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燕二人  作者: K+
六暦620
18/45

17 仮入学

「あのあの、ごめんね、もっかいだけ――」

 境界の扉の前で立ち止まり、琴巳(ことみ)は訊かずにいられなかった。「ホントに変じゃない?」

 髪は編み込み。唇には薄く紅。服は、ワインレッドの秋物セーター、裾に淡い色で刺繍を施した生成りのノースリーブワンピース。靴は生成りに近い色の布物。肩から、薄手のストールを掛けている。そして、巾着を片手に提げた姿だ。

 こちらを見た栩麗琇那(くりしゅうな)は無表情だったが、どことなく笑いをこらえているような口ぶりで応じた。

「安心しな。新入生には見えない」

「母上、とっても綺麗だよ?」

 手元から、(つばめ)が言った。「さっきと、どっか変えたの?」

「え、えと、何も……」

 かあっと琴巳は頬が熱くなる。栩麗琇那は顔を背けると笑声を洩らした。息子の背を、ぽんぽん叩く。

「何なら、執務宮(しつむきゅう)の面々にも道々訊いてみる?」

「イエ……」

 琴巳は頬に手をあてると言った。「後一回、サっちゃんに訊くだけにシマス」

「妥当だな」

 栩麗琇那は低く喉を鳴らし、扉を開ける。

 執務宮の廊下は中庭に面して窓が無い為、日が差さず薄暗い。故に、中央に敷かれた絨毯は臙脂の色を濃くし、堅苦しい雰囲気を醸す上、実際の距離より長く感じさせる。

 境界から出てすぐの所には、昼間の後宮に鐘結界を張ってくれる境界役が居る。挨拶を交わした後、それまで張っていた栩麗琇那と交代する。

 琴巳には見えないが、ルウの民は結界を目で捉えられるそうだ。栩麗琇那は扉を一瞥すると、宜しく頼む、と境界役に告げた。どうやら張り替えは終了したらしい。行くぞ、と歩きだす。

 この五年、境界の扉からは数えるくらいしか出たことの無い琴巳も、境界役の顔だけは全員覚えている。お願いします、と気軽に言うと、燕が真似をした。息子の前ではきちんと言うべきだったと気がつき、琴巳は恥ずかしさに、ぺこっとお辞儀をした。燕の手を引いて夫の背中を追う。

 数歩手前で足を止めて黙礼してくる宮勤め達に、栩麗琇那は軽く片手を上げて見せつつサッサと進む。下手にこちらも足を止めたりすると却って向こうを緊張させる、と以前に夫は言っていた。だから琴巳は、彼が海を割る間に、ひたすら歩く。

 一つ角を曲がると、宮殿の門が見える。外側へ向かって開く門扉は天井まである長大な物だが、いつも一人か二人が通れるぐらいにしか開いていない。宮殿には、後宮に限らず、誰もは入れないのだ。

 入殿を希望する者は、取次役の許可を得ないといけない。廊下には、門を囲うように衝立が出ている。衝立の中には両脇に机と椅子があり、取次役が二人ずつと、門番が一人ずつ座している筈だ。

 ふた組の衝立が合わさる中央は、内側からも外側からも開閉する。西部劇の、酒場のドアのようなヤツだ。この時間は宮勤めの出勤タイム。こちら側に開いては、ゆっくりと閉じていた。

 親友は通勤の話をする時、よく〝門を通る〟と表現する。その門とは本物の大きな方ではなく、アレのことだった。衝立を通らなければ、宮殿を出入りしたことにはならないわけだ。

