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燕二人  作者: K+
六暦620
15/45

14 解除

 エンは、両親が〝おやすみ〟を言いに来てくれた時には眠くなっていた。

 幼馴染みが訪れた頃にはうとうとしていて、話しかけられても返事をするのが億劫だった。

「んー……僕と羽衣(うい)が、おにぎり食べたな……?」

 既に横になっていたエンは、何とか身を起こし、眠い目をさする。「今日のおやつは、母上特製の冠玉子(かんむりたまご)だったよ……?」

「ばぁか馬鹿」

「なぁに、ばーばぱぱ、て」

「馬鹿馬鹿、だ。ツバメは、エンと羽衣はお似合いだと思うな、って言ったんだ」

「んー、そう……ツバメ、僕、今日は眠いんだよぅ」

 半身を起こしたものの、エンはこっくりこっくりしていた。「羽衣に負けたくなかったから、先にお昼寝できなくて……羽衣が寝ないもんだから、結局、寝れなかったし……いつもより、いっぱい遊んだんだ……夕方に、父上も遊んでくれたから……」

「それだ、ツバメはそこのトコロを聞いておきたい」

 ぼふんと寝台が大きく揺れ、エンは反射的に姿勢を正す。黒々とした人影が、足元に腰かけ、ブランコをこぐように足を揺らしていた。「明日改めて聞くのも馬鹿らしい点だ。寝る前に、それだけ回答してくれ」

〝それだけ〟なら、起きていられるかもしれない。エンは少し目が覚め、暗がりの中で自分と同じ顔を見いだした。

「何を、答えればいいの」

「結婚って、普通は男と女がするって、解ってるか」

 例の言葉遊びだと思っていたから、違った趣の質問に、エンは瞬いた。

「え――普通以外が――男の人と男の人の婚の儀もあるの?」

 鏡に映ったような顔が、怪訝そうに凝視してきた。

「前から、どうも父さんの話ばかりすると思ってたんだ。エンはドウセイシコウなのか」

「何、ドウセイシコウって」

「タイガイ、男は女を好きになるし、女は男を好きになる。けど、たまに、男だけど男を好きになったり、女だけど女を好きになるのも居る」

「僕が、それなの?」

 エンは首を傾げた。「でも僕、女の人も好きだよ。母上や柴希、後、ハイ・エストの傍に居る氷のシャトリ、後――」

「そういうんじゃない。父さんと婚の儀をしたいって、エンは言ったじゃないか。一番好きなのが男なのかって、ツバメは驚いたんだ」

「あぁ、昼間の話だったの」

 エンは薄い上掛から出ると、ツバメの真似をして足を揺らした。「僕、僕が婚の儀をするのは女の人とだって知ってるよ。母上か柴希とできたらいいのにね」

「は? 昼と言ってることが違うじゃないか。父さんはどうなったんだ」

 ツバメは、わけが解らないと言いたげな顔をする。瓜二つとはいえ、いつもは自分より大人びている顔が、ちょっとだけ子供っぽく見えた。エンは、目を細めた。

「あの時は、母上と柴希(さいき)が、ほんのちょーっと嫌いだったの」

 母と柴希は、手を繋いでくれたり抱き締めてくれたりする。けれど、滅多に抱き上げてはくれない。だから、母と柴希が羽衣を抱き上げ胸に包むのを見て、もやもやした。自分にはしてくれないことを羽衣にはする母と柴希に、腹が立った。

