第二十四話 お嬢様がこのまま公爵家にいてくださればと
社交パーティの余韻が消えぬまま、王都の貴族社会は数日のあいだ騒然としていた。
理由はただ一つ。
アルヴィン・ヴァルディア公爵閣下の社交界デビューである。
これまで彼は、王国最強の騎士団に身を置き、“王の剣”として戦場と任務に身を捧げてきた人物だった。
社交界に顔を出さない理由も、「騎士団に専念しているからだ」と誰もが理解していた。
だが――。
そのアルヴィンが、ついに社交界へ姿を現したのだ。
しかも、圧倒的な存在感とともに。
アルヴィンは“冷徹の騎士”と呼ばれていた。
だがそれは、戦場での冷酷さではない。
貴族に対する態度だった。
余計な会話はしない。
媚びない。
取り入ろうとする者は一切相手にしない。
そんな性格が、噂話が広まるうちに話が盛られていった。
いつしか「氷のような公爵」「貴族を寄せ付けない騎士」などと噂されるようになっていた。
その結果、貴族たちがアルヴィンに近づく唯一の方法は――
騎士団に入ること。
それしかなかったのである。
だが今や違う。
社交界に現れたということは、
騎士団に入らずとも、アルヴィンと会話する機会が生まれたということだ。
当然、貴族たちは大騒ぎだった。
特に喜んだのは、ヴァルディア公爵家の勢力傘下にいる貴族たちである。
もともとアルヴィンの支持率は高かった。
だが当主本人が社交界に不在だったことは、どこか心許なかったのだ。
それが今や堂々と社交界に登場した。
これほど心強いことはない。
そしてアルヴィンが社交界に出てきたことは、
ヴァルディア公爵家以外の中立や敵対している貴族までも
歓迎すべき状況だった。
なぜなら、アルヴィンは王の懐方、ゆくゆくは王国騎士団の団長となるだろう。
影響力が大きいのだ。
この機会に少しでも顔と名前を覚えてもらおうと、
多くの貴族がアルヴィンの元へ挨拶に訪れた。
そして――
彼らはすぐに理解する。
アルヴィン・ヴァルディアという男が、
ただの武人ではないことを。
知性、威厳、カリスマ。
どれをとっても群を抜いていた。
その結果、彼は一躍――
**王都の“時の人”**となったのである。
だが。
この騒ぎをさらに大きくした存在がいた。
――もちろん、リリアである。
社交界において、貴族社会において誰も知らない少女。
その彼女を、
アルヴィン公爵閣下が最初のダンスの相手に選んだのだ。
ざわめきが起きないはずがない。
しかもその少女は――
人外と思えるほど美しかった。
透き通るような肌。
柔らかな淡い蜂蜜色の髪。
そして、凛とした気品。
彼女が身にまとっていたドレスは、
かつて“氷の薔薇”と呼ばれた女性のものだった。
アルヴィンの母――
エレノア・ヴァルディア。
若き日の彼女が、
アルヴィンの父に見初められたその夜に着ていたドレス。
エレノアはそれを大切に保管していた。
思い出の品として。
だが――
そのドレスを、
リリアに貸したのだ。
それは感謝だった。
大切な息子の晴れ舞台を作ってくれたことへの。
そして――
アルヴィンのためでもあった。
より際立つ演出となるであろうことを理解していた。
さらにアルヴィンがリリアに気持ちがあることも見抜いており、
息子の最愛の娘に、最高の衣装を提供したのだ。
ドレスが映えたことはもちろん、リリアの神秘性、美しさも相まって、
貴族たちは騒ぎ立てた。
「あの娘は誰だ?」
「王族の血筋か?」
「隠された公爵家の親族では?」
様々な憶測が飛び交った。
だが結局――
誰も正体を突き止められなかった。
理由は単純だ。
リリアは普段、
化粧もドレスも身につけない。
そして何より――
彼女は食堂の娘だった。
貴族社会とは無縁の存在だったのだ。
そして。
この騒動を最も冷静に、
そして最も素早く分析した人物がいた。
アルヴィンの最大のライバル。
レオニス・クラウゼル公爵閣下。
彼はすぐさま動いた。
自分の派閥の貴族たちに根回しを行い、
アルヴィンへの寝返りや、クラウゼル家への裏切りが起きないよう釘を刺す。
それどころか、
むしろ自分への忠誠を再確認させるような空気を作り上げた。
その政治的手腕は見事だった。
あれほど鮮烈なアルヴィンの社交界デビューがあったにもかかわらず――
貴族社会の勢力図は、レオニスが一歩リード。
そのまま維持されたのである。
レオニスは、執務室で一人つぶやいた。
「……たかが、遅れた社交界デビューだろう」
窓の外を見ながら、鼻で笑う。
「私は、とっくの昔に済ませている」
その言葉には、
ほんの少しの嫉妬が混じっていたかもしれない。
だが、基本的には冷静な分析だった。
彼にとっては――
些事に過ぎない。
一方。
その騒ぎの中心人物であるリリアはというと――
ヴァルディア公爵家を離れる準備をしていた。
本来、滞在は二、三日の予定だった。
しかし結局、
二週間もヴァルディア公爵家に滞在することになった。
社交パーティの翌日から、
王都では大騒ぎだったからだ。
「アルヴィンといた娘は誰だ?」
安全のため、
公爵家の判断でさらに一週間延長されたのである。
その間――
リリアはジイから、
アルヴィンの昔話をたくさん聞いた。
少年時代は、思った以上にやんちゃだったこと。
ある悲しい出来事をきっかけに、
感情を胸の奥に閉じ込めてしまったこと。
それでも母エレノアの厳しい教育のもと、
公爵家の長男として育てられたこと。
その期待に応えるため、文武両道、
すべてにおいて最高の成績を出してきたこと。
