16 再会
花が咲き乱れる緑の草地が広がっている。
花の色は様々で、赤、橙、桃色、白、黄色、青に紫。黄色がやや多めだろうか。形は五弁の物が多い。
風が、しっとりと吹いている。
青味がかった黒髪を緩い風に流させたまま、少年は草地の中に居る二人の少女へ歩み寄った。
どちらも十歳前後で、真っ直ぐな髪が背の辺りまでのびている。一人は純白、今一人は茶色。
白髪の方が、先に少年に気づいた。少年は碧眼を細め、やぁ、と挨拶する。それで、茶髪の方も少年を見た。
「元気だった? タハーラ」
少年が笑いかけ、茶色い髪を撫でる。呼ばれた少女は、はにかんだように笑んだ。
白髪の少女が、薄い灰色の目で少年を見上げた。
「元気は元気だけど、忙しくて大変よ」
色素の薄い細腕を胸元で組んで、少女は純白の頭をちょっと傾ける。「やっぱり一人での浄化は無理がある。先代タハーラも、もう少し早くこの子が来てたら、もっと長生きできたんじゃないかしら」
「この箱庭で享年八十二は大往生だと思うけどね」
少年は薄く微笑した。「眠るように逝ったそうだね」
はい、とタハーラが思い出すような顔で頷いた。
「また明日ね、と仰って横になられて、朝には穏やかなお顔で冷たくなっていました。初めは、眠ってるとばかり……」
「やはりそれは、天寿を全うできたと思うべきだろう。外界に居たなら、とうに三百六十年前には亡くなっていたろうし」
少年が白髪の少女に肩をすくめて見せる。少女は灰の半眼を閉じた。
「今度のタハーラも本来の寿命を過ごさせたいなら、ちゃんと助手を見つけてきてよ、オク」
「そうほいほい精霊級は生まれないよ、ケル。外界より時の流れが遅いのだから、のんびり待っていてくれ」
そう言って、少年は甘やかに目を細めた。
暦は九月に入り、宵には秋の虫が盛大に鳴くようになった。
燕を寝かせた後に飲む茶も、温かな物へと変わりつつある。
緩く湯気の上るチャイを飲み、栩麗琇那は琴巳と寛いだ時を過ごしていた。のんびり、互いの日中を知り合う。
普段、栩麗琇那には知らせるようなことが無い。敢えて挙げるなら、今日も皇領は平和だったようだ、ということぐらいだ。しかしながら今夜は、一つだけネタがあった。
「泰佐から聞いたんだが、実梨が身重なんだそうだ」
えっ、と琴巳は丸い目を一層丸めた。
「実梨さんて、実梨さんて、蒼杜さんを好きな実梨さん?」
あぁ、と栩麗琇那は頷く。ティカ大公がユタ・カーの申し子に二度も袖にされた話は、ルウの民内でかなり有名だ。今年の初めの件で会う機会があったようだから、実梨が蒼杜を慕っていることだけ、栩麗琇那は琴巳に教えていた。
「泰佐は今日、帝代理としてティカ宮殿に用があった。大公に面会したら、臨月に近い様子だったらしい」
「えっ、え――じゃ、えと、待って」
両頬を押さえ、琴巳は考え込む。暦上、逆算し易く、たまたまあの一件がその頃だったのに気づき、栩麗琇那は言った。
「父親は蒼杜じゃない。同じティカ領の者だそうだ」
琴巳は考え事をする時の癖を出した。黒目がちの瞳を、上向ける。
「今、蒼杜さんが恋愛してたのかと思ったら、なんでか、とっても意外だった。考えてみると、蒼杜さんて、博愛過ぎるから……女性としては、いいお友達って、割り切ってお付き合いするしかなさそうなとこがあるなぁ」
「結局、実梨は割り切ったのかもな」
相槌を打つと、遠く耳元で鐘の音がした。栩麗琇那はカップの残りをあおる。
「もう一杯飲む?」
「後で。丘に行ってくる」
用意しておくね、とえくぼを浮かべた妻に結界を張ってから、栩麗琇那は大陸へ瞬間移動した。
琴巳の故郷、碧界と繋がっている大陸の一地点には、鐘結界と人避けの結界を重ね張りしている。
以前は蒼杜が全て管理していたのだが、瞬間移動術を使える栩麗琇那の方が早く対応できるので、異世界から妻を娶ったのを機に管理の大半を引き継いだ。
