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燕二人  作者: K+
六暦620
10/45

09 魔術師 Ⅰ

 蒼杜(そうと)は、三十分ほど前に来た患者の記録を、棚に立てかけた。

 一の月三日、午後八時現在、診療したのは十五名だ。この医療所の患者と言えば近隣の小さな村から来るぐらいなので、年明けの三日間はこの程度である。

 後は、薬の調合。

 頭の中で予定を反復し、二階の私室を出た。階段は微かに寒いが、階下から階上へと暖炉の熱が行き渡るように設計したので、下に火が灯っている今は、凍える程ではない。

 一階の広間に降りた蒼杜は、円卓で書物を開いている見習い青年を見て、軽く瞬いた。

 いかにも不服気な顔を片手にあずけ、いかにも身の入っていない仕種で頁をめくる。めくる割に、目線はちっとも動いていない。

 要するに読んでいないようなので、蒼杜は声をかけた。

「紅茶に何か混ぜて飲みませんか」

「……んー」

 気の無い返答である。普段よりも。

「薄荷にしますか」

「俺を落ち着かせようって腹なら、要らぬことだぞ」

 いつの間にか薬理を学んでいたらしい。蒼杜は口の端に笑みを宿した。

「落ち着かないんですか」

 琉志央(るしおう)は、ぶすっとした。そうは言ってない、と口の中で弁解するのが、何とか聞き取れた。

「俺は、いたって平静だ。面白くないだけで」

「又、遊びに来てくれますよ」

 言ってみて、蒼杜は厨房へ足を向けた。ばふっ、と勢い良く本を閉じる音に、目を流す。琉志央は肩を怒らせ、こちらに背を向けていた。

「判ってる」

 不貞腐れた返答に、蒼杜は肩をすくめた。

 新年一日(ついたち)、二日と琉志央はいたく御機嫌だったが、長く続かなかった。彼の気分を左右させたのは、ルウの皇妃だ。

 去年頃から見習い青年は相当はっきりと命帯(めいたい)が見えるようになったようで、遊びに来た琴巳を見た途端、ぼうっとなった日があった。

 念願だった彼女の命帯をきちんと見られたのだろうが、それによって消えかけていた火が再燃してしまったらしい。一、二ヵ月は悶々としていたように思う。

 やっと消火したところで今度は彼女が一人暮らしを再開したもので、某か、夢を見てしまったのかもしれない。

 昨日など、昼過ぎに訪れた琴巳(ことみ)が、碧界では金米糖って言うの、と皇領月区名産の星飴を話題にすると、夕刻に琉志央はいそいそと出かけ、何処に行ったのかと思えば、その砂糖菓子を買って帰ってきた。実に涙ぐましい。

 紅茶を盆に乗せて蒼杜が広間に戻った時には、琉志央はしょんぼりしていた。

 琴巳は明日の昼、ラル宮殿に戻るという。元より期限付きの家出計画だったが、早く終わるなら重畳だ。あくまで、蒼杜の意見だが。

 紅茶を前に置きながら、蒼杜は言った。

「今日、琴巳はとても喜んでいましたね。今度はわたしが支払いますから、又、買ってきてあげたらどうですか」

「……そうしょっちゅう要らないだろう。ただの砂糖の粒じゃないか」

 琉志央は、ずず、と紅茶を啜った。菫色の目を眇める。「薄荷、入ってない」

「入れた方が良かったですか」

「……もういい」

 駄々をこねるように言ってから頭を掻き、琉志央は立ち上がった。長袴の隠しに手を突っ込む。

 そしていきなり、青年魔術師はふっと姿を消した。瞬間移動で何処へ行ったやら。奔放な性格だから、見当がつかない。

 残った紅茶はすっかり冷め、やがて日付が変わっても、一向に帰ってくる気配が無かった。



 翌朝、蒼杜は自室の寝台で、やや呆けていた。

 呆けてはいたが、つい先程まで階下の広間でぼうとしていた時よりは、頭が働いている。

 琉志央が戻らぬまま、まんじりともせずに夜が明けてしまった。

 そんな(あるじ)の体たらくに業を煮やしたようで、守護精霊の冰清玉潤ひょうせいぎょくじゅんが琴巳を呼んだらしい。呼ばれた皇妃は、蒼杜が広間で茫然としていた所為で、〝訪れた客人〟から〝母親〟に切り替わったようだ。