 今日二回目の風呂に入った時、その気持ちは自分勝手だったと父に気づかされた。今度はもっと、羽衣のコトも考えてあげたい。

 改めて心の中でエンは頷き、頷くと、後で遊んでくれた父が思い出された。

 明日も遊んでくれないかなぁ、と思うエンの傍で、ツバメは肩をすくめた。

「要するに、父さんは単なるその場凌ぎだっただけか。驚いて損した」

 何故ツバメが驚いたのかイマイチだったが、損をさせたのは何やら申し訳無い気がする。エンは、母に問われた時に考えたことを述べた。

「父上、って答えたのは、母上や柴希と同じぐらい好きな人は、父上しかいなかったから……どんなヒトと、って母上が訊いたから、父上みたいなヒトでもいいと思ったんだよ」

「……はぁあ。エンの父さんスウハイをツバメは解ってたのに。エンがコドモだってことも解ってたのに」

 独り言らしいがしっかりエンに聞こえる声音で洩らし、ツバメは父のような髪のかき上げ方をした。「まぁ、いいや。今日中に片づいたのを幸いとしよう。ドォゾ、寝てくれ」

 そう言われても、エンは眠気が消えてしまっていた。

「ツバメ、もうちょっとお喋りしない?」

 エンは寝台の上に座り込んだ。「僕、他にも答えるよ。今夜は、いつもの言葉遊びしないの?」

 何だそれと言うような表情が、すぐつまらなさそうなモノに変わった。

「あぁ」

 ぶっきらぼうに言い放ち、ツバメは立ち上がった。「つまらないことに気を取られた所為で、今日は閃いてない。散歩しながらモサクする」

 エンは、窓辺に吊るした手提灯(てさげとう)から漏れる、ごく弱い光を見やった。

「虫除け(こう)の明かりで歩けるかな」

「エンは寝ろよ」

 ツバメは腰の両脇に手をあて、斜めに見下ろしてきた。「ツバメは一人で散歩したいんだ」

「僕、目が冴えちゃったよぅ」

 頬を膨らまし、エンはぼやいた。「起こしといて、一人で行くなんて狡いよ」

 ツバメは、あからさまに迷惑そうな目つきでこちらを見た。けれども、エンの言い分は正しいと認めたのか、何も言わずに顎をしゃくる。

 エンが急いで窓の張出に足をかけると、ツバメは素早く制した。

「外すな。明かりなんか無くても、後宮なら歩ける」

「でも、虫に刺されちゃうよ」

「大陸には変なのがいるらしいが、島にいるのは蚊ぐらいさ。それよりも、香の火の方が危ない。小さいが故に油断しがちだ」

 ツバメは扉の把手を回しながら、低めた声で言った。「大体、母さんに言われたじゃないか。お香に火が点いてる時は触らないでね、って」

「あ――そうそう、周りもさり気無ーくあっつくなってるのよ、って言ってたよ」

 エンが思い出すと、肝心な時に忘れてるようじゃ何にもならない、とツバメは呆れたような視線を流してくる。エンは誤魔化し笑顔で、幼馴染みに続いて部屋を出た。扉を閉めながら、不思議、と思う。

 ツバメって、いつも、全部聞いてる。

 虫除け香を入れた手提灯に触るなと母が言ったのは、先月のことだ。たしか、夕食の終わりだった。蚊が出てきたわね、と果物を出しつつ母が言うと、聞いた父が速やかに物置の部屋から手提灯と香を出した。

