第15話:笑って明日を迎えるために
【1】
星空の下、灰の祭典の準備で賑わう人々――。
上層から届く音楽と笑い声。
そのきらめきは、夜風に乗って下層の闇へとこぼれ落ちていた。
アマネは崖縁に腰掛け、遠くの光を眺めていた。
その隣に、カズヤが座る。
「……上の音、聞こえるな」
「そうだね。なんだか、全然違う世界があるみたい」
アマネの声はかすかに震えていた。
カズヤは一呼吸置いて、真っ直ぐに告げる。
「……アマネ。
その、言っとかなきゃならないことがある」
アマネが顔を上げる。
その表情を見ないように、カズヤは星空を見上げたまま続けた。
「さっき、上であのセイルってやつ――監査局の隊長に会った。
……祭りが終わった後、お前を“排除”するってよ」
短く、だが無常な言葉。
アマネの瞳が揺れる。
ただ、少し予感もしていた。そんな様子だった。
「……排除……。そっか……」
絞るように出た一言。
胸の奥が、きゅっと痛む。
カズヤはその横顔をちらっと見て、強く言った。
「俺はもう決めてる。
どんな理屈だろうが、世界のルールだろうが、お前を最後まで救う」
アマネの肩が小さく震える。
うつむき、涙を堪えるように頑張って笑みを作った。
「ありがとう。
……でもね……怖い。ほんとはずっと。
私のせいで、みんなが傷つくのが。
私のせいで世界がおかしくなっていくのが……」
カズヤはその言葉をじっと聞いた。
少し頭をかき。
言葉を探して。
そしてゆっくりと、少女を包み込むような、そんな声色で。
「――“誰かを傷つけるかも”って考えちまう時点でさ。
お前は、ちゃんと優しいんだよ」
アマネがゆっくりと、カズヤの顔を見る。
「そんなやつが苦しんでるなら――間違ってんのは世界の方だ。
お前じゃない」
カズヤはまっすぐにアマネの瞳を見据えた。
「お前が自分を責める分は、俺も一緒に背負ってやる。
……だから一人で潰れんな。お前は、生きていいんだよ」
その言葉は、そっと、けれど確かに胸の真ん中に届いた。
崖の上を、風が通り抜ける。
砂粒が舞い、星明かりが二人の頬を滑る。
アマネはこみ上げる涙を必死にこらえながら、何度も頷いた。
「……うん。……うん、ありがとう。
私、ちゃんと――生きたい。最後まで、ちゃんと……」
見上げた夜空の向こうで、灰の塔の影が月光に揺れる。
まるで、世界そのものが二人の決意を見守っているかのようだった。
⸻
【2】
同じ頃、拠点の奥――。
カムイは暗い部屋でひとり、観測機を操作していた。
光を帯びたコードが絡み合い、エーテルの波がモニターを満たす。
「…あと、少しっす……」
焦点の合ってない目で、それでも何かを追い続ける。
眠気も疲労も、とっくに通り過ぎていた。
扉の外から、アインの声がした。
「まだ起きてんのか? さすがにぶっ倒れるぞ」
「今がうちの頑張りどころなんで。
……筆聖は、綴りそのものを直す気はないっすよ。
異常の原因がアマネさんだって決めつけて、排除して終わらせようとしてる」
装置を動かす指は止まらない。
「人としても技師としても、そんな解決方法は認められんっす」
アインはため息をつき、壁に背を預け、小さく笑った。
「ま、それは同感だ」
彼女が《《答え》》に手をかけ始めている。
そんな予感に胸が高鳴った。
⸻
【3】
――そして翌朝。
カズヤ達が朝食の支度をしていると、部屋の奥からドアが軋み、
カムイがふらりと現れた。
服も髪も全てが乱れ、やや臭いも漂う。
しかしその目だけは鮮やかに光っていた。
「……できたっす」
その一言に、全員の手が止まった。
アインとカズヤが顔を見合わせ、同時に声を上げる。
