(くりしゅうな)は身を放した。ヴィンラ・タイディアに行ってくる、と告げる。

 琴巳(ことみ)は、濡れた唇と瞳で、はにかんだように顎を引いた。

 目を合わせていると再度吸い寄せられそうで、栩麗琇那は時計に目を移した。午前十二時をまわったところだ。

 寝間着だけでは恰好がつかないので、長衣を羽織って帯を締め、栩麗琇那は大陸へ瞬間移動した。

 風の丘(ヴィンラ・ライ)に降り立てば、いつものように首飾りが落ちている。

 拾い上げる腕がだるかった。

 きっと、琴巳を碧界にいざなう知らせだ。

 心の隅が落ち着かない。

 碧界の日本は、先進国。生活の利便性ときたら過剰な程。翠界で最も技術が進んでいる皇領月区(げっく)も、遠く及ばない。

 琴巳はそんな恵まれた生活を捨て、栩麗琇那の傍を選んでくれた。だが、その決断は早くも七年前のこと。まだ彼女は十代だった。若気に乗っていたからこそ、世界を越えられたとは言えないか。

 そして今、琴巳には、惜しみなく愛情を注いでいる息子がいる。燕にとって、碧界では無限と言えるほど開けている将来の道が、ここには一つしかない。

 母親譲りの純粋な性格だから、碧界でなら、もっとずっとたくさんの可能性を見いだし、吸収できるだろう。今ぐらいの術力ならば、生活にも何ら支障は無い。息子のことを考えるなら、碧界で暮らした方がいいのは目に見えている。

 リィリ経由でメイフェスに帰り着き、手紙、と琴巳に掲げ見せてから、栩麗琇那は平静を装ってベッドの端に座る。

 包みの紐を解く()に、琴巳が寄り添ってきた。

 温もりに和む一方で、全く別種の感情も湧き起こる。

 怖い。

 コトミは碧界に行ったら、二度と戻ってこないんじゃないか。エンも連れて行ったまま――予定の日になっても戻らず、数日してから〝ごめんなさい〟とだけ書いた手紙が来るんだ――

 そんなことになったら、どうすればいいのか判らない。

 怖い――

 二通の封書の内一通が、淡い桃色の洋型封筒だった。

 栩麗琇那が五ヵ月近く恐れていた物が、遂に、来てしまった。

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