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燕二人  作者: K+
六暦621
21/45

20 入学 Ⅱ

「あいつ、ヤな奴だな」

 両親が部屋を出るなり、窓辺からそう言うのが聞こえた。

 最近では、そうやってパッと現れたり、唐突に話しかけてきたりする友人に、エンは慣れてしまった。暗がりの中、布団から出て壁にもたれると、訊く。

「誰のこと」

「他に誰が居るんだよ。あの担当だ」

 やっぱり来てたんだ、とエンは内心で首を傾げる。来てたのに姿を見せなかったのは〝外〟だったからなんだろうか。

 エンは本棚を指差した。

「図書室の本は駄目だったけど、教本は全員に一冊ずつ貸してくれるんだって。五科目分で八冊あるんだ。好きな時に読んでいいよ」

「五歳課程の教本は、ツバメには物足りない」

「術書もあるよ?」

「さっき開いた時に判らなかったのか。出ている術は『基礎呪文集言霊始め』に載っているのと同じだ。けど、教本には、術力が自由に引き出せるのがゼンテイで書いてある。言霊で操るしかないエンには、使えない代物だ」

 そうなの? と相槌を打ってから、エンは息をついた。

「じゃあ、又みんなに嗤われちゃうや……からかうのはやめましょうって、担当が言ってくれたけど……」

「あれは逆だよな。結局、逆になる」

 窓辺の人影が、髪をかき上げるのが判った。「父さんが頼んだとは思えない。ツバメなら、そんなことに念を押せなんて頼まない」

「……僕もそう思う」

 ぴたりと動きを止めた人影を見つめ、エンは溜め息混じりに言を継いだ。「ツバメもそう思うんだね……絶対嗤われる気がしてきちゃったよ」

 皇子(みこ)のくせに、と言った子に、それはいけないと担当はたしなめた。が、すぐ後でまた言う子が居た。それにも担当は注意のそぶりを見せたけれど、きっと、言う子は言うのだ。駄目だと押さえつけられると、尚更、言いたくなる子も居るんだろう。

「楽しかった? って母上に訊かれた時は、困っちゃった。うん、って言わなかったら、母上は心配すると思って――」

「あぁ、だから、よく判んない、って逸らしたわけか」

 ツバメは両手を頭の後ろで組んだようだ。「この際、はぐらかさずにアライザライ、ぶちまけちゃえば良かったのに。そしたら母さん、一日行っただけだもんね、なんて言わなかったぞ。父さんに相談して、相談受けた父さんが、あいつをやっつけてくれたんだ」

 エンは思わず笑ってしまった。

「父上、そんな乱暴なことしないよぅ」

「結果的に母さんが心配したりするなら、父さんはそれをカイショウさせる為に何でもすると思うけどな」

「あ、また知らない言葉ダ。そう、僕、ツバメに訊こうと思ってたんだ」

 エンは寝台から降り、机に向かった。「担当も、知らない言葉を言ってた。帳面に書いておいたんだよ」

「〝コウリョ〟〝ドウソウ〟〝ホウキ〟〝マレ〟」

「わ、それだよ。よく判ったね」

「書くと覚えるって、母さんと菊也(きくや)が今朝、言ってたな」

「あれ、ツバメも解らなくて書いてたの?」

「ばぁか馬鹿」

 抑揚無い台詞の後、人影が床に下りた。こちらに近づく。「せっかくだから、この前言った、一番簡単な魔術を教えてやる」

「今?」

「〝ハ、ハイ、ハ、カシク、プノエ〟」

「え、何々? もう一回」

 近くなった所為で見えるようになった同じ顔が、ぶすっとした。

「一回で覚えろよ、こんな単純な呪文」

「いきなり言うんだもの」

 エンもぶすっとして見せる。「大体、何の術なのさ」

「術力の光で手元を明るくできる。大して調節する必要が無いし、ショウモウも無いから、今のエンにもできる筈だ。呪文を言うと顔の前辺りに光の玉が出てくるから、空中に左手の指で丸を描けばいい」

「角灯に火を入れた方が早いんじゃ……?」

「勝手に点けられない子供には、好都合の術だと思わないのか?」

 ホントだ、とエンは手を合わせる。やれやれ、と言いたげにツバメは天井を仰いだ。

「納得したら、やってみな」

「やるから、さっきの言葉に追加――〝カイショウ〟と〝ショウモウ〟とー〝アライザライ〟……〝ゼンテイ〟! 真名と意味を教えてくれる?」

「そんっなに、解ってないのか」

 ツバメはげんなりした顔をしたが、分かった分かった、と両の掌を上向ける。

 呪文をもう一度教わり、エンは声に出さずに繰り返してから、一言一言、噛み締めるように言霊にした。

「ハ、ハイ、ハ、カシク、プノエ」

 ポウッ、と鼻先に眩しい程の光球が出現した。

 エンは口を小さく開閉させる。できてしまった――!

