第6話:燻る炎
【1】
赤土の峡谷に、巨大な街が張りついていた。
フォーンシティはリムランド最大の自由都市。
無数の吊り橋と階層都市を繋ぐ通路が、赤い岩肌を縫うように走っている。
フォーンシティは上層と下層で二分されている。
上層は正典の街。
人々がひしめき、昼夜を問わず取引と喧騒が絶えない。
対して下層には、外典、逃亡者、孤児、居場所を失った者達が寄り集まり、
暗渠と煤けた灯の元で細く生きていた。
上層の中央には――灰の塔。
円形の街の中心に立っているそれは、常に塔頂の火が燈される、導きの象徴。
年に一度、“灰の祭典”の時期には、
塔頂だけでなく峡谷の周囲にも焚き火が燈され、峡谷全体が風に揺れる赤い焚き火のようになる。
⸻
【2】
フォーンシティ下層のさらに底。
錆びた鉄板を屋根にした酒場の裏手で、二人の男女が声を潜めていた。
一人は橙の髪を無造作に束ね、片目を眼帯で覆った男性。
陽炎のような気配を纏い、傍らには炎の意匠が彫り込まれた大槍。
もう一人は小柄な女性。
帽子の下から黒髪を覗かせ、首に使い込まれたゴーグルを下げ、腰には工具箱。
油と焦げの臭いが染みついた作業服の袖は、ところどころ破れていた。
男性が手元の紙を見ながら呟く。
ミング村のラオという漁師が消えた、という内容の記述。
「……また一人“消えた”んだと」
女性は頭をかきながら、装置の中にレンチを差し込む。
「分かってる限り、これで十二人目っす…。
この街の住民、東部の漁村、風降り峠の警備員。
それに――ノエラ姐さん。
倉庫が丸ごと消えて更地になったって話もあるっす」
「これ本当に、消えただけで死んでねえんだよな?」
「たぶん。
消えた後から“そこにいるような痕跡”が出てきてるんで。
机の上に急に食べかけのパンが出てきたとか、足跡だけ現れたとか……。
なんすかねー、次元がズレちゃったーみたいな…。そんな感覚っす」
男性は怪訝な顔をする。
「次元がズレる? 意味分かんねーな」
「うちもはっきりとは分からんっすよ。
とにかくアインもうちも、いつ消えるか分かんないし、他人事じゃないってことっす」
工具を回す音がキンと響いた。
アインと呼ばれた男性がため息をつき、手元の紙をくしゃりと握り潰した。
「はあ……。
ノエラの姉御がいりゃ、もう少し上手く動けたんだがな。
俺は戦鬪バカだし、カムイは機械バカ」
「ちょ、バカは言い過ぎっす!
でもまあ……否定はできないかぁ」
カムイと呼ばれた女性は苦笑してから、少し目を伏せた。
「“組織の頭脳”がいない状態で計画を進めるのは、正直キツいっす。
一秒でも早く戻ってきてほしいのに、
肝心の大書院は手続きやらで動き遅いし、悠長すぎっすよ…」
アインの目が細くなる。
「……だから、俺達が動く。
姉御を消した現象の原因に、一刻も早く辿り着く。
――“協力者”の話にあった、残響を失った綴士が鍵だな」
「アマネ・チャペック……っすね」
「そうだ。大書院より早く接触して話を聞く」
カムイは、先ほどからずっと弄っていた装置をヒョイっと投げた。
少し驚いた表情でアインが受け取る。
「それ、“例の外典”の残響を追えるように合わせてあるっす。
残響の残滓とエーテルの位相合わせたんで、反応出るはず」
手渡された装置は軽く、小さな振動で内部のエーテル結晶がほのかに光った。
「今の間に作ったのかよ!?
すげえな、これもお前の残響の力か」
カムイは自慢げに鼻を鳴らした。
「ふふーん!