 あの扉楽しいよね、と燕が指差すと、ひとりでに閉まるもんな、と栩麗琇那がやんわりと応じた。応じてから、こちらを見る。

「普段はこの辺で柴希(さいき)と会うから、多分もう、門前に居るだろう。もし居なかったら、来るまで、菊也と居ればいい。今日は第一取次を頼んであるから、外に居る」

「ハイ」

 琴巳は巾着を胸元にあて、唇を結ぶ。

「まぁ、気楽に」

 栩麗琇那は琴巳の背をポンと叩くと、一人、執務室の方角に歩いていった。

 息子の手を取り直し、琴巳は〝門〟を通る。

 外は、清々しく晴れた朝の光が満ちていた。

 門前の横手に、柴希が居た。同じ場に居た取次役代表と挨拶を交わしてから、早速、親友の案内で初級学舎へ向かう。

 宮殿と(みやこ)を繋ぐ緩やかな階段を降りながら、琴巳はラスト一回の質問をした。

「わたしのカッコ、変じゃない?」

 柴希は、くすっと微笑んだ。

(てい)皇子(みこ)は何と?」

「父上は最初ねぇ、何処も、って言ってた。でー、次は、大丈夫」

 燕が代わりに答えだし、琴巳は慌てた。「で、その次は、平気だ。それで境界前では――ワぷ」

 息子の顔に抱きついた琴巳は、ぎごちない笑みを浮かべる。柴希は笑いを抑えている顔つきで、言った。

「何処も変じゃありません。大丈夫、平気です」

「僕は、とても綺麗だと思ってるの」

 めげずに燕が発言する。柴希は、それも付け足した。琴巳は、すっかりほてってしまった頬をさすってから、ありがと、と何とか言う。

 階段を降りると、縦横に大通りが開けている。遠く前方に見える噴水の方へは向かわず、柴希は右手に曲がった。寝室や子供部屋の窓から見える、大きな公園がある方だ。

 魔術の授業は、学舎の敷地内でなく公園の端でやることもある。そんな話をしてくれた後、柴希は可笑しそうに問うた。

「本日の昼は、公園辺りで待ち合わせですの?」

「琇那さんと?」

「――違ったみたいですね」

 柴希は小首を傾げた。「完璧に身支度されているから、宮殿の外でお会いになられるのかと思いました」

「ん、会うのは別の人。琇那さんから、学長さん宛に手紙を預かってるの」

 琴巳は巾着をちょっと持ち上げた。「それで、カッコが気になるのよね。皇妃はおかしな恰好をしてるなんて、陰で言われちゃったら琇那さんに申し訳無いし、コイツの母様って変なんだゼー、とか、エンがお友達に苛められたら困るでしょ」

「……また随分と、暗い想像をなさいましたね」

「個人的にはウキウキしてるから、浮かれないようにしなきゃ、って思ってるんだけど」

 琴巳は、はにかみながら言う。「夫から預かりました、って手紙を渡すのドキドキしちゃう。も、琇那さんのコト〝夫〟って、ずっとずっと言ってみたかったの」

「……また随分と、ささやかなお望みを持ってらしたのね」

 笑み混じりに柴希は言ってから、角を左に折れ、右前方を示した。「もうすぐ夢が叶います。あれが初級学舎です」

 ひと目見て、モスクみたい、と琴巳は思った。思ったが、その感想が通じる相手はこの世に一人しかおらず、その場では口にしなかった。



「確かに、外観は似てるな」

 栩麗琇那は、妻が初級学舎にいだいた印象に頷いた。「中は一昔前の小学校みたいだったろ」

 そうそう、と琴巳は楽しそうに白い歯をこぼし、温めた檸檬水を一口含む。

「担当のモズ先生は男の人だったわ。お家の事情で、今年いっぱいで退任されるんですって」

 事務役からの調書を読むに、三、四年前から、五歳担当はどうも怠慢だった。

 寄合所の若長(わかおさ)から都の警備役が推挙され、老が打診すると渋々承諾。一年経つと曖昧な理由で辞任。それを繰り返している。兼任だったからとは言っても、揃いも揃っていい加減だ。

 警備役の処遇は、帝位に就いた当初から悩んでいた。

 メイフェス・コートは、大陸より格段に平和だ。

 個人間の諍いは起こるが、それは老や寄合所の各長が間に入れば収まりがつく。都をただ見回るだけという警備役の出番は、無きに等しい。

 それなのに夜勤がある所為なのか給金は高く設定されており、警備役は就職先として人気があった。寮も完備されているから人数も結構居る。

 メイフェスには無駄と判じ、職務内容が酷似している大陸勤務を打診したのだが、のらりくらりと拒否された。中には家族が心配すると、制服を纏い、平然と述べにきた厚顔も居た。

