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燕二人  作者: K+
六暦621
22/45

21 組

 何だか今日は、いいコトがある気がする。

 エンは、母と繋いだ手を元気に振った。母は一緒に、嬉しそうに振ってくれた。

「お父様がお風呂で遊んでくれたの?」

 遊んではくれなかったけれど、エンをとってもホッとさせてくれた。えへへ、とエンは顔を緩める。いいなぁ、と、母は心持ち拗ねたような顔になった。母の隣を歩く柴希が、くすくす笑う。

 この三週間重かった足が、軽い。

 こんなことなら、行かなくてもいい? と、もっと早く訊いてみれば良かった。でも、あんまり早かったら、そんな簡単に弱音を吐くな、と言われていたかもしれない。やっぱり今日で良かったとも思う。

 父は、エンが母を心配させたくないと思っていることを解ってくれた。後、いざという時の母は、ただ泣いたり取り乱したりせずに、心配しながらも黙って見守ってくれるのだと教えてくれた。

 本当に、安心した。

 学舎の淋しい毎日も、まぁいっか、と思う。だって高々、四時間程度だ。

 初級学舎の門前に着くと、いってらっしゃい、と母と柴希(さいき)が揃って微笑んでくれた。毎日そうだったけれど、今日の母は、とりわけ、きらきらしている。エンは胸がきゅんとした。

 僕が憂鬱だったの、母上はちゃんと気づいてた。気づいたから、僕と一緒に憂鬱だったのに、一生懸命、笑ってくれてたんだ。僕は、母上を心配させないようにしてるつもりだった。けど、母上の方がもっと上手に、僕に余計な心配をさせないようにしてたんだ――

「ありがと」

 エンがきらきらに目を細めると、ちょっと顔を傾け、母はにこっと笑った。母子で同時に手を上げ、振った。

 よし、と気合を入れ、エンは学舎に入った。



 教室のエンの席は、どの授業の時も、もう殆ど決まっている。一番前の真ん中。教壇の真ん前。理由は一点――エンを余所に、徐々に打ち解けていく同窓生を見なくて済むから。

 一科から四科に学習する科目は変動無しだ。語学、理数学、神学、史学の順で、各科四十分ずつ。間に十分ずつの休憩がある。

 学舎は午前七時開門で、八時までには教室に入っているのが理想だ。八時丁度になると、某か連絡事項がある日は、二階の担当室からユウタが降りてくるからだ。

 七時五十五分頃にいつもの席に着いたエンは、五分後に螺旋階段の方から足音が聞こえてきて、がっかりした。〝いいコト〟は学舎に入った時点で打ち止めかと、肩を落とす。

 五歳課程は魔術の授業が七の月からしかないので、一の月の今は、担当とは会わない日もある。だが本日は、残念ながら会う羽目になった。

 ユウタは、相変わらず面倒臭そうな顔つきで、一段上にある教壇に立った。ぱんっと一つ手を叩き、室内の子供の数が揃っていようがいまいが、お構い無しで話し出す。

「今日から同窓の仲間が一名加わる。三週間分の学習が遅れていると思うかもしれんが、彼は自宅でしっかりと独学をしていた。そう差は無いと考えた方がいい。下手をすると追い抜かれてしまうだろう」

 ユウタは何故だかエンを見た。最も抜かれそうなのは君だ、と言ったかのようだった。エンは目を落とすと、一科に使う用具を鞄から出し始める。

 エンは、学習に関してなら、他の子において行かれないところに居ると信じている。毎晩、ツバメがおさらいと宿題を指導してくれているから。

 待てよ、とエンは顔を上げた。一人増えるということは、五歳児の総勢は十二人になる。


 四科の史学は宿題をやる為、二人一組を作る。教本にある最初の項目が〝己の島を知る〟となっていて、一の月は自分達が住んでいる現在の首都を調べていた。

 放課後、組になった二人で、割り当てられた場所に行く。そこで働く人に話を聞いてもいいし、建物などだったらその絵を描いてもいい。自由に、その場所についての見聞を、みんなの前で発表するのだ。