ジイは、アルヴィンが騎士団に入るまでずっと、彼の側にいた。
そして見てきたのだ。
アルヴィンは、誰よりも家族を大切に思っていた。
父のこと。
母のこと。
家族のこと。
騎士団に入ってからは、心も少しずつ解きほぐれていった。
貴族という存在をただ憎むのではなく、
王国の平和のために何ができるのか。
それを考えて生きてきた。
そんなアルヴィンを――
ジイはずっと見守ってきたのだ。
ただ一つだけ、心配があった。
花嫁がいないこと。
ジイはちらりとリリアを見た。
何か言いたげな目。
だが――
リリアは頬を少し赤くしながら、
気づかないふりをした。
そして滞在中、リリアは使用人たちともすっかり仲良くなっていた。
特にメイとは大の仲良しだ。
調理場のメイの先輩ともよく話したが――
不思議なことに、
最後まで名前を聞き忘れてしまった。
なぜなら、リリアも周囲もずっと
「先輩」と呼んでいたからである。
改めて聞く必要がなくなってしまったのだ。
そして、エレノア。
彼女は、リリアの様子を何度か見かけていた。
使用人たちと楽しそうに話す姿。
だが彼女はそれを咎めなかった。
ただ――
静かに見守っていた。
そして。
リリアが帰る前日。
エレノアは彼女を晩餐に招いた。
最初の晩餐は、アルヴィンが途中で強制的に終わらせてしまったからだ。
今回は違う。
最後まで、穏やかで楽しい時間が流れた。
食事の終わりに、エレノアは静かに言った。
「ありがとう」
アルヴィンに、新しい一歩を与えてくれたこと。
その感謝だった。
そして――
彼女は一瞬、言葉を止めた。
「もし、あなたが望むなら……」
だが、すぐに首を振る。
「いえ、何でもありません」
優しい微笑みを浮かべた。
「あなたは、あなたの思う居場所に」
それは――
とても温かい言葉だった。
そして。
ついに、
リリアがヴァルディア公爵家を離れる日が訪れた。
朝。
ヴァルディア公爵家の正門には三人がいた。
アルヴィン。
ジイ。
そしてメイ。
ジイが頭を下げる。
「何度もお引き止めして申し訳ありませんでした」
少し寂しそうに言う。
「私はどうしても……リリアお嬢様がこのまま公爵家にいてくださればと」
メイも目を潤ませていた。
「寂しいなぁ……リリアさんがいなくなっちゃうなんて」
そして慌てて続ける。
「メイド仲間になってくれてもいいし!
お客さんのままでもいいし!」
アルヴィンは静かに言った。
「リリア」
まっすぐ見つめる。
「今からでも、答えを変えていい」
低く、優しい声だった。
「ここに、ずっといていい」
リリアは微笑んだ。
「ここには、お店を修理していただく間だけ居させてもらう予定でしたから」
そして、胸に手を当てる。
「私は――」
少し誇らしげに言った。
「私の食堂が居場所なんです」
その言葉に、三人とも黙ってしまう。
三人の寂しそうな空気に耐えられず、リリアは慌てて言った。
「でも!」
まずメイの手を握る。
祈りの力を込めて。彼女の心を少し癒せるように。
きっと誰も気づかないレベルの白い光がメイに流れ込む。
メイは少し、心がほぐれたようだ。
そして、リリアは元気に言った。
「メイちゃん、また会いに来るから!」
「それに、お休みの日はぜひ私の食堂に遊びに来て」
メイの顔が一瞬で明るくなった。
「え!?いいの!?」
「もちろん!」
(よかった……元気になった)
リリアは少し照れながら言い足す。
「あの……もちろん、ジイもアルヴィン様も良ければですが…」
アルヴィンは即答した。
「分かった」
真顔で言う。
「毎食行こう」
「落ち着いてください!」
リリアは慌てた。
「さすがに毎食は迷惑です!」
ジイが咳払いする。
「ぼっちゃん、せめて毎日くらいがよろしいでしょう」
「いや、それでも毎日って!」
メイが思わず叫んでから、
ハッと口を押さえた。
「あ、失礼いたしました……」
リリアはくすっと笑った。
「ごめんなさい。私は楽しかったけど……」
「貴族のルールでは今のはよくないんですよね」
優しく言う。
「メイちゃんの失言、許してあげてください」
ジイが穏やかに微笑んだ。
「ご安心ください」
正門の外を指す。
「いまは公爵家の外です」
「つまり、人と人として楽しく会話した」
「そういうことにしておきましょう」
アルヴィンは腕を組む。
「……なんだ?」
「俺は何も聞いていないが?」
ジイは頷いた。
「ということです」
リリアは笑った。
「ありがとう」
その瞬間。
メイがリリアに抱きついた。
「絶対会いに行く!」
「それに会いに来てね!」
「他の使用人のみんなも、絶対また来るように伝えてくれって言ってたから!」
リリアは優しく笑う。
「ふふっ、わかった」
そこへ――
馬車が到着した。
アルヴィンとリリアが乗り込む。
ゆっくりと動き出す馬車。
その行き先は――
リリアの食堂。
そして、お昼前にはリリアの食堂についた。
アルヴィンに一礼すると、リリアは食堂の中に入っていった。
だが。
その様子を、
物陰から見ている男がいた。
レオニス・クラウゼル。
彼は小さく笑った。
「……ふっ」
肩を揺らす。
「ヴァルディア公爵家にリリアを留めておけなかったか」
そして、口元を歪めた。
「アルヴィンめ」
「フラれたのか?」
次の瞬間。
王都の静かな通りに、
愉快そうな笑い声が響いた。
「はっはっはっはっはっ!
女神よ、私が迎えに行こうではないか」
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