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残響詩篇  作者: 宗一郎
プロローグ:白の頁
3/20

第1話-3:世界が泣く声

【1】


突如、背後へ落ちた声は刃のように冷たかった。



カズヤは反射でアマネを庇い、振り返る。


雨を弾く黒い外套。闇から現れた青年が名乗った。



「監査局第七部隊・隊長――セイル・オーウェルだ」



濡れた金髪。

翡翠の眼が、こちらを値踏みするように光る。

その後ろから部隊が影のように広がった。



「その娘は我々の“保護”対象だ。

君は外典――本来なら即時排除だが、娘を引き渡せば目を瞑る」



アマネが小さく震えた。



カズヤは前へ出る。


「何が“保護”だ。それでこいつは救われんのかよ」


セイルは眉ひとつ動かさない。


「知らん。上の命令だ。

正典の正義に従い、任務を遂行する」


「正義だぁ? 誰を救う正義だ!」



雨音が膨れ上がる中、セイルは小さく息を吐いた。


「攻撃開始――外典を排除しろ」


水溜まりが弾け、黒影が飛びかかった。




【2】


剣がぶつかり、エーテルの光が夜を裂く。


カズヤはダン仕込みの剣技で応じた。

踏み込み、はじき、返す。

雨で滑る足場をものともせず、敵の懐へ潜る。


隊員の間合いを逆手に取り、二手三手と崩していく。

影が一人、また一人と下がり、倒れていった。



だが、数は剣を鈍らせる。



背後からの刃、横合いの突き。

避けるだけで体力が削られていく。



アマネは瓦礫の陰で息を潜めるしかなかった。



その時。



「〈理水(りすい)の残響〉を、ここに綴る――」



セイルの剣紋が光り、周囲の雨水が刃へ集束した。

水の線が生き物のように形を変え――“弾けた”。



一直線に走った水の刃が、カズヤの頬をかすめる。


即座にもう一撃。

回避した先でまるで狙いを再調整するように、一度だけ小さく角度を変え、死角から肩口へ飛び込んでくる。


三撃目。

雨粒に混ざって軌道が見えにくいまま、カズヤの足元へ滑り込むように突き刺さった。



水の打撃と、繊維を裂くような鋭い痛みが同時に走る。


「っ……ぐ……!」


カズヤの膝がついに沈んだ。



セイルは冷たい眼で見下ろす。


「腕は悪くない。だが、残響を使わないな。

まあ、忌まわしい外典の記憶を受け入れられないだけだろうが」



残響を行使するとは、己に刻まれた記憶と向き合うことだ。

彼、セイル・オーウェルが宿す記憶は〈理水(りすい)〉。


――正典の記憶。

水は理性・秩序の象徴として世界を形作ってきた。

その記憶に向き合い、エーテルから水の記憶を書き起こすことで、周囲の水を規律へ組み上げ制御下に置く。



セイルの言う通りだった。

カズヤはまだ、自分の残響に向き合えていない。



それは――世界の悲鳴だったから。




【3】


水を纏ったセイルの剣閃。

水が打ち、爆ぜ、カズヤの全身に着々と痛みを刻んでいく。


「所詮は外典。記録される価値もない」


腹の立つ言い草。だが言い返す気力もない。



ふと、瓦礫の陰で震えるアマネと目が合った。



今にも泣き出しそうな瞳。


あの子は悪くない。

真面目に生きてきただけだ。


それなのに、なぜこんな現実を突きつけられるのか。


守れると思った。

救えると思った。

――なのに、こんな顔をさせている。



怒りが胸の奥で燃えた。

外典というだけで切り捨てる世界を許せない。

花をもらって優しく微笑む少女を追い込む、そんな世界が許せない。




向き合いたくなかった残響が、再び胸の奥で軋む。

触れれば壊れると分かっていた力。


だが――止まらない。

聞こえてきたのは耳を裂く悲鳴。



災厄の瞬間。




【4】


それは、世界が一度死んだ日の記憶。

数百年前、未曾有の嵐が世界を襲い、街も人も存在ごと白く消えた災厄。



