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燕二人  作者: K+
六暦620
19/45

18 大晦日

 翠界の大晦日は〝神の曜・地の日〟と言う。大地の女神アカ・シと共に、翌、新年初日に訪れる太陽の女神ヨ・イチを迎える日なのだそうだ。

 そんなわけだから、閏年で神の曜が六日間あっても〝日の日〟と言うのは無い。今年は閏があったが、神の曜の最初に来た。

 六暦六二〇年神の曜最終日、琴巳(ことみ)は昼過ぎから厨房に立った。

 栩麗琇那は午後の執務で執務宮に居る。親友は昨日から夫君と共に正月休みに入った。新年三日までは、夫が居ない時、琴巳は息子と二人きりである。厳密には、栩麗琇那に頼まれて、某かの精霊も傍に居ると思われるが。

 ずっと隣で手伝ってくれていた(つばめ)は、夕食を平行して準備する頃になると、おねだりしてきた。

「一口食べていい?」

「こっちのは、いいわよ」

 琴巳は今晩のおかずを指す。「でも、どれか一個ね?」

 わぁい、と息子はミニコロッケを一つ手にする。いただきまぁす、と言うがはやいか口に入れたので、琴巳は慌てた。

「まだ熱いのよ――落ち着いて、もぐもぐして」

 揚げたての一品にはふはふ云いながら、燕は頷く。ごっくん、とやってから、幸せそうな顔をした。

「美味しーい」

「わ、良かった。舌はチリチリしてない?」

「だいじょぶ」

 にこっと笑った息子に、うひゃ、と琴巳は思う。夫の笑顔にそっくりなのだ。寝惚けた彼がごくごく稀に見せてくれる、満面スマイルに。

 みんな、琇那(しゅうな)さんがちっちゃくなって帰ってきたって思っちゃうかも……?

 碧界に居る家族に思いを馳せつつ、琴巳は料理を盛り付ける。

 同窓会を知らせてきた青春時代の親友から、続報は届いていない。けれど、余程のことでもない限り会は開かれるだろう。琴巳はその日に合わせ、燕を連れて里帰りするつもりだ。

【――コウ君から、お兄さんと結婚して一児の母になってるって聞いた時にはビックリしちゃったよ。もう、チョー話が聞きたいぞー! 息子クンにも会ってみたい!

 今ね、子連れ参加オッケーにしようかって、もう一人の幹事と相談してるトコ。とにかく、いい返事をお待ちしてます――】

 順子(よりこ)を鮮やかに思い出せる手紙を読んだ時は、困ってしまった。いい返事は出せないと思ったから。

 栩麗琇那の仕事は、ほぼ年中無休。到底、碧界に行くのなんて無理だ。だから、駄目だと思った。家族三人で行くケースしか、考えていなかったので。

 行くといい、と言われ、琴巳は気がついた。自分と燕は、行こうと思えば行けたのだ。行きたくても行けないのは、栩麗琇那だけだった。

 そして、行く権利と義務もあると続けた夫の言葉が、琴巳の心に強く響いた。

〝こちらはみんな元気です〟と、日本からの便りには常套句のように書いてある。けれど来年には、祖父は八十一歳。祖母は七十九歳になる。元気な姿に会えるのは、最後のチャンスかもしれない。曾孫を見せ、養子でもあり孫の夫ともなった栩麗琇那の今も伝えておきたい。

 ホント、揃って行けない代わりに、エンが琇那さんに似てきてるのが救いだわ。

 琴巳は、ふっと一息つき、盛り付け終わった夕食の一皿を手にした。すいと横合いから手がのびてきたので、重いから気をつけて? と目を向ける。

「ワ――!」

「――っと」

 思わず手を放してしまった皿を、低声を洩らして美青年が受け止めた。

「母上?」

 ぱたた、と青年のミニチュアが食堂から駆け込んでくる。琴巳は父子を見比べ、胸に手をあてた。

「びっくりしたぁ。エンが、いきなりおっきくなっちゃったのかと思った」

 栩麗琇那は、ちょっぴり口を曲げる。燕は目をくりくりさせた。

「僕、すぐそこで父上に、おかえりなさい、って言ったのに。母上、聞こえてなかったの?」

「う、うん。あー、びっくりした」

 胸元をさする琴巳を見つめ、栩麗琇那は持っていた皿を燕に渡した。大きな手が額に触れてきたので、琴巳は焦って夫を見上げる。「熱、無い無い。考え事にひたっちゃってただけなの」

