第十六話 公爵閣下の特別なお客様なんですよ!?
コンコンコン。
控えめなノックの音が、静かな廊下に響いた。
「ハウスメイドです。朝食をお持ちしました」
少し間を置いて、遠慮がちな声が続く。
「……リリア様?」
その頃、部屋の中。
「……ハッ!」
リリアは勢いよく目を覚ました。
「しまった……!」
ふかふかの羽毛ベッドから半身を起こし、周囲を見回す。
信じられないほど柔らかい寝具。
体を包み込むようなシーツ。
そして自分が着ているのは、昨夜ベッドに置かれていた絹のナイトワンピースだった。
「こんなふかふかのベッドで寝たことないから……寝坊しちゃった!」
しかもこの寝間着。
触れた瞬間から分かるほど上質な素材で、肌触りがとんでもなく気持ちいい。
(ど、どうしよう……!)
ドアの向こうにはメイドさん。
(このままドア開けるの失礼?
でも着替えるのに時間かける方が失礼?)
ぐるぐるぐるぐる。
結論は出ない。
「と、とにかく!」
リリアは慌ててドアの前に駆け寄った。
「あ、あの!すみません!」
ドア越しに声をかける。
「とてもよく眠れまして……その……今、起きました!ごめんなさい!」
沈黙。
そして――
クスクス、と小さな笑い声が聞こえた。
「あ、すみません」
メイドの声だった。
「大丈夫ですよ。ナイトワンピースからのお着替えでしたら、お手伝いもできます」
少し遠慮がちに言う。
「ドアを開けてもよろしいでしょうか?」
ガチャ。
ドアが開く。
「あ、ごめんなさい。私、こういうの全然わかってなくて……」
ぺこぺこと頭を下げるリリア。
メイドは思わず微笑んだ。
「いえいえ、大丈夫です」
そして、ぽろっと本音が出る。
「それより、気難しい方じゃなくて安心しました」
言った瞬間、ハッとする。
「あっ……すみません。私ごときがリリア様を評するなど……」
「え?全然大丈夫ですよ」
リリアは笑った。
「私、ただの食堂の娘ですから」
メイドはワゴンを部屋のテーブルに運び、朝食を並べた。
焼きたてのパン。
卵料理。
香草スープ。
果物とチーズ。
「どうぞ召し上がってください」
「いただきます」
リリアは一口食べて――
目を丸くした。
「おいしい!!」
思わず声が出る。
「うちの店にはない食材ばかり……」
調味料の香りも豊かで、味の奥行きが違う。
(アルヴィンは……こんな料理を食べて育ったのね)
少しだけ胸がちくりとした。
(うちの食堂の料理なんて……お口に合わなかったわよね)
食後。
メイドはクローゼットを開け、いくつかの服を見せた。
「本日の装いですが、こちらなどいかがでしょう」
リリアは選び、メイドに手伝ってもらいながら着替える。
貴族の婦人用の服は構造が複雑だ。
「腕をこちらへ……はい、そうです」
数分後。
完成。
メイドは思わず固まった。
「……リリア様」
ぽつりと言う。
「大変……お美しいです」
さらに髪を整え、軽く化粧を施す。
そして数分後。
メイドは完全に動きを止めていた。
「……女神のようです」
「え?」
リリアは鏡を見る。
「こ、これが私!?」
そこには、食堂の娘とは思えない貴族令嬢が映っていた。
「……なんだか恥ずかしいかも」
少し頬を赤くする。
「メイドさん、化粧……落としてもいいですか?」
「え!?」
メイドが悲鳴を上げる。
「落とすんですか!?こんなに綺麗なのに!」
しかしリリアは申し訳なさそうに言った。
「あと……もしよかったら、メイドさんたちと同じ服を貸してもらえませんか?」
「え?」
「私、タダでご飯まで頂いちゃってるので……せめて働かせて――」
「ええええええええ!?」
メイドは悲鳴を上げた。
「ダメです!!絶対ダメです!!」
慌てふためく。
「怒られます!私が!!」
「リリア様は公爵閣下の特別なお客様なんですよ!?」
リリアは少し考えた。
「じゃあ……」
にっこり笑う。
「制服だけ貸してくれません?」
「働いたりしませんから」
そして――
両手でメイドの手を握った。
「ね?」
メイドの思考が停止した。
(女神の微笑み……)
(それにこの手……暖かい……)
(あかん……私、天国行きそう……)
「……わかりました」
ぽつり。
「制服、お貸しします」
言った瞬間。
(あっ!?)
(いま私、貸すって言った!?)
リリアはニヤリと笑う。
「ありがとうございます」
「じゃあ化粧は落としておきますね。制服持ってきてください」
メイドはふらふらと部屋を出て行った。
(くぅ……)
(メイド仲間にも見せたかった……)
(女神みたいな顔……)
(しかもめっちゃフレンドリー!)
