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燕二人  作者: K+
六暦620
13/45

12 教官

 四月、執務室の入口で、和泉(いずみ)老と初級学舎長が参っております、と取次役が告げた。

 通していい、と栩麗琇那(くりしゅうな)は書紙に印章を捺しながら応じる。

 籐箱へ書紙を入れたところへ、一見五十代の女性二人が入室してきた。上品に頭を下げ、組んだ両手を額の上で掲げる。

 (おもて)を、と栩麗琇那は声をかけた。

「珍しい組み合わせですね」

「同窓にございます」

 顔を上げた和泉が答え、学舎長が今一度礼をする。

 そうでしたか、と合点する栩麗琇那に、和泉は恐縮の面持ちで言い出した。

「領結界でお疲れのところ、大変申し訳ございません。ですが、どうにも窮しておりまして……」

「構いません」

 還暦半ばの女性達に礼を失することはできないが、短く言う。

 領結界は大層疲労するとされているが、実を言って栩麗琇那は疲れない。しかしながら、疲れているのに表に出さないと思われているようだ。

 琴巳(ことみ)は栩麗琇那に関して色々と見抜くが、この件は〝とにかく大変なお仕事〟という先入観があるらしく、周りと同じく考えているようだ。なので、この際、誰にも訂正しない。

 栩麗琇那が目で先を促すと、和泉が学舎長を見た。皇帝が幼い時分は温和な史学教官だった学舎長は、おずおずと切り出した。

「過日、五歳担当が辞任いたしまして……募集しているのですが、応募が無いのです」

 学舎教官はメイフェスで公務員に相当する。給金は高く、教室担当には特別手当まで付く。五歳担当は魔術教官が務めるが、上半期は午前中で職務が終わる旨味ある仕事だ。

 エンを敬遠されたか……?

 栩麗琇那は僅かに顔を傾ける。ラル家の皇子(みこ)は来年、初級学舎に入学だ。

 未来の(てい)に教えるだけでもプレッシャーだろうし、生徒の方が術力に勝るとなれば、無駄にプライドが高い者には務まるまい。

「今年はまた何処かに代理を頼んで凌いだとしましても、来年を考えますと、早いうちに良い後任をと思いまして……」

 メイフェス・コートの首都はラル領に在る。分家の子供は各領地の学舎へ通うから、首都の初級学舎が皇族の子供を迎えるのは栩麗琇那以来。

 学舎長としては、初めてのことで対応に苦慮しているわけだ。

 和泉が口添えした。

「皇子が受け継がれた術力を、無為にするわけには参りませぬ。ここは帝の御名(みな)で報奨上乗せの公募をいたしたく、御許可をお願いにあがりました」

 栩麗琇那は首肯した。書類は、と問えば、安堵を顕わに学舎長が差し出してきた。内容を確認して、押印する。

 印を熱波で乾かしながら、一点、先程の言葉で気になった部分を訊いてみた。

「五歳担当のなり手が居ないのは、今に始まったことではないのかな」

 学舎長は記憶をまさぐるようにして答えた。

「確か、十五、六年ほど前からです」

 すると、栩麗琇那が碧界へ迷い込んですぐの頃からか。息子だけが起因しているのではないらしい。

「思いのほか難題のようだ。わたしの方でも、適任が居ないか探してみましょう」

 低頭の後に二人が退出し、栩麗琇那は事務役を呼び出した。

 昼休憩時刻を少し過ぎた頃、空依(そらい)が足早に来る。彼が無駄に遅れる筈はないので、謝りかけるのを制して、手短に用件を告げた。

「火急ではないが、教職志望者が五歳担当を忌避する詳細を」

「畏まりました」

 それだけで通じて、青年は退室する。急がないと言ったところで、彼はそう日数をかけず調べ上げてくるだろう。

 さて、やっと休憩だ。

 領結界は疲れないが、終了後、空腹感が普段より増す。いつも以上に妻の作ってくれる昼食が楽しみだ。

 しかし先ずは、疲れたふりであの愛しい唇を御馳走になりたい。未だにそれだけでも朱に染まる、可愛い顔も拝みたい。

 印章を懐に入れると、栩麗琇那は足取り軽く執務室を後にした。



 月末が近づいた午後、定時前に、事務役が追加調書を携えて執務室を訪れた。

 受け取った栩麗琇那は彼を椅子で待たせ、文書に目を走らせる。ささやかに嘆息した。

 先日届けられた調書によると、十五年前、魔術教官にしては温厚な好々爺が勇退。後任は若い女性担当。事件は七月初日に起こった。

 幼い子供達は、大体、術力の加減が儘ならない。そんな彼等に、教官は術力調節の指示を怠ってしまった。

 子供達は、暴走した術力を乱射。魔術の授業に怪我人は付き物だったが、その時は数名の怪我が酷く大騒ぎになった。

 メイフェス島で大怪我をしてしまうのは危険だ。ルウの民は、結界を視認できる代わりに命帯(めいたい)を見る能力が無く、誰一人として癒し術を使えない。

 当時、重傷者が出たのに、大陸から医事者を呼ぼうとは誰も思わなかったようだ。恐ろしい排他性である。死者が出なかったのは不幸中の幸いと言えよう。

 若い魔術教官はその件で引責辞任。こうして、万が一の事故を恐れ、五歳担当に就きたがる者は減少の一途を辿った。子供達の魔術技能も、基礎となる五歳課程がおざなりのままで、低下し続けている。