「ほんとか!?」
アマネも思わず手を止め、カムイのもとへ駆け寄った。
「カムイさん、すごい!」
カムイは壁にもたれかかりながら、口元だけはいつもの調子で笑う。
「“存在の綴り”を直す方法――用意できたっす。
正確にはぶっつけ本番、試すしかない…っすけど」
アインが腕を組み、にやりと笑う。
「上等も上等だ。やるだけやってやろうじゃねぇか」
カズヤも頷きながら立ち上がる。
「ああ。塔の中に入れりゃ、あとはなんとかなりそうだ」
カムイは真剣な顔に戻り、ゆっくりと言葉を継いだ。
「装置の調整に、最低でも二日は欲しいっす。
観測、ちょっとでもズレたら……全部パーどころか、もっと酷いことになるんで」
アインが短く笑う。
「ちょうど灰の祭典も近え。
こりゃ決まったな。――利用できるもんは、全部利用する」
その瞬間、空気が引き締まった。
四人の視線が交わり、沈黙の中で覚悟が共有される。
カズヤが静かに言う。
「作戦は――三日後。灰の祭典の日だな」
その時、窓の外で灰の塔の鐘が微かに鳴った。
まだ祭典前の朝の鐘。
それはまるで、これから訪れる運命の時を告げる合図のように響いていた。
⸻
【4】
嵐の前の静けさ――
と言いたいところだが、実際には一秒だって余裕はなかった。
作戦開始まで、残された時間は三日。
フォーンシティ全域で、全員が息を合わせるように動き出していた。
アインは、住民や監査局、大書院、警備隊――
それぞれの組織に潜んでいた協力者達と接触していた。
かねてより《《反旗を翻す》》ために仕込んでいた物資や拠点。
それらが次々と、裏ルートを通って動き出す。
闇に紛れる伝令、地下倉庫の火花、小声で交わされる確認の言葉。
そのどれもが、長い準備の果てにようやく形になっていた。
カズヤとアマネは、街の調査と準備を並行して行っていた。
上層と下層を繋ぐ橋の位置。
警備の交代タイミング。
祭典のために一時的に開く搬入ルートや、人の流れ。
布越しに塔の外壁を盗み見ながら、二人は地図とメモを何度も塗り替える。
祭典当日にはさらに警備が厳しくなるだろう。
それでも、事前に知れる情報はひとつでも多い方がいい。
二人の集めた“足場”は、
アインを通じて協力者達の作戦図に組み込まれていった。
カムイはほとんど部屋から出てこなかった。
ノエラが残したメモを擦り切れるほど読み返しながら、新しい装置の調整を続ける。
一発勝負で失敗はできない。
そのプレッシャーは、常人なら折れてもおかしくないものだったが――
「こういう無茶の方が燃えるっすからねー」
彼女はそう言って笑い飛ばした。
工具の音と、エーテル機器のうなりと、ぶつぶつとした独り言。
その全部が、少しずつ確実に成功へと近づいていた。
⸻
【5】
そして――灰の祭典の朝。
フォーンシティの空は、名に違わず灰色の靄に覆われていた。
塔の鐘が、いつもより少し長く、低く鳴り響く。
祭典の始まりを告げる音。
同時に、カズヤ達にとっては《《決戦開始》》の合図でもあった。
アインは大槍を背に固定し、軽く肩を回す。
カズヤは剣の鞘を指先で叩き、ふうっと呼吸を整える。
アマネは白い外套のフードを深く被り、震える手を胸の前でぎゅっと握りしめた。
カムイは、命綱ともいえる装置を抱え込んで、深呼吸を一度。
カズヤは三人を見て――ほんの少し笑った。
「笑って明日を迎えられるようにさ。
……みんな、頑張ろうぜ」
ギィ、と拠点の鉄扉が開く。
差し込む光の向こうで、
フォーンシティの中心にそびえる灰の塔が、重々しく脈動していた。
その日。
世界の“綴り”は、確かに――書き換えられようとしていた。