 エンは、その課題を一緒にする相手が居なかった。

 史学の女教官、木槿(むくげ)は、エンが皇子(みこ)だからなのか、極力関わらないように振舞う節がある。

 エンが誰とも組めないままあぶれてしまうと、面倒は勘弁してよ、と言いたげに子供達を見回す。けれど何も言わず、それほど調べることの無い場所をエンに割り当てる。

 木槿なりに気をつかっているのだろうが、皇子だからって簡単な所ばっかで狡いよ、と誰かが小声で言っていたから悲しかった。

『木槿の奴、とことん小心者だ。ガキ相手に一言も言えないんだから。組になる二人も割り当て制にすれば問題は片づくのに、ガキ共が駄々こねると思ってるに違いない。楽なトコを割り当ててハイリョしてるつもりだろうが、方向が間違ってる』

 エンの調査結果にたくさんの補足を加えてくれながら、ツバメは不愉快そうに言っていた。

 ツバメが怒ってくれたので、エンは結構すっきりして、ハイリョって考慮の親戚? と教えを乞うたものだ。


 今夜、ツバメに話せるや――一緒に課題をする子ができたって。それに、母上も喜んでくれる。

 課題は大人が同行したり手伝うのが禁止で、昼食をとり、エンが一人で出かける都度、母は柴希と境界の扉まで見送ってくれた。この時も、笑顔の裏で心配していただろう。

 やっぱり今日はツいてる。お昼も、母上にきらきらしてもらえる――

「さ、前に来て、メイダイ君。黒板に名前の真名を」

 ユウタ担当の指示でやって来た少年を、エンは期待を持って注目した。

 ほっそりとして小柄だ。巻き毛は他の子と同様で茶色。小さめの目と口がやや中央に寄っている。何となく睨めっこをしているように見える顔だった。どんな風に見えるかなんて、エンにはどうでもよかったけれど。

 メイダイは白墨を持つと、小さな字でササッと、〝銘大〟と書いた。ユウタは頷く。

 空いた席に座って、と言われると、銘大はぴょんと壇を飛び降りた。すーずはーっ、と、声高に呼びかけながら後方へ走って行く。

「やっとボクも仲間入りだよー」

 膨らんでいた期待が、みるみる萎んだ。エンは力無く、語学の教本を机に出す。

 寿々玻少年は、この中で一番の人気者だ。小綺麗にまとまった容姿で、背が他より頭一つ分高い。休憩時間に背後でなされている話を耳にするに、どうやら昔、老をしていた人物の孫らしい。

 史学の組を作る時は、今日は僕とやろうよ、と複数の子から誘ってもらっている。しょっちゅう、流石にお祖父さんが老だよなー、と聞こえてくる。

 多分、頭もいいんだろう。いろんな子が、入れ代わり立ち代わり話しかけているようだ。でも本人はあまりお喋りじゃなく、静かな口調で応じる程度。幾つか年上のように思える五歳だ。

 エンも寿々玻と話をしてみたいのだが、すっかり孤立している為、勇気が出ない……

 あ……史学の課題、どうしよう。銘大君、もうここのみんなと馴染んでるみたいだし、出来損ないの皇子とは組んでくれそうにない。これじゃ、僕と組みたくないのに組まなきゃいけない子が出てきちゃう。

 なんで学舎に来ちゃったんだ、と後悔しても遅かった。

 りりんりりん、と一科の始業を知らせる鈴が鳴った。

 およそ三時間後、エンの予想は的中する。



 木槿教官は、調査地の他に、調査結果の発表順も予め割り当てる。より多くの情報が得られそうな所を割り当てた組には、明後日発表を、といった具合に。

 エンの場合は、一人でやっている不利な条件を鑑みて明後日に、とした上、毎度毎度、発表順は最後だ。

 終業近くだからか、聞き手は上の空の様相が多い。気が楽といえば楽だ。

 今日のエンは、この後の事態を思うと気が重く、訥々として要領を得なかった。

 取り敢えず、流石に教官であるし、木槿は真面目に聞いていたらしい。まぁ結構です、と評した。

「願わくば、解説の朗読をいま少し練習して欲しいですね。けれど、燕君の発表は、一人でやっているにしては、毎回良くできています」

 ズルしてるんじゃ――? と囁きが起きた。

 木槿は、慌てたように言を継いだ。

「さてさて、一の月の主題だった現在のコートリ・プノスを知る活動も、今度で終了となります。残るは四箇所です。内二箇所はふた組ずつに調べてもらいます。その計四組の発表は、例の如く明後日。発表内容が重ならないよう、調査前後には、ふた組で相談しておくように。二人一組ができたら、わたくしの所に来ましょう。調査地を指定します」