 ツバメは例の如く、いつの間にか遊びに来ていて、何処からか見聞きしていたんだろう。

 ツバメの家では、いつ頃、晩御飯を食べてるのかな……ツバメの父上と母上は、ツバメが殆ど毎晩ここに来てるって、知ってるのかな。

 ツバメはエンのコトをよく知っているが、エンはツバメのコトをまるで知らない。

 不意に、エンはそれを強く実感した。

「おいてくぞ」

 声に、エンは慌てて顔を向けた。同じ寝間着を着た姿が、真っ直ぐのびた暗い廊下をさっさと歩いていく。エンは追いかけ、横に並んだ。

「何処までお散歩するの」

「……地下蔵(ちかぐら)に行く」

「つまみ食いするの?」

 母に訊いた方がいいんじゃないかと、エンは両親の部屋を振り返る。

 視界の端で、ツバメが天井を仰いでいた。あぁあ、と似合わない溜め息を洩らす。

「エンからは、父さんの話か食べる話しか聞いてない気がする」

「え、えー、そんなこと無いよぅ。母上や柴希の話もしてるでしょ」

 例えを挙げかけたエンは、ふと口をつぐんだ。こうやって自分のことばかり話すから、友人を知る機会が無いのかもしれない。

 隣を見ると、腰の後ろで両手を組み、ツバメは澄ました顔で前を見て歩いている。エンのように、自分のことを自分から話しそうになかった。

 それでもこちらが黙っていたら何か言い出すんじゃないかと、エンは口を閉ざしたまま歩いた。

 エンとツバメは、並んで、黙々と歩を進めた。

 中庭への扉が近づくまでエンは頑張っていたが、お喋りしたくて仕方が無い、と口がムズムズして、我慢できなくなった。

「ねぇ、つまみ食いするんじゃないなら、何をしに地下蔵に行くの?」

「考え事をしに」

 前を見たままツバメは答えてから、ついとエンを見た。「それだけしか言わないと、なんで考え事をわざわざ地下蔵でするの、と訊きそうだな」

 正にそう尋ねようとしていたエンは、ハクッ、と息を呑み込む。ツバメは投げやりな口調で言った。

「この時季、考え事をするには、あそこがテキオン――って言っても解らないか――つまりー、丁度いい温度なんだよ。考え事に限らず、ぼうっとするにしても、何にしても」

「そういえば、地下蔵は涼しいね」

 エンは納得した後で、気がつく。ツバメは、ここの地下蔵が涼しいと知っている。つまりは、行ったことがあるのだ。

 ツバメったら、僕や父上達が知らない間に後宮をうろうろしてるんだ。ツバメの父上と母上、そんなこと知ったら、びっくりしそう。

 エンの父母は、エンが友達の家へ出かけていって中をこっそり探検しているなんて知ったら、きっと仰天する。母は、もうしちゃ駄目よ? と心配そうに言うだろうし、父は、自分のしたことが解ってるのか、と見据えてくるだろう。