 イシャの不養生だのコウヤの白袴だの、故郷の格言らしき言葉を並べ、当人は怒っているように見せたいらしい仕種で、とにかくお布団に入りナサイ、と指示してきた。

 お蔭で、蒼杜は少し冷静さを取り戻した。何やら熱っぽいことにも気がつき、言われるまま私室に上がった次第だ。

 暖炉で、炎が静かに揺れる。芯まで冷えきっていた部屋も、だいぶ暖まってきていた。下の大暖炉にも火が灯っているのだろう。

 人心地がついた気分だ。

 こんこん、と控え目な音が響き、次いで扉が開いた。片手に盆を抱え、少女のような風貌の娘が入ってくる。

 先日と立場逆転で、ルウの皇妃は枕元の椅子に腰かけた。

「熱がちょっとあるみたいだし、この前出してくれた薬茶を作ってみたの」

「本当にすみません」

 琴巳は膝に盆を乗せ、椀の蓋を開けながら応じた。

「わたしね、不謹慎かもしれないけど、こうやって蒼杜さんの役に立てて嬉しいの。いっつも、してもらうばっかりなんだもん」

「それほど一方的だったと思いませんが……」

「そう思ってるのは蒼杜さんだけよ?」

 琴巳は言ってのけると、木匙に薬茶をすくい、息を吹きかける。

「はい、どぉぞぉ」

 ほんのり湯気の上る匙を口許に向けられ、ためらったが、冰清玉潤が睨んでいるから逆らわないことにした。飲ませてもらう。「お味はどう?」

 万が一再び体調を崩した時にと、三日前に薬茶の作り方の書付を渡しておいたが、自分が作った物と同等の味加減だった。短期間でしっかり作れるようになってしまうのは流石である。

 感嘆するまま答えた。

「美味しいです」

 良かった、と琴巳は綺麗な歯を見せる。今一度椀に匙を入れつつ、皇妃はその下を示した。椀は、見慣れない小さな敷物の上に乗っていた。「この敷物ね、昨日、端切れで作ったの。この機会に貰って?」

「何から何まで、ありがとうございます」

 蒼杜は敷物を見た。素朴そうでいて手の込んだつぎはぎだ。異なる柄が、洒落た感じに組み合わさっている。「いい細工ですね」

「ぱっちわーくって言うの。翠界では誰もやらないかしら」

「どうでしょう。この国では刺繍技術が進んでいますが、端切れを芸術的に改めた物は、わたしは、初めて見ました」

「あ、じゃ、あんまり作らない方がいいかな」

「サージソート王国は織物が盛んなので、何方か考案しているかもしれません」

「そうなんだぁ。そのうち特産品なんかを見てみたいな」

 琴巳は黒い瞳を活き活きとさせつつ、再度、匙を向けてくる。蒼杜はいただくうち、通常通りに頭脳が回転し出した。

 昨夜、随分と久しぶりに、医療所に人けが無くなった。森閑とした中に独りになり、もはや琉志央は帰ってこないような錯覚に陥った。

 落ち着いて考えてみれば、彼は意外と辛抱強く几帳面だ。命帯診断の修練は始めたばかり。修行半ばで放り出しそうにない。

 きっと、あれ以上の愚痴や我儘を晒したくなかったのだ。しばし一人になりたくなったに違いない。そのうち、帰ってくる。

 途中からは椀を受け取り、薬茶を飲み終える頃には、蒼杜の心は安定した。

「どうも御馳走様でした」

 蒼杜が深々と頭を下げると、はい、と琴巳は穏やかに微笑んだ。

「じゃ、わたし達はお留守番してるから休んでいてね。あ、そだ、お茶碗片づけてから、書庫で本を探していいかしら」

「又エンの気に入るのがあるといいですね」

 ありがと、と琴巳は嬉しそうにえくぼを浮かべてから、おやすみなさぁい、と部屋を出ていった。やれやれ、と呟いて冰清玉潤が後を追っていく。

 安堵した上に内から身体が温められた所為か、蒼杜は眠気を感じた。寝台に横たわり、瞼を閉じる。

 まどろみつつ、琴巳に幾らか薬茶を飲ませてもらったと知ったら琉志央が拗ねそうだ、と失笑しそうな考えが浮かび、栩麗琇那が知ったら二度とここには来ないかも、と仮定で済みそうにないことまでよぎった。

 悲鳴を、夢現(ゆめうつつ)で聞いた。

 幾つかの音や振動が入り乱れる中、硝子が割れたような物音が耳朶を脅かした。ハッとする。

 身を起こそうとしたが叶わない。見張った目に映る物が、ぐにゃんと歪む。蒼杜はぎょっとした。

 しまった――

 薬茶の書付には、加えられればと注釈を付けたものの、強めの睡眠作用がある草も書いてしまった。ここの厨房には材料が全て揃っている――!

 朦朧とする頭の片隅で、起きろ! と叫ぶ声がある。蒼杜は勿論、自分の意思に従いたかった。

 必死に身体を動かしたが、儘ならない。もがいた挙げ句、ドッと蒼杜は寝台から転げ落ちた。

「う……っ、く……」

 下で何が起こっているのか判らない。ただ、悲鳴が琴巳のモノだったのは確かだ。

 柴希(さいき)が琉志央に、琴巳には相当に分厚い(てい)の結界が張られていると牽制の言を呈していたが――破られたのではないか。信じがたいが、不可能とは言い切れない。魔術師ならば。

「う……」

 微かな呻きの後、意識が闇に落ちた。



 栩麗琇那(くりしゅうな)は、力無く持った乾パンを口に運んでいた。

 昨日、琴巳の居場所が定かになってから、少し食欲が出た。それでも、何を口に入れても味気無い。おまけに丸二日以上も妻に触れていない所為か、気力が出ない。食事は、酷く億劫で、やけに疲れるモノとなっていた。