 言い終えた時、丁度、四科終業を知らせる鈴が鳴った。待ってましたと言わんばかりに、そこかしこで起こる物音が大きくなる。

 エンは、この際、ツバメが言っていたように、組も割り当て制にしてもらおうと考えていた。

 みんなが組を作ってしまう前に木槿に言いたかったが、今日は各科で、終業の鈴が鳴ると、二階からユウタが紙を持って降りてきていた。教官に渡し、新入生、と言うのだ。銘大に関する連絡らしい。

 四科でも、やはり担当は現れた。史学教官に紙を渡し、同じ台詞を言う。木槿が受け取ると、ユウタは螺旋階段を上がって消える。

 担当の用が済むのをそわそわと待っていたエンは、早速、教官に声をかけようとした。と、紙に目を落としていた木槿がこちらを見た。

「燕君、やっと組が作れますね。組でやる初心者同士だから、銘大君と組むといいのでは? 調査地も、そこそこの場所を指定しますよ」

 咄嗟に返事できなかったエンに対し、銘大の反応は速かった。ヤだよ! と叫んだのだ。

「ボクは他に組みたい相手が居るのにっ――人殺しとなんて、ヤだ!」

 寸時、この世から、音が消えたかのようだった。

 エンは、わけが解らず固まっていた。どういうこと? と方々から訊き合う声がする。

 話を振った張本人にも関わらず、木槿教官はいち早く厄介そうな場の雰囲気から逃げた。まぁ、好きなように――わたくしは史学室に居ますね、と言いおくと教室を出てしまう。

 残された子供達は、一緒にやろ、と何人かが口早な約束を始め、木槿が提案した通りに、エンと銘大が組めばいいという空気を漂わせた。

 エンは自分が意見を言える立場ではないと判っていたけれど、銘大と組むのは非常に気が進まなかった。しかし、さっきの台詞はどういうことか訊きたい。鞄を肩から掛け、エンは彼を見た。

 銘大は、こちらと目が合うと敵意のこもった目で見返してきた。やにわに手を振り回し、駄々をこねだす。

「ヤだヤだっ、みんな、の、ひきょ、者っ。ボク、初めて、ここ、来たのにっ。ボクは、す、ずはと、組みたいぃーっ」

 エンは唖然として立ち尽くす。耳元でこそっと、何なんだこのガキは、とツバメの声がした。応えるわけにもいかず、エンは口許に手をやる。

 一人で騒ぐ銘大に、寿々玻が仕方無さそうな顔で言った。

「僕と組もう、銘大。何も、泣くことは無いだろう。君の父様が恥をかくよ」

 うえっ、うえっ、と銘大は返事なのか何なのか判らない声を洩らす。寿々玻は銘大を促して教室を後にした。

 二人はそれで良かったが、残った面々に新たな気まずさが生まれた。銘大が消えた今、誰がエンと組むか。

 一人がパッと近場の相手を定めて、組もう、と踏み切ると、立て続けに同じ光景が繰り広げられた。次々に二人ずつで教室を出ていく。

 出遅れた少女はおろおろとしていたが、自分が残されたと判明すると、愕然とした風情になった。

 エンは、弾かれてしまった彼女と、拒絶されている己に切なくなる。

 初日、ホシカ君、と呼ばれ、〝星花〟と石板を掲げていた少女は、なんで……と洩らすと両手で目を拭った。自分も泣きたかったが、エンは唇を噛んでこらえる。

「あの……僕で、ごめんなさい」

 エンは何とか、そう言った。

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