第二十話 君が知っていることを――俺にも教えてくれないか?
夜の空気が、ひんやりと肌を撫でていた。
アルヴィンはリリアの手を引いたまま、屋敷の奥へと歩いていく。
やがて辿り着いたのは、食堂からかなり離れた場所にある石造りのテラスだった。
月明かりが白い床を淡く照らし、庭園の噴水が静かな音を立てている。
アルヴィンはそこで立ち止まり、振り返った。
「……なぜ、母上と食事を?」
低い声だった。
リリアは少し驚いた顔で瞬きをする。
「え、えっと……」
少し視線を泳がせながら答えた。
「たまたまお屋敷の中で、お母様とすれ違って……」
「それで、ディナーにお誘いを受けたので……」
アルヴィンの眉がわずかに寄る。
「頼むから」
静かな声だったが、どこか硬い。
「勝手な行動はしないでほしい」
その言葉に、リリアは肩を小さくすくめた。
「……ごめんなさい」
素直な謝罪だった。
二人の間に、しばらく静かな時間が流れる。
庭の噴水の音だけが、かすかに響いていた。
アルヴィンは視線を外し、夜空を見上げる。
「……だが」
ぽつりと呟く。
「リリアには、断ることはできなかったか……」
小さく息を吐いた。
「一方的な物言いをしてすまない」
リリアは首を横に振る。
「ううん」
それだけ言った。
また少し沈黙が流れる。
やがてアルヴィンが口を開いた。
「……ゴブリン騒動の日だが」
視線をリリアへ向ける。
「本当は、君と話をしようと思っていたんだ」
リリアは少し驚いて、頷く。
「お話……?」
アルヴィンはしばらく考えるように沈黙したあと、言った。
「君が、何らかの力を持っていることは分かっている」
その言葉に――
リリアの体が、ぴくりと固まった。
胸の奥がざわつく。
(力……)
思い出す。
老紳士を癒した時。
あの時は、何が起きたのか自分でもよく分からなかった。
ただ必死だっただけだ。
でも――
ゴブリン騒動の時。
カイルの傷を癒した時は違う。
あの時は、祈った。
意識して。
「治ってほしい」と願った。
だが――
そのあと気を失ってしまった。
そして。
自分が気を失っている間に、何が起きたのか。
リリアは知らない。
実際には、ゴブリンが浄化され消滅していたのだが――
そこまでは、リリアには分かっていなかった。
「私の……力……?」
リリアは、戸惑うように言葉をこぼした。
アルヴィンは、決意したような表情をしていた。
「君のことは」
ゆっくりと言う。
「王と騎士団長、そして……」
「レオニス率いるクラウゼル家の一部の人間が、おそらく認識している」
リリアの瞳が揺れる。
「神の末裔であることを、だ」
「え……?」
言葉が出ない。
アルヴィンは続けた。
「俺は王と騎士団長から、君を守るように言われている」
少し間を置く。
「ここからは俺の推測だが……」
「“守る”というのは、おそらく二つの意味がある」
リリアは息を呑んだ。
「一つは、リリア自身を守ること」
「もう一つは……」
アルヴィンの声が、わずかに低くなる。
「王国を守ることだ」
「君の力と正体は」
「この国を守ることにも……」
「滅ぼすことにもつながる」
リリアの目が見開かれた。
「守ることと……滅ぼすこと!?」
頭が追いつかない。
確かに、自分には癒す力がある。
だが――
この世界には同様の力を持ったヒーラーもいる。
賢者もいる。
人を癒す者など、決して珍しくない。
自分の力は、そのほんの一部に触れた程度のものだ。
それが――
世界を守る?
世界を滅ぼす?