 本日の夕食は、地下蔵に備蓄しておいた非常食である。日持ちする物というのは、どうしてもぱさぱさした食感の物が多くなる。

 コトミの料理が食べたい。あの可愛い笑顔を見ながら……

 琴巳は、食事の世話を依頼する手紙を柴希に託していた。だが、栩麗琇那は世話役を家に帰した。

『そろそろ非常食を入れ替える時期だったから、この機会にそれを処分する』

 次期帝代理の最有力候補なだけあって、柴希はすぐ真意も理解してくれた。

 コトミ……

 今日の昼休憩時によほど会いに行こうかと思ったのだが、何とかこらえた。エンよりわたしなの? とでも、精一杯低めた声で問われては困る。そうだ、と答えるしかないのに、激昂して、家出期間を延長されたらかなわない。

 息子が母親を恋しがれば口実にできたのだが、信じられないことに(つばめ)はけろりとしている。それどころか、何が楽しいのか無闇に元気だ。

 只今も、父の心労など知ったことではないのか、硬い、とはしゃいだ声で言いつつ、乾パンを頬張っている。

 躾け方を間違ったんだろうか……何なんだ、この親不孝ぶりは。

 栩麗琇那は立腹してきてパンを皿に置く。しかし、この苛立ちはお門違いである。解ってはいる。

 燕は、母親が贈り物と上着を作りに出かけていると信じきっているのだろう。手紙に書かれていた通りに、楽しみに待つことに徹している。見方によっては、見事な順応かもしれない。

 たった一人の女性に振り回されてる俺は、(はた)から見れば滑稽だろうな。

 だが、この生き方を変えるつもりは無い。

 気を取り直し、栩麗琇那は再び食べかけのパンを手にする。

 各当主に課せられた毎月恒例の領結界張りを、皇帝は初日に行っている。その為、今月は間一髪のところで済ませていた。午前中に張り、午後、妃の発熱に気づいたから。

 一月はそれで良かったが、これ以上不摂生をしていると、来月、張れなくなる恐れがある。有り余っているとはいっても、体調が悪いと術力は上手く操れない。身体の奥で燻ぶるばかりとなってしまう。

 碧界と翠界とに琴巳と離れ離れだった一年間、半年を過ぎると、栩麗琇那は領結界をすんなりと張れなくなっていた。あの頃、食が細くなっていたし、極度の不眠症でもあった。今回と似ているのだ。

 何度も同じ症状に陥っていては、皇帝としても、妻子ある身としても、みっともない。

 珈琲に浸してでも完食しようと、一口大にパンを千切った時だった。

 結界が壊れた。愛妻に張っていた、八重結界が。

 思わず、席を立った。

 目の前で突然立ち上がられ、喉に詰まったのか、向かいで燕が胸元を叩きながら問うた。

「ど、どうし、たの」

「――破壊された」

 言葉にすると、背に粟立ちを感じた。栩麗琇那は、震えそうになる手を卓上に押しつける。

 結界を壊す必要など、普通の生活をしていれば生じない。破ったのは、蒼杜ではあるまい。

 琉志央が何か仕掛けた? しかし、蒼杜がついていて?

 そもそも医事者は、闇範囲の攻撃魔術を滅多に使わない。故に、結界は大して反応しない。

 琉志央は魔術師が図らずも纏ってしまう闇の気が元から薄かった上、長く医事者見習いを続けている。結界を除去しなければ琴巳に触れられない程ではない。

 結界を破れる奴なんて、あの国には他に居ない筈だ。

 残るは、国外からの不法侵入者。

 魔術師――人攫いだったら――!?

 躊躇していられなくなった。例え琴巳が家出を延長する結果になっても、無事を確認しておかないと不安に押し潰される。

「エン、俺はちょっと、母上の様子を見てくる」

 燕は、慌てたように椅子を降りた。

「ぼ、僕も行きたい」

 一瞬、連れて行こうかとよぎったが、短く首を振った。無事なら遠くから垣間見て、結界を張り直し、戻ってくるだけのことだ。

 もしも何か起こっていた場合、術力を封印されている息子は自分の身を自分で護れない。危険だ。

「誰か来るかもしれないから――俺が戻るまで、代わりに居てくれ」

 言い訳を口にしながら、栩麗琇那は懐から印章を出した。「誰か来て、必要があったらエンの判断で捺していい。エンに任せる。俺が戻るまで、お前が帝だ。お前がいいと思えば捺せ」

 小さな片手に握らせ、栩麗琇那は燕を見据えた。

「頼んでいいな?」

 幼子は、琴巳に似た瞳を潤ませて見返してきたが、顎を引いた。

 息子のさらさらの髪をくしゃっと撫でると、栩麗琇那は屈めていた身を起こした。

「頼んだぞ」

 言って、リィリへの移動の指輪を一瞥すると、その場から姿を消した。

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