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燕二人  作者: K+
六暦621
20/45

19 入学 Ⅰ

 六暦六二一年一の月四日の朝、エンは寝台の上で鞄の中身を広げた。

「えーっと――石板と筆と水、帳面、羽根筆に色水――忘れ物ないよね」

「……何度も出し入れしてると、終いには入れ忘れたりするのがあるんだ」

 窓の張出に腰かけたツバメは、呆れたように言って、本の頁をめくる。読んでいるのは『基礎呪文集言霊始め』だ。父がリィリ共和国のハイ・エストから借りてきて以来、友人は毎日のように読み耽っている。

 エンも、ツバメがあんまり熱心に読むので、そんなに面白いのかな、と開いてみた。しかしながら、読めない真名が多い。拾い読みするうちに寝てしまう。結果、内容がまるで理解できずにいる。

 読んでくれない? と一度ツバメに頼んでみたら、ツバメが全部習得したらな、と返ってきた。まだ無理して読まなくていいと父母は言うし、エンにとって『基礎呪文集言霊始め』は、まったくもって〝睡眠薬〟でしかない。

 こんこん、と扉が叩かれた。

 ツバメが素早く動く。顔を上げるのと同時に本を閉じた。エンは、友人がちゃんと消えてから応じようと見守る。すると、扉を開けずに母の声が言った。

「エン、御用意できた? そろそろ行くわよ?」

「あっ、ハイ」

 布団の上に広げていた物を、エンは急いで布鞄にしまう。鞄は母の手作りで、肩から下げられる。エンはすっかりこの鞄が気に入って、その所為もあって、用具を出したり入れたりしていたのだ。

 頭から肩紐をくぐって斜めに掛け、エンはツバメが居た窓辺を振り返った。

 ツバメは、まだ居た。黒銀の目を半ば閉じ、溜め息混じりに言う。

「どっちのか知らないけど、壺を入れ忘れてる」

「えっ――あっ」

 布団のひだの間に、水を入れた小さな壺が隠れていた。「ふぅ、忘れるトコだった。ありがとう、ツバメ」

 エンは壺もきちんと鞄に入れ、友人を見た。

「ホントに、学舎(がくしゃ)で会えないの……?」

「……さぁな」

 ツバメは朝日を浴びて鳶色がかった髪をかき上げた。「機会があれば出てやるよ」

「……そう。じゃ、楽しみにしてるね」

 エンー? と扉の外から母の声が呼んだ。はぁい、とエンは扉へ足を向ける。

 背後から、思い出したようにツバメが言った。

「エンに入学祝いをやる――ツバメの名前を外では貸してやるよ」

「え?」

 よく解らず、エンは振り向いた。

 ツバメは、もう居なかった。



 自動的に閉まる面白い扉を開け、エンは母と一緒に、中に居る門番と取次役に挨拶をした。いってらっしゃいませ、と両手で作った拳を額に掲げるみんなにお辞儀をして、巨大な門扉の間を通る。

 こういう時、母上は皇妃様だったんだ、とエンは思い出す。周りが、父にするように母にも接するから。

 宮殿の外に出ると、あれ? と母は言った。エンも、そう思った。柴希(さいき)が居ない。

 母は、門の横手に居た取次役代表の方へ足を向けた。数十枚ほどの紙束を抱えて立っていた代表の菊也は、すぐ気づいて元気な声を出した。

「おはようございますっ」

 母とエンも挨拶すると、菊也(きくや)は通りの向こうに目をやりながら言った。「本日は、柴希殿、少々遅れているようですね」

 えぇ、と母は応じてから、エンを見て白い歯をこぼす。

「初めて母様(かあさま)達の方が早かったわね」

 エンが頷く間に、おはようございます、と見知らぬ二人が階段を上がってくる。母はエンを連れて数歩後ろに下がった。菊也は一礼すると前に出て、彼等が出す小さな厚紙を見る。どうぞ、と言うように門の方へ手を向けた。

 母と頭を下げあった二人が宮殿へ入り、エンは若い代表を見上げた。

「菊也ドノ、今の紙は何?」

「通過証です」

 答えてから、菊也は更に解り易く説明してくれた。「お父上の(いん)が捺してあって、日付と持ち主の名前が色水で書かれています。その日まで、あの紙の持ち主が、この宮殿に入って働くことを許可されている証拠です」