あまりにも話が大きすぎる。
「……あの」
リリアは恐る恐る言った。
「少し……大げさではないでしょうか?」
アルヴィンは首を横に振る。
「いや」
「これは俺の仮説に過ぎないが……」
リリアをまっすぐ見て言った。
「君にはおそらく、“浄化”の力がある」
「浄化!?」
リリアの声が裏返る。
「おとぎ話に出てくる、あの浄化ですか!?」
アルヴィンはうなずいた。
「ああ」
「魔物や悪魔を消滅させる、聖なる力だ」
リリアは、思わず笑ってしまった。
「ふふっ」
「アルヴィン様ったら……」
「何をおっしゃるかと思ったら……」
首を振る。
「さすがにそれはないですよ」
だがアルヴィンは真顔のままだった。
「ゴブリンだが」
静かに言う。
「報告では、城下町に入り込んだのは七体だ」
「そのうち騎士団が討伐したのが四体」
「逃げ出したのが二体」
「そして――」
「一体が、姿を消している」
リリアの笑顔が消えた。
アルヴィンは続ける。
「あの巨大な化け物が、どこに姿を消せる?」
「騎士団はいまだに捜索を続けている」
「だが」
静かに断言した。
「俺は、もう出てこないと思っている」
リリアの喉が、ごくりと鳴る。
「も、もしかして……」
声が震えた。
「私が……消した!?」
アルヴィンはゆっくり言った。
「リリア」
「君が気を失っていたのは、カイルを癒そうとした後じゃないか?」
リリアは思い出す。
……確かにそうだ。
アルヴィンは続ける。
「老紳士を救った時も、君は倒れそうになっていた」
「俺が支えた時のことだ」
「つまり」
「君は誰かを癒そうと祈った時、気を失う可能性がある」
「体力か精神力を使うんだろう」
「そう考えると、今までの話にも辻褄が合う」
そして。
静かに言った。
「祈りの力は……きっと癒しだけじゃない」
「浄化も含まれている」
リリアは息を呑む。
頭の中で、いくつもの出来事がつながっていく。
(た、たしかに……)
小さく呟いた。
アルヴィンはさらに続けた。
「仮に君が神の末裔だとして」
「君の祈りが癒しと浄化の力を持っているとしよう」
「そうなると――」
一瞬、言葉を区切る。
「君自身が信仰の対象になる」
リリアは目を見開いた。
「わ、わたしが!?」
「神様みたいに扱われるってこと!?」
アルヴィンは頷く。
「ああ」
「そうなれば、この国は二分する」
「王より求心力を持つ存在が生まれる」
「なぜなら」
静かに言った。
「神の末裔は……神だからだ」
リリアの顔が青くなる。
「そ、そんな……!」
首を強く振った。
「わたし、国を二分にしたりしません!」
「私はただ食堂を続けて……」
声が震える。
「みんなに居場所を提供したいだけです!」
アルヴィンは静かに言った。
「君はそうだろう」
「だが」
「実際、君の所には二大公爵家の俺と……」
「レオニスも来ただろう」
リリアはハッとする。
「う……」
確かに。
ヴァルディア公爵。
そしてクラウゼル公爵。
この国の頂点の二人が、自分の店に来た。
「もう」
アルヴィンは言った。
「君を中心に、この国は動き始めている」
夜風が吹く。
「悪魔降臨が本当に起こるのかは分からない」
「だが」
「君の浄化の力が、世界を救うかもしれない」
そして――
「同時に」
「君の力を利用しようとする者も現れる」
「権力のためか」
「支配のためか」
「それは分からない」
アルヴィンはリリアをまっすぐ見た。
「俺は君とこの王国を守りたい」
「ただ、それだけだ」
少しだけ、声が柔らかくなる。
「王に言われたから……それだけじゃない」
「なぜか分からないが」
「君といると癒される」
小さく息を吐いた。
「君の能力のせいかもしれない」
「だが」
「君には君のままでいてほしい」
「危険な目にも合わせたくない」
そして言った。
「俺が知っていることはすべて話した」
「話してはいけない極秘も含めて」
「君のことを知らなければ」
「俺もリリアを守り切れるか分からない」
静かな声で。
「君が知っていることを――俺にも教えてくれないか?」
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