 給金削減を老に命じれば、人数を擁している強みか反対署名を集め、結果的に雀の涙ほど減っただけ。

 やむなく、追加募集停止の措置だけは老に徹底させ、業務に馬術修練も追加し、警備役は存続させているわけだが……

 これまでの調子で一警備役に次の教官として名乗りを上げられても、安心して任せる気になれなかった。

 この際、魔術教官探しはメイフェス・コートの枠を外れた方がいいかもしれない。

 琴巳に託した学舎長宛ての(ふみ)には、それを示唆した。返書には、御意のままに、と記されていた。結局、皇帝主導で探すしかなさそうだ。

 小さく息をつき、栩麗琇那は自分のカップを手にする。せっかくの妻との時間に、仕事絡みの案件で頭を占められるのは不本意だ。

「俺が通った頃の五歳担当は女性だった」

 そうそう、と琴巳はまた言った。

「わたしも保育園の担任は女の先生だった。だから、意外だったわ。五歳担当のモズです、って、ずいっと来たから。碧界だったら、保父さんよね」

「敢えてソレに当たる者を挙げるとしたら、学舎長と副学舎長だけだ。教官は、各科の専門家として集まっているに過ぎない。子供とは極力接すること無く、ひたすら知識を伝達してくる教官も中には居る。多分、今も」

「五歳児にも、そんな調子なの……?」

「五歳の教室担当は魔術教官が務めてる。術の専門家に子供好きは少ない。けど、それでいいんだ。ルウの学舎は、とにかく学問だけを集中して行う場だ。養育の義務は、親、親類、近所といった周りにある」

「……じゃ、友達百人、できないんだ……?」

 昔日本で聴いたような歌が頭によぎる。琴巳の頭には、息子の〝御入学〟が近づくごとに流れていたようだ。

「島の人口自体が少ないから、子供の数も多くない。百人は無理だろうが、エンなら、それなりにできるだろう」

 今日は朝から百面相の琴巳に、栩麗琇那は苦笑を禁じえない。

 もう一杯飲む? と訊いてきた琴巳にカップを差し出してから、栩麗琇那は椅子の背に軽くのけ反った。

 今日も一体、どれだけ碧界の事物を耳にし、又、口にしてしまったろう。

 碧界に居る家族には、琴巳と、孫でもあり甥でもある燕を会わせに行くべきだ。本当なら栩麗琇那が同行すべきだが、ルウの歯車として勤めている皇帝では不可能に近い。だから、せめて琴巳と燕だけでも行かせるべきだ。

 燕が生まれてから、しばしば思ってはいたことだったのだ。

 今度の中学校の同窓会は、願ってもない口実だ。

『じゃ、ちょっとだけ里帰りしようかな』

 行くといい、と言った栩麗琇那に、琴巳はそう応じて小さくえくぼを浮かべた。

【日本に行くのは時間がかかるので、良かったら、早めに詳しい案内を下さい――】

 琴巳は、日をおかずに、その手紙を書いた。まだ知らせてこないが、〝海外〟にまで誘いの便りを寄越してきたくらいだから、連絡してくるだろう。

 来ナケレバ、イイノニ。

「はい、どうぞぉ」

 ぴくっと栩麗琇那は身を戻す。愛しい人が、湯気の上るカップを向けてきていた。「〝琴巳のスペシャルレモネード〟気に入った?」

「……あぁ」

 栩麗琇那は受け取りながら言う。「トリップしてしまえる」

 琴巳は、拗ねたような顔をした。

「何か、イケナイ薬みたい」



 数週後の午後九時、部屋に両親が訪れた。

蒼杜(そうと)から借りてきた。写本があるし、返すのはいつでもいいそうだ」

 父は、手にしていた一冊の本を机に置く。「まだエンには難しい真名が出てくるし、殆ど使えない術の解説ばかりだからな」

「あれっ、そうだったの?」

 寝台にエンと並んで腰かけた母が、ほんの少し顔を傾けてこちらを見た。「でも、その本を見たかったのよね?」

 焦るエンの耳の傍で、睡眠薬、と、ごくごく小さな囁きがあった。

 聞き取れてしまったのか、ん? と言うように父が眉を動かす。エンは急いで繰り返した。

「睡眠薬――に……」

 母は、あらら、といった顔になり、父は無表情のままで何も語らない。エンは気まずさにうつむく。

 今日は十度目の仮入学をし、時間いっぱい、学舎の書庫を見学した。

 後宮の書庫よりも、たくさんの本や巻物が並んでいた。梯子を掛けて登っていかないと手に取れないような場所にも、ぎっしりと。

 圧倒されつつも手の届く箇所に並んだ、綺麗な装丁の物を眺めるうち、何処からか幼馴染みの声がせがんできた。借りろ、と。それで咄嗟に、これ借りれる? と母に訊いたわけだ。

