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一章 第40話:風刃絶華 - 蒼空に咲く

【1】


蒼空の頂を満たす翠の風。


見えないキャンバスの上をなぞるように、幾重もの線を描きながら、戦場そのものを書き換えていた。



カズヤは、その流れを視て追う。


(これを目に焼き付けろ……感覚を脳に刻み込め……!)


自分に言い聞かせる声。

ゲイルのいる今しか視えないもの。


視界に在るのは、ゲイルが編む翠風の軌跡。


風はただの空気ではなかった。

細く張り巡らされた糸であり、張力を持つ線であり、触れれば震え、束ねれば刃となる。



カズヤはその一本に触れた。


指先で糸を摘むように、風の線を掴む。

掴んだ線をほどき、絡まりを解き、別の流れと束ねる。


剣を振るいながら、ヴァリウスの周囲へと撒いていく。


一度に裂こうとはしない。

ただ、置く。


弱い風を、ひとつ。

またひとつ。


見えぬ牙を、蒼空へと埋め込むように。



その間にも、ゲイルとアインは翠風に運ばれ、滑るように死角へと回り込み続けていた。

ならされた世界の中で、攻め込むべき場所へ、翠風が火を導く。


ヴァリウスの大剣がそれを払う。

払うと同時に、カズヤの仕込んだ風がヴァリウスを裂く。




三人の呼吸が揃う。


ゲイルが前へ。

カズヤが横へ。

アインが背へ。


翠風の中で、三人はもはや別々の動きをしていなかった。

一つの流れが、三つの刃を運んでいる。




ヴァリウスは、その中心で理解する。


(これは……)


大剣を受け流しながら、彼は明確に押されていると認識した。


力は均されている。

出力は同じ。


だが、流れだけが違う。


天衡てんこうの残響下、そしてこの連携……俺一人で捌くのは厳しい)



それでも、口元が僅かに上がる。



「――だがそれでいい!

この程度のこと、幾度となく潰してきた!!!」




【2】


次の瞬間、ヴァリウスは風脈を踏んだ。


蒼空そのものを踏み抜き、巨躯が宙へと舞い上がる。



翠風が乱れる。

空に掲げられた大剣は、蒼穹を背に黒い軌跡を描いた。





――三人まとめて断ち切らんとする、ついの一撃。





その圧は、空気を凍らせた。


アインが叫ぶ。


「――来るぞ!!」


ゲイルが目を細める。


「っ――――!!」







だが、カズヤは――笑った。





喉の奥で、低く。

全てはこの時を待っていたかのように。



蒼空を包む無数の風の線。



戦いの最中、彼が置き続けた弱い風。

細く、弱く、取るに足らない出力。


一部はヴァリウスを妨害すべく、裂くようにぶつけた。


しかし、残りは。



それらは全て、切っ先をヴァリウスへと向けたまま、空に縫い付けられていた。



目には見えない。

だが、三人だけには視えていた。


《ソリスタの聖壁》の頂を包み込むように、蒼空全体へと撒かれた風の刃が、裂く瞬間を待っていた。



カズヤが鋭く言い放つ。



「“強きを削り、弱きを上げる”んだろ?」



蒼空の上で、ヴァリウスの瞳が僅かに動く。



「じゃあ――“弱え”風が一斉にあんたを襲ったら、どうなんだ?」



その問いに、初めて。

ヴァリウスの表情が、明確に揺れた。


「――!!」



無数の細線が、同時に光を孕む。


設置されていた風が一斉に牙を剥いた。



一つ一つは弱いが、数は無数。


細かく、鋭く。


「ぐぅッ――――!!」


容赦無く、絶え間無く。


「おおおぉッ!!!!」


風が肉を裂き、衣を削り、ヴァリウスの血を散らした。





蒼空に咲く――《風刃絶華ふうじんぜっか》。





天衡てんこうは強きを削る。

だが、同時に来る無数の“弱さ”もまた、ならしてしまう。



ヴァリウスの大剣の軌道が狂い手元が、ぶれる。



その機を刺すべく、翠風が三人を空へと押し上げた。


一斉に。


カズヤの剣が大剣の腹を叩き、体勢を崩す。

アインの槍が柄元を打ち、支点を奪う。




――そして。




ゲイルが風を束ね、柄に指を掛ける。


「師範」


その声は静かだった。

師弟の視線が交差する。



「――恩を、返します」



抜刀、一閃。



翠風をまとった刃が、大剣の握りを正確に弾き抜いた。




大剣が宙を舞い、頂の床へと落ちる。



――ガァァァァァァン……



重い金属音が、蒼空に響いた。

衝撃が石を震わせ。



音が長く尾を引いた。




三人とヴァリウスが着地する。




沈黙。




それは十秒にも満たないはずだった。

だが、永遠にも感じられた。




カズヤが、肩で息をしながら口を開く。


「……あんたに、届いたってことで、いいよな……おっさん」



ヴァリウスは血を拭い、空を見上げる。

そして、どこか満ち足りたように言った。



「ああ……。確かにな」



蒼空の頂。

均された世界の中で。



確かに彼らは――均衡を越え、ヴァリウスとメキースへ、可能性を示した。




【3】


翠は次第に薄れ、蒼空はただの空へと戻っていく。

均されていた世界が、ゆっくりと呼吸を取り戻す音がした。



アインが、槍を地につけたまま呟く。


「……終わり、ってことで良いんだよな?」


その声には、確信よりも戸惑いが滲んでいた。


ゲイルは刀を収める。

師の背を見据えたまま、一歩も動かない。



カズヤは大きく息を吐き、剣先を下げる。


「あとは、向こうだな」


蒼空のはるか下。

戦場から切り離された、もう一つの“層”を思い浮かべる。


「アマネ達が、なんとかやってくれるはずだ。

正直……こっちはもう、全部やった」


半ば冗談めかした言い方だったが、その声の奥にはメキースの喪失が覗いた。

胸に空いた穴が広がりそうになる。



だが――



ヴァリウスは、ゆっくりと首を振った。


「いや……もう、終わったようだ」



三人が、同時に顔を上げる。


「え?」



ヴァリウスは、静かに息を整えた。

ただそこに立ち、蒼空の風へと意識を預ける。


頂を渡る風の質が、わずかに変わった。


強制も、均しもない。

誰かを縛るための流れではない。



感情伝染ではない。



――それは、本来の風詠み。




風は音もなく広がり、三人を包む。

胸の奥に直接触れてくる、静かな感触。


言葉にはならない感情が、風に溶けて運ばれてきた。



――よく、立った。

――よく、越えた。

――それでいい。

――すまなかった。



労い。

そして、明確な承認。謝罪。


“風詠み”。

それはアークティアの民達が大切に受け継いできた文化。



カズヤは、思わず息を止めた。


胸の奥で、何かが静かに解ける。

張り詰めていた糸が、正しい位置に戻る感覚。



アインも、槍を握る手の力が、わずかに抜けた。


「悪い、もんじゃねえな……」


短く漏れた声には、ただ受け取ったという事実だけがあった。



ゲイルは目を伏せ、深く一礼する。




ヴァリウスはそれを見届けると、もう何も詠まなかった。


「……以上だ」


その一言で、風は元の流れへと戻っていく。



風詠みは、正常に戻った。

それは、この戦いが本当に終わったことの証明でもあった。





同じ頃、綴り層。


そこには、“感情の綴り”の修復を終え、疲労で動けなくなったカムイとノエラ。



――そしてミレイに抱えられ、目を閉じて倒れている、アマネの姿があった。

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