「――って、早くカクテイさせろっ、ショウメツするぞ」

「えっ、あ――」

 又も意味不明の言葉を列挙されたが、察して、エンは左手の人差し指で、くるっと円を描く。光が、ひゅっとエンの手に飛び込んできた。「わ――っ」

 ぎゅっと目をつぶったエンの脇で、初めてだしな、とツバメが言った。

「ま、こんなもんだろ……エン、いつまで目をつぶってるんだよ」

「だ、だって、僕の方に、飛んできた。な、何か、まだ光ってるね!?」

「自分で集わせておいて、何言ってるんだか」

 目を開けられずにいるエンの傍で、がさごそとツバメが何か取り出しているらしい物音がする。「おいー、真名と意味を知りたいんだろ。八つもあるんだから早く目を開けろよ。あまり夜更かしすると、明日、起きれないぞ」

「あのね、二つ増えちゃった――〝カクテイ〟と〝ショウメツ〟って、何……?」

「はぁあ。例の本が睡眠薬になるわけだ。この術には何も危ないことなんて無いんだから、目を開けろ」

 ぺし、と額を叩かれ、エンはこわごわ瞼を上げた。周りがちょっとだけ明るい。ツバメは、エンの鞄に入っていた帳面と羽根筆と色水を机に出していた。「字を書くには、もう少し明かりが欲しい。左手開け。光が隠れてる」

 知らず拳になっていた両手を開き、ゲッ、とエンは変な声をあげてしまった。左手の人差し指の先が、光り輝いていた。

「なっ、何これ何これぇっ」

「なんでそんなに怯えるんだ。ただ光ってるだけじゃないか」

「だっ、だって、だって……」

 母が明日の朝、起こしに来てくれて、エンの指が一本光っていたら、びっくりするに決まっている。火を使わなくていいから便利になったわねぇ、とは言ってくれないと思う。

「消したけりゃ、パンと手を叩くだけだ」

 急いでやろうとしたエンは、横合いから帳面を突き出されてハタとする。

 そろそろ我慢の限界だと顔にかいたツバメが、睨んできた。

「あのな、もっとでっかい光が出てたんだ。それなのに、エンは小さい丸を描いてカクテイさせた。だからそんな、指先に灯ったような、間の抜けた明かりになったんだ」

 言いながら、帳面に書かれた〝確定〟という字を指先でびしびし叩く。

 ツバメが怒ると、エンは何だか落ち着いてきた。あぁ、と合点を示す。

「要するに、これに決めた、っていう感じの意味なんだね」

「……ったく。あー、そうだよ」

 ツバメは、ぶっきらぼうながらも、他の真名の意味も説明してくれる。説明し終わると、早く寝ろよな、と言い捨て、友人は姿を消した。

 エンは鞄に道具を元通りしまい、布団に戻った。横になる前、響かないように〝考慮〟しながら手を叩いてみたら、指先の光が〝消滅〟する。

 ぽふっと寝台に倒れ、エンは複雑な心地で目を閉じた。

 僕は、ツバメが教官をしてる学舎の方が楽しいよ、母上……



 湯船のへりにあずけた腕に、栩麗琇那(くりしゅうな)は頭を傾けた。身を取り巻く湯の心地好さに、ふぅ、と吐息を洩らす。

 一月二十二日の朝である。冴えない空模様の所為で、曇り硝子の窓しか光源の無い浴室は薄暗い。

 ゆったりと移ろう湯気の中、洗い場では(つばめ)が身体を洗っている。やっと己の全身を洗えるようになったばかりで、ぎごちない動きだ。

 栩麗琇那は、ぼんやりと息子を瞳に映していたが、微かに残る妻の香を嗅ぎ取り、瞼を閉じた。

 嗚呼、そこに居るのがコトミだったら。視覚的にも嗅覚的にも、望ましく芳しいんだが……

 もそもそと、タオルが身体をこする音がする。現実に帰った栩麗琇那は瞼を半ば上げ、雫の落ちる髪を撫で上げた。

「今日は、時間かかってるな」

「ご、ごめんなさい」

「まぁ、焦る必要は無い」

 栩麗琇那は言いながら、本当だ、と脳裏によぎった。気がかりそうな妻の顔も。

『エンね、このところ、ごめんなさい、って、よく言うような気がするの。今までは、はーい、って素直にお返事してくれたり、ありがと、って可愛く笑ってくれたようなトコロでも』

 思えば今も、これまでなら、えへへ、という照れ笑いか、時間をかけていることに対しての何らかのコメントで、〝ごめんなさい〟ではなかった気もする。

 卑屈になっているとしたら、学舎が原因だろう。初めて入った同い年の集団に、腰がひけているに違いない。燕には皇子の肩書もあるから、馴染むのは容易ではない筈だ。必ず、一線を引かれる。