後に人々は、その災厄を 《白蝕はくしょく》 と呼ぶ。

白き嵐が貪るように全てを飲み込み、押し流していったという。



――その記憶が、一人の青年の中で今再び書き起こされる。



耳の奥で、悲鳴が重なる。


男の怒号、女の絶叫、家畜の悲鳴、砕け散る屋根。


大地が軋む。

建物が音もなく崩れ、屋根が消え。

家が、家族が、友が、色を奪われるように――白に溶けていく。


世界そのものが壊れる断末魔。

それがカズヤの胸の奥で、叫び声が重なり合う。



――あの日、助けられなかった者達の声。




風が逆巻き、雨が止む。

セイルはその異変に顔をしかめた。



「……なんだ、これは…」



視線の先。

カズヤの周囲から噴き上がるエーテルの奔流が渦を巻いていた。


剣に宿った光が白く震える。


頬を伝う涙は、痛み、世界の涙。

震え滲み出した声で、唱える。




「……世界が泣く声を……聞かせてやる」




〈災厄の残響〉――。





【5】


白い嵐が爆ぜた。

風が刃となり、瓦礫が舞い上がる。

音が消え、触れたものを切り裂き、存在ごとさらっていく。


隊員達は悲鳴を上げる間もなく、白の奔流へ呑み込まれる。


セイルの外套が裂け、その身ごと白の渦へと溶けていった。




敵影は消えた。

だが――嵐はまだ、止まらない。


暴走。それは災厄そのものだった。

中心でカズヤは膝をつき、泣いていた。


「……ぅ………ぁ…」


怒り、恐怖、絶望。

“世界のトラウマ”と呼ぶほかないその記憶が、今まさに彼の心を砕こうとしていた。




その光景を、アマネは見ていた。

暴風の中へ一歩踏み込むと、風が肌を裂き、視界が白に溶けた。



それでも――進む。



「……カズヤ…さん……」


彼の言っていた言葉が、耳の奥で甦る。



“誰かひとりでも、ほんの少しでも手を伸ばしてくれたら、人は救われる”。



辛さを優しさに変えられる人。

助けることに喜びを感じられる人。


その人の心が今、壊れようとしている。


そんな終わりになってほしくない。

報われてほしい。



風を裂くように腕を伸ばし、彼の手を掴む。


かすかな温もり。

しかしその奥にあるのは、消え去りそうなほど脆い震え。


アマネは涙を浮かべながら語りかける。



「……私も、あなたに手を差し伸べる。

――私にも分けて。一緒に、向き合うから」


「アマ……ネ……」



その瞬間、アマネの胸の奥で何かが開いた。

残響があったはずの空白。

そこへ痛みが流れ込み、悲しみが沈む。


まるで欠けた記憶を縫うように、光が二人を包んだ。




嵐の輪郭がほどけ、耳を裂く音が消え。


残ったのは、雨上がりの夜の静けさだけだった。




【6】


しばらくして。


瓦礫の中からセイルが立ち上がる。

黒い外套は裂け、全身泥と血にまみれている。


視界には更地。


「〈災厄の残響〉だと……。外典そのものだ……」


怒りとも恐怖ともつかぬ声が漏れた。


「人々を傷つけ、世界を壊してきた忌まわしい記憶……許せん」


セイルは部下を救護させ、一時撤退を命じる。

濡れた靴音が遠ざかり、静寂が戻った。




その頃。

焚き火の広場ではダンが煙草を咥え、遠くを見つめていた。


「……とんでもねぇ嵐が来たときは、さすがに肝が冷えたが。

あのガキ、やりやがったな」


ふっと笑う。

雲の切れ間に、淡い光の渦がわずかに残っている。


「ちゃんと救えよ、カズヤ」


その呟きは煙に溶け、夜空へ昇っていった。




***


 

遠く――。


朝日を抜けて、二つの足音。


導くように、少し前を歩く青年。

導かれるように、一歩一歩を確かめながら進む少女。


足跡が、濡れた土に新しい線を描いていく。



新しい記録の始まりを告げるように、焚き火の灰が舞い上がり、優しい風が吹いた。

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