「菊也ドノのお仕事は、それを確認すること?」

「はい。第一取次の仕事はそれです」

「取次役って楽しそうだね」

 エンが言うと、菊也は優しく目を細める。でも、と母が瞳を上向けつつ言った。

「朝は一番に来てないといけないし、確認するのも通過証だけじゃないんでしょう?」

「えぇ。通過証は宮勤めだけの物です。他にも幾つか――老からのスイセン状や、(てい)以外の印を捺したイニン状などもあります」

 え……とエンは口に手をあてる。

「じゃあ、朝から他の印も覚えておかないといけないの? 大変なんだね」

「あ、いえ、別に覚えておく必要は無いんです。覚えるにしても、お休みのうちに覚えてしまえば、そう大変でもないですよ?」

 菊也は明るく言って、小脇に抱えていた紙束から一枚取ってエンに向けた。「わたしは毎年、こういう物を作っています」

 エンが受け取ると、母も覗き込む。印や署名のような物が何種類も、とりどりの色水でかかれていた。それぞれの下には、それが誰の印か、何を示しているかが添えてある。

 わぁ、と母は感心したような声をあげた。

「イチラン表を作ってるんだぁ。手が込んでるし、綺麗ねぇ」

 エンがこくこく頷く横で、菊也は又数人の通過を認めてから紙束を持ち直した。

「取次役全員の分を作っていると、わたしは覚えてしまえるんです。何枚も間違えたりして、かき続ける所為でしょうか」

「あ、そうよね。何か覚えたい時は、アンショウに挑戦するか、繰り返し書くか」

 母が同意すると、菊也は照れ臭そうな笑顔になる。

「まぁ、わたしが覚えてしまえるのは、数が少ない点が幸いしています。代表に就いて以来、役職者にあまりヘンドウが無いんです」

 ナルホド、と母が応じたところへ、もっ、申し訳ありませんっ! と柴希の声が駆け上がってきた。柴希と和斗が、どちらもやや青ざめて、小走りに来る。二人揃って頭を下げるので、母は両手を横に振った。

「わたし達が早く来ちゃっただけなのよ、ね、エン」

「初めて早かったんだよね」

 エンは駆けっこに勝てたような気分で言う。母はニコッと笑って、そのままの表情で菊也を見た。

「お蔭で、菊也さんから取次役のお仕事の話を聞けたの」

「皇妃並びに皇子(みこ)とお言葉を交わす貴重な機会を頂き、柴希殿には感謝しております」

 笑みを含んだ口調で言ってから、菊也が柴希に黙礼する。あわわ、と言うように柴希は頬に手をあて、ひゃー、と言いたげな顔で和斗が頭を掻く。

 温和な美男を見上げ、あ、とエンは声をあげた。

「ねぇ、羽衣(うい)の父上も通過証持ってるよね。見せて見せて」

「あ、ハイ」

 和斗(わと)は懐に手を突っ込むと、小さな厚紙を出してくれる。藍色で〝六二一・一・三〇〟、少し明るい青で〝書庫役代表補佐 和斗〟と読み易い整った字で書いてあった。左下に紅印が捺してある。父の印はエンも覚えている。これは本物だ。

「これ、父上の字みたい」

 エンが呟くと、腰を折って通過証を見た菊也が応えた。

「それはお父上のジキヒツです。お父上はきっと、わたしなどより色々覚えておられますよ。宮勤め全員の通過証をお書きになっていらっしゃいますから」

「わぁ……僕も、父上に書いて欲しいなぁ」

「母様もー」

 心底羨ましそうに母が言うと、柴希は笑いをこらえるような顔になった。いつもは声をあげて笑うだろうにと、エンは母の友達を不思議に思って見る。

 ふと、自分の友人が頭に浮かんだ。

 もしかして、さっきツバメが言ってた〝外〟だから……?