大陸の南西、ヴィンラ・タイディアにある風吹く丘に降り立てば、大樹の根元に、ヘッドに翡翠の付いた首飾りが落ちていた。銀の鎖に、紐で封書が結わえてある。
そのまま拾い上げ、今度はリィリ共和国へ瞬間移動する。
世界を繋ぐ鍵は、蒼杜と今一人の人物の私物だ。彼等の、母親の形見。
蒼杜の出生は風変わりで、彼には遺伝子上のオリジナルが碧界に存在している。ユタ・カーの申し子は自分が六神に作られたクローンに近いと薄々知っているようだが、碧界の人物とは双子の兄弟として、折々に文のやり取りをしていた。
鎖に括られた封書は蒼杜宛ての手紙と、琴巳と栩麗琇那宛ての手紙だ。予めそれぞれの宛名を書いた紙にくるんであるので、分別はすぐ済む。首飾りをハイ・エストに託し、栩麗琇那はメイフェス・コートに戻った。
寝室に入って、手紙だ、と栩麗琇那が包みを掲げれば、琴巳は漆黒の瞳をきらきらさせた。
妻が新しいチャイを注いでくれる。シナモンの香に鼻をくすぐられながら、包みを紐解く。一枚の紙片と二通の封書が現れた。
二つ折りの紙片に〝親愛なる翠界の御夫妻へ〟と記してある。知神の申し子に似た筆跡だが、書いたのは碧界に居る件の天才だ。翠界の門番たる蒼杜と対を成す、碧界の門番、シェリフ。
シェリフとは、栩麗琇那が碧界から去る折に会ったのが最後だ。かれこれ七年経つが、こうしてちょくちょく文通はしている。
今日届いた二通の内一通は、淡い空色の洋型封筒で、花模様の型押しが施されていた。技術の停滞している翠界では、お目にかかれない代物だ。中央に〝琴巳様〟と見覚えの無い字で宛名が書いてある。
ん、と手渡すと、琴巳は見るなり小さく息を呑んだ。裏返し、やっぱり、と口走ると、急いで封を開ける。
差出人を確認せずに渡してしまった栩麗琇那は、もう一通とシェリフからの手紙を手にしたまま、便箋に目を走らせる妻を窺った。
初めは頬を僅かに上気させ、瞳を潤ませた。二枚目を前に送り出す指先が小刻みに震えており、自覚したのか、一つ深呼吸をする。三枚目になると、頬に手をあて、困惑の表情になった。やがて、ちらっとこちらを見る。
栩麗琇那は、予想される差出人名を挙げた。
「早稲さんか」
「えへへ……六年ぶり」
琴巳にとっては、それだけの年月を経て尚、字を見ただけで判るぐらいの相手だ。早稲順子――中学、高校時代の大親友。「嬉し。変わってないみたい」
それは琴巳にも言える気がしたが、そうか、とだけ栩麗琇那は言う。
三枚目に書いてある内容も予想できたが、確認したくなかった。手にしていたシェリフの手紙に目を落とす。
【こちらは相も変わらずだ。そちらもそうかな? 御子息がそろそろ学舎に通うから、慌ただしいかもしれないな。
さて、日本から便りが届いたので転送する。今回は、加賀家からだけじゃない。琴巳の御学友から預かったと言うモノも一緒だ。御母堂が請け負ったのだから、それなりの内容だろう。もし君達がこちらに遊びに来るなら、大歓迎だ。
では又。 シェリフ・ドゥ・マーニュ】
異界の友人も同じことを察しているのが判り、栩麗琇那はやる瀬無く前髪を梳き上げた。
触れずに済ませるのは無理か。
「早稲さん、会おうと言ってきたんじゃないか?」
栩麗琇那は、シェリフの手紙を向けながら問うた。
受け取った琴巳は、一口も飲まないまま冷めていくチャイを見つめ、応えた。
「来年の春、中学の、三年一組の、同窓会やろうって話が進んでるんだって。ヨリちゃんが、幹事の一人で」
「…………」
「……どうしよう」
「……行くといい」
栩麗琇那は平静を装いつつ、言葉を紡いだ。「権利も、ひょっとしたら、義務もある」
十の月一日、エンは五歳になった。
両親に加え、柴希と羽衣も祝ってくれた。朝昼晩と御馳走が食卓に並び、夕食後には父から〝秘密〟を一つ明かされた。
そうして、〝おやすみ〟の言葉で特別な一日は幕を閉じ、新たな、特別な日への開幕を待つ。