 怒っている父の眼差しを想像しただけで、エンは背筋が寒くなった。無意識に首を縮めつつ、ツバメの父上も怒ると怖いかな、と浮かんだ。

 ツバメの父上が、僕の父上より、もっとずっと怒る人だったらどうしよう。ラル宮殿には二度と行くな、とか言いつけられたら、ツバメはお喋りしに来なくなっちゃうんじゃ……

 エンは、幼馴染みの両親がどんな人達か知りたくなった。けれど以前、会いたいな、と言ったら、はぐらかされてしまった記憶がある。

 巧く聞き出せないかと悩むうちに、自分にされた質問が頭に蘇った。自分は、その答に両親を挙げたことも。

「あのね、ツバメはどんな人と婚の儀したい?」

 ツバメは、あぁ? と煩わしそうに言った。どうも、歩きながら考え事を始めていたらしかった。

「ったく……術力さえ自由に使えたら、暗示で眠らせてるのに」

 口の中でそう言ってから、ツバメは両手で髪をかき上げた。

 中庭への出入口を通り過ぎ、角に差しかかる。

 小窓から、廊下より明るい夜の庭が見える。

 幼馴染みは外に目を向けながら、呟くように言った。

「ツバメは――コトミと婚の儀をしたい」

「えっ?」

 エンは、混乱した。幼馴染みが口にした名前にも勿論だが、その名の紡ぎ方が父そっくりだったことにも。「えと――その人、ツバメの一番好きな人……?」

「リソウを挙げるだけでいいなら、一番好きな人を挙げるさ」

 真面目な顔つきで、ツバメはこちらに目を戻した。「リクツはエンと同じだ」

 エンは混乱したまま、そっか、と相槌を打つ。

「僕、えっと、びっくりしちゃったけど、世の中には同じ名前の人も居るもんね。ツバメの好きな人、僕の母上と同じ名前。コトミ――って――」

 どんな人? と続けるつもりだった。だが突然、エンは目の前が真っ白になった。

 ツバメが、息を呑んで立ち止まった。

「な――」

「――っア――!?」

 エンは喉を押さえた。

 熱かった。急に、喉が熱くなった。

「っイッ、ウ――っ」

 水、と言いたいのに言葉にならない。何が起こったのか見当もつかなかった。

 熱くて怖くて痛くて恐ろしくなって、エンは両手で喉を掻きむしった。

「ばっ――やめろっ」

 ツバメに手を払われた勢いで、エンは廊下に倒れ込んだ。「掻くな! 闇にたかられる!」

「イっ、イア――イ……」

 熱さより痛みが増し、上手く息ができなくなった。呼吸の仕方が分からなくなった。

 遠くで、ツバメの声がした。

「まずい――まだ耐えられなかったか……!?」

 エンは友人を求めて手を彷徨わせた。けれど触れたのは床の絨毯だった。エンは名前を呼びたかった。しかしもはや、か細い息をするのがやっとだった。

 母上――父上ぇ……

「戻っても持ちこたえるか判らない――」

 うつ伏せだったエンは、ごろりと横向きにさせられた。僅かに楽になり、エンは瞼を上げた。すぐ近くに、ぼやけた自分の顔が見えた。「エン、そのままじっとしてろよ。父さんを連れてくる」

 行かないで、と心の中で叫んだが、ツバメには届かなかった。ぱっと角を曲がって姿が見えなくなり、ガチャッと扉の開く音が間近でした。

 父さんって、ツバメの父上……? いつもツバメ、僕の父上のことも、父さん、て言うから、判んないよ……

 判んない……と頭の中で言葉が渦巻くうち、エンは気を失った。



 耳元で鈴の音が響き、窓辺に腰かけていた栩麗琇那(くりしゅうな)は立ち上がった。

 誰だか知らないが丁度いい、と思う。身体の熱を冷ますにはタイムリーだ。

 暗い室内をベッドサイドへ歩み寄ると、腰巻一枚きりだった身体に長衣を羽織り、帯を締めた。取り敢えず人前に出られる恰好になり、ベッドの中程で既に眠っている琴巳に、タオルケットを掛け直す。

 そっとやったつもりだったが、妻はふっと目を覚ました。

 すまない、と栩麗琇那は謝りかけたが、琴巳が先に言葉を紡いだ。

「変な夢、見ちゃった」

「明かりを点ける?」

 栩麗琇那はサイドテーブルのランプに目をやった。「俺は、誰か中庭の辺りから来たから、行ってくる」

 琴巳は不安そうな顔になると、美しい裸体を起こした。あ、と胸元をケットで覆い、はにかむと言うより、服を着ていない実状にもどかしそうな目をした。

「エンがちゃんと寝てるか、帰りに見てきてもらっていい?」

「あぁ」

「ありがと。わたしは、明かり無くても平気」

 琴巳は栩麗琇那の指先に手を重ねると、いってらっしゃい、と頬にキスしてくる。栩麗琇那は目を細め、妻の手を軽く押さえてから部屋を出た。

 闇の中だが、廊下の右側面は鐘結界で淡く光っている。

 人の姿は無いようだ。栩麗琇那は微かに眉根を寄せた。寝室を出れば、彼方ではあるが、真っ直ぐ先の右手に中庭へのドアが見える。

 まともな客なら、入ってきたその付近でとどまっている筈だ。さほど栩麗琇那は出るまでもたもたしていないし、誰も居ないというのは、怪しい。

 栩麗琇那は歩きながら、手に術力を集めた。出てきたばかりの寝室を振り返り、結界を張る。子供部屋にも、通り過ぎざま張っておいた。

 等間隔にある小窓を通過する度に中庭を見るが、人影は映らなかった。気配も無い。

 書庫が狙いか……?