 エンが礼と共にイチラン表と通過証を返すと、入学の儀にまで遅れては申し訳がたちません、と柴希が言った。頷いた母はエンの手を取る。

 菊也と和斗の二人と別れ、エンは〝外〟かもしれない所へ向かったのだった。



 入学の儀は、あっと言う間に終わった。

 初級学舎の敷地に入るとすぐ目の前にある大校舎が、会場となっていた。

 仮入学時には何も無かった一階の大広間に椅子が並べられており、子供達がそれに座ると、学舎長が言った。

『皆さん、御入学おめでとう。今日から六年間、ルウの民として恥じることの無いよう、励んで下さい』

 後ろに立っていた親達がパチパチと拍手をしたら、ではこれにて入学の儀を終わります、と学長はパチンと指を鳴らした。

 終わり? とエンがぽかんとしていると、学舎長の隣で、副学舎長の玲美(れいみ)が口を開いた。

「親族の(かた)は、あちらに。明日から使われる教本を配付します。又、明日以降、六の月の晦日までにお子を入学させる親族の方には、この後、学長から詳しい課程の説明があります。本年は四名の申し出を受けておりますが、更なお子の申し出はありますか」

 はい、と男の人が一人、手を上げる。玲美は小さな台板と鉛筆を取り出し、その男の人と何か話しながら書き込みもした。

 その光景を目の端に映しつつ、エンは母と柴希の姿を捜した。儀式の時は、一番端に立っていた。

 すぐ目に留まった母は、既に数冊の教本を受け取っていた。柴希と半分ずつにしている。こちらに気づくと、優しく笑って、手を振った。

「終わる頃、迎えに来るわね」

 澄んだ声が響くと、広間中がしんとなった。気づいた母は、きゅっと肩をすぼめ、真っ赤になる。柴希がとりなすように正門への扉に導き、二人は早々と出ていった。

 かちゃんと扉が閉まると、静けさを破るように、見知らぬ四角い顔の男の人がどら声を発した。

「子供達は、教室へ」

 初めてまみえた同い年の子供達は、各々(おのおの)席を立つ。人数は、エンを入れて十一人。皆、こちらをちらっと見てから歩き出す。

 母上の所為? と思うと、エンは顔が熱くなった。

 今まで気にしたことが無かったけれど、並んだ親達を見て気がついた。母だけが、黒々とした髪と目なのだ。それがとても綺麗に見えたから、さっきは嬉しかったけれど――

 何だか、こちらに向く子供達の目つきは、珍しいモノを見るかのようだ。

 エンは四、五人にその目つきで見られると、もう視線を受けたくなくて、うつむきがちに広間を出た。

 他の校舎に繋がる大校舎の廊下は、ほんの少し真っ直ぐ行くと終わっている。庇の付いた空間に出ると、枝分かれに廊下がのび、二階建ての校舎に続く。五歳課程の校舎に続くのは、最初に右に折れていく廊下だ。

 十一人が教室に入った時には、先程の男の人が黒板の前につまらなそうに立っていた。

 瞬間移動したのかな、とエンが思う間に、好きな席に座れ、とぞんざいに男の人は言った。

 十名は、ある者はさっさと、ある者はあちこち迷って、二十組ほどある机と椅子のどれかに落ち着いた。エンも、後ろから二列目の隅に座った。

 さぁて、と男の人は黒板前の教壇に両手をついた。

「他の科目の教官については、仮入学時に、ある程度、見覚えてるだろう。オレは魔術教官のユウタだ。何かあった時に顔と名前が一致してないと拙いから、自分の名前を紹介してもらう。石板と筆と水を出せ」

 ごそごそと、子供達は一斉に荷物を出し始める。エンのように鞄や手提に入れてきている子も居れば、布にくるめている子も居た。

 教官、と一人がそろそろと手を上げた。何だ? と両腕を組んだユウタが問うと、その少女はややの間もじもじしてから、水を忘れてしまいました、と告白した。ユウタは、蔑むように四角い顔の口を横に広げ、近くの奴に借りろ、と言った。

 ユウタ担当って、冷たい……?

 教室の空気が、やおらひんやりしていく感覚がある。

 エンは、心の臓がドキドキ云い始めたのが判った。心の隅で、良かった、と思う自分がいる。ツバメが教えてくれなかったら、エンも水の壺を忘れていた。忘れていたら、エンはもっと早く、忘れてしまいました、と言った気がする。今の小馬鹿にするような顔を、自分がされていたかもしれない。

 室内から物音が消えると、さて、とユウタは再び教壇に手をついた。

「指名する順に、自分の名前を真名で石板に書いて、立って掲げてもらう。あー、それから、字は丁寧に。又、筆に水を付け過ぎないように。文字がおどろおどろしくなったり、読めないモノに仕上がるからな」