うちの知識と技術に、残響をひとつまみ、っすよ」
アインは立ち上がり、槍を背に担ぐ。
「んじゃさっさと解決して、大書院のプライドをへし折ってやろうじゃねえか」
――下層で燻っていた炎が、燃え盛り始めていた。
⸻
【3】
西の空が朱に染まり、峡谷の底がゆっくりと影に沈んでいく。
風は赤土を巻き上げ、乾いた匂いを運んだ。
丘を越えた先、ついに――視界の果てに巨大な街が現れる。
「……見えた。フォーンシティだ」
カズヤが立ち止まり、額の汗をぬぐった。
赤土の裂け目に築かれた多層の都市。
崖の壁面を這うように無数の建物が重なり、
その中心に――灰の塔がそびえていた。
夕陽を浴びた塔の頂では、赤い炎がゆらりと燃えている。
ふたりは息を飲んで、静かにその光景を眺めてた。
その瞳には、確かな決意。
「俺らにとっちゃ、あの街は“生きるか死ぬかの境界線”ってとこだな。
お前の残響をなんとかして、絶対に助けてやる」
「……ありがとう。私も、逃げるだけじゃない。
何が起きてるのか、ちゃんと突き止めるよ」
やがて太陽が沈み、街の下層に無数の灯がともり始める。
崖沿いの岩陰に身を寄せ、カズヤは剣を壁に立てかけた。
「この辺でしばらく休もう。アマネも少し寝てくれ。
堂々とは入れねえし、日が落ちきってからこっそり下層に入ろうぜ」
アマネは小さく頷く。
岩に寄りかかるように座り込んでフードを下ろし、目を閉じる。
その横顔を、灰の塔の炎がかすかに照らった。
⸻
【4】
風が強くなり、赤砂が視界をかすめる。
その時――。
ピシッ、と乾いた音。
地面の砂が僅かに跳ね、熱気を孕んだ風がふたりを撫でた。
「……カズヤ。これって…!」
「ああ。――誰だ!」
カズヤが剣に手をかけると同時に、空の上で火が弾けた。
ヒュンッ、と風を裂く音。
次の瞬間、火の槍が地面に突き刺さり、赤土が爆ぜ火の粉が舞う。
アマネが思わず身を引いたその前に、影がひとつ降り立つ。
橙の髪。片目の眼帯。
背には大槍を負い、焔の残光を浴びたその男が、静かに言葉を落とす。
「……いやー、本っ当に会えるとはなあ。
やっぱ凄いわあいつ」
低く通る声。
軽口の裏に、獣のような気配が潜む。
「お前らだろ。残響を失った綴士と…災厄の外典。
同じ“外典”同士、仲良くしようぜ」
風の音が一瞬止まり、世界が狭まったように感じた。
カズヤは剣を構え、鋭い視線で問い返す。
「……誰だよ、あんた」
男は片手で槍を軽く回し、火を散らす。
回転のたびに赤光が走り、夜の闇を裂いた。
「アインだ。
お前らが信用できる奴らか、試させてもらうぜ」
「ああ?……なに言って――」
言い終えるより早く、アインの槍が地を叩いた。
その一撃で周囲の空気が震え、赤い火の輪が走る。
爆ぜる砂、灼ける大気。
「ちっ――!」
カズヤは反射的に身を引き、火の奔流を掠めた。
熱気が肌を焼く中、アマネの声が響く。
「カズヤ!!」
「下がってろ!」
火花を切り裂く音。火を纏って突き出される槍。
アインの槍とカズヤの刃が、初めて交差した。
「ハハッ!!監査局の奴らをブッ飛ばしたそうじゃねえか!
俺にも見せてくれよ!!」
「っ…見せもんじゃねえよ!」
フォーンシティの遠く、高みにそびえる灰の塔。
その灯がゆらめくと同時に、赤い火花が荒野を照らす。
謎の男の襲来。
戦いの砂埃が、狼煙のように舞い上がった。




