第三話 王はなぜ、我らにこのような密命を……?
リリアの営む食堂を後にした副団長アルヴィンは、その足で王城へ戻った。
王城の一角――王都騎士団本部併設の官舎。
目的地は、団長室だ。
重厚な扉を開くと、執務机の向こうに一人の男が立っていた。
「戻ったか、どうだった?」
副団長アルヴィンと同じくらいの長身。
顔と手に刻まれた無数の傷が、この男がただ者ではないことを雄弁に語っている。
王都騎士団団長――ローエン・レイグラード。
アルヴィンは背筋を伸ばし、簡潔に答えた。
「特に、何もありませんでした」
だが、その直後、抑えきれず言葉を続ける。
「ローエン団長。王はなぜ、我らにこのような密命を……?
なぜ私をあの店へ向かわせたのですか」
ローエンは一瞬だけ考える素振りを見せ――そして、からりと笑った。
「俺にも、よく分からん」
「……は?」
「だがな。王が言うからには、何か意味があるんだろう」
腕を組み、じっとアルヴィンを見据える。
「――本当に、何もなかったのか?」
その問いに、アルヴィンは一瞬だけ言葉を失った。
脳裏に浮かぶのは、包帯を手に自分へ近づいてきた娘の姿。
傷口にそっと息を吹きかけ、真剣な表情で手当てをしてくれた――
(……女神のようだった)
自覚した瞬間、思考を振り払う。
「……いえ。ご報告するようなことは」
ローエンは、そのわずかな間と表情の揺れを見逃さなかったが、何も言わなかった。
「そうか…ご苦労だったな」
やわらかな声で続ける。
「では、王にもそう伝えておこう」
「……ありがとうございます」
アルヴィンは一礼した。
「では、失礼いたします」
扉を閉め、部屋を後にする。
その背中を見つめながら、ローエンは小さく息を吐き、口元を緩めた。
「……アルヴィン、お前を信じている。お前なら守れるはずだ」
それは、誰に聞かせるでもない呟きだった。
廊下を歩きながら、アルヴィンは考える。
(ローエン団長が任務を任すときは、必ず意味がある)
理由は分からない。
だが、彼を疑ったことは一度もなかった。
ローエンは冷静沈着で、部下思いの騎士だ。
若き日に戦場で王の命を救い、その功績で王国の騎士団団長に任命された。
下級貴族出身ということで、当初は陰口を叩く者もいた。
だが今では、騎士団の誰もが彼を信頼している。
アルヴィンにとっても、十年以上の付き合いになる人物だ。
比較的若いアルヴィンを副団長に抜擢したのもローエンだった。
入団したばかりの頃、剣の握り方から叩き込んでくれた
――恩人でもあり、父のような存在でもある。
「副団長! アルヴィン副団長!」
考え込んでいたところで、声をかけられた。
振り向く。
「……カイルか。どうした?」
そこに立っていたのは、茶色の髪をした青年騎士。アルヴィンにとっては弟のような存在だ。
アルヴィンやローエンより背は低く、平均的な体格だが、素直で誠実そうな目をしている。
「昼間は剣術のご指南、ありがとうございました!」
深々と頭を下げる。
「いやあ、副団長の剣、重すぎますって。どんなパワーしてるんですか……!
でも、おかげさまで良い訓練になりました!」
そして、少し言いづらそうに視線を伏せた。
「それより……おれが切ってしまった腕のところ、大丈夫ですか……?
まさか、副団長を傷つけてしまうなんて……」
アルヴィンは、ほんのわずかに表情を和らげた。
「大丈夫だ」
淡々と、だが優しく。
「少し、筋がよくなってきたな。
俺が油断しただけだ。気にするな」
「……っ! ありがとうございます!」
カイルはぱっと顔を明るくする。
そのとき、彼はふと首をかしげた。
「……あれ?包帯…? 気のせいかもしれませんけど」
「何だ?」
「副団長、今日……表情が明るいというか、軽い気がします。
何か良いこと、ありました?」
「……いや、そんなことはない」
(カイル……なんか勘がいい所があって困る…)
自分では、いつも通りのつもりだった。
(良いこと……包帯の娘……女神…俺は何を考えているんだ…
ダメだ、気が引き締まってないな…)
思考を遮るように、カイルが続ける。
「それより、副団長。今日は腰元に剣を差してないんですね?」
「……」
アルヴィンは、自分の腰を見た。
(――ない!?)
内心で焦りながらも、表情は変えない。そしてごまかした。
「ああ。鞘に傷が入ってな。修理に出している」
(嘘は好きではないが……
王から授かった、特別な剣を、副団長の立場で“無くした”とは言えん…)
「ええっ!? それは大変ですね!」
カイルは本気で驚いた様子だった。
「なるほどです。
じゃあ、おれはこの辺で失礼します!
また明日、剣術指導よろしくお願いします!」
「ああ」
青年の背中を見送り、アルヴィンは深く息を吐いた。
カイルはアルヴィンと別れたあと、剣術を褒められたせいか、少し上機嫌だった。
(アルヴィン副団長に褒められたぜ!…副団長。俺には温かい人だ。
貴族たちの間で冷徹の騎士って呼ばれているんだよな。
副団長は確か、上流貴族出身だっけ…貴族と何かあったのかな…)
一方、アルヴィンは剣の所在を必死に思い出していた。
(どこだ……)
記憶を辿る。
昼。
木のカウンター。
包帯。
少女の微笑み。
「……食堂か」
胸の奥が、微かにざわつく。
(またあそこに行くのか……)
しかし、あれは王から授かった大事な剣。
失うわけにはいかない。
(たしか、夜も営業していたはずだ)
少しの逡巡。
「……行くか」
アルヴィンは踵を返し、再び王都の街へと歩き出した。
その胸に芽生え始めた感情の正体を――
まだ、彼自身は知らなかった。
そして、そんな彼を追う姿がいた。
カイルだった。
「アルヴィン副団長…いつもなら剣術の夕練を一人でする時間のはず…
どこにいくんだろう?」
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