 栩麗琇那にいたっては、六年の間に線を越えてくれた同窓生は一人も居なかった。臣下として接してくる大人達に慣れ、栩麗琇那が上手く付き合えなかったということもある。他に、帝位継承が目前で放課後は帝王学に費やすしかなかった所為もあろうし、同窓の親がさせなかったのも一因。我が子の出世を願い、御機嫌取りはさせていたようだが……

 エンは、そういう手合いを見極めた上で、友達ができるかどうか……

 見やると、洗い終えたらしい息子と目が合った。栩麗琇那は桶に手を向け、燕が手渡してくると湯を汲む。

「目をつむってな。今日は特別」

「う、うん」

 どもるようにもなってる。思った栩麗琇那は、桶を片手に湯船から出つつ、口許に手をやった。気にしだすと、粗探しのようになってしまう。

 エンは悪いことをしているわけじゃない。過剰反応するのは良くないな。

 縮こまって腰掛に座る幼子に、行くぞ、と声をかけ、栩麗琇那は上から湯をかける。

 例えば、元気無いな、と言っても、元気だよ、と息子は答えそうだ。その上、それを言わせてしまうと、追い詰められた時に厄介になる。漠然といだいていただけの、〝親に気づかれたくない〟という思考が完璧に固まってしまうだろう。逃げ場を無くしてしまう。

 おまけにコトミは、どうしたの、と訊き辛くなってたから、俺に訴えてきたわけか。

 栩麗琇那は察しつつ、湯をもう一杯すくってかける。

 三週間前、琴巳(ことみ)は随分気にしていた。エンに恥をかかせちゃったかもしれない、と。

『迎えに来るって言ったら、声がおっきかったみたいで会場がしんとなっちゃったの。で、迎えに行ったら、うつむいて出てきたのよ――わたしが変に目立った所為で、みんなから、からかわれちゃったのかもしれない』

 そうかもな、と栩麗琇那は思ったが、当然ながら口にしたのは別のことだった。

『他の親がコトミほど甘くなかったから、自分自身がちょっと恥ずかしかったんじゃないか。エンは男だし、そう経たないうちに母親と一緒には歩きたがらなくなるぞ』

 がーん、と琴巳は言ったが、覚悟しとく、とも言った。

『段々、母様よりお父様のキャパシティを必要とするのね。くすん』

 俺はエンを包んでやるつもりは無いけどな。

 栩麗琇那は仕上げにもう一杯かけながら、内心で苦笑いする。千仞の谷に突き落とし、一人で上がってみろ、と宣告して済ませられるなら、自分はそちらを選択している。

 父がそんなことを考えているとは知る由も無い息子は、ふるふるっと頭を振ると、ぷは、と云った。息を止めていたのが判り、栩麗琇那は失笑した。

 燕は、琴巳そっくりの澄んだ瞳で、縋るように見上げてきた。笑声を洩らした父を見計らったかのように、のろのろとしていた理由を口にする。

「父上、今日、特別……学舎に、行かなくていい……?」

 この時ばかりは、自分に表情が乏しくて良かったと栩麗琇那は実感した。表情豊かな琴巳ならば、笑みが不自然に凍りついただろうから。

 浮上した幾つかの返答を猛スピードで篩にかけ、栩麗琇那は答えた。

「あぁ」

 燕は、ほけっとした。それから、視線を床に投げると、慌てたように言った。

「あの、あの――えっと、その、今の――ごめんなさい、冗談だったの」

「そう。良かった」

 栩麗琇那は息子を背後から抱え上げると、湯船に入れる。「ちょっと今日は、母上を驚かせないように誤魔化すには、時間が足りなかったからな」

「……うん」

 おとなしく湯に浸された燕は、前を向いたまま、やや放心気味に尋ねた。「もしも冗談じゃなかったら、誤魔化せなくても、誤魔化してくれたの……?」

 浴槽のへりに、栩麗琇那は頬杖をついた。

「母上は気が利くから、誤魔化されてくれる」

「……そっか」

 ぽつんと言った横顔が微笑んでいて、栩麗琇那は息子を見直した。意味を悟ったらしい。隠しても、親にはお見通しだと。

「今日は、学舎に行くんだな?」

「うん。さっきのは、冗談のまま」

「解った」

 息子の小さな頭にぽんと手を乗せ、栩麗琇那は立ち上がった。「俺は先に出るぞ。できれば心の臓が大きくドキドキ云いだす前にあがれよ」

 琴巳を泣かせるわけにいかないとなると、突き落としたままにもできない。

 ウチの子は、獅子じゃなくて燕だもんな。

「エン、ホントに行きたくなくなったら、前の日に俺に言いな。俺の仕事を手伝ってもらうと言えば、母上は誤魔化されるより先に信じるだろうから」

 浴室の出入口で肩越しに言うと、こちらを見ていた燕は顔をほころばせた。

「ありがと、父上」

 栩麗琇那は胸中で、確かに可愛く笑う、と妻に同意した。

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