 そう言っても、栩麗琇那は確かめるように琴巳の額に手をあてていた。ややすると、放した手で柔らかげな髪をかき上げる。

「こっちも驚いた」

「たはは。ごめんね、お詫びに、琇那さんのお皿にコロッケ二つ、おまけしちゃう」

「……俺はエンじゃない」

 夫は、ぼそっと呟いた。



 又、アンニュイだ。

 琴巳は、口をすぼめた。

 静かな年末の夜で、明かりと言えば暖炉の炎だけ。二人きりの寝室で、柔らかな毛織の敷物に並んで座り、落ち着く光を見つめる。

 夫をちらりと見れば、綺麗な紅茶色の瞳が、光を受けて、きらきらしている。しばらく目の保養をしてから、揺れる炎に視線を移し、琴巳は抱えた両膝に顎を乗せた。

 やっぱり行きたいんだろうな、碧界に。

 栩麗琇那は時折、物憂げな雰囲気を纏うようになった。考えてみると、碧界から同窓会の知らせが来た辺りから。

 碧界の日本に居る家族は、当然ながら琴巳の血縁だ。栩麗琇那にとっては全て〝義理〟が頭に付く。けれども、十一になる年から二十一になる年まで共に暮らしてきた。きっと彼は、本当の家族同様だと思ってくれている。手紙も全部大事にしてあるし、話にも度々出る。

 栩麗琇那は琴巳より一年早く碧界から去った。家族と別れてしまってから、八年が経とうとしている。再会したい気持ちは、琴巳より一年分強いかもしれない。

 わたし、役に立てたらな……

 こんな時は、胸がきゅっとする。自分にも術力があったら、皇帝職を代行できたかもしれないのに。

 傍に居ることしか、できない。

 琴巳は膝をつくと、夫に抱きついた。

 珍しく油断していたのか、栩麗琇那は体勢を崩した。琴巳を胸に受け止めはして、仰向けに倒れ込む。宝石のような双眸が、初めきょとんとして、次いでやんわりと見上げてきた。

「おまけ?」

 今度は琴巳がきょとんとすると、栩麗琇那は笑みを含んだ低声で言を継いだ。「俺はコロッケの追加より、こっちの方が断然嬉しい」

 琴巳は顔がほてってしまう。照れ隠しに、馬鹿馬鹿、と洩らし、改めて抱きついた。

 そのままじゃれ合って互いの寝間着を邪魔に感じ始めた時、栩麗琇那が琴巳の身体を半ば乗せたままで半身を起こした。不機嫌そうに片手で髪をかき上げる。琴巳は、慌てて身を放した。