明日は、初級学舎へ仮入学をする。五歳課程十ヵ月目を迎えた子供達の、授業風景を見せてもらうことになっている。
両親が部屋を出て、寝台に仰向けになったエンは頭の後ろで手を組んだ。暗い天井を見上げる。
先月、五歳になったらガッコウが始まると知らされた。知らされた時は、特に感想が無かった。いろんなことを教えてもらえる所だと父は言い、友達が居る所だと母は言った。宮殿に居るのと同じなんじゃないかと、エンは思った。
そのうち、もしかするとツバメも通い始めるんじゃないかと気づいた。姿形は瓜二つでも頭の中身は月とスッポンだったから、通い始めるのではなく、既に通っているかもしれないとも考えた。
天井から窓へ目を移すと、外の空が見える。
天空は、黒い布地の上に、飾り玉をばら撒いたようだった。ちかちかと、明かりを反射しているかの如く、瞬いている。
しばし見入った後、エンは呟いた。
「ツバメ、どうしてるかな……」
ほんの一瞬、チクッと喉が痛んだ。
「別に。どうもしてない」
エンは、ハッとして飛び起きた。机の上に、小さな人影が腰かけていた。
「ツバメっ!?」
影は、耳を覆うようにした。懐かしい声と口調が聞こえてくる。
「外で聞くとエンの声は甲高いなぁ」
ここは室内だとよぎったが、そんな些細なことよりも、幼馴染みが久しぶりに遊びに来てくれたことの方が何倍も重要だった。
「僕、とっても心配してたんだよ? 今までずっと、父上や母上に、来ちゃ駄目って言われてたの?」
「相変わらずトンチンカンなことを言ってら」
段々とはっきり見えるようになってきた同じ顔が、呆れたように口を曲げていた。「ツバメはもう、来年の夏頃まで昼寝を決め込もうかと思ってたんだ。けど、エンが呼ぶから来てやった」
「……変なの。僕が呼んだら、聞こえて、もっと早く来てくれたの?」
「気が向いたらな」
よく解らないが、しばらく外出禁止を言いつけられていたのだろう。
「あの、ごめんね、でも、ありがと、七の月の晩……ツバメが父上を呼んでくれたから、僕、酷いことにならずに済んだよ」
「過ぎたことだな」
ツバメは軽く済ませ、意味不明の台詞を連ねた。「何とか耐えられたし、手がかりを得た。確信したら、また試せる」
エンが首を傾げると、そうだ、とツバメは話題を変えた。
「明日、学舎で、たくさん術書を見せてもらえよな」
「わ、ツバメは、やっぱり幾つか年長の課程を勉強してるの?」
「そうしたいのは山々だが、エンと一緒に進むしかない」
ツバメは足を組んだ。「けど、父さんの言ったことはセイロンだと思う。基礎がしっかりしていれば応用が利く。だから、一緒で構わない」
「……うーんと、要するに、学舎でも会えるんだよね」
「それはまずいだろう。ツバメは出ないぞ」
「えぇ? 一緒じゃないの? 解んないよ、ツバメ」
「そろそろ解ってよさそうなもんだけどな。ツバメは自分の首を絞めるようなヒギャク趣味は無いから、言わない」
「えぇー、教えてよぅ」
エンは取り敢えず自分が先に、今日知ったばかりの〝秘密〟を披露した。「あのね、びっくりすることがあるんだ。実は僕もね、父上の血をひいてるから、そのうち魔術が使えるようになるんだって。成人するまでに少しずつ術力が身についてくるから、ツバメみたいに瞬間移動ができるようになるかもしれないんだ。良かったら、教えてよ」
「移動は契約が済んでるから、覚えるまでもないんだが……まぁ、教えて欲しけりゃ、術書をたくさん開きな」
自分で学べと言いたいらしい。ちぇー、とぼやいたエンに、ツバメは告げた。「ま、もう寝ろよ。きっと明日は、母さん、ちょっと早くに起こしに来るぞ。エンより張り切ってたからな」
言い終えた途端、来た時同様、友人は唐突に消えた。憧れの瞬間移動だ。
「見せつけてら」
エンは口をつぼめたけれど、すぐに顔がほころんだ。ツバメと再会できたのは、やはり嬉しかった。