 浮かびはしたが、疑わしい。重要書類が保管されているとはいえ、忍び込んでまで見る価値のある代物は無いと思う。半年前に壊してしまった鍵は、一応、付け直したが。

 中庭の出入口がよく見える所まで来て、三つ気がついた。

 開け放たれたドア。強い、術力の波。小さな、気配。

 角の向こう――

 己が身にも結界を張りつつ、栩麗琇那は廊下の中央を進み、角に出た。

 数歩先に、息子が倒れていた。

 次々に種々の疑問が押し寄せたが、栩麗琇那は傍らに屈み込み、様子を確かめる。意識を失っている。呼吸が速い。

 口に封じていた術力が、解除されている。幼い身体だ、咽喉に相当の痛みが走ったろう。

 だからこそ、妻の名はすぐに封印し直せる所の合言葉にしたのに。よしんば琴巳の名を息子が口にするような状況下には、必ず傍に術者が居ると踏んでいた。まさか、たった一人の時に洩らすとは思いもしなかった。

 いきなり喉で術力が炸裂して、よく正気でいられたもんだ。

 やにわに訪れただろう不測の事態に、燕は多少喉を引っ掻いただけで堪えたようだ。この程度の傷なら、術力や血に寄ってくる闇も付け込めまい。予想より、息子は精神的にも体力的にもしっかりしていたらしい。この分なら、耐えきる。

 栩麗琇那は燕を抱き上げると、中庭に出た。ベンチに横たえてから、水の精霊を精製し、清めを頼む。済むと、その身に多重結界を張り、子供部屋へ運んだ。

 清めで濡れた寝間着を乾いた物に着せ替え、ベッドに寝かせた。細い首についた蚯蚓腫れを目にし、やれやれ、と思うと呟きが出る。

「耐えたといっても、運の良さもあればこそだ」

 時刻は午後十一時をまわっている。こんな時間に何をしていたのか知らないが、中庭に出て、廊下に戻ったからこそ鐘結界が反応した。

 その鐘結界も、昼間だったら反応しない。昼は中庭も含め凸型に張る。夜は中庭を除いた凹型だったから気がつけた。

 一晩気づかれないまま庭なり廊下なりに転がっていたら、弱ったモノに寄ってくる邪気に囲まれ、体力を吸い取られ、危うくなっていたかもしれない。

 あぁ、でも、コトミが気づいてくれたか。

 栩麗琇那は、ぞくっとする程の感嘆をいだいた。琴巳の見た〝変な夢〟は、虫の知らせ、或いは、母の愛と言える類のモノではないか。

 それにしても、一人で居て、どういうつもりで〝コトミ〟を口に出したんだか。母上と呼ぶべき女性の名だろう。

 僅かなり呼吸の落ち着いてきた息子を眺めながら、栩麗琇那は首を捻る。

 明日、夢遊病の可能性を蒼杜(そうと)に尋ねてみるとして……後は、コトミにどう説明したものか。

 できればあの素敵な恰好を朝も拝みたいし、今夜は心配させずに休ませたい。

 寝室に入ると、ベッドの上に居た琴巳が、おかえりなさい、と待ちかねたように身を乗り出した。燐光を発しているかのような白い肩をすくめ、タオルケットをあてた胸元で両手を組む。

「エンは、ちゃんと寝てた……?」

 栩麗琇那は、己の立てた筋書きに則った。

「中庭で夜遊びをしていた」

「えぇ?」

「昼間たくさん遊んで、疲れ過ぎたんだな。眠れずに庭へ出たようだ。それで、鐘結界に掛かった」

 栩麗琇那は帯を外しながら、夜に張っている鐘結界の範囲を説明した。

 合点する琴巳の傍で長衣を脱ぎ、栩麗琇那は続けた。

「暗闇をうろうろしているうちに、茂みの枝で喉を引っ掻いて、ひりひりするから鏡で見てみようと廊下に戻ったわけだ」

「ヤだ、危ないコトして。切れちゃってた?」

「擦り剥いた感じだ。蚯蚓腫れになってから、念の為に洗わせた」

 栩麗琇那はベッドに入り、髪をかき上げた。「それで服が濡れたので着替えさせた。その頃には欠伸をしだして、ケットを掛けてやる時には瞼が下がり気味だったから、もう寝てるだろう」