 たしか学舎の本は駄目だったような……と柴希が呟くと、残念ながら、と同道していた副学舎長が応じた。

 それで母は宮殿に帰ってきてから、ここの書庫に無いのかしら、とエンには読めてもいなかった書物の題を挙げた。子供用の術書は無い、と父は答えていたが、後からリィリ共和国まで出向いてくれたようだ。

「まぁ、睡眠学習も一つのテだ」

 父は怒らずに、静かな所作で机に寄りかかった。「解らないままでも、脳にチクセキしとくと、いいかもな」

「うつらうつらして落っことしたりするかもしれないから、傷んじゃわないように、明日、布で覆っとこっか」

 母が両手を合わせて言う。エンはコクコク頷くしかない。

「じゃ、今日のところは、自力で寝な」

 父の台詞にも、エンは頷くばかりだ。

 机上の角灯を取ると、父は母に手を差しのべた。母は手を重ねて立ち上がってから、こちらを振り返り、明日ね、と微笑む。

 おやすみ、と低声が響き、二人と共に明かりも出て、室内はしんとした暗闇に包まれた。

 ふぅう、とエンは脱力する。

「ツバメ、何処に居るの」

「すぐ近く」

 窓辺に、人影が立っていた。張出に腰を下ろす。「父さんは地獄耳だなぁ」

「僕、気が気じゃないよ。父上や母上に何かあったら嫌だ。気をつけてよ、ツバメ」

「エンが、じれったい本の見方をするからだ」

 ツバメは不貞腐れた声で応じた。「ツバメは前に言ったぞ、開け、って」

「題も読めない本を開いても、しょうがないじゃない」

「ツバメは、全部読めてた」

 幼馴染みは片膝を抱えた手の指を、順繰りに立てていった。「『魔法陣描き方シナン』、『大陸にオける薬草の自生ブンプからコウサツする特殊薬品ハッショウの歴史』、『大陸に残る言葉のキゲン集』、『楽々ヒコウ術』……エンの好みは滅茶苦茶だ」

「僕は、ぴかぴかの革張りや布張りが目に留まっただけだもん。ツバメ、読めるなら自分で好きなの読めばいいのに」

 エンは枕を壁に立てかけると、ぼふっともたれた。「なんで僕がツバメの読みたい本を調達しなきゃならないのさ――〝基礎何とか集何とか始め〟」

 ツバメは出窓から下りた。机の本を取ると、また戻る。月の光が当たるように傾け、開いた。

「『基礎ジュモン集コトダマ始め』」

「あぁ、その〝呪文〟と〝言霊〟って言うのが読めなかったんだよ」

「ルウの民は、おろそかにしがちだよな。エンが手にしたヤツは、作ったばかりみたいだった」

 言われてよくよく見ると、今ここにある物は、割とぼろぼろだ。

「どうしてルウの民は、ソレを軽く見てるの?」

「頼らなくても、術力を引き出せるからだろう」

「あ――じゃ、僕には呪文とか言霊って言うのがむいてそうだね」

「珍しく、物分かりがいいじゃないか」

 けなしているのか褒めているのか、微妙なことを言う。エンが反応できずにいるうち、ツバメは頁をめくっていた手を止めた。「これだ。これから覚えよう」

「教えてくれるの?」

「ツバメ一人では操れない」

 書物に目を落としたまま、幼馴染みは淡々と言った。「ツバメでは封印が解けなかった……完全に解けた場合はどうなるのか判らないけど、今のツバメはホジョしかできない」

 何となく――本当に、何となく――エンは、解った。

 だから、そう……とだけ、言った。

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