第二話 あの人って、冷徹の騎士?
ランチタイムの喧騒が嘘のように消えた午後。
小さな食堂ルミナリエには、柔らかな光だけが差し込んでいた。
チリン――
扉の鈴が鳴る。
その瞬間、空気がわずかに変わった。
入ってきたのは、ひときわ目を引く長身の男だった。
焦げ茶色の髪、瞳は栗色。
外套の隙間から覗く銀の装飾。
それは王直属の騎士にのみ許された意匠だった。
広い肩幅。鍛え上げられた体躯。
無駄のない動き。
ただ歩くだけで、静かな威圧感がある。
外套を脱いだときに見える鍛えられた腕。
明らかに腕の立つ騎士であろう体躯。
しかしながら、その顔つきや所作には品があった。
そのような者は、リリアの店に来たことがなかった。
彼は迷いなく、店の奥、壁を背にできるカウンター端へ腰を下ろした。
椅子がきしむ。
店全体が見渡せる位置であり、同時に店の外を行き交う人々まで見える位置だ。
さりげなく、だが、常に周囲の状況を把握している。
彼の佇まいには……隙がない。
店内には、彼と――店主リリア、ただ二人。
精霊たちは声を上げる。
もちろん、精霊の声は男には聞こえず、リリアにしか聞こえない。
『ねぇねぇリリア! あの人、胸のところ!』
火の精霊フレアが小さく弾ける。
『王国騎士団の紋章だよ! しかも上位のやつ!
粗相があったら、無礼者!!とか言って切られちゃうかもしれないから、注意だよ!』
(え…そんなに偉い人なの!?)と内心驚くリリア。
『落ち着いてフレア…』
風の精霊エアリスがささやく。
『さ、リリア…彼はお客様。いつも通りよ、あなたは店主でしょう?』
そうだ。私は店主。
リリアは胸の前で手を重ね、微笑む。
「あの……ランチタイムは終わってしまったのですが、簡単なものでよろしければ」
「ああ……頼む」
低い声。声がぎこちない。
短い言葉。
だがその声は、不思議と柔らかさを含んでいた。
(そんなに怖い人なのかな…声の雰囲気は柔らかい気がしたけど…)
そう思いながら、リリアは厨房へ向かう。
包丁の音。
煮込みの音。
パンの焼ける匂い。
男は目を閉じ、耳を澄ませる。
(……音が、澄んでいる)
無駄がない。乱れがない。
店も同じだ。素朴だが整っている。
(落ち着くな……とても居心地がいい…)
男の胸の奥が、わずかに緩む。
(駄目だ。俺は任務で来ている、緊張を解いてはいけない…)
王からの密命。
この食堂とそこで働く娘を調べよ、と。
王はそれ以上は語らなかった。
一体この小さな食堂にどんな意味があるのか。
怪しい空気など一切ない。
むしろ安らぎすら感じる、不思議な場所。
男は壁の写真に目をやる。
写真の中には、そこで料理をする娘と、その後ろに立っているのは、その両親だろうか?
「その……ご両親と店を?」
「あ、はい」
リリアは少しだけ微笑みを曇らせる。
「あ…はい。
両親と店をしていましたが、今は二人とも他界しておりまして、
私ひとり…です」
(……しまった)
男は一瞬、眉をわずかに寄せる。
(余計なことを聞いた)
男は、戦場では何百人を率いる副団長だった。
だが、娘ひとりを前に、なぜか言葉を誤る。
野暮な質問をして後悔しているのだ。
やがて料理が差し出された。
ビーフシチューと、温かなパン。
一口。
――……。
手が止まる。
彼はスプーンを持つ手に、わずかに力を込めた。
感情が顔に出ないよう、長年鍛えられてきたのだ。
しかし、心の中は無表情ではなかった。
(……うまい…うますぎる…
一体これは…)
豪奢ではない。
技巧を誇示する味でもない。
だが。
(王宮のどの料理より……心に染みる)
戦場の緊張も、密命の重圧も、
すべてが一瞬、ほどける。
(なんだ……この感覚は)
そのとき。
「あの……」
差し出された白い包帯。
「腕、傷が」
男は自分の腕に視線を落とす。
浅い切り傷。
「…さきほど剣術の指南を部下にしていたときに出来たんだろう…
放っておけば――」
「だめです」
即答だった。
リリアはカウンターを出てくる。
小さな手が、そっと腕に触れた。
温かい。
傷口に息を吹きかける。
清潔な布で巻く。
その仕草は慣れていて、迷いがない。
リリアにとっては日常である。
この店には子供からお年寄りまで普段からいろんなお客様が来る。
もちろん、ケガをしてやってくる子供も珍しくない。
(……女神、か)
一瞬、本気でそう思った。
男にとっては初めての出来事だったのだ。
"冷徹の騎士"と呼ばれ、人々から恐れられてきた。
特に、自分に近づいてくる女性などいなかった。
その端正な見た目から、ルックスになびく女性は沢山いたが、
畏怖の対象であった。
心臓が、ほんの少しだけ速くなる。
(何を考えている。俺は……任務に集中するんだ)
一瞬本気で見惚れてしまった…?
副団長ともあろう者が。
娘ひとりに、動揺するなど。
今まで美しい女性は沢山見てきた。
王宮、貴族に容姿端麗な女性は多く存在する。
しかし、なぜか、この娘に心惹かれた。
視線を逸らす。
悟られてはいけない。
そのような表情は一切見せない。
ただ、それ以上、リリアの方を見れず、食堂の窓の外を眺めていた。
「……ありがとう」
それでも声は、少し上ずっていた。動揺が隠せていない。
「包帯代は騎士団から…」
ぎこちなく言う。
「いりません」
即答。
「傷ついている方がいれば、巻くだけです」
屈託のない笑顔。
打算も、媚びもない。
男は一瞬だけ、彼女を見つめ――
すぐに視線を落とした。
(ダメだ…彼女の笑顔が眩しすぎる…)
「……そうか、では包帯については感謝する…」
そして、立ち上がる。
「これで失礼する」
代金を置き、彼は素早く立ち去っていった。
だが。
彼は――
剣を、置いていってしまった。
王直属副団長の専用剣を。
やはり、動揺していたのであろう。
リリアが気づいたのは、後片付けの最中だった。
「え……?」
重厚な装飾。
王家の銀紋章。
『これ……』
フレアが息をのむ。
『団長や副団長クラスの剣だよ』
リリアの鼓動が跳ねる。
「あの人って……」
更に剣をよく見ると名前の刻印があった。
「アルヴィン・ヴァルディア…
冷徹の騎士と言われた…王国騎士団の副団長があの人なの!?」
王都では王国騎士団の副団長が物静かで屈強、そして無慈悲な人間であると
噂になっていた。そして、いつからか"冷徹の騎士"と呼ばれていたのだ。
(静かな人だとは思ったけど、冷徹?そんなふうには見えなかった。
むしろ、私の両親の話を切り出した時に、申し訳なさそうな顔をしていたように見えたわ…)
静かな午後に、
運命が、そっと動き出した。
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