「良かった――お疲れさま」

 琴巳はこちらにもケットを掛けてきながら、ふわんと抱きついてきた。「ほっとしたら、わたしも眠くなってきちゃった」

 柔肌と囁く声に、栩麗琇那の方はまた身体が冴えてきてしまう。

 俺はまだしばらく眠れそうにないが、と内心で言いつつ、栩麗琇那は妻に顔を寄せた。

「おやすみ」



 翌朝、栩麗琇那は、普段より手早く風呂掃除を終えた。妻が、泣きそうな顔で来るだろうから。

 まったく想像そのままの様相で、琴巳は浴室に駆け込んできた。

「エンが熱っぽくて――声が嗄れちゃってて、喉痛いって言ってるの」

 五、六時間程度の休息では痛みも治まらなかったか。

 相次いで早足に浴室を出ると、琴巳はうつむきがちに言った。

「風邪かしら」

「それらしい症状だな」

「……わたしの所為だわ」

 栩麗琇那は瞬き、妻を見た。

「風邪としたら、エンの所為だろう。夜中の中庭を一人で徘徊したからだ」

「琇那さん、ちっちゃい頃、そんなことで風邪ひいた?」

「俺は夜遊びするような不良児じゃなかった」

 しれっとして栩麗琇那は言う。冗談と取れる余裕が無かったようで、琴巳は潤んだような瞳で見上げてきた。

「普通のルウの民は風邪ひかないでしょ……? エンにはわたしの血が混じってるから、だから、ひいちゃったんじゃないかしら」

「あぁ……」

 しまった、と栩麗琇那は目を逸らす。ルウの民は風邪なんかひかないと、日頃から豪語していた所為だ。「血は関係無い。ルウも、罹る時には罹る病だ」

「……わたし、お年始に、風邪ぐらいで蒼杜さんに来てもらうなんて大袈裟って、言っちゃったけど……」

「コトミとエンは例外だ。呼びに行く。この時間なら向こうも不都合は無いだろうし」

 子供部屋のドアノブに手を掛けたところで、琴巳はきゅっと抱きついてきた。

 栩麗琇那は、華奢な肩を包み込んだ。

「某かの病だとしても、蒼杜がいる。俺が知る限り、ユタ・カーの申し子は二世界一の名医だ」

「――うん」

 琴巳は動揺が治まったのか、唇を凛々しく結ぶ。栩麗琇那は子供部屋を開けた。

 少し枕を高くして横になった燕が、先程の琴巳より泣きそうな顔でこちらを見た。

 昨夜は激痛を耐えたんだろうに情けない顔をするな、と思い、栩麗琇那は歩み寄る。

「喉が痛いって?」

 問うと、燕は掠れた声を出した。

「そ、なの」

「昨夜引っ掻いた所じゃなくて、内側だな」

 栩麗琇那は顔を傾ける。幼子が喉に付けていた蚯蚓腫れは、ルウの民の人間離れした回復力で跡形も無い。燕は、母親から受け継いだのは澄んだ瞳と真っ直ぐな髪ぐらいで、体力や術力に関してはそっくり父親の遺伝子を受け取っているのだ。

「ヒリ、ヒ、す、の」

 一旦、燕は口をつぐんだ。ためらうような顔をしてから、言い出す。「僕、きの、夜……出て……」

 あぁ、と栩麗琇那は多くを語る前に封じた。

「夜は魔の動く時間だ。早く寝た方がいい」

 燕は、何に感極まったのか、見る間に涙を溢れさせた。

「う……ふぇ、えぇ……っ」

「わ、泣かない泣かない。お父様、怒ってないでしょ?」

 琴巳が慌てて息子を抱き締めた。「夏だって夜は冷えるし真っ暗だから、一人でうろうろしない方がいいわね。泣かない泣かない。泣いたら、もっと喉痛くなっちゃう」

 栩麗琇那は見やりながら、小首を傾げた。

 燕は、夜中に外へ出た自覚があったようだ。となると、夢現でふらついた挙げ句、寝言感覚で母親の名を呟いたわけでもないらしい。

 何にせよ、翠界唯一の異世界ハーフを定期健診してくれている蒼杜には、予定より早く術力の一部が解除されたと知らせておかなければならない。

「リィリに行ってくる」

 そう告げると、栩麗琇那は瞬間移動した。

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