「どうし、たの……?」

 溜め息をつくように短く息を吐き出し、夫は立ち上がった。琴巳も腰を浮かせると、栩麗琇那は制するように手を向ける。

「誰か、境界に来たんだ」

「あ――良かった」

 琴巳は座り直し、胸元に手をあてた。「何か怒らせちゃったのかと思った」

 栩麗琇那は長衣を羽織りつつ、喉を鳴らす。

「コトミが上に乗ってきて怒る男は居ないよ」

 さらりと言うと、扉を開け、栩麗琇那は出ていく。

 かちゃんと扉が閉まり、琴巳は両手を熱い頬にあてる。手でぱたぱた風を送ってから、茶の用意をしておこうと思い立った。

 暖炉の前にやかんを掛け、キャビネットから玄米茶の茶筒を取り出したところで、こん、と扉がノックされた。栩麗琇那の叩き方だ。すい、と扉が開く。

 思いのほか早く戻ってきた夫は、こちらを見るなり言った。

「全裸で寝台に居てくれたら良かったのに」

 琴巳は茶筒を取り落としそうになった。

「えっ? え――?」

「冗談だ」

 栩麗琇那は扉を完全には閉めず、こちらに来た。夫は冗談も真顔で言うから、判断が難しい。

「お、お客さんが、帰ってないのね?」

 気を取り直し、琴巳は奥にある玉露に手をのばす。

「玄米茶でいい」

 何処となく拗ねた口調で、栩麗琇那は盆に茶器を並べた。「枸紗名(くしゃな)叔父上の目当ては玉露じゃない」

 琇那さんたら、又からかわれたのかしら。

 琴巳は瞳を上向ける。客人は大君(おおきみ)らしい。

 ルウの民の頂点に立つ義理の叔父は、流石と言うべきか、何だか妙に察しがいい。妻でさえ見極めが困難な栩麗琇那のポーカーフェイスも、簡単に看破する。

 きっと、不貞腐れていたのも読まれてしまったんだろう。普段毅然としている皇帝も、大君にだけは、たじたじなのだ。

 支度を済ませ、寝室を並んで出ると、栩麗琇那はぼやいた。

千歳(ちとせ)がさっさと観念してくれないと、冷やかしの矛先が俺に向いたままだ」

 栩麗琇那は盆を小脇に持ち、くしゃっと髪に手指をうずめる。

 リィリ共和国で暮らす大君の一人息子を思い出し、琴巳は言った。

「いつ結婚してもおかしくないのにね、千歳さん」

 幼馴染みの蒼杜(そうと)より一つ年上の千歳は、来年、二十八になる筈だ。相手に困るようなタイプの人ではないと思う。

 往生際が悪いんだよなぁ、と言いつつ、栩麗琇那は到着した応接間の扉をノックする。

 連れ立って入ると、奥の肘掛椅子に、大君が悠然と座していた。やぁ、と甘い低声を発する。

「琴巳も来てくれたのか。やれ、嬉しや」

 こんばんは、と挨拶する琴巳はえくぼが浮かぶ。正直、琴巳は枸紗名が好きだ。夫と二人きりの時間に割り込まれても、特に腹が立たない。

「白々しいですよ、叔父上」

 呆れたような口ぶりで言いながら、栩麗琇那は円卓に盆を置く。枸紗名は、にっこりした。

「まぁまぁ。今宵はそなたにも用があるのだ。拗ねるな拗ねるな」

 いつもは栩麗琇那に用は無いらしい。複雑そうな目を卓上に落とす夫に、琴巳は悪いと思いつつも笑ってしまう。

 ともあれ、それぞれの湯呑に茶が入り、三人は卓を囲んで席に着いた。

 枸紗名は、自分の湯呑を手にすると、口火を切った。

「実はな、そなたに大君をして欲しいのだ」

「――は?」

 出し抜けな話に、栩麗琇那は小さく口を開けたまま固まった。琴巳も、ぱちぱち瞬きしてしまう。枸紗名は、至極当たり前のことを口にしたという顔で、茶を含んだ。

 栩麗琇那は、唇を結ぶと身を正した。叔父上、と据わった声を出す。

「誰が見ても時期尚早です。御再考を」

 枸紗名は、可笑しそうな顔つきで、栩麗琇那を見た。

「ふふ。予想を裏切らない反応だ。そなたの所に来るのは、だから好きなのだ。面白い」

「…………」

「いやいや、全く冗談でもない故、怒るな」

 無言無表情の栩麗琇那に、大君は応じた。「典儀進行の、代役を頼みたいのだ。そなたにも損な話ではあるまい、僅かなり大君の役目を事前に経験しておけるというのは。わたしは苦労したぞ、いきなり就任してしまって」

 琴巳は、何となく息を呑んでいたので、小さく深呼吸した。湯呑を両手に包み、夫と叔父を交互に見る。

 栩麗琇那は深く息をついた。椅子の背に、沈むようにもたれる。

「先程、偶然、廊下で話していました。千歳がそろそろ結婚してもおかしくないと」

 えっ、と琴巳は声をあげてしまう。

「本当に!?」

 さよう、と枸紗名は優しく微笑む。

「皇族の婚の儀は大君が進行させねばならぬが、必ずしもではないのだ。わたしは息子の晴れ姿を親族席から見届けたいのでな。代わりを引き受けてくれるな、栩麗琇那」

「未熟者ですが、努めます」

 栩麗琇那が諒解すると、大君は満足した顔で湯呑を傾けた。飲み干したのか、軽い音をたてて茶托に戻す。

「されば、日取と場所が決まり次第、また来る。実梨(みのり)がユツキを正式に夫に迎えるそうで、そちらの婚の儀が済んでからになるだろう」

「実梨さんの赤ちゃん、元気かしら」

 先日、栩麗琇那から聞いた。奇しくもラル家の皇子(みこ)の誕生月と同じ十月、ティカ大公が無事に女の子を産んだと。

 健やかなようだ、と大君は頷いた。

「先日、医事者に診てもらったそうな。まずまずの術力を備えていたとか。これでティカ家もまた一代、永らえよう」

 そういえば、千歳さんは元々サージ家の人よね……? それにそれに――

 夫が湯呑に手をのばすのを目の端に映しつつ、琴巳は興味津々で尋ねた。

「叔父様、千歳さんの婚約者さんって何方? 琇那さんもわたしも知らない女性(ひと)ですか」

「さて、栩麗琇那は知っておろう。だが、面識まであるかな」

 枸紗名は茶を含む甥を見やってから、琴巳に笑いかける。「わたしの後を継いだ者なのだ。要するに、現在、サージ大公をしている。センジュと言って、わたしには実の姪。千歳には実の従姉妹だ」

「――ってコトは、皇族同士の婚の儀なんですね。わぁ、盛大そう」

「そうだな、同家の婚儀ゆえ、そなたと栩麗琇那の儀ほどには盛り上がらぬやもしれんが」

 枸紗名は甘いマスクに笑みを浮かべたまま、手慣れた台詞を口にした。「そなたのような華が添えば六神と契約神もお喜びになる。千歳の親族として、わたしと共に出席せぬか」

「わたしも伺っていいんですか」

 喜々として琴巳が身を乗り出すと、栩麗琇那が湯呑を茶托に置いた。無表情で、叔父に目を向ける。

「お構いなく。コトミは、わたしと共に出席させていただきます」

 エスコート権の主張に、琴巳は耳元が熱くなる。

 枸紗名は、口をへの字に曲げた。

「むぅ。珍しく口に出しおったか」

「毎々叔父上を煩わせるのも、申し訳ありませんので」

 しれっとして栩麗琇那は応じる。

 いつも、口に出さずに、わたしのコト考えてくれてるんだ……?

 琴巳は一人、緩みそうになる口許を湯呑で隠していた。

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