 ラル家に皇子が生まれた翌年、それまで何とか勤めていた者が指導力不足を口実に退任。後は、老に命じられた者が、嫌々就いては辞める有様。

 そして現在、又しても五歳担当は空席となっている。今年は引き受けてくれる者が居るかもしれないが、来年はどうしたものか。

 そこで今し方受け取った追加の調べ物を頼んだ――十五年前に辞任した魔術教官の復職は可能かどうか。

 どうも無理らしい。

【元教官は只今、皇領月区(げっく)国境で警備長を担当。勤務態度は至極真面目。熱意を持って職務に励んでいる。】

 大陸駐在としても、本来はラル家直轄のアル地区が任地となるだろうに、大君(おおきみ)が直轄している月区に居るということは特例だ。

 十五年前の件が理由とすれば、復職を促すのは酷だろう。大陸勤務は誉れだがリスクが高く、制約も多く、昨今、好んで就く者は多くない。そんな職場で活き活きと働いているなら、尚更、呼び戻せない。

「さて、困ったな……公募の反応はどう見る?」

「捗々しくないかと」

「老が命じるまでになっていたとすれば、今後も変わりなさそうだな」

 宮勤めに心当たりを探るが、人脈は異界帰りの皇帝より老の方がずっと多い筈だ。それが適任を見いだせないとなると、お手上げである。

「最近の魔術教官は給金泥棒に近いと、典元(てんげん)老が嘆いておられました。サージ領、ティカ領に探りを入れてみましたが、あちらでも魔術軽視と技能低下は進行中のようです」

「無理も無い。瞬間移動と精霊精製、後は眼力と発光が使えれば、日常は事足りるだろうから」

 栩麗琇那は応じ、呟くように続けた。「けど惜しいな。ラルでは今ちょうど術力最盛期の働き盛りが、魔術技能に関しては底辺なのか」

 新しい教官を探すのが第一だが、どうやらルウ全体の魔術技能向上についても手を打っておく必要がありそうだ。

 せめて意識改革だけでも。



 家の(あるじ)は、不機嫌そうに肘掛椅子に座していた。

 部屋に通された男は、座ったままの主に顎で椅子を勧められる。

「夜分に申し訳ない」

「まったくだ」

 主は尊大に返答した。「しかし真昼間に来られても困る。ぬしらにはナンがあるしな」

 感情を抑え込んで、男は聞き流した。用件を切り出す。

「わたしは学舎教官を志望しているのですが――」

「空きは無い」

 にべも無く言い、主は手を払った。男は、身を乗り出した。

「わたしは、給金は端役と同等で構いません。差額を仲介料としてくださっても――」

「聞き捨てならぬ言いようだ。まるで他の志望者が給金目当てのようではないか」

 口を歪めた主は、癇に障る高めの声音で言い募った。「五歳担当には、毎年、術の心得と志ある者達が志願してくるのだ。一席きり故、仕方なく抽選で決めている。ぬしなどを割り込ませられるわけがなかろう」

 嘘をつけ、と吐き捨てたいのをこらえた。

 仲間内で均等に甘い汁を吸えるようにしているだけではないか。手軽な小遣い稼ぎと、警備役どもが酒場で口を滑らせているのを周りの何人もが聞いている。

 しかしながら、とうとう皇帝が公募に乗り出した。やむなく警備役が任に就いていると見せかけてきた、ここ数年のやり方はもう通用しない。

 既に一部から白い目で見られているのに、まだこんなことを言っているようでは、この家の主が公に白眼視されるのもそう遠くない。

 失墜する前に、彼が行使できる権限を、崇高な使命の為、利用したいのだが……

 主は椅子の背にもたれかかり、さして長くない足を組んだ。鼻を鳴らす。

「大体、勘違いするな。わたしはぬしの大伯父の、元の地位に敬意を表しているのではない。大伯父殿には世話になったことがある。故、今宵、ぬしを家にあげた。正直、こんな風に押しかけて来られては迷惑千万だ。大伯父殿のしたことを、都の連中は公式発表通りには受け取っておらぬ」

 激昂を奥歯で噛み砕いた男に、解ったらもう帰ってくれ、と主は冷たく宣告した。

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