 最後の台詞に何人かが笑い、張り詰めていた空気が多少和んだ。担当も、澄まし顔だった口の端を上げる。「学舎に集う者にはルウの将来を等しく担ってもらう為、こういう場合の順列は仮名帳順とするところだな」

 エンはドキッとする。仮名帳順だと〝エン〟の順番は早い。名前の頭が〝あ〟か〝い〟か〝う〟の子が居なかったら――

 担当は、壇上にあった帳面を手にすると、ぱらりとめくった。ふと、唇を歪める。

「いやいや、そうそう、この場には無視できない者が居たんだった。お父上は事前に、他と等しく接し、評価するよう希望されているが、抱える事情へのコウリョもご希望だ。只今は、コウリョを優先させよう。ドウソウの君等は、先ず、知っておくべきだ」

 ぞわぞわっとエンは背中が粟立った。

 それじゃ、結局のトコロ――

「ツバメ君」

 驚いて、エンはきょろきょろした。エン以外の十人の中にツバメは居なかった。十二人目で、ツバメが居たのか。例の如く瞬間移動でやって来て、何処かの席にちゃっかり座っている?

 何処!?

 視線を走らせるエンに、ユウタ担当のどら声が不審そうに降ってきた。

「どうしたのかな、我等が皇子」

 はっとして、エンは立ち上がった。そしてようやく解った、友人からの入学祝いが。

「あっ、あの、ハイ、僕です」

 ユウタは、エンが向けられたくなかった目つきで、見下ろしてきた。

「今のおかしな振る舞いは、御自分の身分をホウキするという表現かな?」

「えと、よ、よく、解り、ません」

「解らない、へぇ」

 先刻場を和ませたのとは別種の笑いが起こった。子供達の合間を、潜んで走る。

 エンは、頭がスーッとした後、顔がカアッと熱くなっていた。鼻の頭が、ツンとする。

「あの……僕、名前は、分かってます」

「そうだろうとも。さ、座って、書いた書いた」

 ユウタは帳面をパシとはたいた。「例え邪界の血が混じっているとしても、今更皇子をホウキされては、ルウの民は非常に困るのですよ? 自覚して欲しいですなぁ」

「……ごめん、なさい」

 エンは腰を下ろすと、筆を手にした。手が、震える。

〝燕〟と書いた文字は、蚯蚓がのたくったような線の、最悪の出来となった。

 書き直したかったが、水が乾くまでは叶わない。それにユウタは、書き直しの機会をくれなかった。

「さ、書いたら立って。石板を掲げ、皆に見せて」

 情けない気分で席を立つと、エンは石板を顔の前に出した。

 誰か、少年の声が笑いながら言った。

「皇子のくせに、凄く下手!」

 ガン、と頭を殴られた錯覚に陥るエンの前で、庇ったのかどうか微妙なことを担当が言う。

「皇子のくせに、と言うのは、いかんな。彼への態度は学舎に於いて対等にと、我等が帝は望まれている。つまりだ、この場合、単に、下手だ、と言うべきだな」

「ただの下手だー」

 数人の声が囃す。エンは恥ずかしさでカラカラになってしまったのか、喉がひりひりした。泣きそうになって、石板を胸に押し当てる。

 もう座りたい、とエンは切実に願っていたが、ユウタはパンと手を叩いて場を鎮め、言い出した。

「見ての通り、燕君の名前は真名にすると、ルウの民には実にマレだ。これはルウの民ならば、一度知ったら忘れようがない。下手な文字で紹介されても、君等は覚えてしまったと思う」

 忍び笑いが洩れる中、ユウタは続けた。「しかしながら、燕君に関しては、もっと忘れてはならんことがある」

 エン以外の全員が、関心に息を呑んだ気配があった。

「燕君は現在、術力が殆ど使えないんだそうだ」

 えーっ、と子供達は声をあげた。

 皇子のくせに? と誰かが言ったが、担当が手で制した。

「皇子を名乗れるんだから、一生無いわけじゃない。帝位を継ぐ頃には、お父上と同じ程になるそうだ。しかし、初級学舎に通っているうちは、さほど無いようでな。お父上が望まれているコウリョは、この点だ。君等は、皇子なのに何故劣るのかなんて、敢えて訊かないように。今後は注意しろ」

 はぁい、と子供達が応えると、よぉし、と担当は澄まして頷いた。エンに、座っていいぞ、とやっと許可する。

 エンは、椅子にへたり込んだ。

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