(私が友達になりたいぐらいイイコだわ!!)
(いや公爵様のお客様だから無理だけど!!)
しばらくして戻ると。
リリアは完全に化粧を落としていた。
メイドはがっくり肩を落とした。
「……」
「どうしました?」
リリアが聞く。
「あの、お名前なんですか?」
「え!?私ですか!?」
慌てるメイド。
「わ、私のような末端の者の名前など……」
リリアは優しく言った。
「そういうの、なしでお願いします」
そして微笑む。
「私、あなたとお友達になりたいんです…
もちろん、あなたが良かったらですけど…」
「えええええ!?」
メイドの心臓が爆発した。
(いや私もなりたいと思ってたけど!!)
(でもこの人、公爵様のお客様!!)
(もしかして未来の奥方!?)
(むりむりむりむり!!)
恐る恐る言う。
「……メイと申します」
リリアはメイの手を握った。
「メイさん、ありがとう」
「しばらくお世話になります」
その瞬間。
リリアは心の中で祈った。
(私、どうやら神の末裔らしいし……)
(この前カイルの傷、治せた気がするし…)
(だから――お礼にメイさんを元気にしたい!癒したい!)
(祈ってみる…メイさんが元気になりますように)
二人には見えないほど淡い光が、そっと生まれた。
白い光。
それがメイの体を優しく包んだ。
メイはふらりと揺れた。
(……ここは天国?)
全身が軽くなる。
心がほどけていく。
一瞬、脱力した。ふらつく。
その体をにこにこしながらリリアが支える。
「大丈夫ですか?」
メイは慌てて姿勢を正した。
「は、はい!大丈夫です!」
(やばっ……)
(一瞬あっち"天国"の世界見えた気がした……)
「では、そろそろ私は失礼しますね…」
部屋を出ようとする。
「待って」
リリアが呼び止めた。
「お屋敷を案内してくれない?」
「あ、でもお仕事の邪魔ですよね……」
メイは即答した。
「いえ」
「リリア様を最優先するよう、執事から仰せつかっていますが…」
(執事……)
リリアは思う。
(ジイのことかな!?)
「じゃあ、お願いします、ちょっと待っててください」
リリアはその場で着替え始めた。
メイは慌てて背を向ける。
数分後。
「お待たせしました」
(やっぱりこっちのほうが落ち着くかも)
振り向いたメイは――
固まった。
そこには。
メイド姿のリリアが立っていた。
「……尊い」
「え?」
「いえ、なんでもありません」
メイは慌てて言う。
「よくお似合いです」
「いえ……きっとリリアさんなら何でも似合います」
「お顔も整ってますし……スタイルも……」
しかしリリアは全く気にしていなかった。
「じゃあメイさん」
にこっと笑う。
「行きましょう」
廊下を歩きながら、リリアはふと足を緩めた。
磨き上げられた大理石の床。
高い天井。
窓から差し込む朝の光が、長い廊下をやわらかく照らしている。
その豪華な景色をぼんやりと眺めながら、リリアは胸の奥で考えていた。
(アルヴィン……)
頭の中に浮かぶのは、あの少し不器用そうな騎士の顔だ。
(私のこと、調べてたみたいだけど何が目的なのかしら……)
昨日のことを思い出す。
食堂のこと。
子供たちのこと。
自分の生活のこと。
まるで前から知っていたかのように、アルヴィンは話していた。
(でも……)
リリアは小さく首を傾げる。
(私のこと、大事にしてくれているようにも思えるのよね……)
怪我をしたとき。
心配そうに名前を呼んでくれたこと。
無理をするなと何度も言ってくれたこと。
そして、店が直るまでここに滞在していいと言ってくれたこと。
思い返せば、どれも優しさばかりだ。
(あの人……いったい、どんな人なのかしら)
公爵家の当主。
王国騎士団の副団長。
そして――
「冷徹の騎士」
そんな異名で呼ばれている人物。
リリアは少し眉をひそめた。
(あの呼び名……貴族の間から広まったって言われているのよね)
確かにアルヴィンは、普段、冷静で少し冷たそうな様子だ。
でも。
(私が見ているアルヴィンは……そんな人じゃない気がする)
むしろ。
ちょっと不器用で。
ちょっと真っ直ぐで。
時々、子供みたいな顔をする。
(本当のアルヴィンって……どんな人なんだろう)
ふと、胸の奥に小さな好奇心が灯る。
(彼がどんな環境で育ったのかも気になるし……)
公爵家の当主。
それはきっと、自分には想像もつかない世界だ。
厳しい教育。
重い責任。
貴族たちの思惑。
そんな中で生きてきた人。
(もしかしたら……)
リリアはそっと微笑んだ。
(ここにいることは、彼のことを、いろいろ知るチャンスかもしれない)
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